201話 転換点
「バッカ!!」
鋭い叱責と跳ぶようなステップが三歩、エヴァンの前に小柄な影が躍り込んで、旋風のように腕を払った。
割って入ったのはサイハイだ。「疾ッ」と吹き矢めいて息を吐きつつ、その腕が軽やかに鞭めいてしなる。
それは彼女の天才性が編み出した我流の技で、少し長めにあつらえた袖ごと腕を魔素でコーティングすることで魔力への高い耐性を付与し、鞭打のような挙動で魔法に類するものを払いのけてみせるという超高等体術だ。
卓越した彼女の技術はエヴァンを飲み込もうとした雷光を曲線的に受け、斜めに流してみせた。
青白く明輝する稲妻が片耳を掠めて抜けて、エヴァンが気を取り直したところへサイハイが噛みつくような目を向けてきた。
「何!? なんで今気抜いたの自殺したいわけ!? 死ねバカ!! あんたが死んだら戦力ガタ落ちでジリ貧確定であたしも死ぬの確定しちゃうんですけど!! 死ぬなバァーカ!!」
「何言ってんだかわかんねえよ。悪いな、助かった」
「フン、死なれちゃ困るのよ!!」
サイハイの無軌道な悪態はともかく、イリスに気を取られて反応が遅れたのは事実。助けられなければ危ないところだった。
やせぎすの体に入院着を着て、バチバチと輝きながら宙に浮く雷男。その得体は知れないが、少なくともフレンドリーな存在ではないらしい。
彼が来た方向に目を向ければ、まるで子供が蹴倒した積み木のように街がぐちゃぐちゃに荒らされている。犠牲者を数えるよりも生存者を数えた方がよっぽど早そうだ。
エヴァンの鼻は、男の体からイリスが纏わされている魔力と同じ匂いを嗅ぎ取っている。
間違いない、こいつもイリスと同じく始まりの魔女から魔力を植え付けられた存在だ。
「あの雷野郎も魔女と関係があるっぽいぜ。被害者だかどうだかは知らねえが、とりあえず敵だ。サイハイ、ニキ、仕留めるぞ!」
一声叫んで方針を示すと同時、エヴァンは男の上体めがけてショットガンのトリガーを連続して引いた。
ズゴン! ズガン! と砲音が弾けて、照準は曖昧でも算段は男の体を面で捉える。
だが雷男が柔道家のように両手を広げると瞬時、手の間に行き交う紫電。それは0.00……1秒単位の文字通り雷速で増幅して、膨れた雷は半球状のバリアを男の目の前に生み出した。
熱と光と電撃が壁を成して、受け止めた散弾を跡形もなく蒸発させる。
「マジか」
強敵相手にはショットガンも牽制にしかならないのはマダム紅や魔女との戦いで理解していたが、どこの誰ともわからない馬の骨相手でもこれかと、エヴァンは思わず舌打ちを鳴らす。
しかし陽動にはなった。男が銃に気を取られた隙に、サイハイが素早く側面へと回り込んでいる。
彼女の動体視力は卓越したものだ。男から四方八方へと流れ弾のように飛ぶ細雷はタン、タン、タと軽業めいて手で払いのけて、身を沈めて駆ける姿はヒョウのように鋭く速い。
エヴァンの暗殺にこそ無様に失敗したが、本来の彼女は暗殺者として屈指のエリートだ。
それも奇襲や不意打ちではなく、相手に認知された上で真正面から挑み、対峙するすべてを力技でねじ伏せてきた。
難しいことを考えるのは趣味じゃない。というかできない。エヴァンの妹だとか魔女の力がどうのとかは知らないが、とりあえず殺せっていうなら殺すだけ。
空に浮いている男に近付くべく地面を蹴って壁を蹴り、崩れたビルの側面を跳ね上がって跳ぶ。驚異的な跳躍力で、すぐさま雷男は目と鼻の先だ。
(このあたし、血の門でも体術最強でブイブイ言わせてたサイハイ様に楯突いたのが運の尽きだっての! 死ねッビリビリ男!!)
腕を引いて宙空で体制を整え、右手に魔払いの体技を構えて雷膜の突破を図る。剥がしたところに左の小刀をねじ込んで、胸元を抉れば確殺できる算段を立てた。
はい、これで殺――――
サイハイの脳内に光景がよぎる。
あたしを生んで即捨てやがったクソバカママの覚えてもない横顔が記憶の底の底から引っ張り出されて、次の記憶は一面のゴミ山。気まぐれに誰かに拾われたんだろうけど、物心ついた時にはまた一人だったからまた捨てられたんだろうねきっと。
髪が真っ赤だから緋色緋色ってひねりのない名前で呼ばれて、ゴミ溜めみたいなスラムの中でも特に底辺な暮らしをしてたからスラムの中じゃマシな暮らしをしてる同年代のガキども(親が一応いてゴミ山から漁った傘だのスクラップだのをジャンク品として売りさばいて日銭を稼いでるって具合の)がボロ服を着て悪臭を漂わせてるあたしを見て物笑いにしやがったから叩きのめした。
殴って蹴って殴られて蹴られたけど結果は連戦連勝。負けてひどい目にあったのはたったの3回。
5歳の頃に15歳くらいの連中を叩きのめしたら大人の格闘家崩れが出てきたのと、10歳の時に喧嘩してたら恨みを買ってた他の不良がトラックで突っ込んできて喧嘩相手ごと轢かれたのと、地元仕切ってたヤクザ連中のリーダーを潰したら徹底的にシメられたので3回だ。トップを潰したら他は従うみたいな話を拾った漫画で読んで信じたのがまずかったわねあれは。
そりゃまあひどい目には遭ったけど、どうにか殺されはせずに生き延びて、あたしをひどい目に遭わせた連中は後日全員ゴミ山の生ゴミにしてやった。
そんなことばっかしてたらいつの間にか血の門所属ってことになってて、タチの悪いマフィアどもの中でも屈指の喧嘩屋なんてことになってて。
ま、悪い気はしなかったけど。喧嘩しか能のないあたしの喧嘩に値段が付いて、相手をぶちのめしてブッ殺せばいい暮らしができたんだから最高。
頭の悪い武力としていいように利用されやしたけど、それ以上にわがままを押し通してきてやった。あたしはあたしの人生に後悔なんてしていない。あたしを捨てやがった親にもし会えたなら半殺しにはしてやるけど、生まないでほしかったなんてことを言う気もないし。
まあ感じ方はともかく客観的にはきっとゴミみたいなあたしの人生の中で、エヴァンのやつはあたしが初めて掴んだ上がり目だ。
あいつは不良を気取っちゃいるけどしょせん学園とかいう恵まれた環境育ち。光の当たる側に足を置いてる人間。
強引にでもあいつにくっついていけば、あたしだって日の当たる側にまだいけるかもしれない。だからあたしはあいつに恩を売って、何があっても食らいついて、一生まとわりついてでも日の当たるところへ……って、何これ。あれじゃん。走馬灯。
サイハイの天賦の武才を以てすれば、血の門に属するまでの期間を完全な無敗で乗り切ることもできただろう。
だが彼女は圧倒的な才能を持ちながら、3回の敗北を喫している。それは全て彼女の無謀、猪突猛進、リスクマネジメント不足……要は頭の悪さが招いた配属だった。
今回もまた同じだ。結果論に過ぎないが、サイハイは決着を焦りすぎた。雷男が周囲にまとった雷はソナーのような役割を果たしていて、サイハイが飛び掛かってきたのを彼は完璧に感知している。
ノーモーションで雷を操れる青年は、極限まで薄めた雷の魔力を罠のように空中に漂わせていた。
それはいわば浮遊機雷のように、サイハイが間合いに入ったのを感知した瞬間に空気中に猛烈な摩擦を生じさせる。
雷。膨大な電熱が彼女の全身を飲み込めば、いくら魔法を払う体術を巧みに操る彼女であってもそれを防ぐ術はない。逃れる術もない。エヴァンが今それに気付いて、手遅れを察した驚きと苦渋の表情で叫ぼうとするのが見える。戦力としては数段落ちるニキはまだ状況に気付けてもいない。
死ぬ!!
サイハイの心に悲鳴めいた感情が沸き上がった刹那、彼女は凄まじい力を感じて横ざまに弾き飛ばされた。
何が起きたかもわからず弾かれたサイハイはビルの壁面に叩きつけられて、彼女がいた場所に凄まじい雷柱が立ち昇る。
猛烈な光にエヴァンは思わず目を閉じ、しかし視界を閉ざしてもいられないのですぐに目を開く。
そこで彼の視界が捉えたのは、三枚の光羽に胸、喉、腹を貫かれて、ボタボタと血を滴らせて絶命した雷男の姿だった。
それを成したのはイリス。少女は「あー……」と喉を調整するように声を揺らしてから、エヴァンへと目を向ける。
「ようやく……この力と意識が馴染んできましたわ。おはようございます、お兄様」
「イリス。……お前、どうなってる。今のお前はどういう状態なんだ?」
「今のわたくし? そうですわね。さしずめ……スーパーイリス、といったところでしょうか」
「ああ……? いや、いい。意識があるんだな。まともに喋れるのか。よかった。正直混乱してるが……降りてきてくれないか。とりあえず」
エヴァンは光の翼を展開したままの妹にそう声をかけたが、イリスは斜めに目をそらして少し考えてから、フルフルと首を横に振るった。
「いやですわ」
「ンだと」
「だってわたくし、まだやることがありますもの。あの忌々しい魔女の眷属たち……わたくしと同種の力を与えられた破壊者たちを、一匹残らず狩り尽くしてやらなくては」
「いいから一度降りてこい! 正直何が何だかわかってないが、それはお前がやんなきゃならないことなのか? もしそうだとしても俺も手伝うから、まず話を聞かせろ」
「イ・ヤ・ですわ。だって……こう言っちゃあなんですけれど、この戦いはお兄様が付いてこられる領域じゃありませんの。わたくし、大切な兄をむざむざ死なせるような真似はしたくありませんわ」
「は? おい、イリスお前」
「事実ですわよね。さっきだってショットガンを撃つばかりで有効打もなく、お仲間は危うく消し炭にされるところだった。まあお兄様の仲間だというよしみで一応助けてやりましけれど? なんですのあの品のない女。わたくし、ああいう女はあんまり好きじゃありませんわ。お兄様ももう少しつるむ相手をお考えになられた方がいいですわよ」
「なんだテメエ……!! 目ェ覚ました途端に偉そうな口利きやがって、何様だコラ!!」
「みなまで言わせないでくださいます? いえ、この際だから言って差し上げますわ。弱ぇ雑魚はすっこんでろって言ってるんですのよおわかりになりません!? できるのは耐久力と五感頼りのゴリ押し戦術だけ!! チッ! これは前々から言わないようにしよう思わないようにしようと胸の奥に押しとどめていたことですけれど、お兄様は一度でも格上相手に金星を挙げたことがございまして!? 先ほどの雷に対する有効打をお持ち!? マダム紅に一人で勝てた見込みはありまして!? この雑魚専!!」
「ッ……!!?」
「わかったら大人しくしててくださいませ。言っておきますけれど、お兄様のことはもちろん大好きですのよ。尊敬も感謝もしてますわ。ただ今言いたいことは、身の丈をわきまえて大人しく安全圏に身を置いてろってことですの。おわかり?」
「こ、の…………!」
エヴァンは別に弁が立つ方ではない。語彙力のなさを語気と威嚇、あとは暴力だけで補ってきたタイプの不良だ。
それが守るべき対象とばかり思っていた妹から怒涛の如く力不足と罵られて、目を白黒とさせてしまっている。
兄妹の関係性に今、転換点が訪れている。




