194話 大禍
突発的、同時連鎖的に複数の出来事が発生した。
(俺はどうすればいい?)
戸惑ってしまうが、そうしてばかりもいられない。
どの物事に関しても大した情報はないわけで、アリヤが今最も優先するべきは冷静になることだ。
一つ。イリスの件はエヴァンに任せよう。
彼は彼で実力も判断力もある。仲間もいるから一人きりではない。妹を大切に想う気持ちも誰よりも強いはずで、アリヤがこの状況下でノコノコと首を突っ込むべきことじゃない。
一つ。ランドール家の件も実態がわからない。
アリヤを狙っているわけじゃないなら即応しなければならないことではないはず。まずければ学園が対応してくれると彼は考える。
そしてもう一つ、空の裂け目。
あれは一体何だろう?
雨雲の一部が消しゴムを掛けたかのように消失して、奇怪な亀裂が遠方のここからでもわかるほどに広がっている。
世界というものが突然終わる日が来るとすれば、空の色はあんな具合なのだろうかと考えてしまう。
(…………いや、どうせわからないんだ。憶測で気にしていても仕方がない)
アリヤは訝しむ視線を向けてから数秒、意を決するように空から目を逸らした。
魔女が率いて大戦力を誇る星影騎士団が対応するなら、アリヤ一人が出て行ったところで何が変わる訳でもない。
燃さんのことは少し気掛かりだが、向こうはプロだ。アリヤよりもよっぽど経験豊富にこの街を生きてきている人だ。そう易々とやられやしない。
「アリヤ、どうするか決めたか?」
エクセリアに問われて、アリヤははっきりと首を縦に振る。
「ああ、シュラと連絡を取る。一緒に行くか?」
「もちろんだ。何が起きているのか知らないが、この雰囲気の中で蚊帳の外にいてたまるか!」
力強く頷くエクセリアに促されて、アリヤはシュラへと折り返しのメッセージを入れる。
シュラと交わしていた約束は、彼がアリヤがアンヘルと会う手引きをしてくれる。ただしアンヘルと戦闘になろうがシュラは姿を見せず手も貸さないし、アンヘルとの交渉時に何があってもシュラが手引きしたと名前を出すなというものだった。
見返りに約束していたのがカラスやサイレンとシュラが戦う時の加勢。これは本来別々に行われるもののはずだった。
だが状況は予測できない方向に転ぶもので、今はアンヘルとカラスが同行していて、そこを突くつもりだとシュラは言う。
(最悪、二人相手の戦いになる。でも悪いことだけでもない。そうなればシュラも味方に付けて戦える。エクセリアもいればなんとかなるさ。きっと)
シュラから5分後に迎えに行くと返信が来た。
いきなり正念場が訪れたが、アリヤは動揺を鎮めるように深呼吸を三度繰り返す。
そこへふと、エクセリアが心配げに呟いた。
「雷のやつ、全然連絡付かないな」
そう、気掛かりなのは雷だ。
街の様子がおかしくなってからアリヤとエクセリアがそれぞれ連絡を入れたのだが、着信には出ないしメッセージの既読も付かない。
アリヤもエクセリアも、雷にそれなりの信頼を寄せるようになっている。
もちろん彼が星の意思だということは忘れていない。
血の門に属していたのも忘れていないし過信はしていないつもりだが、それでも彼は有能だったし、妙な女装趣味以外は人柄も悪くなかった。人として彼のことを気に入っているのだ。
(普段なら気に留めないさ。寝てるのかもしれないし、例えば映画館で電源を切ってるのかもしれない。連絡が付かないことくらい誰だってある。だけど……)
アリヤはもう一度、空に目を向けてしまう。
あの世界の殻が剥がされたかのような不気味な空には、異世界と礎世界の境目、その崩壊を思い浮かべてしまう。
あのモザイクみたいな空の先にあるのが礎世界だとしたら、そこから来るのはきっと星の意思だ。
もし本当にそうだとしたら、星の意思である雷はどう立ち回るんだろうか。
どちらにも肩入れせずに行方をくらませるか、あるいは。
「アリヤ。私、もし何かあってもあいつと戦うのは嫌だ。……友達だし」
ぽつりとエクセリアがそう漏らす。どうやら彼女も似たようなことを考えていたらしい。
そう、友達だ。
共闘相手、同僚、仲間。アリヤはそんな感覚でばかり彼のことを捉えていたが、一緒に食事をして一緒に映画を見たりして遊んだなら、それはもう友達だろう。
“心配ないって”と無責任な励ましを口にするには懸念が多すぎて、アリヤは「そうだよな」と同意を示して一度頷いた。
そこへ、フ、と音もなくシュラが現れる。
いつになく研ぎ澄まされた目をした彼は片手に高級そうなケージを抱えていて、挨拶もなくそれをエクセリアへと突き出した。
「飼い主はお前の方だな。まだ意識は戻ってないが、医者の見立てじゃまあまあ健康だぜ」
「コンブ!!」
エクセリアが慌てた様子でケージを覗き込むと、そこにはスウスウと寝息を立てているコンブの姿があった。
巻かれた包帯が可哀想だが、安らかな寝息からは丁重に手当てをされていたのが一目でわかる。
シュラは不機嫌な様子でフンと鼻を鳴らして、アリヤへと軽く睨みを向けてきた。
「猫に危ない橋渡らせてんじゃねえよ。室内飼いにしとけ」
「いやあ……返す言葉もない。悪いことしちゃったな、コンブには。でも良かったのか? もう返してくれて」
「今日カラスともやりあうかもしれないからな。仮に俺が死んだらこいつが放置されちまう」
「……」
「俺は猫を4匹飼ってるが、今日の戦いに備えてみんな預けてある。俺が一週間帰らず連絡もしなかったら、信頼できる奴が引き取ってくれるように決めてんだよ。ペットを飼うなら自分が死んだ後まで考えておく責任がある。わかってんのか? あ?」
「あー、コンブは喋れるから……」
「そういう問題じゃねえ」
「……仰る通りで」
アリヤが恐縮しきっていると、シュラは視線をエクセリアへと滑らせる。
「テメーも付いてくる気か?」
「ああ、アリヤだけを行かせられん。私も七面會どもに会いに行ってやる」
「チッ、だったら猫はペットホテルにでも預けとくか。寄り道しねえとな」
「いいのか? でもコンブは怪我してるが……」
「料金次第で怪我や病気でも面倒見てくれるところもあんだよ。それくらい知っとけ」
「本当か! 助かる……!」
「それと餌はいつも何を食わせてる」
「その時によって違うけど、餌はあそこの棚にしまってる」
「見せろ」
シュラはエクセリアを促して、コンブの餌チェックを始めてしまった。
棚の中にある餌一つ一つをチェックして、やれ「このメーカーは添加物が多すぎるクソだ」だの「これは消化が悪い」だの「塩分が多い」だのとエクセリアに指図している。もう猫好きを隠す気もないらしい。
大勝負前の会話にしては緊張感に欠ける気がするが、やけに熱心なシュラを見ているといい具合に肩の力が抜けてきた。
ひとしきり餌のうんちくを述べてオススメの銘柄を書き付けたメモをエクセリアに押し付けたシュラは、アリヤに視線を向けて口を開く。
「行くぞ。アンヘルとカラスに会いに」
「ああ!」
「ペットホテルに寄ってからな」
「あ、ああ」
緊張感を削がれつつ、アリヤは戦いの予感に身震いを一つ。
ここは一つの節目だという体感があるが、やっぱり魔女は姿を現さず、アリヤが選んだ道のりの評価を上から目線で下してくることもない。
(関係ないさ。俺は俺の道を進むだけだ)
いくつもの利害と思惑が絡み合い、禍いに満ちた空と共に————異世界パンドラ最後の一日が幕を開ける。
四章完結です。
一週間お休みして、195話の更新は13日土曜の夜を予定しています。
お休み期間中に登場人物紹介を投稿する予定ですので、よろしくお願いします。




