★193話 激流の中で
雨空を見上げている。
街外れの小山にある展望台、あいにくの悪天候のせいで人気はほぼない。
そんな中、屋根のない場所に人影が二つ。一つはすらりと小柄な体躯の雷、並んで傘を差しだしているもう一つの影はキノコ頭の(マッシュルームカットの比喩ではなく、本当に頭部がメルヘンなキノコになった)黒スーツの男だ。
雷もまたいつものゴスロリ寄りの女装姿ではなく、喪服めいた女性用の礼服に袖を通している。
「雨だね。街中、どこもかしこも」
「……」
キノコ頭は応えない。雷が操っている傀儡に返事をする機能はなく、彼が口にしたのは返事を期待していない独り言だ。
パンドラの雨は大気中の魔力濃度の調整であり、区画別に管理されて降る人工降雨だ。区画ごとにきっちりと区切られていて、その枠組みを越えて降ることはまずない。はずなのに、今日は高所から見渡す限り遠方まではるばる雨、雨、雨。
それが何を意味しているのか? 魔力の乱れ、人心の乱れ、動乱が忍び寄ってくる気配。
ザリ、と足音を立てて、雷の背後にもう一人、男が歩み寄ってきた。彼は自分の存在を隠す気もなく、「よう」と雷に挨拶を投げる。
「やあグゥエン、久しぶりだね。君はアリヤを狙っていたんじゃなかったのかな」
スマートな印象のその男は、四狭最後の一人グゥエンだ。
少し前まで血の門に在籍していた雷にとっては幾度か言葉を交わしたこともある顔見知りだ。
挨拶に手の甲を煽って返して、グゥエンは雷の10歩ほど右側に立った。
「趣向替えだ。藤間或也のそばにはなんか知らんがラクリとブリークハイドの姉弟だの燃だの騎士連中がウロウロしてたからな、割に合わん」
「ふーん。じゃあ君、どうするんだい?」
「狙いを裏切りやがった凱親子かお前にチェンジさ。で、居場所が辿れたお前の方に来たって流れよ」
「へえ。うん。まあ賢い選択じゃない? 君、四狭でもダントツ強いものね。僕が全力でも敵わないかもしれないよ」
「思ってもないって口ぶりで腹立つぜ」
垂らした黒い前髪を揺らしつつ、グゥエンはチッと舌打ちを鳴らした。
懐から取り出したのは一振りのナックルナイフだ。
指を嵌めて握り込んで、彼は抜け目のない視線を横に流して仕掛けのタイミングを測る。
だがそこまでされても雷はまるで殺気を漏らさずに、憂鬱な面持ちで雨空高くを指し示した。
「僕を殺ろうって君の考えに異存はないよ。殺るなら殺ればいいし、僕は全力で抗うだけ。でもねえグゥエン、空を見てごらん。今日は本当にそんなことをしている場合かな?」
「なんだよ。視線誘導にしたって随分幼稚な……」
そこでグゥエンは息を呑み、言葉を止めた。
見上げた空には、彼の知る常識では測れない異様な光景が広がっていたのだ。
「な、んだ……あれは!?」
空が割れている。
雲の裂け目とか天気の分け目とかそういったレベルではなく、視覚的にはっきりと、テクスチャーが剥がれたかのようなモザイクとヒビが高空に走っているのだ。
言葉を失うグゥエンに昏い笑顔を向けて、雷は一言呟いた。
「来るんだよ。星の意思が」
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「チッ、クソが! 雁首揃えて来やがったわねクソ星の意思共……そりゃこの世界をいつまでも隠しておけやしないとは思ってたけど、もうちょっと待ってろってのボケが」
女が白衣を脱ぎ捨てて、掛けていた眼鏡を手の上で消失させながら苦味走った表情に好戦的な笑みを浮かべる。
ここは星影騎士団の拠点、世界骨の深層。
騎士団の創始者でありこの都市の仕掛け人である“始まりの魔女”は、ゆるいウェーブのかかった髪を忌々しげにガシガシと掻いて壁を殴りつけた。
パンドラの内では万能の彼女も、礎世界を侵略した星の意思たちに対しては世界を捨てて退避した逃亡者に過ぎない。
だが、魔女は長い歳月を費やして応戦の準備を整えてきた。万全には数歩届かなかったが、迎え撃てるだけの戦力はある。
その備えの一つが星影騎士団だ。
「マイロン!! 騎士全員整えさせといて。全員よ。一兵もサボらせないで」
「御意に」
序列一位、黒肌の天使は平坦な声色で恭しく礼をした。
深層には召集を受けた深層六騎が揃っている。
その中にはラクリとブリークハイド、そして燃の姿も。
魔女の目を盗んで、ラクリが燃の袖を引きつつ小声で問う。
(燃、あなたどうするの。魔女が背中を晒しているわ。今なら殺せるかも)
(ねえラクちゃん、勘違いしてるかもしれへんけど燃さんは別に自爆特攻がしたいんやないんよ? 仮に仮にここで魔女殺せたとして、マイロンやらジーヴァやらまとめて相手せなアカンくなるやん。無理無理)
(じゃあ、魔女の戦力として戦うのかしら。殺そうとしてる相手に従うのも非合理的に感じるけれど……)
(うーん、星の意思に都市が侵略されるのもヤバそうやし……)
そう返事しつつ、燃は立ち回りの算段を脳内で組み立てる。
星の意思を迎え撃つ最高戦力は魔女だ。迎撃が済む前に魔女を消すわけにはいかない。
ベストな流れは星の意思を打ち倒し、自分とラクリの消耗は抑え、魔女が適度に削れたところを見計らって背後から刺すような殺し方だ。
だがブリークハイドを死なせるわけにはいかない。そうなればきっとラクリは戦意を失ってしまう。
けれど手を抜きすぎて魔女の怒りを買うのは論外。そもそも魔女はきっと既に燃を疑っている。小細工の手を回して確信を得させていないだけだ。
自分の身を守り、姉弟の安否に気を遣い、けれど魔女の不興を買わないよう力を奮って戦い続けて、それでいて魔女を殺せる余力は残す……求められる立ち回りのハードルが高い。
そんなことを考えていると、魔女がおもむろに燃へと目を向けた。
「ねえ燃? 最近あなたの動きがよくわからないのよねぇ」
「え〜そんなことないですよぉ。誠心誠意働かせていただいてます。へへっ」
「そぉう? ま、いいのよ。働いてくれればそれで。働きに期待してるから」
「へい!」
ぺこぺこ頭を下げながら、寿司職人のような返事をする燃。
重いプレッシャーを感じつつ、彼女は自分の戦いを全うするべく決意を定めていく。
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「な、何から手を付ければいいんだ……!?」
事務所の中、アリヤはひどく混乱している。
エヴァンに続けて受けたシュラからの電話は、約束していた計画の始まりを告げるものだった。
『チャンスだ。アンヘルの野郎が動いて、そこにカラスの野郎まで帯同してやがる。俺の目的とテメーの目的、どっちもまとめて果たせるかもしれない。接触するなら今だ』
「い、今!?」
『何慌ててやがる。三日以内にって条件出してきたのはテメーだろうが。ブッ殺すぞ』
「あ、いや、そうだよな。う、ううん……少し待ってもらえる? すぐ掛け直す!」
『あ!? チッ、さっさとしろよ!』
そんな会話を終えてすぐ、同じく誰かと電話をしていたエクセリアが真剣な表情でアリヤに声を掛けてきた。
「アリヤ、ランドール家が動いたって。マクシムが武装させた大量の護衛を連れてどこかへと移動してるらしいぞ」
「えっ、ランドール? なんでだ?」
「わかんない。ユーリカから電話で聞いただけだし、向こうが忙しそうで詳しくは聞けなかった」
断片的な情報に、アリヤの動揺が深まる。
ランドールといえば燃の実家である深谷家の一件、そしてホテルでの交戦の因縁がある家だ。
当主のマクシムは同時にシエナたちへの浮気調査の依頼主でもあるが、ここに来て動いた? なぜ?
「部下を連れてどこかへ移動って、まさか今更弟の敵討ちだっていうんじゃ……」
「いや、うちの事務所の方向には向かってないって。ユーリカはそれを教えるために連絡をくれたんだと思う」
「そ、そうか。ならいい……いや良くないけど。くそっ、一体何が起きてるんだ? 何もかも一斉に……」
当惑もあらわにうめくアリヤは、画面に送られてきた通知に気付く。
燃からのメッセージ。内容は簡潔に、『昨日はごめんね』とだけ。
その短文はアリヤの胸中に不穏な色を塗りつける。昨日の今日でこんなにすぐ謝るか? あのひねくれた燃さんが。
遠景に雨空の裂け目が見える。そこから何かが降りてくるんだとすれば、迎え撃つのはきっと星影騎士団で、その中には燃もいるのだろう。
謝罪のメッセージからは、死線を踏む前のような妙な潔さを感じてならないが————頭の中に鐘は鳴らない。
ホテルアムランでの戦い以来、アリヤは意識の中に魔女の存在を感じなくなった。
アリヤはそれなりに聡明だ。あの日何かが起きて、自分に対する魔女の関心の種類が切り替わったことはそれとなく把握している。
それが何なのかはわからないが、事態のステージが一段進んでしまったことを理解している。
運命分岐点はもう存在しない。選択の時間は与えられないが、しかしアリヤは自ら直感する。ここは運命の分岐点だと。
アリヤの前に提示された道は四つだ。
【①.エヴァンと協力してイリスの暴走を食い止める】
【②.シュラと約束していた通り、アンヘルとカラスの元へ向かう】
【③.ランドール家の動向を探り、その動きに対応する】
【④.空の裂け目の下へ向かい、現れる何かに立ち向かう】
どこに向かう? どれに応じればいい?
アリヤは頭を悩ませながら決断を下す。
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