77話 夜食の時間
何の因果か飯屋のテーブル席で向き合う俺、エクセリア、ブリークハイドの三人。
エクセリアは猛犬のように歯を見せてブリークハイドを威嚇しているし、ブリークハイドはやたら姿勢良く座っているが何を考えているかわからない仏頂面だ。
こうなると俺まで敵対モードじゃ気まずすぎる。このサラサラ金髪イケメン野郎はいけ好かないが、それでも無言のままじゃな……と俺は差し障りのなさそうな話題を探りながら口を開く。
「ええと……あんた食べ歩きとか趣味なの? ガイド本持ってたけど」
「違う」
「あ、そう……」
こいつ。人が話を振ってやってるんだからもう少しあるだろうが。愛想笑いの一つでもしてみろよ。
くそッ、俺は結構気を使うタイプなんだ。閉店後の店をわざわざ開けさせてしまっただけでも気を使う状態なのに、他の客がいないガランとした店内で無言で座ってるのは感じ悪すぎるだろ。
めげるな俺。もう少し話題を投げろ。
「……そうは言ってもほら、わざわざ本買ったんだろ。食べ歩きって俺の言い方が悪かったかな、観光は嫌いじゃないんだろ?」
「いいや」
「……」
もうちょいなんか言えよ、せめて文章で喋ってくれ。なんだこの短文マンは。失語症か?
「アリヤ、こんなやつと会話しなくていいぞ」とエクセリアがひそひそ耳打ちしてくるが、そういうわけにもいかないだろう。
俺はエクセリアほど気性が荒くない。他人と敵対状態のまま向き合っているなんて胃に悪くてちょっと耐えられないのだ。
エクセリアを短くなだめて、もう一声ブリークハイドに投げかけてみる。
「だったらなんでガイド本持ってたんだよ。拾ったわけでもないんだろ?」
「……」
「無言? 黙殺する気か? いや一言ぐらい答えてもらうぞ。そもそもなんで血の門自治区にいるんだよ、騎士団の仕事か」
「答える必要はない」
「別にいいぜ、だったら勝手にこっちで決めつけてやる。騎士団は血の門を煙たがってるって聞いたことがある。何かモーション起こすつもりで視察に来たんじゃないのか? 下っ端じゃなくて幹部クラスのあんたが来るってことは近々動くつもりなんだろ。違うか!」
「チッ、ベラベラとよく喋る。一つ教えてやろう。私は貴様の存在を嫌厭している」
「なんだと」
「得体の知れない転移者め……貴様が現れて以来、紙一重のバランスで保たれていたこの街の均衡が崩れている。貴様如きは羽虫一匹にも等しい存在だが、蝶の羽ばたき一つを起因に台風が起きることもある。上の許可さえあれば、今ここで排除してやるものを……」
「なんか格好付けて喋っちゃってるけど、上司の許可がないから自己判断で動けませんって言ってるだけじゃないか。すげえダサいぜ、ブリ坊くん」
なにやらいきなり敵愾心を剥き出しにされたので、俺も若干カチンと来てしまう。
この男と顔を合わせるのはまだ二度目だが、燃さんから何度か話は聞いたことがあった。
曰く、神経質な真面目くんで若干イキり傾向あり。自分のことを冷静で理知的だと思っているが実際はカッとなりやすいタイプ。雑にブリ坊と呼ぶと嫌がって面白いのだと。
だったら俺も呼んでやるよ、なあブリ坊。
「貴様、その小馬鹿にしたような呼び方はやめろ! 一体どこで、忌々しい……!」
「燃さんから聞いたんだよ。お前が俺のことをどれだけ知ってるか知らないけど、俺は意外とお前のことを知ってるぞ。ピアノがお上手なんだってな。お上品だね。音楽批評系のブログを運営してるんだって? ネット上ではめちゃくちゃ冗舌でそこそこ人気らしいじゃないか。なあブリ坊!」
「あの女狐……!!」
ブリークハイドは心底忌々しげに歯を食いしばって、机を殴りつけようとしたところで思いとどまる。遅い時間に開けてもらった店の机を傷付けない程度の自制心はあるらしい。
そこでふと、俺は思い付きを口にしてみる。
「ああ、わかったぞ。あのガイド本燃さんに押し付けられたんだろ」
「……」
「中華の食べ歩きしたいって言ってたもんな、燃さん。お前が騎士団の仕事で血の門に行くってなったから、ついでに店のチェックをしてきてくれとか言って押し付けられたんだろ。雑用係は大変だな?」
「……貴様」
正解らしい。なんだこいつ、図星が顔に出るタイプだな。ポーカーフェイスぶってたのに真逆だぞ? 面白いな。
俺がブリークハイドにニヤついた目を向けていると、エクセリアが困惑した顔で呟く。
「なあアリヤ、私をほっといて喧嘩するのやめろ。蚊帳の外ではないか」
「あ、ごめん」
そこへ、厨房の方に引っ込んでいた凱秀英がいくつかの皿を持って現れた。
転移初日に殺されかけたのが尾を引いてるのか、俺はどうもブリークハイド相手にはヒートアップしてしまうところがあるのかもしれない。これ以上喋っていると本当に喧嘩になりかねないので、いいタイミングで料理を持ってきてくれて助かった。
「はいはーい、お待たせしました。料理持ってきましたよ。ま、厨房の火は落としちゃってたから簡単なヤツですけど」
「わあ、美味しそう!」
エクセリアが感嘆の声を上げた。
もうできないメニューも多いというので注文はせずに秀英にお任せ。運ばれてきたのは三皿だ。
「右のは焼鵝、真ん中のは花椒とネギ油で和えた冷やし中華みたいなの。左のそれはヤマモモの蜂蜜漬けを添えた牛乳プリンです。まあ僕の夕食用に残してあったまかないみたいなヤツなんで、ちゃんとしたメニューよりはショボいですけどね。あはは」
「へえ〜。夕食用のなんて出してもらって良かったの? なんか申し訳ないな」
「あ、僕は食べ飽きてるんで平気です。あとでカップ麺でも食べますよ、はは」
秀英はしょぼいと言うけどかなり立派だ。
特に焼鵝。ガチョウを食べるのは初めてだけど、表面の皮がパリパリの飴色に仕上がっている。ああそうだ、北京ダックみたいな見た目だ。
取り皿に自分の分を盛って、添えてあった赤っぽいソースを付けて口に運ぶ。
……あっ、美味い!
肉質は柔らかく弾力的で、皮の歯触りは薄く伸ばした飴細工くらいにクリスピーだ。
断面からあふれる透明な肉汁には旨味と甘みが凝縮されていて、爽やかな酸味が一体になって鼻腔を奥に抜ける。ああ、赤っぽいこれは梅肉のソースか。肉の臭みやクセをきれいさっぱり消してくれているんだ。
冷やし中華も絶品だ。日本のそれとは別物で、花椒を効かせたまぜそばと棒棒鶏の中間って具合の味がする。
火は使っていない口ぶりだったので麺は今茹でたわけではないんだろうけど、ツルツルとした食感も歯応えもある。レンジの音はしていたから冷凍麺かな? 冷凍でよくこんなにそれっぽくなるもんだ。
エクセリアも「おいしい」と麺を頬張りながらデザートに目を向けている。
ブリークハイドは何も言わずに黙々と食べているが、箸が止まっていないし心なしか機嫌が良さげなので美味いのだろう。やっぱり態度に出るタイプだ。案外バカっぽいぞこいつ。
そんな具合に俺たちが料理に舌鼓を打っていると、奥の部屋から足音が聞こえてきた。
ぬうっと顔を覗かせたのは、タンクトップとステテコの部屋着スタイルに着替えた凱士安。
暴力おじさんの登場に俺は一瞬身を硬ばらせるが、彼は相変わらずの好好爺然とした顔で口を開く。
「おや、戻っていたのか秀英」
「ああ、起こしてしまってすいません。アリヤさんたちが士安飯店の料理が気になるようだったんで何品か出してました。洗い物はちゃんとしておきますよ」
「構わないよ。皆さん、うちの料理はいかがです。美味しいでしょう」
「美味しいです」
「おいしい」
俺とエクセリアはすぐに肯定して返す。士安が怖いのもあるが、味が良いのも事実だ。ブリークハイドは無言だったが、頷いてはいたようだ。
それを見た士安は満足げにうんうんと首を振って、俺の方に視線を合わせてきた。
「藤間さん、うちの秀英はあなたと歳が近い。将来に備えて見聞を広めてほしいと思っていてね、良ければ是非仲良くしてやってください」
「あはは、急にそんなこと言われても迷惑だと思いますよ、父さん」
「いや、迷惑だなんて全然」
俺はブンブンと手を振って返す。
士安は暴力の世界に生きている男だが、息子の秀英について語る目はことさら優しげに見える。
いや、普段も見た目だけなら穏やかな人に見えるからアテにはならないのだが、それにしても息子のことは可愛がっているような感じがする。
そんな士安が奥に引っ込んで、俺たちが上品な甘みの牛乳プリンまでをしっかりと平らげたのを見て、秀英は重ねた皿を回収しながら笑顔を浮かべた。
「いやあ、喜んでもらえると嬉しいもんですねえ。父さんもヤクザな家業なんてやめて料理人に専念すればいいのに。僕、人の役に立つ仕事がしたいんですよ。そちらの方は星影騎士団でしょ? 求人とかしてません?」
「騎士団は亜人種以外の入団を受け付けていない」
「うーんケチだなあ。どこかいい感じの就職先はありませんかねえ」
気の抜けそうなゆるい調子でボヤきながら厨房に去っていく秀英。
彼が姿を消したのを見計らって、ブリークハイドはエクセリアに一瞥を向けてから俺を睨みつけてきた。
「貴様に忠告だ。姫の記憶がある程度の領域まで回復すれば、事態は次の段階へと移行する。上層部はなぜか貴様に姫を預ける判断をしているようだが……貴様の如き羽虫では遠からず事態を手に余らせる。その前に姫から手を引け」
「その“事態”ってのはなんだよ」
「貴様に教える義理はない」
「じゃあ論外だな。それっぽい匂わせだけをして本題を言わない奴は信用しないことにしてるんだよ。ブリ坊くん」
「チィッ……」
忌々しげに舌を鳴らすブリークハイドにエクセリアが吠えかかる。
「そうだそうだ、どっか行け! コケて大ケガしろ!」
だがブリークハイドはその声には反応せず、俺へ向けた視線をより鋭くする。
「……もう一つ忠告だ。紅血楼に近寄るな。とりわけ、明日は」
「何だって?」
思わず問い返すが、彼はテーブルに紙幣を置いて席を立つと、声を掛ける間もなく店から去っていった。
……と、 もう一度店内に顔を覗かせて一言を添える。
「あの秀英という男に美味かったと伝えておけ」
「はあ? 自分で言え……って、どっか行きやがった。なんだあれ」
「腹立つなアリヤ! 私はあいつ嫌いだ!」
俺とエクセリアはブリークハイドへの悪口をひとしきり言い交わしてから、美味かった料理のことを思い起こして気分を整える。
さっきシエナたちと夕食も食べたってのに良くないな、今日は食べすぎだ。
それにしてもブリークハイドめ、明日は紅血楼に近寄るなってのは一体どういう意味だろう。ぼかした言い方しやがって。
考えられる可能性としては、ドミニコと凱士安が組んでのマダム紅への襲撃を騎士団が嗅ぎ付けていて、そのリスクを忠告してきたとか。
だが近付くなも何も、そもそも俺とエクセリアはその襲撃チームに参加しているのだ。あいつのぼんやりとした忠告を間に受けてハイそうですかと引き下がれるわけもない。
店の外に降りしきる雨だれの音を聞きながら、俺はエクセリアに話しかける。
「明日、頑張ろうな。エヴァンのためにもイリスを助けてやろう」
「うむ! そしてドミニコから大金をもらって豪遊するのだ!」
「はは、いいね。何したいか考えとかないと」
にそれにしても……アリヤ、夜食というのは美味いだけじゃなく、なんだか心が躍るものなのだな!」
「わかるよ。悪いことしてる感があっていいよな。金が入ったらまた行こうよ、たまになら」
「それはいいな! よし、約束だぞ!」
カツン。明日の戦いへの決意を込めて、俺たちはお冷やのグラスで軽く乾杯をした。




