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21話 悲鳴

 朝。

 まだ眠いとゴネるエクセリアをなんとか起こして、朝の身支度をさせていく。

 エクセリアの髪は姉さんと同じふわついた質感だ。それでいてドライヤーを雑にしか掛けないものだから、毎朝の寝癖がかなりヒドい。

 まぶたが開き切らないまま朝食をもさもさと口に運ぶエクセリアの髪に、俺はミストを振りかけながらクシを通していく。


「まったく、ドライヤーはちゃんと掛けた方がいいって言ってるだろ。ごわついて……なんだここのハネ、全然戻らない……」

「アリヤ、この目玉焼きは火が通りすぎているぞ。私は半熟を少しだけ過ぎて黄身の底だけ固まった感じの焼き加減が好きなのだと言ったのに」

「なんで記憶喪失のくせに舌だけ肥え始めてるんだ。自分で焼いてくれ、早起きして」

「あ、チャンネル変えたい。この女子アナは媚びを感じてなんか好かん。リモコン取って」

「ああもう! ほら! 姉さんと似ても似つかないな! ……でもこの髪、姉さんそっくりなんだよな。少しクシュっとしてて絡む感じの指通り、朝日に透かした時の色ツヤ、後ろから見た耳の形もうなじの後れ毛も…………」

「……ん? なんだ、今のスウって。お前いま私の頭を嗅いだな!? 何をする気色悪い! え? なんで? 背筋ぞわっとしたぞ! キモい!」


 その時、窓の外から何かが砕ける音と悲鳴が聞こえた。

 俺は窓に駆け寄って外を見る。

 二階から見下ろした地面は血で赤く染まっていて、何人もの生徒が驚いた様子で足を止めている。

 輪の中心に倒れているユーリカと、彼女を抱きかかえたシエナの姿が見える。血を流しているのはユーリカだ!


「大変だ、降りようエクセリア!」

「なんだ、何があったのだ!? あと嗅いだのをごまかせたとか思うなよ!」

「……降りよう!」


 俺は部屋を飛び出して階段を駆け下りる。

 後を追いかけてエクセリアも走ってきた。「キモいぞ!」と叫んでいるがそれどころじゃない。ごまかしたわけじゃない。

 生徒たちはまだざわついていて、何が起きたか把握できていない様子だ。その人垣を押しのけて、俺とエクセリアはユーリカたちに駆け寄った。

 

「二人とも大丈夫か!」

「……あ、アリヤ、姫様。ユーリカが、ユーリカが、落ちてきた花瓶から私をかばって……!」


 近くで見ると、ユーリカは頭から血を流している。

 足元には砕けた陶器のカケラが散らばっている。このカケラの大きさと量だと、大きめのサイズの花瓶だったんじゃないだろうか。

 そのユーリカの肩を揺するシエナは今までに見たことのないくらい動揺していて、いつも凛とした印象だった声も定まらずに震えている。

 何から手を付けたものか迷うが、とりあえずシエナに揺らさない方がいいと伝えておく。頭を打ったなら処置できる人が来るまでは静かに寝かせておいた方がいいって聞いたことがある。

 すると、俺の脇腹をエクセリアが小突いた。


「見ろアリヤ! 屋上に誰かいる!」

「なんだって?」


 追随してエクセリアの指す先を見上げると、そこには確かにいくつかの人影があった。

 ニヤニヤと表情で見下ろしていた男たちは俺たちと目が合った瞬間、すっと身を引いて姿を消す。けど見覚えのある顔だった。

 ラウル、ペドロ、ロバート。野球の相手チームだった反シエナ同盟のメンバーにいた三人だ!

 シエナも同じタイミングで上を見上げたようで、信じられないといった表情で唇を噛み締める。


「そこまで私のことを……?」

「シエナ、医療班の人たちが来た。ユーリカを預けよう」

「……ユーリカをお願い」


 医療スタッフの生徒たちにユーリカを預けると、シエナは硬い表情でどこかへと駆け出す。

 後を追った方が良さそうだ。そう思って立とうとすると、ユーリカの様子を手早く診ていた医療スタッフの生徒が顔を上げた。


「頭に直撃はしてないわ。左肩が腫れてるから当たったのはここね」

「ユーリカは大丈夫なんですか?」

「詳しいことはもう少し診ないとわからないけど、多分ね。頭からの血は割れた破片で額が切れただけ。ショックで気を失っているんだと思う。シエナさんに伝えてあげて」


 俺はすぐにシエナの後を追う。

 医療スタッフの子の表情を見るに、ユーリカの怪我は思ったよりも重くなさそうだった。

 あのショックの受けようはまずい。早く伝えてあげなくては。

 そう思いながら宿舎の裏手に回り込むと、そこにシエナとオーウェン兄妹の姿があった。


「エヴァン、君たちがやったの?」

「はあ?」


 まずい。シエナはすっかり冷静さを欠いている。

 反シエナ派の三人が花瓶を落としたんだとしても、オーウェン兄妹がそれに絡んでいるとは限らない。あの三人の独断かもしれない。

 エヴァンはポカンと口を開けて、何のことだかわからないといった表情。イリスは本気でうろたえた様子で、「な、何がですの……?」と不安げな顔をしている。

 俺はとっさにシエナへ、「落ち着いて! ユーリカは大丈夫そうだ!」と声をかけた。


「……! 知らないならいいんだ。変な言いがかりを付けてごめん、エヴァン」


 ユーリカの無事を聞いて少し冷静さを取り戻したようで、シエナはすぐ素直にエヴァンへと頭を下げた。

 だが、エヴァンはそれを良しとしない。


「ハッ、事情が飲み込めたぜ。モノが落ちて生徒に直撃したって話を聞いたが、それがお前らだったってわけだ」

「……私をかばったユーリカが怪我をしたんだ。思い込みで君を疑ったけど、知らなかったみたいだね。ごめんなさい」

「ごめんなさいで済む話か? 普段の素行だけで傷害事件の犯人扱いと来た。そんなにテメェは偉いのか。いよいよ学園の独裁者気取りか? あ?」

「……本当に良くなかった。言い訳にもならないけど、気が動転してて」

「ま、待った待った! シエナがそう思ったのにはちゃんと理由があるんだ!」


 話がこじれきってしまう前に、俺は慌てて話に割って入る。

 ラウル、ペドロ、ロバート。反シエナの三人の姿が屋上にあったこと、ちょうど他に窓もない位置で、三人が落としたかもしれないと説明した。

 疑った理由は一応あるし、完全にそうだと決めつけてたわけでもないじゃないか、と。


「なるほどな。ああ、もう謝らなくていいぜ、シエナ」


 そう言うと、エヴァンはニイッと口の端を吊り上げた。


「俺だ。俺があいつらに指示したんだ」

「……どういうつもりの嘘? 彼らをかばおうとしてるの?」

「ゴチャゴチャうるせえよ。そもそもモノが落ちた程度なんだってんだ。テメェが避けられないのが悪いんだろうが?」

「なんだそりゃ、いくらなんでも暴論だ!」

「部外者が口出しすんじゃねえ!!!」


 もう一度割って入ろうとした俺へ、エヴァンが雷のように吠えた。

 それから唇を結んだシエナを睨みつけて、鋭い声を投げつける。


「いつものテメェの実力ならそれくらい余裕だろ。それができないぐらい疲れ切ってる。違うか? え?」

「……それは」

「違わねえだろうが。限界なんだよ、テメェの体力も、俺たち反対勢力との関係性も」

「……」


 シエナからは反論が出てこない。

 黙りこくる彼女の表情は、図星を突かれたように沈痛だ。

 その様子を見ると、俺も介入する余地が見出せない。部外者なのは事実だ。

 エヴァンの話が続く。


「だが、因縁付けた時のテメェの目は悪くなかった。大切な学園の仲間だとか思って保護してくださってるお偉くてお優しい上から目線とは違って、俺を敵だと断じた目をしてやがった」

「……」

「ニコニコ笑って手加減して反対勢力も寛大に受け止めて。そんな態度じゃ相手にされてねえ気がして余計にムカッ腹が立つんだよ。のらりくらりとかわしてやがるから不満が溜まって、その結果がこれだ。今のままじゃ似たことはどうせまた起きる」

「……そう、なのかもね」

「シンプルにケリつけようじゃねえか。指示出したのは俺だ。俺とテメェが戦って白黒付ければいい。上から目線でかわしてないで、今度は真正面から来いや」

「……わかった。犯人は探して相応の罰則は受けてもらうけど、それとは別に君の挑戦は受けるよ」

「言ったな。取り消しはなしだ」

「今じゃなくて午後でもいい? ユーリカの様子を見に行きたいから」

「ああ、いいぜ」


 そこで話を打ち切って、二人は背を向け合って別の方向へと歩いていく。

 少し遅れて、離れていく兄の背をオロオロとした様子でイリスが追いかけていった。


「……どうなんだろう」


 残された俺はぽつりと呟く。

 エヴァンの言い分はめちゃくちゃだけど、まるで理がないわけでもない。

 シエナと反勢力派のエースのエヴァンが戦えば、溜まった不満のガス抜きにはきっとなるだろう。

 シエナが勝てば実力をわかりやすく誇示して求心力を高められる。

 エヴァンが勝てばそれはそれで反対派の溜飲(りゅういん)が下がる。彼らの頭が少し冷えるかもしれないし、約束通りにシエナを休ませることができる。

 だけど、シエナの余力をそっちに割いて大丈夫なんだろうか?


 そんなことを考えていると、隣でずっと黙りこくっていたエクセリアが「うう〜」とうなっているのに気付く。


「どうしたんだよエクセリア。獣みたいな声出して」

「……気に食わん。なんだか無性にイライラするぞ」

「今の話が? やっぱりやめさせた方がいいのかな」

「違う! 学生同士のケンカなんぞ知らんわ。勝手にやらせとけ!」

「じゃあ何に……あっ、まさかさっき俺が頭を吸ったことをまだ怒って」

「それも違う! あれはキモかったがまた別だ!」


 じゃあなんだよ。

 俺が疑問の目を向けると、エクセリアはチィッと舌打ちをして口を開く。


「利用された気がする……屋上の連中はどうしてわざわざずっと見下ろしていた? 悪意のイタズラなら、普通さっさとその場を去るだろうが」

「あ、言われてみれば」

「私が気付いて見上げるまでずーっとその場にいたんだぞ。ありえるか? 底抜けのバカか、誰かに気付かせようとしたかのどちらかだろうが。気に食わない! 私が気付いてしまったではないか! 私は誰かに利用されるのがいっちばん嫌いだ! 腹立つ! 私を利用する奴は殴り倒してやる!」


 エクセリアの怒りはもっともだ。だとして、目的は?

 俺が頭をひねっていると、そこに「やっ」と手を挙げながら一人の男が現れた。学園の副リーダー、リズムだ。

 

「騒いでたみたいだけど、何かあったの? オンラインの投資サロンに顔を出してて来れなかったんだよね。知ってたら聞かせてもらえる?」


 なーにが投資サロンだ。腹立つな。

 という気持ちを飲み込んで、俺はリズムと話してみることにする。

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[一言] たしかにちょっとキモいw
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