19話 宿舎裏手の不良兄妹
エヴァンとイリス、昼間に野球をしたあの兄妹がなんだか気になった俺は、彼らを探して回ることにする。
どうやら二人は有名人のようで、通りがかりの生徒何人かに居場所を聞くだけですぐに見つけることができた。
「宿舎の裏手、宿舎の裏手っと……あ」
いた。
夜空の下、遠目に見えたのは暗闇に浮かび上がるキティちゃんだ。
金と黒のキティちゃんジャージが兄、ピンクのキティちゃんスウェットが妹。素足にサンダルを履いて、前髪を上げてゴムで留めている。
たぶん地毛なんだろうけど、二人とも金髪なせいでヤンキー感が増している。
あれだ、深夜のドンキとかで見かける人種だ。
(……やっぱ、話しかけるのやめとくか?)
俺が尻込みしていると、仲良さげにケラケラと笑いながら話していた二人が会話をやめてこちらを向いた。
「あーーーっ!!!」
イリスがこっちを指差しながら叫んだ。
スウェットにプリントされた蛍光キティちゃんが暗闇にぼうっと浮かび上がっている。
地球産の物はこっちでは高値だと燃が言ってたけど、兄妹揃ってわざわざ買ったんだろうか。
「テメェ! どのツラ下げて来やがりましたの!?」
「いや、ちょっと話がしたくてさ」
「敵と話すことなんてありませんわ! フン、まぐれでホームラン打っていい気になってるのか知らないけどその後バンザイエラーしてたのもしっかり覚えてますわよ! 不格好かつ不様!」
「よ、淀みなく口撃してくる……」
黙っていればきっと可愛い容姿だと思うのだが、怒涛の勢いでまくしたてられるとちょっとツリ目なのが合わさって迫力がある。
俺がたじたじになっているところに、兄のエヴァンが口を挟んだ。
「イリス、ちょっと下がってな」
「マジですの? お兄様がそうおっしゃるなら了解ですわ!」
さっと引き下がった。昼もそうだったが、狂犬のようなテンションのくせに兄の言うことは聞く子みたいだ。
エヴァンはタバコの煙を深々と吐き出しながら、兄妹そっくりのツリ目で俺を睨んでくる。
「……おう、昼は世話んなったな」
「いやあ、はは」
「何がおかしい。バカにしてんのかテメェ」
「なーに笑ってやがりますの。お兄様のことバカにしやがったらぶちのめしますわよ!?」
「……」
俺は黙る。ああもう、この手の人種は沸点が低くて嫌いなんだ。すーぐ威嚇みたいな声を出すし。
いや、黙ってばかりもいられない。社交辞令みたいな会話は意味を成さないと思って、俺はいきなり本題を口にする。
「シエナに休めって言ってたけど、あれは心配してのことなんだろ。なにか知ってることがあれば教えてくれないか」
「話してやる義理はねえ」
「そう言わずにお願いだ。力になれるかもしれないし」
「力を貸してほしいなんて誰が言った?」
「頼むよ! 話してくれたら飯ぐらいなら奢る!」
食い下がる俺を見て、エヴァンは心底鬱陶しげに顔をしかめる。
そんな兄の袖をクイクイと引いたのはイリスだ。
「お兄様、こいつ食事奢ってくれるそうですわよ。お兄様」
「……おい、袖引っ張んな」
「お兄様、食事を……」
「わかったから!! 袖を引っ張んなって!! 伸びんだろ!?」
妹に促されて、ようやくエヴァンは石段に腰を下ろした。
地面にタバコを擦り付けて消して、次の一本に火を灯しながら、反骨心たっぷりの目で俺を見上げて口を開く。
「聞いたぜ。お前、異世界から来たらしいな」
「ああ、そうみたいだよ。自分でもよくわかってないけど」
肯定すると、エヴァンは小さく頷いてから言葉を継ぐ。
「この街のことは聞いたか」
「それなりにはね。まだ知らないことだらけだけど」
「ロクな街じゃねえ。……俺らの親は商売をやってた。それなりに裕福だったが七面會にぶっ潰された。商売の邪魔だったんだと」
七面會と口にする時、エヴァンは憎々しげに腹の底から低い声を絞り出した。憎悪の塊を吐き出したような声だ。
「親は首吊っちまって、残された俺とイリスは家なしの一文なしだ。チンピラ連中とつるんで稼ぐしかねえ……そう思ってた俺らを、あの人が拾ってくれた。学もねえ、金もねえ。それでも居ていいんだと」
「あの人?」
俺の問い返しにエヴァンは反応を示さない。
あからさまに故意に無視をして、無言でタバコをふかしている。答える気はないらしい。
(語り口からして、シエナのことではなさそうかな?)
答えてもらえない質問を重ねても仕方ないので、俺は話の方向を変えてみる。
「……この学園って金はいらないのか」
「ああ、いらねえ。希望者は無償だ。お前だって金は払ってねえだろ?」
「確かに」
てっきり異世界から来た俺と色々なことを忘れたエクセリアに気を使って無償で招待してくれたのかと思っていたが、そういうことじゃなく、まさか正式に入学している生徒たちも全員無償だとは。
じゃあこんな規模の学園をどうやって維持してるんだ?
そんな俺の疑問に、エヴァンが先んじて答える。
「学園には太いスポンサーがいるって聞いてる。シエナが取引をしてる。どんな取引かは知らねえが、シエナのやつもヘラヘラ笑っちゃいるが馬鹿じゃねえ。相応の見返りを提示してるんだろうさ」
「見返りを……」
当たり前だけど、今日見た一連の流れよりもシエナの仕事はもっと多いのだろう。
俺とエクセリアがシエナと会ったあの日にユーリカと二人で校外に出ていたのも不思議だったけど、もしかしたらスポンサーとの交渉にでも行っていたのだろうか。
見返りとはなんだろう。あれだけの巨大な力を持ってるシエナだから、提示できるカードは色々あるのかもしれないけど、俺には予想も付かない。
まあ、エヴァンでもわからないと言ってることを憶測しても仕方がない。
俺は話の続きに耳を傾ける。
「……俺ら兄妹には学園以外の居場所がない。七面會はクソだ。親の仇だ。いつか全員ブッ殺してやる。だからよ、その前にシエナにぶっ倒れられちまったら困るんだ」
「……相当疲弊してるはずだもんな、彼女」
「だから俺はあいつを無理やりにでも休ませる。ブン殴ってブッ倒してでも休ませてやる。理想は3日だが、1日休むだけでもいくらかマシになんだろ」
3日、1日と指を折りながらそう語るエヴァンの目は真剣だ。
最初の斜に構えた不良の視線ではなく、問題と真摯に向き合う目をしている。
元は裕福だったと言っていたし、もしかすると根は真面目な男だったりするんだろうか。
「なんだかんだ言ってシエナのことを心配してるんだな」
「殺すぞ」
「……」
殺すとかそういうことをすぐ言うのは良くないと思う。思うだけで言わないが。
ともかく、この兄妹の事情とスタンスはそれなりに理解できた。ただ疑問は残っている。
「1日でもシエナの召喚獣が消えたらそれこそまずいんじゃないか? 七面會のアブラだっけ。そいつはシエナがダウンするのを待ち構えてるわけだろ」
「そこは心配いらねえ。策がある、って聞いてる」
「聞いてるって誰に」
「そもそも、シエナのやつを無理やり休ませるのは俺の考えじゃねえ。そこはもっと賢い人が考えてる。俺は俺の仕事をやるだけだ」
「ふうん……」
もっと賢い人、と具体名を挙げない辺り、そこは話すつもりのない部分なんだろう。
また話の方向を変えて、もう一つだけ気になった点を尋ねておく。
「ところで……親御さんが七面會にやられた後、この街を出て他の街に行くって考えはなかったのか?」
「他の街……?」
俺の問いかけに、エヴァンがらしくもなくきょとんとした表情を見せる。
横で口を挟まずに話を聞いていたイリスも同じように呆気に取られた顔をしている。
なんだ? 俺は変なことを言ったか?
こっちはこっちで困惑していると、気を取り直したエヴァンが俺のことを鼻で笑った。
「ハッ、異世界人らしいこと言いやがる。なあ、どうしてパンドラが都市世界って呼ばれてるか知ってるか?」
「いや、そういえばそこは聞いてなかったな」
「この世界イコール、だだっ広いこの都市だ。車に乗って何日も何週間何ヶ月走ったって、この都市からは出られやしねえ。延々と街並みが続くだけで、いつの間にか元の街中に戻っちまうんだよ」
「なんだって……?」
「この街は生きてんだ。空間が歪んでる。一度入った俺たちを逃しちゃくれねえ。都市そのものが世界、だから都市世界って呼ばれてんだよ」
出られない街? この世界にはこの街だけ? 聞いてないぞ。
パンドラは広大だ。都市とは言っても地球にある都市、例えば東京や、ニューヨークなんかと比べても比べものにならないほど巨大なんだろうけど、それにしたって一つの都市から絶対に出られないなんて。
(そうか、だから星影騎士団だの七面會だのが正面きって縄張り争いみたいなことをやってるのか。限られた資源とか人材を奪い合ってるんだ)
だとすれば、学園自治連合が目を付けられるのもよくわかる。
優秀な生徒を多く留めて好きなことをさせているこの学園は、大人たちからしてみれば目障りで仕方ないんだろう。
エヴァンが言葉を続ける。
「俺たちに許された選択肢は二つだけだった。首輪付けられて何も考えず生きるか、抗って戦い続けるか。俺は死んでも首輪付きにはならねえ。勝って、勝って、勝って勝って七面會ブッ殺してのし上がって、イリスにまた綺麗な服を着せてやる。それが俺の生き方だ」
そこでエヴァンは立ち上がって、吸い終えたタバコを携帯灰皿へとしまった。
やっぱりちょっとお行儀が良いとこあるじゃないか。
「いいか、俺たちを邪魔すんじゃねえぞ。……行くぞイリス」
「……いいこと? あなた、食事を奢る約束を忘れたらダメですわよ。バックレようとしたら容赦なくブン殴りますわ。ではおやすみなさいまし!」
あの妹のお嬢様っぽいようでそうでもない変な言葉遣いは元金持ちの名残りなんだろうか。
それとも昔の栄光を忘れられずに後天的に身につけた謎言葉なんだろうか。
どっちかはわからないが、あれだけイキってたのに最後におやすみと言い残す辺りはお育ちの良さの片鱗がちょっとだけ見えたような気もする。
二人がいなくなって静かになった宿舎裏で、俺はふう、と息を吐きながら空を見上げる。
微かに緑味がかった魔素色の星空は綺麗だけど、ここは俺が思ってるより何倍も閉塞した世界なのかもしれない。
俺はこの学園で、何をするべきなんだろう。
……ブルル、と懐のスマホが震えた。
俺にかけてくる心当たりは一人しかいない。着信画面を見ると案の定、燃からの電話だった。
出るべきか、出ないべきか。少し考えてみたけど頭の中に鐘は鳴らない。
「一択かぁ」と、俺は通話ボタンを押す。




