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72話 血の門自治区

 威圧的にそびえ立つ赤く巨大な門。

 門から先は血の門(シュエメン)の自治区だ。歩道と車道のどちらにも堅牢な検問が敷かれていて、許可のない人間はここから先へ立ち入ることが許されていない。

 検問担当の男たちはカジュアルなTシャツ姿だが、肩には紛争地域のニュースなんかでよく見かけるカラシニコフと似た小銃を担いでいて物々しい。


 検問を抜けなくてはいけないのはもちろんドミニコに率いられた俺たちもだ。

 さっきから運転席のリズムが車窓を開けて、検問担当の男と何やらやりとりをしているのだが、何やら時間がかかっている。

 あらかじめ準備してあった許可証を見せているのに、しきりに車内を覗き込んではいぶかしむような仕草を見せてくるのだ。

 まさか、マダムホンを襲撃するつもりだと気付かれているのか? 


(おいアリヤ、これ大丈夫なのか?)

(さあ……ドミニコは慌ててる感じじゃないけど)


 エクセリアからの問いに小声で返す。

 疑われているとしても、ドミニコたちの計画に後乗りしているだけの俺たちにできることは何もない。

 少しでも疑わしく見えないように行儀良く座っているのだが、当のドミニコはふてぶてしくだらけた様子で助手席に背を預けたままだ。

 と、ドミニコが上着の懐に手を入れた。銃? まさかここで騒ぎを起こすつもりか!?

 そんな俺の驚きは杞憂(きゆう)で、ドミニコが取り出したのは成金趣味のゴージャスな財布だ。

 そこから五枚ほどの紙幣を鷲掴みにすると、運転席側の窓に手を伸ばして検問役の男の手に金を掴ませた。


「よう、こいつで美味いもんでも食いな」

好通过(通ってよし)


 検問の男はさっきまでの圧の掛けっぷりをなかったことにするぐらいのニタニタとした笑みを浮かべて、受け取った紙幣を数えながら追い払うように手をあおいできた。行ってよしってことか。

 それにしても、金を払わなければいつまでも通さないつもりだったんだろうか? 後ろの車の通行が数分滞ってしまっていたのにいいんだろうか。

 俺がそんな疑問を抱いているのを見て取ったか、助手席から振り向いたドミニコが口を開く。


「検問所の上に話は通してあったんだがよ、下っ端に足元見られちまったぜ。車が金持ちに見えたかな、ハハハハ!!」

「あんなにすんなり払っちゃって良かったのか? もったいなくないか?」

「もったいない? あれ以上時間かける方がよっぽど無駄だろうよ。この俺、ドミニコ様と同行するんだから、小市民感覚は捨てやがれ」

「うーん……それもそうか」


 小市民という言い回しを受けて俺は唸る。ちょっと自覚があるのだ。パンドラに来て以来、安定した収入がないものだから節約志向が身についてしまっている。

 シエナたちから報酬を貰いはしたが、あれはあくまで臨時収入って感じだ。固定の給料ではない。

 いつまでこの街で暮らすことになるかわからないのだから、無駄遣いはできない……なんてことを最近考えがちだ。


(他人の金の節約まで考える必要ないか……)


 それにしても、自治区の街並みはなんともアジア的だ。

 パンドラの街中は文字表記がごちゃごちゃで、俺は基本的に看板の類を読むことを諦めている。会話は誰とでもできるのだから聞けば済む。

 だがこの血の門(シュエメン)自治区の中は、見渡す限りほとんどの看板や標識が漢字表記、中国語で統一されているように見える。

 街中を歩いている人間もかなり画一的だ。目につくのはアジア人ばかり。もちろん仕事やら何やらで外部から来ている他人種もいるんだろうけど、この割合だとよそ者は目立つだろうな。

 なるほど、これが女傑と名高いマダムホンの影響力か。


 そんな風に俺が辺りを見回しているのが気に障ったのか、同じく後部座席に座っているエヴァンが苛立たしげな声を出す。


「おい、観光に来たんじゃねえんだぞ」

「え? ああ、ごめんごめん。珍しくてつい」

「お前に文句言ってるんじゃない。ドミニコ、どういう計画でイリスを助けるつもりなんだ? さっさと教えろ」


 俺に向けた怒りではなかったらしい。謝り損だった。

 それにしても、俺より先にドミニコと組んでいたエヴァンもまだ作戦の流れを聞かされてないのか。襲撃は明日仕掛けるつもりらしいのに、一体どうやるつもりなんだろう?

 だが問われてなお、ドミニコは鷹揚(おうよう)に手を振るだけで答えない。


「おお、万事万端だからよ、大船に乗った気でいりゃあいい」

「……まともな計画がねえなら早く言え。俺は今すぐにイリスを助けに行く」

「ほーう、威勢のいい自殺宣言だぜ。カッコイイなあオイ? それなら聞かせて欲しいんだがよ、アレをどうやって突破する気だ?」


 アレ、と言ってドミニコは進行方向を指差す。

 車の進む先に見えているのは、妖しく紅く照らされた一棟の巨大な楼。この街にうとい俺でも、あの建物のことは雑誌やらで見て知っている。

 血の門(シュエメン)自治区のランドマークにして武力の象徴、暴力の城こと紅血楼だ。


「直に見るのは初めてだけど、すごいな。チャイニーズマフィアここに極まれりって感じだ」


 思わずそんな言葉が口をついて出る。

 建物の外観自体は写真で見たことがあっても、それよりも異様なのは立地だ。

 都市東部の地形の特徴である湖の中心部に楼が鎮座していて、そこに通じる道は一本の橋だけ。

 そして橋にはまた検問が設けられていて、街に入る時の検問よりもよっぽど厳重そうに見える。遠くて細かく見えないが、ガトリング銃なんかが数門据えてあるんじゃないかって雰囲気だ。

 それを踏まえて、ドミニコがエヴァンへ続けて問いかける。


「どうやって入る気だ? 妹を迎えに来たお兄ちゃんです開けてくださーい! ってか? それとも腹にダイナマイトくくりつけて決死隊でも試してみるか。いや、なんなら全身に山ほどロケット花火くっつけて空飛んで入るのもいいかもなあ! ハデでサイコーだぜ! ハハハハ!」

「チッ……クソが」


 ドミニコの煽るような物言いに、エヴァンは舌打ちをしてそっぽを向いてしまう。

 腹は立っているようだが、自力で入るのも難しいと再認識したようだ。うん、あれは誰がやっても強行突破は無理だろう。蜂の巣にされて終わりだろうな。

 そこへ、ハンドルを回しながらリズムが会話に混ざってきた。


「ンー、いただけないよドミニコ氏。今回の計画(スキーム)では彼に一任(アサイン)したい部分も多いわけだから、くだらないいさかいはノーサンクス。人的資源(マンパワー)は大事にしなくっちゃ」

「おお? おお……」

「安心していいよエヴァン。ドミニコ氏はちゃんと考えてる。何もボクら五人だけで事を成そうってわけじゃない。今回の計画(スキーム)には同盟(アライアンス)を組んでる相手がいるんだ。合意(コンセンサス)も取れてる。アポを取ってあって、今からそこに向かうところさ。キミのはやる気持ちも理解できるけど、一回ゼロベースに戻してみようか」

「あァ……?」


 仲裁しつつエヴァンの知りたがっていることを答えてはいるのだが、言い回しが鬱陶しくて頭に入ってこない。

 ドミニコとエヴァンは順に眉間にシワを寄せて渋い顔へと変わった。たぶん俺も同じ顔をしている。

 黙って聞いていたエクセリアがイライラを隠そうともせず、運転席のヘッドレストをグーで殴った。


「わかりやすいように言え!!」

「ンー……協力者がいるから、今からそこへ向かうよ」


 おお、わかりやすくなった。

 ようやくまともな方針説明があったことで、エヴァンは少し落ち着いた様子で窓を開けた。

 夜の空気が車内に流れ込んで、少しひんやりと肌寒い。


「……なんだか知らねえが、嫌な臭いがするな。この街は」


 エヴァンのそんな呟きが少し気になる。人狼だけあって、嗅覚が敏感なんだろうか。

 それから走ること10分ほど、リズムは繁華街の一角で車を停めた。




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