23話 グラウンドの決闘
シエナはもちろん、反シエナ派のエースのエヴァンも学園の有名人だ。
その二人がついに正面対決。噂はたちまち学園中に広がっていて、俺たちが決闘場所のグラウンドにたどり着いた時には、既に分厚い人だかりができていた。
シエナを心配する多くの生徒、エヴァンの番狂わせを期待する一部の生徒、どっちが勝とうと構わない野次馬根性のその他。そこに賭けの胴元気取りの生徒までが入り乱れて、グラウンドは未曾有の混然ぶりだ。
「うわっ、すごい人数だ。これは割り込んで止めるのは無理かな……」
「邪魔だなあこいつら! 何も見えんぞ!」
背の低いエクセリアが地団駄を踏んで怒っているので、俺はよいしょと彼女を背負う。
俺の肩越しにようやくグラウンドを見れてご満悦のエクセリアが、「あ、二人が出てきたぞ!」と声を上げた。
砂埃の舞うグラウンド中央で、シエナとエヴァンが向き合っている。
シエナはいつもの“CL”のロゴが入った学園自治連合の上着姿。エヴァンはさらに身軽な黒のタンクトップ姿で、鋼のように鍛えられた筋骨が見えている。
「先に謝っておくね、エヴァン。今日は手加減はできない」
「上等だ。って言っても正門前の召喚獣は維持したままなんだろうが? その滅私精神ヘドが出るぜ」
「あれくらい、私には呼吸と大して変わらない」
「ほざけ。今にもぶっ倒れそうな顔色でよ」
「……君たちを野放しにしすぎた。力の差を見せつけて、有無を言わさず従わせる。見せしめになってもらうよ、エヴァン」
強風が吹いて、シエナの上着がなびく。
右の五指にはめられた黒い指輪のうち二つが光っていて、さらに三つめが光を宿す。
リン、ゴン。
十二時の鐘が響いたのを合図に、エヴァンが弾かれたように前に駆けた。
「手加減なしはこっちもだぜ。食らいな!」
低く身を沈めた矢のような疾走。腰に下げていた二丁の銃を両手に握り、照準合わせもそこそこにシエナへと引き金を引く。
火を吹く銃口、放たれる弾丸。双銃はショットガンだ!
「危ない!?」
俺は思わず声を上げる。
この世界にも銃があるのは知っていた。学園に滞在した数日間で、正門を守る生徒たちが手にしていたのを何度も見ている。
魔法を使えない人間が戦う手段としてポピュラーに普及しているもので、決して珍しいものではないらしい。
けど、生徒同士の喧嘩でショットガンだって!? 当たれば大怪我じゃ済まない!
だがシエナの口は、引き金が引かれるよりも早く詠唱を誦じていた。
「“石の榛、泥の蛇。階を昇る星の群青、西に沈む塔の鉄輪。無機より来たれ、銀の乙女”」
迫り上がる地殻、土くれから急速に形成されていく白輝の人影。
小規模なビルほどに立ち上がった光の巨体は、見る間にヒロイックな甲冑へと練り上げられて、エヴァンと召喚主との間に立ち塞がった。
「『銀騎士アルヴィナ』!」
「見ろアリヤ! 初めてシエナと会った日の鎧のやつだ!」
エクセリアが俺の頭をぺしぺしはたきながら叫ぶ。
現れた巨鎧がシャッターのように腕を下ろすと、それだけで容易くエヴァンの弾丸が遮られた。
だが銀騎士の召喚はエヴァンにとって想定通りだったようで、鎧の腕から繰り出されたなぎ払いを大跳躍で越えてみせる。空中で再び銃撃!
「クソ鎧で止められると思ってんじゃねえぞ!」
「上手く避けたね」
シエナは立ち位置をずらして、銀騎士の体を盾にして散弾をやり過ごす。
直後、銀騎士が逆方向に腕を振るった。逆水平チョップの軌道が空中のエヴァンを捉えた瞬間、メキメキと硬いものにヒビが入る音がした。骨か?
「お兄様!」と悲鳴が上がる。グラウンドの端で見守っていたイリスが叫んだのだ。
だが、シエナの瞳は揺るがない。
「そのまま打ち落として。アルヴィナ」
振り切る。
まともに直撃を受けたエヴァンの体は猛烈な勢いでグラウンドに打ち付けられて、観客たちからどよめきと悲鳴が湧いた。
トラック事故ってレベルじゃない。手刀の威力も落下の高さも致死級だ。
もうもうと砂煙が立つ中、シエナが暗い声で口を開く。
「……君たちの存在が嬉しかった。学園の権力者の私に刃向かってくれることが。大人たちが死んだ目で権力者に従うパンドラと、この学園は違うんだと思えるから」
決着? いや、まだだ。
砂煙の中に、ゆっくりとエヴァンが立ち上がる。
血塗れの彼は不敵な笑みを浮かべていて、瞳は不屈の闘志を宿したままだ。
ふと、俺は彼の姿に不自然さを感じる。
「なんだ? 口に牙が……頭にも耳みたいなのが付いてるぞ」
思わず疑問を口にした俺に、隣で観戦していた見知らぬ生徒が返事をくれる。
「知らないのかよ、オーウェン兄妹は人狼の家系なんだぜ。体は頑丈だし治癒力も凄い。まだこれぐらいじゃ終わらないって」
「は? 人狼? この世界ってそういう人間じゃないのもいるのか!?」
「いるのか? って、有名だろ。ほら、騎士団だって……あ、エヴァンが動くぞ!」
眼光は赤く、牙と爪は鋭く。
彼が手を開くと、カラカラと金属の破片が地面に転がった。
銀騎士に目を向けると、さっきエヴァンに叩きつけた右手の側面が割れている。聞こえたメキメキという音は骨が砕けた音ではなく、エヴァンがその爪と握力で鎧の一部を剥ぎ壊した音だったのだ。
「余裕かましてんじゃねえぞシエナ。テメェご自慢の銀騎士も俺にかかればガラクタ人形だ」
「余裕じゃないよ。侮ってもない」
「!」
シエナはコートの内側から小型のサブマシンガンを取り出すと、指輪を嵌めていない左手でトリガーを引いた。
パラララと軽快な音でばら撒かれた弾丸がエヴァンを追いかける。
彼は野性味を増した動作でより低く、速く弾雨の中を左へ駆ける。
肩、足。何発かの弾が容赦なくエヴァンを貫くが、彼はスピードを緩めず疾駆を止めない。
接近、離れる。接近、離れる。銀騎士の激しい攻撃を掻い潜りながら、円を描くようにして徐々にシエナへの距離を詰めていく。
「ラァッッ!!」
「……!」
エヴァンが伸ばした腕がシエナの30センチ手前まで迫った。
銀騎士の手がそれを防いだが、エヴァンの爪があと一歩まで肉薄した事実に反シエナ派がわっと盛り上がりを見せる。
「殺せ!」「殺しちまえ!」
そんな無責任なシュプレヒコールへ、エヴァンが「うるせえ!!!」と雷のような咆哮を浴びせて黙らせる。
「俺の戦いに口出しすんじゃねぇ!!」
タ、トと後ろにステップを踏んで、さらに深く、低く重心を沈める。
引き絞られた弓のように全身の筋肉が張り詰めて……砲弾めいてエヴァンが突進する!
「ゥルラァッッ!!!」
「迎え撃って、アルヴィナ!」
一直線に突撃するエヴァンへ、斜めに打ち下ろす軌道で銀騎士の拳が迫る。
直撃の寸前、エヴァンが急に立ち止まった。
上体を反らして銀騎士の拳に腕を沿わせて、殴打の勢いを殺さないまま膂力でさらに引き寄せる。
鎧の継ぎ目を爪で掴んで、背負い投げの要領で強引に投げた!
「オオオオオッ!!!」
「なっ……!」
初めてシエナが驚きに言葉を失った。
1トンや2トンじゃ済まない巨体の銀騎士を、エヴァンは自分の身体能力だけを頼みに投げ飛ばして見せたのだ。
ふわりと浮いた金属の塊が、地響きを立てながら地面に沈み込んだ。自重で深くめり込んでいて、身を起こせる状態ではなくなっている。エヴァンが銀騎士アルヴィナを撃破したのだ!
「終わりだ。降参しろ。テメェの今の状態で四体目の召喚は無理だろうが」
深く息を吐いたエヴァンは獣混じりの姿のまま、片手にショットガンを構え直してシエナへと宣告する。
確かに、シエナは息が上がっている。走り回るエヴァンに照準を合わせている時も、何度か足元をもたつかせたのを俺は見ていた。
さらにエヴァンが言葉を続ける。
「俺は馬鹿だがよ、テメェが万全なら足元にも及ばねえってことぐらいは理解してる。俺に肉薄されてること自体が弱り切ってる証だろうが。負けて、休め」
エヴァンの声からは少しだけ険しさが抜けている。
乱暴なやり方だが、これは彼なりのシエナへの気遣いなのだろう。
それを理解したように小さく笑みを浮かべてから、シエナは首を横に振った。
「負ければ私は楽になる。だけどみんなを不安にさせる。やっぱり負けられないよ」
「頑固女が!」
エヴァンが再び駆け出すより先に、シエナの四つ目の指輪が輝いた。
口早に新たな詠唱が紡がれる。
「“榮榮飾りし燭台の字、水無月に降る黄麻の戴冠。与えよ。命ぜよ。彼の地を統べし梅雨花の王よ”。——来て、『孤狼王ルスラン』」
紫の霧が渦を巻いて、たなびいたモヤが長い布へと変じていく。
やがてバサっと広がったそれは、人間大のマントと長剣へと姿を変えた。
透明人間が羽織っているかのように自律して動く布と剣。幽玄な太刀筋がゆらりと泳いで、鋭い切っ先がエヴァンの爪を打ち払う!
「チィッ……意地張りやがって!」
「私はまだ戦えるよ」
「そうかよ!!」
エヴァンが再びシエナへと突進する。爪と牙を尖らせて、今度こそ完全に戦闘不能に追い込んでやるという意思が伝わってくる。
対して、シエナはコートを脱ぎ捨てざまに召喚したマントに袖を通した。彼女の背丈には少し長めの剣を両手で握って、半身の姿勢でエヴァンを待つ。
5メートル、3メートル……お互いがフェイントを入れつつ、爪と刃が交錯——斬!!!
決着は紙一重だった。
目一杯に伸ばされた爪の先が、シエナの肩口に浅くない傷を刻んでいる。
だがエヴァンの胸元には、それ以上に鮮烈な斬線が残されていた。
「が、ふっ……!」
「エヴァン、君の生命力なら死ぬほどの傷じゃない。けど、この勝負は私の勝ちだよ」
「ッ、ぐ、クソがぁっ……これでも勝てないのか……!」
決着だ。
エヴァンの瞳から闘志は失われてないが、それでも立ち上がれずにいる。完璧な一撃だった。
妹のイリスがわんわん泣きながらエヴァンへと駆け寄っていて、どっちにしろこれ以上勝負を続けるのは無理だろう。
「ふーん。終わってみれば順当だったな」
エクセリアがそう呟いて俺の背中から降りた瞬間、事が起きた。
パァン、と乾いた音が一つ。
「銃声?」
もう戦いは終わったのに?
生徒たちの困惑の声が、徐々にざわめきから悲鳴へと変わっていく。
撃たれたのはシエナだ。脇腹から血が溢れている。戦いを終えて召喚を解いて、息をついていた一瞬を狙われたのだ。
何人もの生徒が銃を手にしてグラウンドへと入り込んでくる。ああ、彼らは反シエナ派の面々だ。
「なに、してやがる……!? おい! 手を出すなって言っただろうが!! やめろ!! 馬鹿野郎が!!」
倒れたままのエヴァンが叫ぶが、彼と仲間だったはずの反シエナ派たちは、エヴァンの声を無視してシエナへと銃口を突き付けた。
おいおい、一体どうなってる?
「……ま、ずい……!」
シエナの声が掠れて弱まるのと同時に、正門の方で光の粒子が空へ昇るのが見えた。
正門の戦線を守護させていた彼女の召喚が、ついに体力の限界で解除されてしまったのだ。
「うわあああっっ!! だ、駄目!! もうダメよ!!」
「シエナさんが、シエナさんが……!」
「私たちじゃなにもできないよ! 逃げよう!」
「七面會が来るぞ!!」
生徒たちのパニックが爆発する。
シエナが守護神めいた活躍をしていたからこそ、この地は平和な学園としての姿を保てていた。
だがその庇護がなくなってしまえば、ここはただ門を一枚隔てただけの戦場だ。
蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑う生徒たちの波に揉まれながら、俺は必死にシエナの方へと向かう。
暗殺なんて知るか! こんなところで殺させるわけにはいかない!
そんな俺と、膝をついたシエナと、倒れているエヴァンは、同時に同じものを見て息を飲んだ。
銃を構えた反シエナ派の面々の肩をポンポンと叩いて労いながら現れたのは、学園の副リーダー、リズムだ。
彼はいつもの軽い表情で、「やっ」とシエナに手を上げた。
「悪いねシエナ。売っちゃったよ、この学園」
「リズム……どうして……!?」
激動の時が始まろうとしている。




