203話 予期せぬ合流
エヴァンがアリヤと似て非なる何かと交戦に入ったのと同じ頃、空の門は既に開かれている。
都市の空の一端が砕けてとろけて、雨雲が破かれて渦巻いたそこから無数の影が舞い降りてきている。
彼らこそ星の意思だ。といってもマダム紅や雷のようにはっきりと人の姿は為しておらず、ひと塊の白影が四肢を生やして直立したような不完全な姿をしている。
まるで幽霊。異次元の技術力を誇る彼らにとっても始まりの魔女の力で封鎖された異世界への侵入は容易ではなかったようで、彼らはその軍勢をエネルギーだけで構成された存在へと変換して送り込んできているのだ。
だがそれは外見だけの話。実体がないとはいえ、彼らの体は物理干渉が可能であり、武器を持てて、人を殺せる。
数千の星影騎士団の精兵たちが銃を構えて刃を構え、魔力砲撃の嵐で星の意思を迎え撃っているが、膨大な数で押し寄せくる星の意思たちを完全に押し返すには至らず、むしろ徐々に戦線を押し込まれている。
「あーもうなんなんこれ!! 全っ然他のことに気ィ回す余裕ないんやけど!?」
そんな戦場の最前線、燃は炎刀を振るいながら悪態を吐いている。
幹部級である彼女は軍勢を率いて、星の意思の着地地点から都市中枢へと向かう途上にある大きな道路の封鎖を任されている。
魔女が都市に施している封印のおかげか、星の意思兵たちは空は飛べずに地面を愚直に駆けてくる。
燃は道路の途上にある十字路に陣形を構えて、控えさせた部隊の十字砲火で推し留め、自らはタイミングを見て前線に出つつ、炎刀の一閃で敵を薙ぎ払っているのだ。
と簡単に言うようだが、星の意思兵は有象無象の雑魚ではない。銃撃の雨をかいくぐった強者が異様にしなる光の槍のような武器を突き出してきたのを刀の峰で跳ね上げながら、斜めに踏み込んでその胴を払い抜ける。
伐! 刃は深々とめり込み、カミソリのような切れ味で白影の胴を半分切り離す。
だがそれだけでは敵は止まらない。実体がないせいで筋肉や骨格がなく、多少の損耗では行動を停めないのだ。
少なくとも人間よりはよほど頑丈。よろめきはしたが、持ち直して再び槍を繰り出してきた。
槍というよりは鞭の方が近いかもしれない。しなってたわみながら向かってくるそれは熱量を持っていて、触れればレーザーのように灼き切られてしまうだろう。
だが燃はそれを見切った上で、炎刀の束に据え付けたエンジンを駆動させる。炎が勢いを増して、魔素を帯びたそれはしなる光条と反作用めいた反発を生じさせた。
お互いの武器が後ろに弾けた一瞬を見逃さず、燃の左の義手が火炎を吐いた。損傷した白影を炎が飲み込んで、跡形もなく消失。
それを見届けるより先に視線を切り、燃は前へと目を向ける。
そこには今倒した一体と同じ武器、同じ背格好をした星の意思の白影たちが10体、20体と進軍して来ていて、今にも燃へ輝く穂先を突き付けてこようとしていた。
応じ、燃はすかさず炎刀で地面を横薙ぎにしつつ、詠唱を口早に紡ぐ。
「“従属する旧き太陽、南に降る灰と盃。深々へと帰依せよ焔、死緋の宮にて歪め太極”。『炎境剥離』」
地面の刀傷に沿って、広く長く炎壁が地面から吹き上がる。
燃はそれほど火力を出すのが得意ではないが、この通りを任されるとなった時点で敵が進行してくるより先に魔力の仕込みを済ませていた。
複雑な術数で組まれた炎壁は物理、魔力のいずれの侵入も阻み、敵の突破を決して許さない。
星の意思が飛べない以上、長城よろしく数キロに渡って展開されたこの炎壁を迂回するか、消滅するまでの10分ほどの待機を余儀なくされるだろう。
「ハー、うじゃうじゃうじゃうじゃ同じ見た目で虫みたいに湧いて。なんなん? めんどくさ。相手してられへんわアホらしい」
そう吐き捨てながら刀を腰に納めると、燃は自分の部下たちに2km以上後方の防衛ラインまでの撤退を命じる。
どうせこのエリアから市民は退避済みだ。建物を壊そうが壊されようが責任を負う気なんてさらさらない。
燃が腹立たしい感情を抱いているのは敵の鬱陶しさもさることながら、魔女の姿が見えないことも大きい。
世界骨にいた時は敵を真正面から迎え撃って殲滅するとばかりに息巻いていたくせに、実際の命令はいくつかの防衛ラインをちまちまと守る防衛線だ。
世界骨のあるエリアへの侵入を防ぐような布陣を敷いているが、こんなもの広いパンドラを大回りされれば守りには限界がある。
こちらの戦力にも限界はあるのに、向こうの戦力はきっと無尽蔵。このパッとしない戦術を続けていたらジリ貧になるに違いない。
「燃さん、負傷者はどうしましょう」
副官クラスとして重用している部下の一人、ケーシャに話しかけられて、燃は不機嫌な表情を隠して彼女に目を向ける。
こう見えても部下には気配りをする方だ。上に対しては反骨精神があるが、下の者に八つ当たりをするタイプではない。
「ん。ケガしたの何人いてる? あーいやいいわ。数はどうでもいい。ケガ人はみんな安全なとこまで撤退させといてくれる?」
「全員ですか?」
「うん全員。ちょっとでも怪我してたらみんな逃がしといてええよ。こんなとこで部下を減らすのもアホらしいし」
「わかりました。でも大丈夫でしょうか……次の防衛ラインが薄くなりますけど」
「んー、まあ適当に応戦してからまた戦線下げたらええよ。そうだ、ケーシャにこれ預けとこ」
燃がそう言って彼女に手渡したのは、血のような紅色に染まった四本の釘だった。
「これは?」と首を傾げたケーシャに、燃はひらひらと手を振りながら軽薄な笑みを見せる。
「その釘、防衛ラインらへんで地面に刺せば燃さんが使った炎の壁出せるから。タイミングは任せるわ。適当なとこで壁張ってどんどん下がって。粘らんでええからね」
「あ、はい! けど、自分で使われた方がいいんじゃありませんか?」
「いや、ちょっとここ離れるわ。現場の指揮任せていい?」
「えっ?」
「どっかに雲隠れしてる魔女のアホに用があるんよね。兵士捨て駒にしてないでまともに働けって言ってくるわ」
「わかりました。燃さん、気を付けてくださいね」
この状況で現場指揮官が場を離れるなんて敵前逃亡と思われてもおかしくないところだが、燃は存外下からの人望が厚い。
副官のケーシャはもちろん、それ以外の部下たちの大半もケーシャから指示を受けつつ燃に疑いの目は向けない。
基本的には最前線に立ち、権威を振りかざさず、それでいて奔放なところもある上官だと燃のことを理解しているのだ。
燃え盛る炎の壁を尻目に戦場から離れつつ、燃はひとまずどう立ち回るかを思案する。
燃の最優先目標は魔女の殺害だが、星の意思に都市を支配されてしまうわけにもいかない。
彼女にとってのベストは魔女と星の意思が総力でぶつかり合って、どちらかが倒れてどちらかが瀕死で残るパターンだ。あとは漁夫の利を狙えばいい。
それだけに、魔女が戦場から離れてしまっている今のパターンは最悪。このまま雲隠れされて自分たちだけの戦力が削られて、最悪今の混乱のうちに魔女がアリヤに手を出しかねない。そうなる前にまず最低限、魔女の居場所だけは掴んでおかなければならないのだ。
「急がへんと。八卦焔命図で魔力の方向を辿って……」
「あれ、燃さん? おーい、燃さん」
「え? アリヤくん? どうしてここに……」
思わぬ再会。少し前まで仲違いをしていたとは思えないほど軽やかな調子で声を掛けてきたアリヤに、燃は毒気を抜かれてきょとんとしてしまう。
なんで戦場に? 姫様とは一緒じゃないん? そんな疑問と違和感を抱きながらも、魔女に手を回されるより先に合流できたという安堵が先立つ。
そんなアリヤの背後に……一つの人影が現れる。




