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186話 思わぬ相談

「うん?」

「む……」


 アリヤが見知った顔と鉢合わせたのは、気まぐれに足を運んだジムでペットボトルの水を口に含んでいた時のことだった。

 アリヤはトレーニングが日課というわけではない。パンドラに来て戦う機会が増えてからそれなりに鍛えるようにはしているが、この世界の戦闘は筋力よりも魔力をどう操るかの方が重要だ。

 だから筋トレやランニングといった体育会系的な運動の優先度はそれほど高く置いていなかったのだが、今日はなんとなく気が向いてジムへと訪れていた。

 月額会員制のジムだが、非会員でもお試しで一回設備を利用できるというチラシがしばらく前に投函されていたのを思い出して持ってきたのだ。

 ジムなんてほとんど来たことがなかったが、いざやってみると自分の身体能力を把握できて新鮮だ。

 そして何より、無心に体を動かしていると頭がすっきりする。


 シュラからの連絡を受け、コンブのことを聞かされた上で交渉を済ませたのは昨日のこと。

協力体制の約束を取り付けられたのはいいが、向こうから声をかけてくるまですることもないし、だからといってボーッと過ごすのも座りが悪いし……といった程度のごくごく気まぐれ。

 エクセリアは「ジムは汗臭そうでいやだ」と偏見まみれのことを言って付いてこないし、レイは今日は一人でふらりと出かけている。

 二人にも電話の件は伝えた。

 エクセリアはコンブの負傷を聞いて青ざめたが、無事だと聞いて一応安堵した様子。レイはいいんじゃないかなと交渉について同意してきた。

 そんな経緯を経ているので今日はオフだ。二人にも好きに過ごしてと伝えてあるので、まあゆっくりしてくれればいいと思う。


 それはさておき、アリヤが顔を合わせた男は、明らかにジムの常連といった様子で超高負荷に設定したチェストプレスを軋らせている。

 生真面目な表情をした彼は鏡越しにアリヤと視線を合わせて、少し不機嫌に眉をしかめてきた。


「……藤間か」

「あー、ええと、久しぶり。血の門のとき以来だっけ?」


 アリヤは相手との距離感を掴めず、タオルで汗を拭いながら愛想笑いと共に片手を上げた。

 仏頂面でそれに鼻を鳴らしたのは、騎士団幹部の一人であるブリークハイドだ。

 彼とはあまり折り合いが良くない。いや、仲が悪いとか言えるほど接触した機会そのものがないのだが、この世界に来てすぐの時にカラスの研究所で一度交戦をした覚えがある。

 それからしばらくの後、血の門との戦いでは流れでマダムホン相手に共闘した。が、別に話をした上で意気投合して一緒に戦っただとか利害の一致を踏まえて同行したというわけじゃない。

 あくまで状況に合わせて戦線を共にしただけで、仲間意識が芽生えるほどの共闘ではなかった、とアリヤは思っている。


 それはブリークハイドも同様なのか、アリヤの挨拶に愛想笑いで返してくれるような様子はない。

 ただ睨んでくるとか邪険にしてくるといったこともなく、アリヤを追い払うこともなく一定回数チェストプレスを動かしてから息を吐いた。


「フウッ……」

(一番重くしてあるのに軽々動かすなあ。竜人……だっけ? 身体能力すごいな)

「…………何を見ている」

「え? ああいや、力あるなぁと。見られてたらやり辛いよな、悪い、もう行くよ」


 正直せっかく来たからにはもう少し体を動かしていきたかったが、アリヤはブリークハイドに背を向けてジムを去ることにする。

 離れてトレーニングすればいいだけなのだが、それにしたってなんとなく気まずい。

 だがアリヤの意に反して、ブリークハイドは呼び止めるように声をかけてきた。


「待て、藤間」

「えっ?」

「話がある。私の鍛錬が終わるまで待っていろ」

「話? あー、仕事関係なら今すぐには受けられなくて」

「違う。……ごく、個人的な話だ」


 若干言いにくそうに顔をしかめたブリークハイドを見て、アリヤは疑問に首を傾げる。

 個人的な話? 個人的な話ってなんだ。そんな打ち解けた話をするようなキャラか? 何か企んでいる? 騎士団の思惑? いや、でもここで会ったのはごくごく偶然だし……といった具合にアリヤが困惑していると、ブリークハイドはさっきよりも渋めに思いっきり顔をしかめて口を開く。


「相談をしたいと言っているんだ!! 黙って待っていろ!!」

「そ、相談? いいけど」


 相談なんて言う割に態度は尊大だなと思いつつ、アリヤは首を縦に振った。


ブリークハイドは黙々とトレーニングを続ける。

ラットマシン、ベンチプレス、アブダクター、レッグカール、etcetc.これでもかと筋肉を傷めつけるようなフルコースを顔色一つ変えずにこなしていく。

トレーニングにいそしむ人々のトレーニングシューズがキュ、キュと床を踏み鳴らし、マシンが上げ下ろしされるたびにガシャン、ガシャンと金属の触れ合う音。

 奥の部屋でエアロビの講習が始まったようで、やたらテンションの高いインストラクターの声が響いてくる。

 そんな中、アリヤは所在ない気持ちでブリークハイドのトレーニングが終わるのをたっぷりと待たされた。

 どうにも食欲をそそらない自家製スムージーをブリークハイドが飲み干して「フウ」と満足げな息を吐いた時には、話があると言われてから一時間弱が経過していた。


「待たせたな。行くぞ」

「本当にな! こんなに待たされるとは思わなかったよ!」

「? お前もトレーニングしていれば良かっただろう。何故黙ってじっと待っていたんだ」

「いや、まさかこんなに待たされるとは」

「時間の有効活用というものを知らん奴だな」

「……」


 こいつ、結構マイペースな奴なんだろうか。

 釈然としない気持ちを抱えながらシャワーを浴びて着替え、アリヤはブリークハイドと街に出た。

「来い」とブリークハイドが言うのでカフェにでも入るのかと付いていくと、予想に反して彼が足を踏み入れたのはファンシーでポップなアイスクリームショップだった。

 チェーン店でもなく、女子がこぞって訪れて写真をSNSに投稿するような。

 アリヤは男二人でそこに入ることに少し躊躇を覚えてしまうが、ブリークハイドは恥じらいの欠片も見せずに店内へと足を踏み入れていった。


「ハッピーラバーストロベリー、キャラメルメルティ、ハニースウィートナッツのトリプル。バナナ、マシュマロ、クリームの三つをトッピングで追加、器はシュガーコーンで」


 そんな甘さに甘さを重ねたような注文をよどみなく述べて、ブリークハイドは悠々と会計を済ませる。

 手慣れたその様子を見るに、おそらく常連なのだろう。

 アリヤも人並みに甘いものは好きだが、それにしたって彼の注文は激甘だ。

 30秒ほどショーケースを眺めてから、アリヤは水色と薄緑のアイスを店員に指差した。


「ええと……ソルトミルクとメロンのダブルで。カップでお願いします」


 少し悩んで自分の注文を済ませ、アリヤは先にブリークハイドが移動していた窓際の席へと歩いていく。

 ブリークハイドはひたすらマイペースだ。アリヤを待つこともなく先に自分のアイスを齧り始めている。

 まあアイスは溶けてしまうから先に食べていてもらって構わないのだが、それにしても彼は万事この調子だ。

 そういえば燃さんが“ブリ坊”と小馬鹿にした調子で同僚である彼のことを言っていたなと思い出して、なんとなく納得する。

 真面目で杓子定規なタイプかと思っていたが、存外欠点の多い男なのかもしれない。

 注文した三種類のアイスをひとしきり齧って満足したのか、ブリークハイドはテーブルに置かれているコーンスタンドにアイスを置いた。

 それを見てアリヤもカップを一度テーブルに置き、彼へと話を切り出す。


「で、相談ってなんだよ。ちょっと面識がある程度の俺相手で良かったの?」


 少し逡巡するような表情を見せてから、ブリークハイドは苦慮の表情で口を開く。


「相談したいのは……姉のことだ」


 姉? なんで俺に。

 疑問は抱いたが口を挟まず、アリヤはそのまま彼の言葉の続きを待つ。


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