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202話 口撃

「何考えてやがる! 正気に戻れ!」

「わたくしは正気も正気の大正気ですわ。弱……もとい、それなりなお兄様はわたくしが守って差し上げます。もう身を削って戦わなくてもよろしいんですのよ」

「この……チッ! 誰が今まで守ってきてやったと思ってんだ!?」

「フン、その傲慢さ! わたくしお兄様のことは敬愛していますけれど、たまに垣間見せる兄というだけで済まされないような上から目線だけは気に入らねーと常々思っていましたの。たった数年早く生まれたというだけのアドバンテージでどんだけ偉そうに振る舞いますの? 過保護かつ過干渉!」


 そこでイリスは一度言葉を切り、不愉快げに顔をしかめてから、吐き捨てるように言葉を継ぐ。


「言わせていただきますけれど。わたくしがこれまでに三度男の子から告白を受けたとき、お兄様が影でその子たちを脅して手を引かせたのをわたくし知っていますのよ。いったい何様ですの?」

「ああ!? ……あれは全員ロクなやつじゃなかったからだ。どいつもこいつも他人のことを踏みにじってもなんとも思わないような不良ども。あんな連中と絡ませられるワケねえだろうが」

「ホラ出ましたわ上から目線! そんなこと言ったらお兄様が一番の不良じゃございませんの人のこと殴って蹴ってぶちのめして、あまつさえシエナ・クラウンにまで喧嘩を売る始末! それが悪いとはわたくし言いませんけれど、自分はやるくせに棚上げして他人のそれを指摘するのは言わせてもらえばクソですわ。相手が良くないかどうかくらい、わたくし自分で見分けられます。わたくしのことをナメるのもいい加減にしやがれ!!!」

「ッ……」


 兄妹の言い合いはヒートアップ、というかイリスが一方的に加熱していて、エヴァンはかなり押し込まれている格好。

 イリスは兄に対する鬱憤を噴火のように口走っている。魔女から奇妙な力を授けられた影響か、精神がハイになっているのだ。

 イリスに弾き飛ばされて建物に激突したサイハイがふらつきながら戻ってきたが、その口喧嘩を見て思わず首を傾げてしまう。

 そこで口を開いたのはニキだ。イリスに思いを寄せている少年は、真摯な目で滞空する少女を見上げた。


「あの、イリスちゃん。兄妹の間って色々なことがあるとは思うけど、でもエヴァンさんはイリスちゃんが意識を失ってた間もずっと気に掛けて、イリスちゃんのために一生懸命に働いてたんだ。だから……」

「あら? あなた……あなたのことは覚えていますわよ。ニキくん」

「えっ」

「僕はまだ年端もいかない少年です、人畜無害な優等生です、とでも言いたげな面構えと態度を装っているくせに、わたくしとすれ違うたびにチラチラと色目を向けてくる気持ち悪い男。好意を露わにする気概はないくせに、何かきっかけがないか、チャンスはないか、あわよくばわたくしの方から気に掛けてはくれないかと愚かしい期待と浅ましい欲望を込めて向けてくる愚かしい視線。気付いていないと思いました? わたくし人狼ですから、五感には優れていますの。そもそも邪な感情も何もかも、匂いで手に取るようにわかるんですのよ。気色悪い。反吐が出る。先に言っておきますけれど、わたくしあなただけは……そうですわねえ、たとえ10億積まれても論外ですわ。この手の有り体な言い方は好みではありませんけれど、いわゆる“ワンチャン”などありはしないと認識してくださいませ。ゴミが」

「な、え、っ……あ……っ」

 

 好きな子から怒涛の悪口を受けて、ニキの顔から血の気が引く。

 そこまで言われる筋合いがあるか? 彼は年相応の少年なりの好意を向けていただけで、十代半ばの少年が少女に恋心を抱いたなら当たり前に性欲は介在する。ごく普通に好きだが優等生のニキと不良のイリスの間には話しかけるきっかけもなく、それを表明する勇気を持てていなかっただけだ。

 だが少年の態度や諸々はとにかくイリスの好みにそぐわなかったらしい。

気持ち悪い、気色悪いと口撃を受けて、それはまだ人生経験の浅い少年にとっては尊厳を粉々に砕かれるようなダメージだ。

 今にも崩れ落ちそうに膝を震わせる少年を冷たく一瞥して、イリスは南の空へと顔を向けた。

 

「さて、わたくしは行きますわね。倒さなくてはならない者たちが無数に蔓延っていますの。くれぐれも追いかけてきませんように。お兄様たちでは足手まといになりますわ。まったく、人狼が犬死になんて笑えもしませんでしょう?」


 そう言い残して、イリスは南の空へと飛び去っていった。

 エヴァンは動揺を隠せず、ニキは暗い顔で硬直したまま。唯一メンタルにダメージは負っていないサイハイが打ち付けられた背中の痛みに顔をしかめながら、イリスの消えた方角に目を向けて苛立った目を向けた。


「ちょっとエヴァン、あんたの妹メチャクチャじゃない何あいつ。自分が入院してる間に迷惑かけたこととかぜーんぶ棚に上げてボロクソ言って暴れて街をぶっ壊してアタシのことぶっ飛ばして謝りもせずになんか悪口言ってついでにあんたとニキにも悪口言って!! なにあれ!? 殺していい!?」

「あ、あんなやつじゃないんだが……」


 妹に愛情を注いできたエヴァンですら、今の一連の流れには困惑を隠せない。

 ニキがイリスに好意を持っていることには気付いていたし、その件については生意気なという感情を抱いてはいたが、まさかイリスがあそこまでこっぴどく拒否を突き付けるとは思わなかった。

 イリスに好意を示した相手をシメて脅してきたエヴァンですら、そこまで言わなくてもと思うほどの人格攻撃。さすがのエヴァンでもニキの方に同情してしまうほどだ。

 だが、ひとまず窮地だけは脱することができた。イリスを追っていたのに引き離されてしまったのはまずいが、イリスのおかげで雷男から救われたのは事実だ。

 引き続き追うか、どうするか。目覚めたイリスを保護するという当初の目的からすれば、ここで追跡をやめるという手はない。

 だがイリスはもう意識を取り戻しているようだったし、何よりエヴァンたち三人をまとめたよりも圧倒的に強そうだった。彼女の言う通り、追っても足手まといになるだけなんじゃないかという疑念がエヴァンの脳裏によぎる。

 そもそもイリスはひどく口が悪くなっていたが、エヴァンが戦力として今一つだというのはエヴァン自身もひそかに気にしていた事柄だ。それが相まって、エヴァンの判断を鈍らせている。


「ちょっと、どうすんの。行くか退くか決めてよ。ほっとくなら帰りましょうよさっさと。あのお強くていけ好かない妹様は自力でなんとでもなるでしょうよ。フン」

「……」

「……僕は、追った方がいいと思います。」


 沈黙するエヴァンより先に、口を開いたのはニキだった。

 今にも吐きそうな顔をしながらも、少年はイリスが去った方の空をまっすぐに見つめている。


「僕は……イリスちゃんのことをずっと見てきました。……さっきのイリスちゃんの言う通り、ただ視線を向けることしかできない情けなくて気持ち悪い奴です。……でも、ずっと見てきたからわかるんです。さっきのイリスちゃんは、普通に喋れているようでも、本当のイリスちゃんじゃない。……様子が変です。追って、元に戻してあげなくちゃ……」

「……」


 言う通りだ。エヴァンがそう思って頷こうとしたところに、「おーい」と聞き覚えのある声がした。

 声の方向に目を向けると、そこにいたのはアリヤだ。ビルが倒壊した瓦礫の向こうから手を振ってきている。

 エヴァンは首を傾げながら彼に声を掛けた。


「アリヤじゃねえか。お前、どうしたんだ。別の用事があるんじゃなかったのか」

「えーと、待ってくれ。照合する。君は……そうそう、エヴァンだ。やあ、元気かいエヴァン!」

「……?」

「それと横の君は、確か何度か会っているね。ニキ。そうだニキだろう? 大丈夫、覚えているよ。あと隣の女の子は知らないな。会ったことがないのかな。まあいいや。ねえエヴァン、ここにイリスが来なかったか。俺はイリスにちょっと用があってさ」

「なんだ、テメエ」


 不自然だ。外見も匂いもアリヤ本人なのに、喋りがぎこちないし全体的に違和感がある。

 そして彼の両手にべったりと付着した血からは、何人もの他人の血の匂いが漂ってくる。

 イリスに罵られた今こそ判断が鈍っていたが、本来のエヴァンは深く考えずに直感に身を任せるタイプだ。

 彼の人狼の本能が語っている。どういう理屈かは知らないが、こいつはアリヤの偽物で、イリスの命を狙っていると。

 即座にアリヤ? めがけてショットガンの引き金を引いたエヴァンは、ニキに向けて大声を張り上げた。


「ニキ! こいつは偽物だ!」

「に、偽物?」

「イリスを追え! 俺はこのアリヤもどきをブッ殺してから追う!」

「……! わかりました!!」

「サイハイ、お前もニキについてって守れ!」

「ッチ、偉そうに指図すんじゃないわよ」


 ニキとサイハイが走っていくのを背中で見送りながら、エヴァンはアリヤらしき何かへと躊躇なくショットガンを連射する。

 頭、腹、足と散弾が肉体を噛み食らうが、しかしアリヤらしき何かはひるまない。


「知り合いには誤魔化しが利かないか。そうは言っても、俺もアリヤなんだけどな? まあいいよ、君を殺してから彼らを追うさ」


 そう言いながら、アリヤは飛び散った自身の血を膨れさせる。

 血の操作魔法はアリヤそのまま。この偽物らしき何かが仮にアリヤと全く変わらない戦闘力を持っているとすれば、間違いなくエヴァンよりも格上だ。

 それを理解した上で、おあつらえ向きだとエヴァンは笑う。


「お前殺せりゃ自信回復にピッタリだな」


 ストレスの捌け口を見つけたかの如く、人狼は獰猛な顔で牙を剥く。

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