206話 圧倒的格差
ミトマは、シエナと対等な存在でいたいと考えてきた。
学園自治連合という未熟な学生たちの寄り合いの中で、シエナ・クラウンという存在は一線を画している。
頭を使うよりも体を動かす方が好きで、一人で放っておくと部屋を散らかし放題にするようなガサツさがあって、食に対して若干意地汚くて、服を表裏に着て首元にタグが見えていることがそこそこの頻度であって、寝間着をはだけて布団を掛けずに寝た冷えで腹を痛めがちで、親友かつ副官のユーリカに尻に敷かれていて。
毅然としているけど抜けてるシエナ。
シエナが日常の中で見せるそんな数々の隙は、彼女が自分を親しみやすい存在にするために故意に作り出しているものだとミトマは知っている。
故意に、と言っても、それは悪辣なものではない。シエナはあくまで普通でいたいのだ。年齢相応の隙を携えて、同年代の友人たちからからかいまじりに笑顔を向けられる、そんな存在でいたいから、彼女はあえて隙を生んでいる。
たぶんシエナ自身も無自覚だろう。その“わざと”は無意識レベルで行われていて、9割9部の人がそれに気付けない。
ミトマは鋭敏だ。
本来の彼女がまとう冷然、超然とした雰囲気をミトマは見抜いていて、その気になりさえすれば、シエナは完璧な為政者として振る舞えることを理解している。彼女は生まれながらに王の資質を備えているのだ。
しかし、シエナ本人がそれを望んでいない。
彼女は過度に自分を下げるような真似こそしないが、フルスペックを発揮しようともしない。それは彼女があくまで年相応の人間として振る舞いたがっているからで、同年代の友人に囲まれて楽しく過ごしたいと願っているからだ。
ミトマはそんな彼女の、ある種アンバランスな人間性に魅せられた。彼女と知り合ってから、対等な存在でいようと誓って生きてきた。
シエナが孤独に突出した存在になってしまわないように、まったく同じとは言わないまでも、半歩後ろを見れば自分の存在があるようにと研鑽を積んできたのだ。
だが今、ミトマのその思いは砕かれようとしている。
(ここまで……)
歪んだ空から降る雨の中、学園が確保している装甲トラックを猛スピードで飛ばしながら、ミトマはシエナと共にレオナルド・クラウンを追走している最中だ。
水たまりの水が激しく跳ねるが、とっくに人々は逃げ出していて通行人を濡らしてしまう心配はない。
都市内には瘴気が満ちていて、その濃度はレオナルドに近付くほどに増していく。七面會の一部と結託しているそうだから、きっと七面會がこの瘴気を撒いているのだろう。
瘴気に呼び起されたモンスターたちが道を塞いでいる。いくつもの黒影を無視しながら車は進んでいくが、動くものに反応して襲い掛かってくる黒影も少なくない。
20、30……戦闘要員の学生たちが荷台に据え付けてある銃座からの銃撃でそれを退けていくが、それだけで完璧に防ぎきることは無理だ。特に巨大なもの、特に俊敏なものが弾幕を潜り抜けて、トラックに飛びついて走行を止めようとしてくる。走る餌箱にでも見えているのだろうか。
それに応じるべくミトマは術式を発動させようとするが、先んじて、ピタリと雨が止んだ。
「“星羅、点綴、架空の御蔭。炉に焚べる十二の暦、贖いの座に奉る寄手。“遊離、断裁、忌憚の外典。其を統べる窮理の勒、常盤の涯に潰える八紘”――――『空の教理』」
「おいシエナ! それは……!」
ミトマが制止する間もなく、迷いなくシエナは切り札の一つを切る。
空間そのものを召喚して、シエナの視界内一帯の物理法則を掌握する空の教理は寿命を削る大召喚だが、若いシエナが数年寿命を削ったところで死が訪れるのはまだ先だ。
そんなのはノーリスクと言わんばかりの発動に応じて、外敵の襲来に歪んだ色味を醸していた雨空が寒気のするほどの真っ青に晴れた。
「邪魔だ」
シエナの一言に応じて、距離を詰めてきていた無数のモンスターたちが一瞬でひしゃげる。
ティッシュペーパーを握り潰すくらいの気安さで、瘴気の獣たちはくしゃっと圧縮されて声もなく消失した。
続けてシエナが指揮者のように両手を泳がせると、トラックの進路を遮っている乗り捨てられた車の群れが道の両脇にずれて除けられていく。それどころか正面に見えていたビル群がパズルゲーム程度に軽々と左右に動かされて、進行方向にひたすら伸びる一直線の大道が生まれた。
そして彼女がパン、と柏手を打つと、トラックが凄まじい速度で加速を始める。ああ、これならレオナルド・クラウンとランドール家の追走劇に割り込むことも簡単にできるだろう。
前だけを見据えているシエナの瞳には、複雑な感情の色が映っている。
今までずっと殺そうと考えてきた父がいよいよ七面會の誰かしらと組んで行動を始めていて、そんな父を意図の知れないランドール家が追っている現況。
ランドール家のマクシムは同盟を組みたい相手だが、人間的に尊敬や信頼を寄せられる相手ではまるでない。
マクシム・ランドールがシエナの父を殺そうとしているのだとして、さらにマクシムが父の計画を横から奪おうとしているとして……そんな難局に、シエナはごくシンプルな答えを導き出している。
「全員ねじ伏せるよ。父さんも、七面會も、ランドールも全部。誰を赦して誰を断罪するかはその後で決めればいい」
「シエナ、お前……」
彼女の瞳は今、ある種の暴君めいた鋭さを宿している。
まっすぐできらめいてはいるが、どこか苛烈な決意が燃えているのだ。
もしそうなった時は諫めようと考えてきたのに、いざそうなってみるとミトマは何も言えなくなってしまう。
今の一瞬だけで思い知らされたのだ。これまでずっと対等でいよう、対等でいたいと願い続けてきたシエナ・クラウンと自分との圧倒的な力量差を。
(わかってはいた。わきまえてはいたつもりだが……ここまで違うか……!)
次元が違う。
仮にミトマが全身全霊でシエナに戦いを挑む機会があったとして、シエナはミトマに近付くチャンスを与えることなく一瞬で消滅させることができるだろう。
いや、それすらしないかもしれない。きっとシエナなら少し寂しそうな目で、ミトマの体の自由を奪ってそこで終わりだ。ミトマが本気でシエナを殺そうとしたとしても、殺意のカケラさえ向けることなく無力化させてそれで終わりだ。
もちろん、今のシエナが悪に堕ちているわけでは別にない。
こんなのは意味のない仮定に過ぎないが、それでもそんなシチュエーションを想像してショックを受けてしまうほどに、本気になったシエナの力は圧倒的すぎる。
わずか二分足らずで、戦場が見えてきた。
マクシム・ランドールが引き連れた私兵たちが道路を封鎖していて、レオナルド・クラウンの連れた兵士たちがそれと激しく銃撃を交わしている。
忌々しげな顔のレオナルドの姿がわずかに見えて、その隣には七面會のカラスがいるのが見えた。
状況は混迷しているが、シエナは構わず、空の教理の力で全員を屈服させるべく手を掲げる。
そこに、一人の女性が立ち塞がった。
「やあシエナ。この計画は魔女の肝煎りなんだ。まあ、君のお父さんは単なる運び屋として利用されているだけだけど……とりあえず、邪魔されちゃ困っちゃうんだよね」
「ラナ。どけ」
ラナ・コルネット。シエナの旧知であり、地下水道の戦いでも立ちはだかった魔女の同盟者。
かつては憧れた人の名を吐き捨てるように呼び捨てて、シエナは力んだ手を彼女に向ける。




