★6話 嘘
大都市パンドラの都心、数多くの摩天楼が立ち並ぶエリアに、ひときわ人目を引く高層ビルがいくつかある。
その中の一つ、製薬会社ドミニオン・バイオファーマ本社ビルの上層階で、七人掛けのラウンドテーブルを囲む仮面の男たち。七面會だ。
ただし埋まっている席は三つだけ。深夜に緊急で集まったこともあって四人は欠席している。
集まった三人のうち一人、カラスが口を開いた。
「というわけで、騎士ブリークハイドの襲撃を受けて、お姫様には逃げられてしまいました……と」
「オイオイオイ!? 実験施設で迎え撃ったんだろ? いくら騎士が来たからってそう簡単に逃げられる話があるかよカラス!」
燃えるように赤い服の男が立ち上がって円卓を叩いた。
顔を覆ったガスマスクで表情は見えないが、声にはたっぷり怒気が含まれている。
そんな彼を、横からの声が静かに制する。
「落ち着けアブラ。まだカラスは全てを話していない。そうだろ?」
「そうなのか! 悪いな!」
アブラと呼ばれたガスマスク男の視線が再びカラスへと向く。
背が高くスタイルの良いアブラに見下ろされる威圧感を受けつつ、カラスは片手をぶらぶらと揺らしてみせる。
「鋭いな、サイレン。実はちょっとしたイレギュラーが起きてね」
「オイなんだよ、そのイレギュラーってのは!」
「落ち着け、アブラ」
また大声で話の腰を折りかけたアブラを、フルフェイスメットを被った男、サイレンがゆったりと嗜める。
アブラが大人しく椅子に座り直したのを見届けてから、カラスがピンと人差し指を立てた。
「転移者だ」
「転移者? 転移者がどうしたってんだ。パンドラにゃ掃いて捨てるほどいんだろそんなモン」
「街にじゃない。研究所内に、突然転移してきた」
「何……?」
サイレンの声が不審げに曇る。
「レアケースだな。企業連の統計上、これまでに確認された転移者は例外なく屋外で目覚めていたはずだ」
「俺らだってそうだったよなあ? そりゃ災難だったな、カラス。原因として思い当たるフシとかもねえんだろ?」
「全くない。あそこはドミニオンの施設の中でもトップクラスに厳重なんだがなあ」
「そっかあ」
ベッタリ付けた整髪剤でオールバックにした髪を撫でつけながら、アブラが釈然としない調子で首を傾げる。
カラスが手元のコンソールを操作すると、研究所内での戦いの映像が室内に投影された。
アリヤが血の操作魔法に目覚め、ブリークハイドからエクセリアを奪い返したところでアブラとサイレンが小さく唸る。
「なんだぁ? マジで珍しいなこいつ。パンドラに来てほんの一時間足らずでここまで魔法を使えるやつがいるのか。前代未聞じゃねえの」
「……同感だな」
アリヤがブリークハイドの追走を振り切り、燃の車が暴走気味に研究所の敷地から出たところで映像が終わった。
バン! と机を叩く音がして、アブラが椅子から立ち上がる。
「オイオイめちゃくちゃ気になるなコイツ! 居場所は特定できてんだろ? 俺が仕掛けていいか!?」
「特定はしてるけど、騎士団の燃に首輪を付けられたっぽくてな。アブラ、お前が行くのはやめといた方がいいよ」
「なんでだよカラス!!」
「燃とやり合うことになったら直情径行なお前じゃ相性悪いだろ。あのクセモノ女と正面からぶつかってもいいことないぜ」
「マジか!」
アブラが腕組みをして座り直す。声は大きいが素直だ。
それを見て、サイレンが思慮深さの伺える声で提案を口にする。
「アブラの派手な戦い方ではすぐに燃の索敵網にかかる。厄介だ。目立たない手法が望ましい。そうだな……シュラに任せてみては?」
「シュラかよ!? あいつもハデ好きじゃねえか!」
「派手“好き”なだけだ。彼ならやろうと思えば静かにもやれる」
「チィッ……こりゃ出番ねえな。あいつに任せたんじゃすぐ終わっちまう!」
不満げに頭の後ろで手を組んで、アブラは椅子の背もたれ沿いにノビをする。
そこから勢いよく前のめりに姿勢を戻すと、パーにした両手を挙げてみせる。
「ま、お前らの決めた方針に従うぜ。それよりメシ食いに行こうぜメシ。腹減っててよ」
「付き合おう」
「いいね。研究所で戦ったせいで俺も空腹だ」
「そういやカラス、ブリークハイドの野郎はどうなったんだ?」
「燃に置き去りにされたのが予想外だったみたいでね。腹を立てながら徒歩で帰っていったよ。ゴブリンにかじりつかれたまま」
「マジかよ硬えな!」
「笑える話だ」
賑やかな笑い声を上げながら三人が去り、会議室の明かりが静かに消えた。
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目が覚めた。
窓から燦々と差し込む朝日に目を細めながら、俺はベッドサイドに置いていたスマホを手に取って時刻を見る。
「9時ちょいか……意外と早く起きちゃったな」
昨晩、燃の車を降りてホテルの部屋に辿り着いたのが深夜の2時だった。
ツインベッドの片方にエクセリアを寝かせて、洗面所の蛇口から水を直飲みしたところから記憶がおぼろげだ。
今の自分の格好を見るに、着替えるのも面倒で倒れ込むように寝てしまったんだろう。
「うーん、二度寝するか? いやでも結構元気なんだよなあ……」
丸一日寝込んでもおかしくない疲労だと思ったのに、何故だか全身の疲れがすっきり抜けている。
ブリークハイドに殴られて吐血したダメージが残っている感じもしないし、それどころか左腕にあった裂傷がきれいさっぱり消えている。
もしかしてあれか? 異世界の宿にはRPGみたいに回復効果があるんじゃないか?
そんな仮説を立てた俺は、すやすや寝息を立ててるエクセリアの様子をそっと覗き込む。
「……いや、そういうわけでもないのか」
エクセリアの首には昨日ブリークハイドから締め上げられたときの痛々しいアザがまだ残っている。
包帯でも巻いてあげたいところだが、起こすのも悪いので、蹴飛ばされて落ちていた毛布をそっとかけ直しておく。
「ま、とりあえずいいか」
そんな言葉を口に出すことで、とりあえず気持ちを切り替えてみた。
自分の体のことがよくわからないのは困り物だが、体調が悪いよりは元気な方がいいに決まってる。
うろ覚えのラジオ体操の動作をしてみても体に痛みはないし、眠気もすっかり飛んでいたのでこのまま起きることにする。
燃がくれた紙袋はとにかく気の利いた中身だった。
無難な服がS.M.Lと各サイズ入っていて、最低限の身だしなみ用品がいくつか。それとくれた財布には紙幣が5枚とそこそこの小銭。
通貨単位がわからないのが困るなと思ったが、小銭入れに忍ばせてあった小さなメモにお金関係の色々が簡潔に書き記されていた。
「単位はクレジット……そのままな名前だ。牛乳1リットル150クレジット、安価な定食で700クレジットか。数字の感覚的にはドルとかより円っぽくて助かるな」
メモを眺めつつ、服と一緒に入れてあった数種類の充電器からiPhone用のを探して挿す。
無事に充電が始まったようで、フォン。と聞き慣れた音が鳴った。と、それに反応するようにエクセリアがゆっくり身を起こす。
起こしてしまったかなと反省しながら、俺は「おはよう」と声を掛けた。
「ん、うーん……? どこだ、ここは……」
寝ぼけまなこで部屋の中を見回したエクセリアは、俺の顔を見た瞬間へらっと嬉しそうに笑う。
「アリヤか……へへ……お前がここに運んでくれたのか?」
「あー、いや、色々あって。俺はそこまで役に立てなかったんだけど……まあそうといえばそうかな」
「そうかぁ……」
ゆっくり頷きながらじんわりと笑うエクセリア。
低血圧で朝は弱いタイプなんだろうか? だとしたら姉さんと同じだな。
そんなことを考えていると、エクセリアが眉を潜めて首を傾げた。
どうしたんだろうと様子を見ていると、彼女は戸惑った様子で俺へ問いかける。
「ところでアリヤ、一つ聞きたいんだが……私は誰だ?」
「ん? クイズか何かかな?」
「いや、違うのだ……そういうのではなくて、自分が誰なのか、何者なのか、まるで思い出せない」
「待った待った。寝ぼけてるんだろ? 俺のことは覚えてるし」
そう返してみたが、エクセリアはふるふると首を横に。
「奇妙だ……自分が誰なのか、私が何者なのか、記憶がすっぽりと抜け落ちている。いや、他にも消えている記憶がたくさんある……」
「ま、マジで言ってるのか?」
「……お前のことも、あやふやだ。アリヤという名前、私を守ってくれたこと、味方だと言ってくれたことは覚えている。良い感情を抱いたのも覚えているが……お前が何者で、どうして助けてくれたのかはわからない」
困惑した様子でベッドに座り込んでいるエクセリアを見つめながら、俺は昨夜のことを思い出す。
きっとブリークハイドの変な魔法だ。あの黒い紐の効果で、エクセリアの記憶が欠落してしまったんだ。
どうしたもんか。俺もこの子のことをそんなに知らないってのに、一体どう話せば……
————そこで、鐘が鳴った。
『運命分岐点』
「えっ、時が止まって……はあ? 今? 分岐する要素あるか!?」
『今ここが、お前の運命を大きく分かつ岐路。選択肢を示そう。選ぶ権利を与えよう』
「そこの台詞テンプレなんだな」
昨夜と同じように目の裏に痛みが走り、今度は二つの光が浮かび上がった。
【①.君の名前はエクセリア。この都市の姫だと伝える】
【②.君の名前は藤間夜。君は俺の姉だと伝える】
「なっ……!?」
俺は思わず息を飲む。
見透かされている。
わずかに、本当に少しだが、考えてしまったのだ。
記憶を失ったエクセリアを見て、今なら“姉さん”を取り戻せるんじゃないかと。
すぐに思考の底に沈めて、自分でも直視しなかった悪魔の考え。それをこの謎の声は底から浚って浮き彫りにした。
ああそうだ、確かに今なら……だけど。
俺が選ぶのは——