37話 混戦開始
「その車はもうダメね。宿までは歩きで行きましょ」
店を出るなり、バーガンディが俺たちへとそう告げる。
店の近くには駐車場がなかったので、バーガンディの指示で路肩に車を止めてあった。
スラム街の道路は舗装が甘い。確かに地面がぬかるんでいてタイヤや車体の下の方が泥で汚れてしまっているけど、そんなことで車がダメになるもんだろうか?
俺と同じ疑問を抱いたのか、ミトマが少し強い口調で食ってかかる。
「ダメとはどういう意味だ。自慢じゃないが、私は車についてはそこらの修理工より詳しいつもりだ。今朝も整備してきたし、多少泥を被ったぐらいで壊れるようにはしていない」
「お黙んなさいガキが。何のためにわざわざ泥の中に止めたと思ってんの」
「なに?」
バーガンディは車ではなく、その下のぬかるみに太い指先を向ける。
見れば、そこには足跡が残っていた。俺たちが車を降りた時の車体にかかとが向いた足跡とは別に、車体につま先が向いた足跡がいくつか。
「爆弾付いてるわよ。乗ったらボ〜ン!」
「なんだと……!?」
「リモコン式か時限式かは知らないけど、いくら防弾車両だって底から爆発食らえばオシャカよ。大事なおクルマと心中したけりゃどうぞ〜」
「もう仕掛けてきたってこと? 早いな……」
シエナが表情を険しくする。
パンドラは治安が悪い都市だ。とはいえ、真昼からテロ規模の事件が起きることは流石に多くない。
襲撃されるとすればホテルについて以降。夜を耐え抜けるかが勝負。そんな話を少し前にしていたのだが、早速アテが外れた格好だ。
ランドール家とのアポは明日だが、ランドールの人間は融通の効く優しいタイプでは決してない。
アポの時間に遅刻は論外で、当日入りだとそれこそ襲撃に邪魔されて辿り着けない可能性がある。
だからこそ前日入りでランドール家付近にまで近付いておく必要があった……というのがシエナたちの考えだったのだが、状況は想定よりかなりまずいらしい。
俺は周囲を見回して警戒しつつ口を開く。
「とりあえず移動した方がいいんじゃないの? もう監視されてるんだったら道路に棒立ちはまずいよ」
「そーネ。アリヤちゃん、ちょっとそこのアパートの角から先を覗いてみてくれる〜?」
「わかった」
角の先は細い路地だ。今いる大路から離れるにはいい抜け道かもしれない。
指示された場所から、俺はそっと顔を覗かせて……ドン! 胸を強く叩かれたような感触を受けて、勢いよく尻餅を突いてしまう。
何するんだ! 誰かに突き飛ばされたんだと思った俺は声を上げようとしたが、声の代わりに喉から溢れたのは血だ。大量の血がゴポリと溢れて地面を濡らす。
胸が真っ赤に染まって穴が開いている。これ、撃たれたのか!?
「ゲホッ!! グフっ……!」
「あらやだ血みどろ〜!!」
「アリヤ!」
「飛び出そうとしてんじゃないわよ! 狙われてるのが自分だって足りねえオツムでさっさと自覚おし!」
俺に駆け寄ろうとしたシエナの首根っこをバーガンディのゴツい指が掴んで後ろへ引くと、代わりに彼女が歩み寄ってくる。
ジャケットの内側からおもむろに拳銃を取り出すと、俺のケガを横目に見てから角の先へとパ、パ、パンと素早く三度引き金を引く。
銃を抱えた男がビルの窓から転落したのが見えたが、バーガンディはそれを見もしない。当てて当たり前といった態度だ。俺が撃たれたのを見て敵の位置を確認したんだろうか。ひでえ。
そして膝を落とすと、鼻息のかかる距離で俺の顔を覗き込んでくる。
「ンーフ……若い男の子が血まみれになってるのってキレイよねぇ〜」
「げ、ふっ! ごほっ!」
「聞いてるわよ〜アリヤちゃん、アナタ不死身っぽい体なんでしょ? はい立って立って。スタンダ〜ップ。肉壁役はアナタしかいないわよ」
「か、壁……!?」
傷の修復に意識を集中させながら、俺はバーガンディの言葉に思わず目を剥く。
確かに、これぐらいじゃ死なないのは先日の戦いで実証済みだ。意識が飛びそうなぐらい痛いが、もう傷は塞がり始めている。
にしたって、この役回りをずっとやれって!?
「ちょ、ちょっとバーガンディ! アリヤは手伝ってくれてるのにそんなことさせられないよ!」
「綺麗事抜かしてんじゃないわよ!! 戦力が足りてないのよこのおバカが!!」
「壁役なら銀騎士を召喚する! アリヤ、傷が治ったら下がっ、痛ぁっ!?」
バーガンディのゲンコツがシエナの脳天を叩いた。
いかつい腕から放たれた拳はまるでハンマーだ。ゴッと音がしてシエナの足元がぐらつく。
「な、なんで殴るのさ!?」
「目立ちすぎんのよそれは。バカでかい目印立てて、こっちを見つけてない敵まで全部呼ぶ気? 自殺なら一人でやんなさいな。それに小回りが効かないから盾としては不十分〜。そもそも山場はこの先の大通り。アンタの魔力はそこまで温存。大人しく銃だけ持ってなさい」
「けど!」
「けどもでももあるかグダグダうるせえ!! 黙ってろやメスガキ!!」
「はあ〜!? この人でなしオカマ!!」
二人が平行線の言い合いをしている間に、俺はどうにか立ち上がることができた。
深呼吸をしてみても胸に痛みはない。よし、とりあえず回復したみたいだ。
「大丈夫か?」と心配そうに聞いてくるミトマに苦笑で返して、俺はシエナとバーガンディに声をかける。
「シエナ、大丈夫。俺が先頭を歩くよ」
「ええっ!?」
「ヤダ〜漢気〜! 惚れちゃう〜!」
「いやいや無理しないで! いくらなんでも不死身ってわけじゃないでしょ、バカスカ撃たれたら死んじゃうよ!」
「流石にさっきみたいなのが続いたら厳しいけど、囮役だって始めから理解してれば対策できる……と思う」
自信があるかと言えば微妙だがやるしかない。多分なんとかなるだろう。
息を吸って、アブラとの戦いを思い出す。血を炎のように燃やすイメージを再現する。
「『灼血』……!」
暴走気味にアブラを殺しそうになったあの状況ほどは力を深めず、血の鎧を纏うのではなく皮膚の下に血の膜を作る感覚。
バケモノみたいになってしまったあの時と違って、今回は見た目の変化はないはずだ。ミトマから安全装置を外した銃を二丁受け取って、さっき顔を出して撃たれた路地へと足を踏み出しながら、俺はシエナたちに声をかける。
「……よし、行く!」
「気を付けて!」
俺が路地に顔を覗かせた瞬間、新たに控えていたらしい狙撃手たちが一斉に引き金を引く。
数発の銃声が同時に聞こえて、俺の皮膚に螺旋する弾丸が触れた。またしても体を強く突き飛ばされるような感覚。
撃たれた場所の皮膚がねじれてえぐられるが、その下に作っておいた鉄血の膜がそこで弾丸を阻む。よし、耐えた!
「アリヤちゃん! 具合はいかが〜!?」
「いったい……! けど大丈夫だ!」
見えた狙撃手たちの位置へ、両手に持った拳銃のトリガーを交互に引く。
銃の扱いなんて知らないし練習したこともないけど牽制にはなるはずだ。
撃たれながら歩く俺に敵が注意を引かれている間に、シエナたちが物陰から物陰へと素早く移動しつつ撃ち返してゆっくりと前進していく。
10メートル、30メートル、50メートル……「よし、走れ!!!」
バーガンディの怒号を受けた俺たちは、残り少しになった路地を一息に駆け抜ける。
スラムの大通りに出た俺たちを待っていたのは、何台もの黒塗りの車から銃口が俺たちに向く。
瞬間、バーガンディが二度目の怒号を上げた。
「シエナァ!! 身を守れ!!」
「来て、『孤狼王ルスラン』!!」
召喚した紫のマントを纏い、長剣を手にしたシエナが俺の隣に立つ。
バーガンディとミトマが俺たちの後ろで銃を構えて、照準を敵に合わせる。大通りのマンホールから黒い煙が吹き上がり、瘴気モンスターが地上へと這い出してきた。
一斉に火を吹く銃口、一般人の悲鳴! 混戦が幕を開ける!




