4話 研究所からの脱出
俺が選ぶのは——!
俺が意思を決めたのを境目に、止まっていた世界の時間が流れ始めた。
意識のないエクセリアを背負い直した俺は、カラスの勧誘への返事代わりに虚鬼たちへと血から作った即席ナイフを数本投げつけてやる。
「くたばれ不審者!」
ペストマスク姿の派手スーツ男なんて不審者以外の何者でもない。そんなやつと組めるか。
雑に投げたナイフはゴブリンたちの体にサクサクと刺さり、ギャッという悲鳴が群れから上がる。
それを皮切りに、ゴブリンたちはどっと一斉に押し寄せてきた。
(よし、これでいい!)
俺はそれに背を向けて、対面で武器を構えるブリークハイドの方へと駆け寄りながら声をかけた。
「おい、手伝ってくれ! 俺はあんたの方に付く……」
と、言いつつ華麗に脇を素通り。
「わけないだろ! バーカ!」
「何……貴様!」
当たり前だ、エクセリアの首を絞めて痛めつけるような奴と手を組む理由がない。
俺を追いかけていたゴブリンたちが一斉にブリークハイドへと襲いかかった。
さっきから見ている限り、あのゴブリンたちには大した知能がない。
なにせ焼かれるのがわかっているのにエクセリアの炎に自殺ネズミめいて続々と飛び込んだほど。
適当に刺激してやればカラスの制御下を離れて追ってくるはずで、ブリークハイドに標的を押し付けられるはず……というイチかバチかの賭けだ。今回は上手くいってくれたらしい。
「ゴブリンとよろしくやってろ!」
「ッ……!? ふざけた真似を!!」
「こいつはとんだ戦闘巧者だ。ハハハハ!」
カラスの笑い声を背に受けながら、俺はエントランスに入ったときに目にしていた館内マップを思い起こす。
(たしか、エントランスを出て左側に駐車場があったはず)
意識のないエクセリアを担いだまま走って逃げるのはまず無理。向かうべきはここだ。
ガラス張りのドアが開くのを待たず、蹴破って外へ出た。空は暗く、月みたいな星が地球よりも少し大きく見える。
その時、背後からバケモノみたいな咆哮が轟いた。
「オオオオッッ……!!」
「げっ、あいつ追ってきたのか……」
振り向いた俺が目にしたのは、大量のゴブリンにまとわりつかれながら強引に走ってくるブリークハイドの姿だった。
ラグビーの中継であんな光景を見た気がする。なんてフィジカルだ、バカ力のバカ馬力かよ。
視界に俺を捕捉したブリークハイドは腰に張り付いていたゴブリンを鷲掴みにすると、まるで弓を引き絞るように大きく振りかぶり、投げる!
「トーマ・アリヤッッ!!!」
「な、速っ……!?」
小学生ぐらいの体躯のゴブリンが猛烈な勢いで飛来する。
直撃すれば死ぬ! 俺はとっさに背負っていたエクセリアに当たらないように体をひねった。瞬間、衝撃によろめく。
「ッッぐ……!」
引っ攣れるような痛みが左腕に走る。投げられたゴブリンの牙だか爪で引っかけられたのか、二の腕に深めの裂傷が刻まれていた。
痛い! けれど好都合だ。血から鉄を、鉄から武器を連想することで俺は魔法を発動できる。
「『武装鮮血』! 銃弾を食らえ!」
傷跡にあてがった指先から赤い光が漏れて、右手にずらりと長銃身のライフルが現れる。
すぐさま狙いを定めて引き金を引く……が、弾が出ない。
「な……おいおい! この魔法、不良品も出るのか!?」
予想外の不発にうろたえたことで隙が生まれた。
ブリークハイドは頭にゴブリンが噛み付いてくるのも構わず、両手を交差させて祈るような所作を見せると、エクセリアを凝視しながら両手を激しく叩き合わせた。
「エクセリア姫、枷を嵌めさせていただく。『星裁』」
瞬間、黒い紐のようなものが大量に現れてエクセリアに絡みついた。
エクセリアを奪い返される! そう感じた俺は慌てて紐を払おうと腕を振るが、なぜか俺の腕はそれに触れられずにすり抜けてしまう。
俺の干渉を受け付けない黒紐はたちまちエクセリアの全身に絡みついて、得体の知れない漆黒の輝きを放った。
「まぶしっ……!? なんだ? どうなった?」
紐が消えている。
エクセリアは気を失ったままだが、外見上の変化はない。呼吸も安定している。
あの光はなんだったんだ。俺は怪しんで首を傾げるが、すぐにそんなことをしている場合じゃないと思い直す。
幸い、ブリークハイドはゴブリンをいよいよ無視できなくなったようで、噛み付いてくるゴブリンを引き剥がしながらメイスと盾を振るっている。
(逃げるなら今しかない!)
30秒ほど必死で走ると、駐車場らしいスペースが見えてきた。
勝手のわからない異世界だ。車といっても見たこともないような謎の乗り物しかなかったらどうしようと密かに危惧していたけれど、ラッキーなことに基本的な形状は元の世界の車と同じだった。
前後ろに分かれた座席、四方にタイヤが一つずつ。
血から生成した金槌で窓ガラスを割ってロックを開けて運転席を確かめる。
ハンドル、アクセル、ブレーキとサイドブレーキ、ミラーにワイパー。よし、構造は大差ない。
「あとは鍵だ。今時のスマートキーじゃなくてエンジンキーっぽいから、これなら……血から鍵を作れば!」
再び傷口に手をあてがおうとしたところで、俺は自分の間違いに気が付いて息を飲む。
「いや、この車の鍵の形なんてわからないぞ……!?」
魔法は感情とイメージの直結で生み出されるとカラスは言っていた。
それはつまり、形を細部までイメージできないものは作り出すことができないってことだ。
ああそうだ、さっきの銃が作動しなかった理由もわかった。
俺はガンマニアじゃない。銃の外観を思い浮かべることはできても、銃の細かい内部構造なんて知らない。Wikipediaでなんとなく解説を斜め読みしたことがあるくらいだ。そんなので詳細に覚えてるはずがない。
まるで災害みたいな規模のエクセリアの魔法を見て万能の力のように思い込んでいたけれど、自分のイメージが追いつかないことは実現できない!
「考えてみりゃ当たり前だ! 調子に乗ってた! くそっ、どうする。じきにカラスかブリークハイドも追いついてくるぞ……」
ここに来て立ち往生だ。土地勘もなし、行き当たりばったりの限界を感じる。
エクセリアも目を覚ます様子がないし、さっきブリークハイドから黒い紐みたいなので何かされてたのも心配だ。
どうすればいい! 八方塞がりな状況に息を呑んだその時、少し離れた位置の駐車スペースから声が投げかけられた。
「おーいこっちこっち〜! 君ら困っとるんやろ? 車乗せたげるからはよこっち来!」
知らない女だ。ミニバンのような車の運転席から上体を出してこっちに手を振ってきている。
突然の部外者の登場に、俺は面食らって思わず問い返す。
「なっ、誰ですか」
「いやいや君らそんなこと聞いとる場合ちゃうやろ? そっちの女の子めっちゃぐったりやし。はよせな向こうでワーワー騒いでる人らが来てまうんやない?」
「……!」
「いやまあいいんやけどね、私おしゃべり好きやし。なんだったらここで小一時間、いや小二時間くらい立ち話してもぜーんぜん平気。あはは」
女はへらへらと軽く笑うが、言ってることはその通りだ。信用できるかまるでわからないが、ここに棒立ちになっているのが一番まずいのは間違いない。
俺が後部座席に転がり込むと、女は「揺れるでー」と言いながら急アクセルを踏んだ。
運転が荒い! 路面を噛みしめたタイヤがギキャキャと激しい音を鳴らして、車はあっという間に研究所の敷地からの脱出に成功した。
リアガラス越しに後ろを見るが、ブリークハイドもゴブリンたちも追ってくる様子はない。
(とりあえず、あそこからは逃げられたか……?)
シートに背中を預けながら深い息を吐くと、運転席の女が「はーいおつかれおつかれ」とバックミラー越しに視線を送ってきた。
この女性が何者なのかはわからないけど、ずっとニコニコと目元を緩ませていて人当たりが良い。
長い髪は鮮やかな桜色をしていて、やっぱりここは異世界なんだなという実感が少し湧く。
「ありがとうございます、助かりました」と俺が礼を言うと、ハンドルから離した片手をひらひらさせながら応える。
「あはは、気にしなくてええよー。ま、私も星影騎士団なんやけどね」
「ッ!?」
「あ、大丈夫大丈夫。戦う気ゼロやから。いやーだって君、ブリ坊にひっぱたかれたのに生きとるんやろ? 無理無理〜あの子とやりあえる子と戦うんはしんどいわ。ボーナスもらってもしんどい、無理。そもそも私どっちかといえば支援担当なんよ。あ、ブリ坊ここまで乗せてきてあげたのは私なんやけど置いてきちゃったから怒ってるやろな〜めんどくさ。あ、ブリ坊ってのはブリークハイドのことね」
「ぶ、ブリ坊……」
ぺらぺらと高回転で喋る女になんだか気圧されてしまう。
そもそも、抵抗しようにも全身が疲労で満ちている。座席に座ったところで緊張の糸が切れてしまった感がある。
身構えない俺を見て満足げに首を縦に振った女は、カーブに合わせて緩やかにハンドルを切りながら口を開く。
「先に言っとくと、君が大人しくしてくれるなら解放してあげてもいいんよ。なんなら姫様も一緒に」
「あの騎士……ブリークハイドはしつこく追い回してきたのに?」
「ま、こっちにも事情が色々あるんよ」
軽く肩をすくめて、女は笑みに細めていた目をすっと細く開ける。
「私の名前は燃。この世界のこと色々知りたいやろ? ちょっとお姉さんと話そか」