57話 始まりの魔女
フォーマルなジャケットに袖を通して、いけ好かない相手と会食のテーブルを挟む。シエナはこの時間が大嫌いだ。
大富豪クラウン家の長子として生まれた彼女には、幼い頃から数多くの責務が付きまとってきた。
そんな諸々に嫌気が差して、父の本性を知ったある日を境に実家を離れ、学園自治連合を拠り所にしてきた。
けれどシエナはその学園を守るために今、彼女が憎んでやまない“悪辣な富豪”という人種と向き合っている。
(みんなが繋いでくれた会食の場だ。絶対に失敗できない)
ドレスコード、テーブルマナー、エレガンスに交わすウィットに富んだ上っ面の会話。
都市議会議員にしてランドール家現当主、学園の最大スポンサーであるマクシム・ランドールはシエナの嫌うそれらを擬人化したような男だ。
38歳。嫌味に垂らしたひとふさの前髪を揺らしながら、いやというほどに丁寧な声色で政治家然とした作り笑みを浮かべた。
「いいでしょう。あなたの求める通り、私の私兵を学園自治連合の防衛へと回して差し上げます」
「……ありがとうございます。約束は、必ず果たさせてもらいます」
シエナの心は安堵で包まれる。よかった、これで学園はまだ戦える。みんなの居場所を守ることができる。
けれど気取られないよう、付け込まれないよう、そんな感情は決して表に出さない。
この男は蛇だ。油断と隙を見せればたちまち学園は食い物にされる。
乾いた笑顔で返したシエナは、約束という言葉を強調した。
蛇蝎のような男に協力を求める以上、相応の見返りは用意してある。それは学園から差し出されるものとは別に、シエナ個人のバックボーンにまつわる約束だ。
身を切るような内容の契約だが、シエナはそれをまるで厭わない。
目的のためなら手段を問わない苛烈な一面が、彼女にはある。
……と、マクシムがテーブルを指でトン、と叩いて口を開く。
「ただし、半分です」
「……と、言うと?」
「今ランドール家から貸し与えられる兵力は、あなたの要求した半分ほど、ということです。恥ずかしながら、こちらも野暮用が立て込んでいましてね」
「……」
半分では長くは守れない。
まだ動かないと思っていた血の門がやってきて、オーウェン兄妹の妹イリスを拐っていったとユーリカから報告を受けた。
イリスはもちろん奪還するとして、大勢力の血の門がいつ攻撃を仕掛けてくるかわからないとなると要求した兵数でも足りないぐらいなのだ。
ただ、シエナは慌てない。
「都市議会で議員を務められているお立場ともなると、色々と気苦労も多いのでしょうね。お察しします」
「ええ、そうなのですよ。ただでさえ多忙な時期だというのに、少々くだらないトラブルを抱えていましてね」
両手を使って身振りを交えながら、彼はあくまで落ち着いた口調で喋る。
なんの価値もない上っ面の会話だが、彼が言いたいことはわかっている。それをシエナの方から切り出す。
「抱えていらっしゃるトラブルについて、なにか私たちで力になれることはありませんか?」
「いえいえ、あなた方もご多忙でしょう。お気遣いには及びませんよ」
「そう仰らずに。“野暮用”が減れば、また状況も変わりますよね?」
テーブル越しに視線がかち合う。
お互いの言いたいことは単純だ。マクシムはトラブル解決のために手を貸せと言っていて、シエナはトラブルを解決してやるから兵をもっと寄越せと言っている。
だが格式と建前を重視するランドール家において、そんな不躾な物言いをすれば交渉は破談だ。
(あ〜めんどくさいなあ……!)
シエナの本音はそれに尽きるが、背中がむず痒くなるのを我慢して綱引きごっこに付き合っている。
やがてマクシムが薄笑みを浮かべて、「では」と言葉を継いだ。
大丈夫、ここまでは既定路線だ。
だがマクシムの口を出た次の言葉に、シエナは意表を突かれて表情を崩してしまう。
「私の妻の、浮気調査をお願いしたいのです」
「えっ……は?」
「もう一度言いましょうか。私の妻が浮気をしていないか、あなた方の手で調べていただきたい。無論、手段はお任せいたします」
「えーと……出資していただいている以上、私たちはランドール家への協力を惜しまないつもりです。けど、浮気調査……? となると、ノウハウのある興信所とかを雇われた方がよろしいんじゃないですか?」
「フフ……あなたもまだ青い。家庭内の醜聞を外に漏らすわけにはいかないのですよ。その点、運命共同体であるあなた方なら漏えいの間違いは起きません」
そう答えたマクシムは、会食はここまでだと示すように水を一口飲み下した。
「もちろん、判断には時間が必要でしょう。依頼を受けてくださるのであれば、一週間後にまたお出でなさい。今度は前日に電話していただければアポイントは不要です。ここまでお越しになるのが大変なようであれば、学園との中間地点まで私が出向いてもいい」
「……わかりました。一度学園に戻って仲間と相談してみます」
「それが良いでしょう。返事がどちらであれ、先程お約束した兵数は派兵させていただきますよ。ああ、それと……」
マクシムの目が鋭さを増した。
まるでここまでの全てが前置きで、次の一言が本題であるかのように。
「次はぜひ、あなたのご友人にもお会いしたい。藤間或也君。彼には実に……興味を惹かれるのでね」
「……わかりました。彼に尋ねてみます」
同意を示しつつ、シエナは内心で考える。
七面會、深層六騎の燃、血の門、そしてランドール家。これでアリヤに興味を示す勢力は四つ目だ。
(この都市の覇権を争う勢力たちがこぞって興味を示すアリヤ。君は一体何者なんだろ……)
とりあえず、当座の戦力は補充できた。
席を立ったシエナは、待合室で待っていたミトマと合流する。
「行こ、ミトマ。お腹空いた」
「今食事してたんじゃないのか」
「あんなピリピリしたムードじゃ何の味もしないよ。コンビニでチキン買って帰ろチキン。辛いやつ」
「もったいない。いい食事だったろうに」
裏へ潜ると言っていたバーガンディからは、興味深い情報も伝わってきている。
停滞してはいられない。頭を切り替えていかないと。状況は毎日のように移り変わっているのだ。
「一旦仕切り直そう。次の方針を決め直さないとね」
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「……あー、またこの曖昧な感じ。学園で戦った後と同じだ」
ドクロとカラスとの戦いが終わってみれば、俺の体は結局ボロボロだった。
燃さんの血を飲んで殺鼠剤の溶血作用を克服できた気になっていたが、騎士団の医療部隊が大慌てで輸血パックを俺に繋いでいた。
考えてみれば燃さんの血を胃に入れたからってそれが即自分の血管に巡るわけじゃないので、輸血できてたわけでは全くないだろう。
だけどそれはそれとして、俺は血を飲んだ瞬間の体力の回復と精神の昂揚をはっきりと体感している。錯覚なんかじゃない、間違いなく効果があった。
輸血パックの吊り下げられた車内でガタガタとストレッチャーに揺られながら、俺はぼんやりした思考で自分に起きたことをゆっくり考察する。
そんな俺の顔を、ペストマスクが上から覗き込んできた。
「お考え中のところ失礼するよ、アリヤ」
「……! カラス!」
アブラを倒した時と同じように、突然現れて話しかけてくるカラス。耳に膜が張ったかのように救急車のサイレン音が遠ざかる。
車内には俺一人じゃない。横では騎士団の救急隊員たちがバイタルだのなんだのをチェックしているし、もちろん運転席にも人がいる。
なのに敵対勢力のカラスが車内に現れたことに反応を示す人は誰もいない。異様だ……が、俺は今回は慌てなかった。
「……幻覚か、別人だろ」
「おや。どうしてそう思う? 俺は時間と空間に干渉ができる。走行中の救急車に乗り込んで、お前以外に気付かせないくらいは容易さ。この前学園で話した内容を俺は知っていただろ? それは俺が俺である何よりの証拠じゃないか?」
「カラスがなんで知ってたのかはわからないけど……時間だの空間だのを弄れるなら、その能力もっと有効なことに使うだろ。深層六騎暗殺したり色々できるはずなのに」
「おやおやおや、物騒なことを言うじゃないか。参考にさせてもらうとするかな? さしあたっては燃を殺してみせようか」
安い脅しだ。俺はため息を吐く。
「そんなこと出来るならとっくにやってるだろ。それに、さっきの戦いでステッキが割れた時、破片でそのマスク傷付いてたんだよ」
「え?」
「再現できてない。俺はそれを知ってるから、俺の幻覚ってこともないか。誰だよ、あんた」
「……ふっ……ふふっ、ふふふふふ……」
カラスの姿がグニャリと歪む。
風呂にバスボム型の入浴剤を投げ込んだ時みたいにボコボコシュワシュワと体が内側から泡立って、シルエットは縮み、こじんまりとしたものに変化した。
偉そうな眼差しと自尊心の塊みたいな笑顔。エクセリアの顔がそこにある。
「ジャジャーン、実は私だ。この前お前に話しかけていたのも私だったのだ! どうだ? 騙されていた感覚は。貴様が大事にしていた姉似の少女は貴様を裏切って」
「……この前カラスと話した時、横にいたけど? エクセリアは」
「あれ? そうだったかしら……」
まず口調が違う。
口調なんて人を判断する材料としてはそれほど強い根拠にならないかもしれないが、なんというか語り口全体の雰囲気があまりにも違う。
尊大な表情くらいは再現できているが、彼女の無邪気さみたいなものがまるで似せられていない。目の前にいる誰かからは、稚気に混じって禍々しい邪気のようなものを感じるのだ。
「あなた、私とはあんまり遊んでくれないのねえ……燃とは楽しそうにつるんでいるくせに。つまらないわ。あなた巨乳好き?」
「そ、そういうんじゃない。あんたがなんなのか知らないけど、素顔も見せない、名前も知らないやつとまともに話せるはずない。そもそも俺はそんなにコミュ力高い方じゃないんだよ」
「ふーん? じゃあ、せっかくだから名乗っておこうかしら……」
「痛たたたっ!!?」
エクセリアの顔をした何かが、俺の耳をつねり上げながら耳元で囁く。
「初めまして、藤間或也。あたしは“始まりの魔女”。ま、前回はカラスのフリして会ったから初めてじゃないけど」
「痛い! 耳をつねらないでくれ! しかも本名じゃないし!」
「呼び名なんて便宜的なものがあれば十分でしょう?」
なんだこいつは……。
俺は腹立たしさに歯噛みするが、現実だか虚構だか曖昧なこの時空でも傷は引きずっているようで、体が全然動かない。
そんな俺の苛立ちを無視して、“始まりの魔女”が口を開く。
「知ってるかしら? 血ってね、催吐性があるの。普通の人間が飲むと吐いちゃうのよね。それをゴクゴク美味しそうに飲んじゃうなんて、あなた一体何者なのかしらねえ?」
ストレッチャーに腰掛けて、彼女は足をぶらつかせながら問いかけてくる。
そう、それは俺も考えていた。俺は何者だ?
カラスから聞いた話ではわからなかったことがある。
俺が地球に残った人外たちの末裔だとして、一体何の血を引いているのだろう?
正直、心当たりはある。
この世界に来て初めて血を操った時、異様なまでに“馴染み”を覚えた。
肉体や脳のレベルじゃなく、魂レベルで血というものに関わりがあるような。
……母さん。俺の母さんはニンニク料理が嫌いで、流れるプールが苦手で、日焼け対策に気を使う人で、トラックに轢かれて積荷の木材に胸部を貫かれて死んでしまった。
そんな母さんが健在だった頃、ふと思い立って聞いてみたことがあった。「どうして姉さんは夜って名前なの?」と。
響きは綺麗かもしれないけど、暗い、不穏、生命力がなさそうと三拍子揃ってる。
朝とか昼とかって名前の子が上にいて、その流れで下の子が夜になったとかならまだわかる。だけど長子なのに夜だ。ちょっと変わってると思った。
そんな名前が祟ったのか、姉さんが持つ数多くの疾患の中に、日の光に当たると皮膚が爛れてしまうというものがあった。
重度の日光アレルギーだと医者から聞かされて、俺は思ったのだ。ノリで“夜”なんて名前付けたからじゃないのと。
親の名付けにケチを付けるなんて今思えば酷い話だけど、その頃の幼かった俺は姉さんが不憫でならなかったのだ。
けれどそんな俺の酷い質問を母さんは笑い飛ばして、「うちはそういう家系なのよ」と俺に答えた。
意味がわからなかった。だけど伝説上の生物が実在したと知った今思い起こすと、どれもこれも一つの要素に帰結する。
「そ〜う、吸血鬼の端くれなのねえ、あなたって。カッパとかよりは格好付いてよかったじゃなーい」
魔女は愉快がるようにケタケタとそう言った。
なんだか嫌な声色だ。自分はとっくに知っていたことなのに、俺に認識を持たせるために初めて知った風を装っているような。
……まあいい。無視して俺は思考を続ける。
「吸血鬼っていったらニンニクが苦手だとかいうけど、俺は好きだけどな……流れる水が苦手ってのも俺は別に。ああ、でも流れるプールは子供の頃に足がつって溺れかけてからちょっと嫌な印象あるな……日焼けはちょっとしやすい方かも、別に不自由ない程度だけど。言うほど吸血鬼か……?」
「何ブツブツ言ってんのアンタ。ま、よく知らないけど血が薄いんじゃないの? だから家族で一番最後まで、星の意思に始末されなかったのよきっと。弱くってよかったわねえ」
「そういうことだったのか……?」
トラック事故を装って心臓に杭打ちなんて古典的な方法で念入りに殺された母さんは、きっと吸血鬼の血が濃く出た存在だったんだろう。
日光に弱かった姉さんも、俺より強く吸血鬼の特徴を継いでいたのかもしれない。
けど疑問は残る。父さんはどうして殺されたんだ? わざわざ自宅の書斎なんかで滅多刺しにされて……。
そんな俺の思考を打ち切るかのように、魔女はエクセリアの姿で両手をパンパンと叩き合わせた。
「ま、正体わかったんだからもういいでしょ。それじゃ恒例、運命分岐チェックターイム。なになに? ランドール家行きを選び、バーガンディの手を掴み、エクセリアに電話をかけて、燃との共闘を選び、キョウノを殺さず……今回の選択肢もそこそこ凡庸ねえ。相変わらずの平和主義って感じ? パーっと殺しちゃえばよかったのよドクロなんて。そしたらあなたの大好きな燃ちゃんも痛い思いしなくて済んだのにねえ〜?」
「……」
こいつの言動には悪意が見え隠れしている。それがガッカリしてるってことは、現状それほど悪くない選択肢を選べているんじゃないか?
そこで会話に飽きてきたのか、魔女は明後日の方向に視線を上げた。
「今回はこんなところかしらね。想定外は多少あるけれど……今後もせいぜい強くなってね。そうしてもらわないと、私の物語が狂っちゃうのよ」
「私の物語? 何の話だ、ちゃんと説明してくれ。この街は説明足らずな奴が多すぎる!」
「知らないわ、自分で調べなさい。何でも教えてもらえると思ってダダこねてんじゃないわよガキが」
「……」
取りつく島もない言い草に、俺は口をつぐんでしまう。
こいつは明らかに不親切なタイプだ。情報提供してくれるって期待しても無駄だと察した。
が、魔女は気まぐれを起こしたかのように、不意に俺へ顔を近づけて囁いてくる。
「ただ、そうねえ……私がどうして“始まりの魔女”って名乗るのか、それだけは教えといてあげる」
「……どうしてだ」
「私が、この世界を作ったからよ」
「なんだって?」
「今教えてあげられるのはそれくらいかしら。それじゃあね、“魔王の揺籃”さん」
……魔女は消えて違和感も消えて、世界の流れが元に戻る。
話している最中は頭にモヤがかかったように思い出せなかったが、最後の“魔王の揺籃という言葉でようやく思い出せた。
俺はあの女の声に聞き覚えがある。この世界に来る直前、転生させると言ってきた謎の声だ。
『それと、一つ力を与えましょう。運命を選び取る力……やがてお前を魔王へと変える力を』——と。
救急車のサイレンがけたたましく鳴って、ガタガタとストレッチャーが揺れている。
わかったことは少しあれど、それ以上に疑問が増えた。
正直何から手をつけていいのかわからない現状だけど、一つだけ、俺のやるべきことがはっきりと見えている。
「もっと強くなろう。誰かに利用されないように。誰も失わないために」
そう決意して、俺は拳を硬く握りしめた。
-----Chapter.2 完-----
・現在の好感度
エクセリア 35
燃 40
シエナ 15
ユーリカ 15
エヴァン 5
イリス 5
バーガンディ 10
キョウノ(ドクロ) 15
・知名度
F(学園の有名人)
→E(裏社会の噂)
・カルマ値
F(平和主義者)
変動なし
※数値は1〜100、ランクはA〜G
二章完結です。
4日お休みして、58話の更新は30日土曜の夜を予定しています。
休憩期間に簡単な人物紹介と用語集を追加しようと思っているので、そちらも併せてよろしくお願いします。




