52話 躍る殺人包丁
燃の隣に並び立った俺は、ドクロと視線を合わせて、血の剣を握って彼に声をかける。
「悪いな、キョウノ」
「マジかあ〜……残念だわ」
トン、トンと肉切り包丁の背で肩を叩きながら、キョウノは骸骨マスク越しに空を仰いだ。
その仕草が本当に残念そうで、俺は「はい手切れだ」と気安く戦い始めることにためらいを抱いてしまう。
「個人的な感情だけを言うなら、お前とはもっと仲良くしたかったよ。キョウノ」
「だったらよ」
「……だけど無理だ。お前は通り魔みたいなやり方で俺を殺そうとしたシュラや、学園に大きな被害を出したアブラのことを良いヤツだって言う。お前は殺した相手の肉を煮込んで平気で食べる。環境が違いすぎるんだ。感性を共有できそうにない以上、お前に命を預けることはできないよ」
「そう言われるとな。感性なんてホイホイ変えれるもんじゃなし、引き止めようがねーわ」
「だろ?」
感情面だけじゃなくて、実際的な話、エクセリアのこともある。
学園に彼女を残してきた状態で気安く勢力を乗り換えるのはどう考えても得策じゃない。
そんなことを考える俺の肩を、柔らかい手がポンポンと叩く。横を向くと、燃さんが笑みを堪えきれない様子でニマニマと口元を緩めていた。
「も〜アリヤくんったら燃さんのこと好きすぎひん? ぶっちゃけ今回の仕事モチベ低かったんやけどめっちゃ上がったわ。今のってつまり、燃さんとは感性を共有できてるってことやろ?」
「……まあ、それなりには」
「は〜可愛いとこあるやん。燃さんがちょっと美人なお姉さんムーブで手ぇ差し伸べたらこっち選んでくれちゃってえ。チョロいチョロい!」
「やっぱ向こうに付いてもいいかな」
「アカンて」
そんなやりとりを聞いていたドクロが、苦々しげな声をこちらへ投げてきた。
「負け惜しみじゃないけどさ、その女のことは本当に信用しない方がいいぜ。アリヤ」
「はあ〜? 私とアリヤくんの仲を邪魔せんといてくれます〜?」
「その女は」
「黙り」
言葉を遮るように、燃が隠し持っていた小さな刃を投げた。
だがドクロは油断なくそれを躱して、横に駆けつつ言葉を投げてくる。
「言わせたくないのか? ハハッ、やましい証拠だぜ。人外しかいない騎士団の中でも、その女は特にタチがわりぃんだわ!」
「『操命発破』」
燃が長い指をパチンと弾き鳴らすと、ドクロに首を刎ねられて倒れていた騎士がむくりと起き上がった。
首なしの彼はビクンビクンと不気味に身を震わせて、ドクロめがけて全力でダッシュする!
「はあ!?」とドクロが驚きの声を上げて飛び下がった瞬間、騎士の体がまばゆく輝いて、ドウと派手な爆発が起きた。
突然の爆炎に、俺は驚きで目を見開いてしまう。
「なっ……! ちょっと!?」
「アブラとの戦いで使った『死屍累々大爆殺』あったやろ? ゾンビ爆弾突撃させるやつ。今のはそれの単体バージョン。死体に魔力込めたナイフ突き刺すだけで使えるから便利なんよねー」
「な、仲間を爆弾にしていいのか……!?」
「死んじゃったからね。私の指揮で動く以上、死ねば弾になるのはみんな承諾済み」
そう言いながら、燃は次々に死んでしまった騎士たちの死体にナイフを投げていく。
むくりむくりと起き上がった爆弾ゾンビたちが、まだもうもうとくすぶる爆発の跡へ続々と殺到していく。爆破、爆破爆破爆破!!!
容赦のない自爆攻撃をドクロへと差し向けつつ、燃は俺に流し目を向ける。
「アリヤくん、星影騎士団は亜人種の組織だって話はもう聞いてるよね?」
「聞いてます」
「そう。じゃ、これ見せとくわ」
そう言いながら燃が目を閉じると、頭と腰からゆらりと静かな炎が立ち昇った。
揺らぎながら火の粉を散らす炎は狐の耳と尾を形作って、彼女を妖しく飾り立てる。
うっすらと目を開けて、燃は俺に微笑を向けてきた。
「……驚かせてしまったかもやけど、実は燃さんな、妖狐的なアレやねん。ほんとドッキリさせてしまったかもやけど。美しさで」
「あ、そうだったんですね」
「……ん? え、なに? 普通もうちょいリアクションあるやろ? ひええ〜って畏怖って腰抜かすとか、ガツンと魅了されてうっとりした顔で拝むとか、そういうのないん?」
「いや、まあ……元々たぶん狐じゃないかなとは」
「はあ〜!? なんで!?」
「だってSNSのアカウント名が紅狐だったし、アブラが女狐女狐言ってたし……」
「待って!? これとっておきやったのに! 燃さんの妖艶な魅力にアリヤくんが魅力されてドモりまくる予定だったんやけど!? 「お、お、おおおお綺麗ですね」って!」
「どんなイメージだよ」
俺が思わず文句を言ったその時、積み重なる爆炎の中から人影が転げ出た。
それは這うような低さで鋭く跳ねると、一瞬で燃の背後へと回り込んで刃を振り上げた。
ビルの谷間に差し込む陽光、反射して閃く刃。俺はとっさに身を呈して、血刃で斬撃を受ける!
「ッ、く!」
「反応いいじゃねえかアリヤ! そこどいてくんねえ!?」
「させるか!」
ドクロだ。彼の服はところどころ爆炎で焦げているが、体に大きな怪我を負った様子はない。
死角からの突撃に反応が遅れた燃も、軽口を叩くのをやめて炎刀をすらりと身構えた。
俺がまっすぐに刺突、燃が逆袈裟に斬撃。直線と斜めの二つの軌道で伸ばされる双刃。
しかしドクロは軽業師めいて、宙で体を横ひねりして回避してみせる。——と同時、詠唱。
「“一切皆苦、胡座に尸。無道、剪断、剥離する理。行き着く涯は美食三昧”。『無痛刃』」
ドクロがそれを唱えると、彼の持つ肉切り包丁がうすら赤い光を帯び始めた。
俺はその刃を注視しつつ、彼の口にした言葉の一部をオウム返しにつぶやいてみる。
「無痛?」
「詠唱ってのは厄介だよな、せっかくの技がちょっとだけネタバレしちまう。けどイメージを高めるには有効だから、ハイリスクハイリターンってとこか〜?」
「アリヤくん、気ぃ付けて。一見地味な魔法は厄介な効果が多いっての、結構あるあるやから」
「そういうことー」
ドクロの戦い方は独特だ。身のこなしがぬるぬると曲芸めいて軽い。
タン、タン、タと、ドクロは独自の歩法で、距離を一気に詰めてきた。足音は三つ、距離は五歩分。違和感に反応が遅れてしまう。
俺めがけて振るわれた赤い包丁を燃の刀が受け止める。
交錯した刃の下から、俺は左手をドクロに向けて血茨、血の有刺鉄線を槍めいて撃ち出す。
だが五指から放たれたそれを、ドクロは華麗なムーンサルトで掻い潜って躱してみせる。
「くそっ、当たらない!」
「チッ、ちょこまかと。アリヤくん、援護して!」
燃はそう言い放って、後方宙返りで着地した直後のドクロへと一歩踏み込む。
が、両手に力を込めて炎刀を振るおうとした瞬間、彼女はすっぽ抜けたように刀をとり落としてしまった。
「燃さん!?」
「はあ……!? なにこれ、左腕に力が入らんのやけど!?」
「スキありだぜ」
「危ない!」
うろたえた燃をとっさに突き飛ばした俺は、彼女の首を狙ってきていた包丁の斬撃を左腕に受けてしまう。
だが違和感。肉厚な肉切り包丁が俺の二の腕半分ぐらいの深さを通過したのに、まるでその感覚がない。
おかしいとその部位を見てみると、確かに肉が断たれて深い傷が刻まれていた。筋繊維は断裂、血管がズタズタ。だが何も痛くない。
「これ、無痛刃って能力の効果か……!」
「痛くないだろ? 俺の優し〜い力さ。料理に便利なんだぜ、鮮度が落ちにくくて」
そう言い放つと、ドクロは斜めに鋭い足運びで俺の懐に斬り込んできた。
「アリヤくーん! ごめんちょっと耐えてー!」
俺に突き飛ばされて少し距離の離れた燃へ、瘴気モンスターたちが一斉に突進してきている。
うまく動かないらしい左腕を庇いながら、燃は部下の騎士たちに指示を出しつつ炎刀でそれを迎え撃っている。
ならドクロは俺が抑えるしかない。
左腕の修復はまだ間に合っていない。右手に血の剣を握りしめて、包丁の斬撃に合わせて受ける。
一、三、五合。間合いは短いが凄まじい高速で繰り出されるドクロの斬撃を、ガ、ガ、ガガガと辛うじて受けていく。
だが左手だけじゃない、左肩、右の大腿、右の首筋、微妙な違和感とともに可動域が狭まっていっている。
対応しきれずに斬られているのだ。包丁はどうにか受けているはずなのに何故?
そして痛みがないせいで、それに気付くのが遅れてしまう!
「痛くないって厄介だろ? 疼痛ってのは危険を知らせる信号だから、なきゃないで結構ヤバいのよ」
両手を広げてそう告げるドクロへ、俺は身を沈めた踏み込みから鋭く突く。
だが彼は膝の動きで体を傾けただけでそれを避けると、恐るべきバネで竜巻のように身をねじり、豪快な後ろ蹴りを俺の胸骨にブチ当ててきた。ベゴっと重い音、骨が砕ける感覚と激痛!
「が、っは……!」
「おっといけね。相手を痛がらせるのは趣味じゃないんだ。やっぱ無痛刃が趣味に合うわ」
「……っ、くそ、強い……!」
「俺って七面會の中では魔法の才能があんまりなかったもんでさ、得意だったこの技に特化して、あとの魔力リソースは身のこなしの向上に全ツッパしてんの」
そう言うと、ドクロは包丁の背で自分の肩をトン、トンと叩く。
その仕草はどうやら彼のクセらしい。
「降参しねえ? あの女への義理は立ったろ」
「……」
「さっきは遮られたけどよ、あの女は妖狐です〜、で俺の話は終わりじゃないんだぜ? ああいう亜人種の連中には、どうにも物騒な血統ってモンが付いて回る」
「血統? 燃さんの血筋に何かあるのか?」
ドクロの話に少し興味を惹かれる。だが同時に、会話でドクロの攻勢が落ち着いたことで、俺は向こうの攻撃のタネに勘付いた。
黙って聞くか、攻勢に出るか……迷いながらも、俺は瘴気モンスターの群れに応戦する燃へと声を上げる!
「燃さん! 動かないところに多分小さい透明な刃が刺さってる! 無痛刃の効果があるのはあの包丁だけじゃない、あいつが扱う刃物全部が無痛になってるんだ!」
「は? うわ、なんか小さいの刺さってるやん! なにコレきっしょ!」
「おーっと……気付くの早くね?」
ドクロが苦々しげな声を漏らした。
透明な何かが刺さっているって部分以外は当てずっぽうのカマかけだったのだが、今の反応を見るにそう間違ってはいない推測だったみたいだ。
俺は肩、首、腰と、痛みもなく突き刺さっていた刃物を抜き取って日に透かす。
まるでガラスみたいに透明だ。赤く光る包丁に注目を集めて、合間にこの透明な刃を突き立ててきていたらしい。
「透光性セラミックってやつな。こっちの世界の技術でかなーり強度を増してあるから、軽く刺したり切ったりには十分ってワケだ。アリヤ、痛みはないのになんで気付いたん?」
「お前が話そうとして間が空いたから、少しでも体を治そうと全身の血流に集中したんだ。それでようやく流れを邪魔する異物が刺さってるのに気付けたよ」
「あー、戦闘中に勧誘とかしようとするもんじゃないな〜……」
残念そうに首をひねるドクロを睨みながら、殺到したモンスターを処理し終えた燃が俺の隣へと戻ってきた。
騎士もモンスターも少し目減りしてきている。そんな中、倒れた騎士たちが続々ムクムクと起き上がってくる。
状況を優勢と見たか、燃が勝ち誇ったような顔でドクロへと片手をひらひら泳がせてみせる。
「はーい駄目駄目。私のアリヤくんに何を吹き込もうとしたんか知らんけど、もうお開き。おしまいやわ」
「おっとぉ……団体様だな」
ドクロが息を呑んだのは、起き上がった騎士たちの数に驚いてのこと。
さっきの三、四人とはわけが違う。二十人以上の騎士たちの死体が、胸に起爆装置めいた炎を宿してドクロを見据えている。
「『死屍累々大爆殺』。これ私の超必ね。今度は避けられる数やないとは思うけど〜……ま、頑張って避けてみてな?」
「やっべ、詰んだわ」
「よっしゃ! 大爆殺や!」
怒涛の如く、脇目も振らない死者の行軍がドクロへと殺到していく。
避けてなんとかなる数じゃない。これは決着か? そう思った瞬間、ビルの屋上から声が降った。
「“阿毘に黒檀、比丘尼に辰砂、淀み沈めよ白亜の環礁”。——『青の崩落』」
「え、なになに!?」
勝ち確の笑顔を浮かべていた燃が空を見上げると、そこには海が生まれていた。
キラキラと陽光を通して煌めく水の塊、50メートル級のプールのような青い直方体。
それがプツンと吊り糸を切られたように、一斉に降って地面を叩いた!
「うっわ! 冷たっ、寒〜っ!」
「なんだ……っ!? 誰だあれ!」
「あ、待って。ズブ濡れにされたせいで火ぃ消えたわ。ゾンビ止まっちゃった」
「えっ、あれ濡らすだけで止まるのか!?」
「いやいや、あんな大量の水は想定してへんし。そんなガッカリ感出さんといてアリヤくん。ちょっと傷付くわ。女心わかってない。モテへんやろ?」
「ご、ごめん……」
俺が謝罪に追い込まれていると、ビルの屋上にいた人影が地上へすとんと降り立った。
俺は彼を知っている。派手な色の細身のスーツにレモン色の襟巻き、鳥のクチバシのようなペストマスク。
彼はすらりと長い腕を広げてみせて、面白がるような口調で俺を見る。
「やあ、世界の解体者。学園で会って以来かな?」
「あんたは七面會のカラス……!」
学園以来だって?
アブラと戦った後、俺は朦朧とした幻覚の中でこいつを見た。けど、どうしてそれをこの男が知ってる? あれは幻覚じゃなかったのか?
その隣に並んだドクロが、カラスの肩にひょいと手を置いた。
「アリヤ〜、さっき俺は七面會の中では魔法の才能がない方だって言ったよな? こいつはその逆よ。俺らの中でもバリバリに最強の魔術師だ」
「……最強の魔術師」
「はー、なんなん? 七面會二人目とか、めっちゃしんどいんやけど。アリヤくん、私この仕事辞めた方がいいと思う?」
「こ、こんな時に人生相談されても困るって……!」
そんなやりとりに割り込むように、カラスがマスク越しにくぐもった、それでも不思議とよく通る声で語りかけてくる。
「参考に教えてあげようか、アリヤ。燃という女性の血筋について、それに亜人種という存在について」
「……!」
さっきドクロが言いかけたことだ。
戦闘の流れで聞きそびれたけど、気にはなっていた。
ペストマスク越しに、カラスがその口を開く。




