20話 夜更け前の着信
「ねえ聞いてアリヤくん。大変なことが起きたんよ」
電話越しに聞こえてきた一言目のいつになく深刻な声色に、俺は思わず身構える。何かトラブルが起きたんだろうか?
俺が息を呑んだ気配を察したのか、しっかり間を取ってから燃が言葉を続ける。
「今な……あつもりやってたんやけど、カブが大暴落してな、私もう、信じられないぐらいの損害を」
「切りますよ。おやすみなさい」
「待った待った待って!? 私ショック受けてるんよ! 聞いてくれたってええやん! え、もしかしてあつもり知らん? どうぶつの森の」
知ってはいるけど。
向こうでも発売されたばっかりじゃなかったか? 異世界のくせに入手が早すぎる。いや、それより内容がどうでも良すぎる。
抗議の意思をたっぷり込めて、俺は低い声で問い返す。
「……燃さん、暇なんですか?」
「うんめっちゃ暇。朝からずーっとキミの動向チェックしながら家でダラダラやからね。晩ご飯だけ買いに外出てお惣菜屋さん行ったんやけど、レジの前で紫のシュークリームみたいな髪型したおばはんがずーっとクレーム付けててもう最悪やったんよ。もうその髪に火ぃ着けたろかって三回は思ったね」
「はあ」
「もうちょい早くキミに電話して暇潰したかったんやけどさあ、ずっと周りに誰かしらいたやろ?」
「まあ、そうですね」
こっちの動向を常にチェックしているということは、あの座標確認みたいな魔法でずっと確かめているんだろう。
監視されてるってのは嫌なもんだ。俺はこっそり顔をしかめる。
「キミと姫様の監視については騎士団で私の専任みたいになってるもんやから他のことするわけにもいかへんし。で、どう? シエナ殺せた?」
「ソシャゲの新ガチャ回した? ぐらいのテンションで聞くのやめてもらえますか。してないし、する気もないですよ」
「え〜? ケチ。私がどんだけ苦労してキミを学園に送り込んだと思っとるん」
「駅までのメモ書いてくれただけじゃないですか」
「重労働やったわ〜メモ書くの。で、真面目な話、キミが今日一日どう過ごしてたか聞かせてもらえる?」
「……」
典型的なああ言えばこう言うってタイプの人だ。電話越しにやりあうのは諦めて、俺は今日の出来事を順を追って説明していく。
電車に乗って、地下街に降りて、学園を回って、野球をして、食事を振る舞われた。
そんな一日の流れを聞きながら、燃が電話越しに不満げな声を上げた。
「は? なにその一日。めっちゃ充実してるやん。ズルくない? 私もそのユーリカって子のご飯食べたかったんやけど」
「美味しかったですよ。味付けも手間のかけ方もプロの調理師並で」
「しかも何? その後ゲームして楽しかったですーって。子供の夏休みの日記じゃないんやから。私だって混ざりたいわ。もー」
そう言ってくる燃の声は呆れと言うより悔しげだ。
この人は家の様子を見るに基本的に趣味人なので、混ざりたいというのもわりと本気で言ってるのかもしれない。
「まあシエナとしっかり接触してくれたんはいいんやけど、こんな感じに遊んで過ごしたら親しみ湧いちゃったんやない? ちゃんと戦える?」
「だから、俺はやりませんって。燃さんは俺のことを人を殺せるやつだみたいに言ってたけど、俺は悪人でもない相手を殺したりはできない」
「じゃあ聞くけど、私とシエナが崖から落ちそうになってて片方しか助けられんってなったらキミどうするん? 答えてみ?」
「えっと……」
今日一日接してみて、シエナはかなり好感の持てる人物だった。
燃は俺たちのことを世話してくれているし独特の人懐っこさのある人だけど、腹の底は知れないし信用できるタイプじゃない。
そんなことを考えて答えかねていると、燃が「ちょっとちょっと」と声を挟んでくる。
「そこで悩む? 考えてみてほしいんやけどね、私はキミの命の恩人。お金あげたし泊まり先を工面してあげた。オブジェの弁償もなんとかしてあげたし、家に招いて楽しい時間を提供してあげた。魔法についても指導したし、ほら、並べたら好感度ポイントしかないやん。はい、選ばれたのは燃さんでした。せやろ?」
「いや、まあ」
「なんて気のない返事……!」
燃のわざとらしいため息が耳をくすぐる。
私はこんなに呆れてますよ〜、やれやれ。とでもアピールしたそうな長い吐息だったが、俺は黙ってそれをスルーする。
すると沈黙に耐えかねたのか、先に燃の方から態度を軟化させてきた。
「……まあまあまあ、別に私も鬼やないんよ。ほら、私って結構優しいやん? 別にアリヤくんに望まない殺人を強いようなんてことはね、全然あらへんから」
「そうは思えないけどなあ」
「本当やって! ぶっちゃけて言うと、本気でキミがシエナを殺してくれるとは別に期待してないんよ。この世界に来たばっかりの子がそんな修羅やったら私だってドン引きやし? あっはは」
「……」
ああもう、なんて無責任な笑い声だろう。
そこで一瞬、ピリッと肩に熱を感じた。見ると、燃から付けられた炎の刻印がゆらゆらと光を放っている。
「キミがやれないなら私がやってもいい」
「……」
「キミのお仕事は学園に入ってくれた時点で半分終わってるんよ。残りの仕事はもう一つだけ。その炎の刻印に魔力を通して私を呼んでくれれば、私はそっちに介入することができる」
「介入?」
不穏な響きだ。具体的じゃなく輪郭のぼやけた言い回し。
俺は警戒して、「まさか俺を人間爆弾にするとか、体のコントロール権を奪ってシエナに攻撃するとかそういう系じゃ……」と口にしてみるが、燃は笑いながらそれを否定する。
「違う違う! 想像力豊かなんやから。キミには目印になってもらうだけ。あくまでやるのは私。それなら気楽やろ?」
「そんなことできるんですか」
「フフン、瞬間移動ほど上等な能力はないけど、ま、私にも色々と手はあるんよ」
長電話になってきた。
周りに誰かが来る気配はないが、夜の空気が肌寒い。
そろそろ切り上げて戻りたいところだが、少し真剣味を増した燃の声が続く。
「学園の支配権は星影騎士団がもらう。七面會に先に抑えられたらめんどいからね」
「俺はまだよくわかってないけど、星影騎士団と七面會って仲悪いんですか?」
「めーっちゃ悪い。一応、お互い表立って大きく争わないように振る舞ってるけどね? キミと会ったあの日、ブリークハイドが研究所に乗り込んだみたいな水面下での小競り合いはあるけど、お互いが本気でぶつかったら都市巻き込んだ大戦争待ったなしやから。まだその時じゃないんよね」
「なるほど……」
ようやくそれとなくだが情勢を理解した。
七面會は企業力にモノを言わした物量戦。星影騎士団は支柱のシエナの暗殺。
二つの大勢力が、それぞれのやり方で学園の支配を狙っているわけだ。
考え込む俺に、燃が軽い調子でまま声を掛けてくる。
「ま、難しく考えんで、キミが今や! と思ったら呼んでくれればいいから。チャンスを逃さんようにね」
ほなおやすみ〜、と電話が切れる。
ほとんど一方的にまくしたてられてただけだったが、時刻はすっかり夜更けになっていた。
俺はぐぐっと伸びをしてから、頭の中を整理しつつ部屋に向かう。
チャンスが来たら呼べなんて言われても、俺にシエナを殺す気がないのにそんな機会が来るんだろうか。
「……とりあえず寝よう」
一人呟きながら、俺はゆっくりと自室に引き返した。
その数日後、学園に事件が起きる。




