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198話 新たなる信仰

 ッククク、フフフと勘に触る笑い声がカラスの口から漏れる。

 徹底した秘密主義を七面會(マスケラド)の仲間であるシュラに対しても保ち続けてきた男は、足を撃たれた状況下でも不適な悠然を絶やさない。

 だがシュラにも容赦はない。カラスとアンヘルの両方を視界に収めて牽制しつつ、素早く部下であるリカルドにハンドサイン。

精兵リカルドは即座にそれに応じて、制圧用のゴム弾を込めた銃でカラスの手首へと強かな発砲を当ててみせた。

シュラはスピーディーな攻勢に付いていけずにいるアリヤとエクセリアに視線は向けず、声だけを向けてくる。


「アンヘルに聞きたいことがあるんだろう。先に聞くといい」

「え? あ、ああ、そうだ。先にいいのか? 悪いな」


 ここまでまるで役に立てていないことに若干恐縮しつつ、撃たれた足を抑えて転げているアンヘルへとアリヤは歩み寄る。

 寄ってきたアリヤを見上げて、先に口を開いたのはアンヘルだった。


「おや? あれ? 藤間或也さんじゃないですかぁ。俺ですよ俺、モリス。先日団地でお会いしましたよねえ。どうしてこんなところに? 恥ずかしいなあ内ゲバの現場なんて見られちゃって。いやあどうしちゃったんですかねシュラ君。不思議だなあ、いい奴なのに、見てくださいよ俺の足に銃弾を二発も。あーっ、痛い痛い、傷口を見たらもっと痛みがひどくなってきた。なんなんですかね、ほんと。シュラ君は結構単純なところがあるから、誰かに利用されちゃってるとか? あ、もしそうなら早めに言ってくださいねシュラ君。私はまだ全然許せますよ~。足こんなんなっちゃいましたけど。ははは。あ、で、なんでしたっけ藤間さん。お話だったらカフェでも行きます? この局ビル、一階にいい感じのカフェ入ってるんですよお。コーヒーゼリーとか美味しいらしいんですよ。いや又聞きなんですけどね? やっぱ一緒に食事をすると仲が深まるものじゃないですか」


 足の銃創を指差しながら喋る喋る。ふわふわと実のないセリフは上滑りな印象しか残さない。

 そういえば団地で会った時にモリス・エズモンドなんて名前を名乗っていたなとアリヤは思い出すが、名前はどうでもいい。

本名を名乗っていようがなんだろうが、それはただただ意味のない音の羅列だ。そう感じてしまうほどに、こいつはどこか気味悪い印象を纏っている。

アリヤは彼の語る言葉の大半を無視して、必要最低限の問いだけを投げる。


「前は知らないって言ってたけどもう一度聞くよ。セベロ・ルーゴって男を知らないか?」

「誰ですそれ」

「この男だよ。前にあんたと会ったココルカ十二号団地の行方不明者だ」

「んー? よく見えないな。いや、撃たれた拍子にメガネが落ちちゃって。もうちょっと寄せてもらえません?」

「……」


 不意打ちに警戒しつつ写真を彼の顔に近付けたが、特にアンヘルが敵意を見せてくる様子はない。

 彼の目が悪いのは本当のようで、思いっきり眉根にシワを寄せて目を細めながら写真を眺めた上で、「あ~?」と間延びした不明瞭な声を漏らした。


「見たことあるようなないような」

「はっきりしてくれ。時間稼ぎみたいな真似するなよ」

「いえね、嘘言ってるわけじゃないんですよぉ。見たことあるような気は実際するんです。でもほら、知ってるんでしょう? 森羅の光。あの組織ってもう作った私自身も全貌を把握できないくらいの規模に膨れ上がっちゃってるんです。最近はなんだか暴走しちゃい気味でね? 創始者である私の知らないところで色々悪いこともしちゃってるみたいなんですよぉ。人殴ったり喧嘩したり。結構ご近所トラブルで苦情入れられちゃったりもしててね? 大変なんですよぉ色々と。私公園の噴水とかを眺めながらボーッとハトに餌をやるのとか好きなんですけど、あちこちで森羅の光の信徒に声かけられちゃったりするんです。ほっといてほしいんですけどねえ。いやそれにしても森羅の光が迷惑かけちゃってるなら心苦しいなあ胸がズキズキと痛くてたまらない。この足と同じくらい。ねえシュラ君、とりあえず私に謝っときませんか。一声でいいんで。悪いことをした時は素直に謝れなくちゃいけませんよ?」


 1問うと0.8ぐらいの答えと、それに付随した無駄話が3ぐらい返ってくる。

 それに鬱陶しさを感じるのはシュラも同じなようで、掛けられた声を無視して黙殺で対応している。

 まあ無駄話はともかく、森羅の光の規模が巨大なのは事実。アンヘルが失踪者一人を把握できていないというのは本当の話かもしれない。

 拷問まがいのことをして問い詰めようにもアリヤにその手の知識はないし、そこまでモラルを削ぎ落すのもなかなか難しい話だ。

 一旦セベロのことは保留にして、アリヤは問いの方向性を変える。


「じゃあ聞くけど、森羅の光ってなんだ? 一体何を目的にした組織なんだ?」

「え? 目的ですか。うーん、改めて聞かれると目的を口にするのって恥ずかしいものですよねえ。ほら藤間さん、子供の頃に学校とかで夢とか目標を書いて提出するみたいなのありませんでした? 日本の学校にはないのかな? あれ苦手だったんですよねえ。こっぱずかしいじゃないですかぁ」

「無駄話はやめて答えろ。森羅の光って何なんだ? その目的は!」


 こいつと話しているといらだちが募る。無駄話の内容だけではなく、声のトーン、表情の造り方、細かな仕草、目線の角度、全てが作為的なほどに怒りを掻き立ててくるのだ。

アリヤは自分は比較的感情を揺るがされにくいタイプだと自負しているのだが、それでも怒りに声が荒くなる。

武装鮮血(ブラッドナイト)血杭の斧(ルブラ・ラミナ)。紅色の大斧を手に顕現させて、厚めに形成した恐ろしげな刃を脅すようにアンヘルの傍らへと打ち下ろした。

 床材が剥がれてヒビが走り、剥がれた塗料やコンクリートの破片がアンヘルの天然パーマめいた癖毛にからみつく。

 そんな脅しを受けて、アンヘルはわざとらしいほどの「ひえええ~っ!」とおびえた様子を見せた。それがまた余計にイラつく。

 グッと堪えて無言の圧を与えていると、アンヘルはへらっと笑ってから言葉を続ける。

 

「今のは流石に話題逸らしが露骨すぎましたかねえ~。いやね、組織の目的なんて言われても礎世界の知識をしっかりお持ちの藤間さんにとっては新鮮味のある話でもなんでもないんですよね。森羅の光は宗教組織。ガッチガチの新興宗教団体です。っていうのも、このパンドラって宗教の概念が存在しないんですよ。あるのは星影騎士団(ステラ・イドラ)の拠点である世界骨に向けた、理由さえはっきりしない礼拝文化だけ。拝んでおけばいいことがある、的なぼんやりとしたご利益志向くらいはありますけど、それだって原始的な霊魂信仰(アミニズム)にも達していない程度の稚拙なもんです。始まりの魔女はこの世界を作る時にほとんどのものを礎世界をモデルケースとして設計しましたが、言語と宗教だけは礎世界を参考にしませんでした」

「……」

「言語は、まあわかりますよね。礎世界から異世界へと取り込んだ人間がいちいち言葉の壁でつまずいて排斥されたんじゃ文明を築く上で効率が悪すぎる。魔女は世界に満ちさせた魔素(マナ)を媒介に翻訳いらずの世界を造り上げました。それはいいとして、なんで宗教を持ち込ませなかったかわかります?」


 突然問いを向けられて、アリヤは不意を突かれて言葉に詰まる。

 宗教を持ち込ませない理由? 思いつくのはキリスト教やイスラム教の対立に代表される宗教戦争だろうか。

 半ば首を傾げつつ、アリヤはそれを口にする。


「争いの原因になるから?」

「あー、ハズレですねえ。魔女は全能。人間や亜人種が戦争しようとその気になればどうとだって制御できますし、魔女は人に無駄死にしてほしくないなんてモラリストでもありませんよ。むしろ適度な戦争は文明の発展スピードを早めますから、魔女にとっちゃ都合が良いものなはずなんですよね。いやあ、藤間さんはそんなに勘がいい方って感じでもないですね。平々凡々って感じだ。ハハハ」

「じゃあどうして。問題形式はやめて答えを言えよ、質問してるのはこっちだ」

「ん~困った困った。仕方ない。斧に首撥ねられたくないですしねえ」


 お手上げとばかりに諸手を挙げつつ、アンヘルは言葉を続ける。


「始まりの魔女が宗教の存在を良しとしなかったのは、魔法があるからですよ」

「魔法?」

「わかりませんか? 魔法は全てイメージの顕現。強い想像力と意思の結実。まあいろんな理論とかを無視して極限までシンプルな言い方をしちゃえば、この街は強く考えたことが現実になるシステムがある街なんですよ」

「それは、うん」

「じゃあそんな街に宗教があればどうなると思います? 膨大な人数の人間が一つのイメージを共有して、一つの対象めがけて一斉に強固な念を送ったとすれば? 映画やドラマなんかの作品じゃ駄目です。タレントでも駄目です。大衆の感想はバラバラでノイズが混じりますから。でも宗教であれば、多くの人々が“救済”という共通イメージを求めたとすれば、現実のものとなっちゃうわけですよぉ。礎世界において長らく人類が追いかけ続けてきた、神様っていう存在が」

「……」


 なるほど、理屈が理解できた。もし本当に神のような存在が誕生したとすれば、それは魔女を凌駕する力を持ってしまうかもしれない。

 魔女にしてみればありえない事態だろう。パンドラに宗教が導入されていなかったのも理解できる。


「だから私、森羅の光には特定の神って存在を設けてなかったんです。自然への祈り、感謝、自己救済の追求。まあなんていうか、ゴリゴリに先鋭化された自己啓発セミナーみたいなもんですよ。森羅の光っていうものは。……で、まあ組織そのものから一段下げて私の目的ですけど、ありていに言っちゃえば神になりたかったんですよね。私の家って両親が新興宗教にズブズブでして、ややこしい祈りやらなにやらを幼い頃から強制されてたのが私の魔法の原点なんですよぉ。で、そういうのがちょっとまあ面倒だなと。なら祈らなくていい側、私自身が神に成れないかなあってのがこの発想の原点だったわけなんですね」


 その言葉にシュラが反応する。


「アンヘル、そんなことは一言も聞いた事なかったぜ。隠してやがったんだな」

「いや、それはそうですよ。組んでやるけど魔術的な研究面には相互不干渉、それが私たち七面會(マスケラド)の条件だったじゃないですか。神を目指したのはその一環ですよ、咎められるようなことじゃないと思うなあ」

「……」

「クラウンメディアネットを取り込んだのもそのためです。森羅の光の信者を一定数まで増やした上で、テレビ局の電波を使って急遽ゲリラ的に私を崇めなさいと信者向けに流すわけです。まあ100%とは行かずとも、半分くらいは祈ってくれるでしょう、森羅の光は盲信的な信徒が多いので。そしたら信仰が魔素(マナ)を介して私にスーパーパワーを与えてくれるわけですよ。新たなる神の誕生だ~なんて気取っちゃったりしましてね。社長さん、レオナルド・クラウンはめちゃくちゃ協力的なんですよ。私が神となった後の世界で特権を与えるって約束してましたから。実際約束守って偉くしてあげるつもりでしたしね? 私は神で、その下の大統領ぐらいには指名してあげようかなって」


 レオナルド・クラウン。クラウンメディアネットの社長はシエナの父親だ。

 シエナが父親を殺そうと考えていたのはこのためだったのか、とアリヤは納得する。神の誕生を手助けして都市を牛耳ろうなんてロクな考えではない。

 だが、これでその計画は潰えた。シエナの憂慮を晴らすことができたんじゃないか。そう考えるアリヤへ、アンヘルは参った参ったとばかりに首をすくめつつ、さらに言葉を継ぐ。


「まあ、失敗しちゃったんですけどねえ。私。ゲリラ的に電波を乗っとるためには特殊な許諾コードが必要なんですけど、レオナルドさん、直前になってそれを持ち逃げしちゃいまして」

「なんだって?」

「誰かにそそのかされたみたいなんですよ。せっかくなら自分が神になったらいいじゃないかって。レオナルドさん、権力志向バリバリの人なんでその甘言にすっかり乗せられちゃったみたいなんですよね。ですから、あの人は今神になるべくクラウンメディアネット系列の他の放送局へと移動中なんです。信徒にはゲリラ放送の時間帯にクラウンメディアネットのチャンネルを見ろって伝えてあるんで、その時間にあの人が電波に自分の顔を乗せて、上手いこと祈りを煽れれば本当に神様になっちゃうかもしれませんね~」

「なっ……」


 唐突な話にアリヤはフリーズしてしまう。レオナルド・クラウン、シエナの父親が神になる? それは……何だ。そうなったらどうなる?

 思考を停止させたアリヤに代わって、シュラが語気を強めてアンヘルへ問う。


「レオナルド・クラウンをそそのかしたのは誰だ?」

「いえね、シュラ君たちが来るまでちょうどその話をしてたんですよ。私、文句言ってたんです。なんでそんなことしてくれたんですか、カラス君って」

「カラス……!」


 シュラとアリヤが同時に顔を向けたのに応じて、膝を付いていたカラスが銃撃のダメージを感じさせない動きでゆらりと立った。

 種明かしをするマジシャンのように両手を広げて、彼はゆったりと口を開く。


「さて、今度は俺が話す番のようだね」

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