200話 エンカウント
「はいはいはい、把握~。あそこにギラギラでギザギザのガラス片みたいな翼広げちゃってるガキンチョがあんたの妹、と。で? あれが周囲に迷惑かけまくっちゃう前に身内で処理してあげようっていう素敵な家族愛ってわけね! 了解よ!」
うんうんと頷いてから、サイハイが両手の指に暗器めいた小刀を握りこんだ。
おいやめろ! 刃を投擲しようとしているサイハイにエヴァンはそう怒鳴りかけるが、先んじてサイハイを止めたのはニキだった。
「やっ、やめてくださいよサイハイさん!! イリスちゃんはエヴァンさんの妹なんですよ!?」
「は? だから今ここで責任持って止めようって話じゃないの? 日和ってんじゃないわよニキ。見たでしょあの破壊力! あのピッカピカの羽がいち・にい・さん・しの七枚もあって、それをたった二枚! ほんの数秒! ピュンピュンっと飛ばしただけで街がこのブッ壊れっぷり! ビルの壁面はズタズタに裂かれてアスファルトは消し飛んで、あそこの運転手が乗り捨ててたタクシーなんてみじん切りよ? どーすんの。ほっときゃ死ぬ人数は100じゃあ済まないって話よ」
「そういう話じゃないです! イリスちゃんはちょっと不良で、荒っぽいところがあって口よりも手が先に出るタイプの子だけど、周りを明るくしてくれる笑顔が素敵で、ふとした時に優しさを見せてくれることも多くて……」
「は? 何の話? キッショイわね早口で。好きなの? あっそ、残念。おかわいそうだけど諦めなさい。あたしはガキの色恋沙汰に命を左右されるような生き方する気ないの。大体何? 急に。あたしアンタのことまだ全然知らないけど、ボクってば論理的ですぅ~みたいなツラしてたくせにいきなり感情的なこと言い出しちゃって。ダサいわよガキ」
「だっ、ダサいとか! そんなの関係ないでしょう! 死ぬ人数はって言いますけど、イリスちゃんは人を殺したりなんてしません!」
「ハァ~? 状況見なさいってのよ色ボケが!」
「そんなんじゃないです!!」
冷笑気味のサイハイとヒートアップしたニキの会話の寒暖差は、エヴァンの焦燥を程よく鎮めてくれた。
ここまでの経緯はシンプルだ。今日の調査を始める前にイリスの見舞いに病院を訪れたところ、病院の玄関を潜ろうとした瞬間にイリスの病室から放たれた光が雨空を衝いた。
壁は消し飛んでガラスは溶けて、高熱が鉄筋をチーズのようにとろかして漂う異臭。病院の直上の雨雲だけが消し飛んでいて、雲間から顔を覗かせるパンドラの造り物のような青緑の空。
そこに光の翼を浮かべて滞空していたのは、虚ろな眼差しをしたイリス。エヴァンが目に入れても痛くないほどに可愛がってきた大切な妹は、彼からの声掛けに温度のない一瞥を落としただけで街の方へと飛び去っていく。
それを見た瞬間、エヴァンは直感的に理解を得る。あの忌々しい始まりの魔女が「力を与える」だのと言いながらイリスに流し込んでいた魔力が、今になって発動しやがったのだと!
そこから必死に暴走する妹を追いかけること十数分、イリスが街頭テレビのある大交差点の上空で飛行を止めたところにどうにか追いついて今に至る。
もうとっくに人々は避難していて、イリスとエヴァンたち以外は誰もいない都心部に街灯テレビの家電のCMを大きめの音で流している。
そんなけたたましい広告から意識を逸らしながら、エヴァンは冷静さを取り戻した頭で考える。思考は苦手だが考えるしかない。
自分の考えは一旦脇に置いて、サイハイとニキ、どっちの言い分が正しい?
(すぐ殺すだのなんだの言いやがるこの女特有のチンピラ思考は困りもんだが、今に限っちゃ一見正しい。何がどうなってやがるんだか知らねえが、あの光る翼を浮かべたイリスの破壊力はでたらめだ。なんだありゃ、意味わかんねえ。あんな魔法見たこともねえ。ほっときゃどれだけ街を破壊する? 人だって……)
エヴァンは人を殴ることを厭わない。必要とあれば対立者を殺すことだって厭わない。自分の性質が悪だと気取るわけではなく、この街で戦いを生業にするならそれくらいの覚悟は必要だ。
だが、イリスは違う。エヴァンの愛する妹の本質は心優しい少女で、争いを好まず明るく暮らしていきたいと願っているごく普通の子に過ぎない。
エヴァンが口にする強い言葉は相手に隙を見せず、争いの機先を制するための盾のようなものだが、イリスのそれは相手を威嚇することで退かせて争いを回避したいという気持ちから来ていることをエヴァンはよく知っている。
(そうだ。ニキの奴はイリスに下心を持ってやがるみたいだが、それはそれとしてよく見てる。イリスはまあ状況によっちゃ喧嘩を辞さないが、できるだけ暴力沙汰は避けたがるし、殺しなんてもってのほかってタイプだぜ。実際よくよく見りゃあ、ここに移動してくるまでイリスは一人も殺してねえ。建物や道はぶっ壊してるが、それも表面を引っぺがす程度で致命的な破壊は今んとこ避けてる。イリスも戦ってるんだ。違いねえ!)
エヴァンがイリスの中に残る正気に確信を得ているのは、サイハイとニキが口論をしてエヴァンが頭を回している最中、イリスは飛び去ることなくじっとこっちを見下ろしている。
エヴァンは愛用のショットガンを握って、言い争いを繰り広げるサイハイとニキへと声を掛けた。
「おい、やるぞ。手ぇ貸せ」
「エヴァンさん!? や、やめてください!! いくらエヴァンさんの判断でも、それは嫌です!」
「オッケー、殺るのね? はー悲劇の兄妹って感じ。泣けるわマジで」
サイハイは意気揚々とした口調で投刃を構えるが、エヴァンはショットガンのグリップでサイハイ、銃を握っていない方の手でニキの後頭部を叩いた。
軽く小突いた程度のつもりだったのだが存外痛かったようで、サイハイが牙を剥いたような顔で怒りを露わにする。
「何すんのよ!!!」
「殺さねえ。ニキも勘違いしてんな。止めんだよ」
「あっ、で、ですよね! よかった……!」
「はあ? どうやって」
「俺のイリスはあんなわけわかんねえ光の羽を出すような魔法は使えねえ。だったらあの羽を片っ端から砕いちまえば戻るんじゃねえか?」
そんなエヴァンの希望的すぎる観測に、当然ながらサイハイは思いっきり顔をしかめて親指を下に向ける。
「ン馬ッッッ鹿じゃないの? え、根拠ゼロよね? そんなもん作戦ともなんとも呼べない!」
「そうは言ってもわかんねえからな。仕方ないだろ。やってみるしかねえ。なあ、ニキ?」
エヴァンは賛同を求めるためにニキに話を振った。
だが、エヴァンの勢い任せな発言を聞いたことで今度はニキが冷静さを取り戻したらしく、生真面目な少年は困ったような顔で小さく「うーん」と唸る。
「助けるのにはもちろん賛成です! こんなの明らかにイリスちゃんの意思じゃない。死なせるのは絶対ありえません。でも、うーん……魔力でできた羽を砕いたとして再構築されるだけじゃないかな……いや、出力が桁違いすぎてわからないんですけど、あの手の魔法は大体再構築が可能なので……」
「じゃあどうすりゃいい? 俺は馬鹿だしサイハイはもっと馬鹿だ。イリス助けたいって思ってくれてるんだろうが? だったら一番頭のいいお前が考えてくれ。俺とサイハイは全力でそれを実行してやる」
「なんであたしを巻き込んでんのよ! ちょっと、あたしの意思無視しないでくれる!? 兄妹まとめて殺すぞテメエッ!!」
ガラの悪さを前面に出して吠えるサイハイの頭を雑に抑えて遠のけつつ、エヴァンは真剣な面持ちで思考を巡らせ始めたニキに期待を寄せる。
ニキをエヴァンのサポートに回したのはユーリカだ。恋愛脳なユーリカのこと、イリスに気があるニキを気遣って回したんじゃないかと一時期は勘繰っていたが、頭の良くないエヴァンにとって確かにこの少年のサポートは必要だったと今思う。
だがイリスと意思の疎通が図れない以上、今の状態のままいつまで待ってくれるかわからない。一刻も早く打開策を見つけなくては……と、イリスがふと東の空に目を向けて口を開く。
「来た」
「……来た?」
疑問符混じりにエヴァンがイリスの声を復唱した瞬間、稲光と共に一人の男が現れた。
まるでアメコミ映画か何かのキャラクターめいて、男は全身に雷を纏っている。だがエヴァンは彼を知らない。ニキもサイハイも彼を知らない。
ただ目に付いたのは男が身に着けている衣服だ。入院着を身に着けていて、腕からは未だに点滴のチューブをぶら下げたままでいる。
そんな見知らぬ男が身にまとった膨大な魔力から、エヴァンの嗅覚は覚えのある匂いを微かに嗅ぎ取った。
「こいつ、イリスと同じ……!」
魔女に魔力を植え付けられた奴!
そうエヴァンが口走るより早く、男の手からエヴァンめがけて雷光が放たれる。
仕事が繁忙期のため2/26,27,28は更新をお休みします。
次回は3/1の予定です。




