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185話 欲望

 ラクリ。

 27歳、背丈は167cm、細身のスレンダーな体形をしていて、肩よりは上までの金髪と白い肌、碧眼が特徴の西洋人形のような顔立ち。

 騎士団の序列三位であり、同じく序列六位のブリークハイドの実の姉。

 竜族の血を引く竜の亜人種であり、本気を露わにすれば人間態から堅固な鱗と牙を剥き出しにした外見へと姿が変わる。

 暴風と暴力を融合させて戦う弟ブリークハイドを大きく上回る戦闘能力を所持している。


――これが燃の知る、ラクリのおおざっぱな情報だ。


 インテリアに一家言持っているとか10代向けの薄っぺらい恋愛映画を未だに好んでいるだとか、ブルーキュラソーを使ったカクテルが好みだとか、同僚として働く上で知ったプライベートな情報はいくつかあるが、それは今はどうでもいい。

 今重要なのは、まともに正面から戦って勝てるか勝てないか。

その観点で考えてみると、燃の頭はほんの一瞬で一択の答えを導き出す。


(いや~勝てへんわ。無理無理、10回やったら10回負けるんちゃう?)


 自信を持って言える。燃よりもラクリは強い!

 そもそも燃は自分の戦闘能力をそれほど高く評価していない。始まりの魔女と戦うことを決めて以来、自らの力をフルに活用することにためらいはなくなったが、それでも騎士団の上位三人は怪物だ。

 天使のマイロン、吸血鬼のジーヴァ、そして竜人のラクリ。この三人には勝てる気がしない。


(特にこの女は無理。相性めぇ~っちゃ悪いし?)


 風の力を操る弟ブリークハイドと違い、ラクリの力は大地に根差している。

 竜族の生態を燃は詳しく知らないが、まあ幻想的な生物の中でも格が高いのは間違いない。

 昔に仕事で肩を並べて戦ったとき、ラクリが敵の持ち出してきた火炎放射器の炎の中へ眉一つ動かさずに踏み込む様子を目にしたことがある。

 どうやら炎に耐性があるようで、鉄をとろかすほどの破壊的な炎を火傷どころか肌を赤くすることすらなく無視してみせたのだ。

 そんな相手に炎を主な武器としている燃が太刀打ちするのはなかなか厳しいものがある。それどころかラクリは自らの力で大地から顕現させた槍の使い手であり、その練度は燃の刀術よりも上だ。

 遠距離だろうが近距離だろうが勝てる気がしない。……なら、どうして魔女を裏切るという意思をラクリに明かしたのか?


「答えなさい、燃。あなたは何を考えているの?」


 ラクリの声色は細く鋭く、まるで彼女が操る槍の穂先のよう。

 燃はすぐに応えず含み笑いを浮かべて、ライチ風味のカクテルを口に流し込んだ。

 カウンター席で男女のカップルが周りの目を気にせずにいちゃついていて、バーテンダーが心底迷惑そうな表情を浮かべている。

一度か二度軽く注意をして、カップルが態度を改めないようなら退店させるかもしれない。

燃はそんな様子に目を向けながら、ラクリと視線を合わせずに口を開く。


「ラクちゃんさぁ、隠し事しとるやろ」

「隠し事? していませんが。私の質問に応えなさい」

「いやいや、しとるって」

「……? それは誤魔化しですか。先の発言、酔っていたでは済まされませんよ」


 まぜ返すような燃の問いかけに、ラクリは心底ピンとこない表情を浮かべている。隠し事と言われても本気でピンと来ていないらしい。

 苛立った様子のラクリがカクテルを飲み終えたのを見て、燃は「もう一杯ずつ同じのを」とバーテンダーに声をかけた。

 だがラクリはそれを遮って、「私はモヒートで」とオーダーを訂正する。

 それから、燃へとさらに鋭さを増した目を向けてきた。


「私はあなたのことが好きではありません」

「教科書みたいな硬い言い回しで敵意露わにせんといて。寂しいやん」

「嫌いでもありませんが」

「え、何? ツンデレ?」

「関心がないんです。あなたの言葉には実がない。虚をぺらぺらと並べ立てるばかりで、まるで霧か霞と喋っているかのよう」

「せやろか。そんなことないって~」


 まあ、事実だ。

 燃はどうしても騎士団を一生の仕事にするイメージが持てず、これまでずっと腰掛けのような意識で働いてきた。

 新人の頃から深層六騎へと上り詰めた今までずっとそのスタンスは変わっておらず、同僚たちには自分の地を出さないように接してきた。

 別に親しく喋らないとかではなく、むしろムードメーカー的な役割に徹してきたが、あくまで上っ面だ。

 自分の心のどこかに反骨心があるのを自覚していて、いつか今みたいな状況になるのを予見していたのかもしれない。

 ラクリがそれを見通していたのなら、関心を持たれないのも無理はないなと燃は考えている。が、ラクリの言葉には続きがあった。


「ですが今日、初めてあなたの本心を聞いた気がします。魔女を裏切り、殺す。それがあなたの目的だったというわけですね」


 ラクリの手がパキパキと硬質化し、照明を照り返す輝きを帯びていく。

 大地の力を滑る彼女は、自らの体表の鱗や爪、牙を結晶化させるのが得意だ。

 硬質で爆発的な魔力を帯びた宝石で体を覆い、それを武器と化して鎧を成す。その力で何人もの敵を無傷で葬るのを燃は目の当たりにしてきた。

 地面から槍を抜き取らせれば戦いの始まりだ。殺されてしまう。そんな差し迫った状況で、燃はフッと笑って口を開く。


「だからぁ、してるやん隠し事。子供の頃からず~~~っと」

「子供の頃から……?」

「ラクちゃんさぁ、好きなんやろ~? 実の弟のこと」

「ッッ…………!!?」


 ラクリの顔色がさっと青ざめた。

 宝石化させた腕のまま、彼女は指の切っ先を燃の喉元へと向ける。


「あなた、何を」

「ブリークハイドのことを男として意識してるもんねえ? 家族愛じゃなく恋愛対象として。っていうか性欲の対象として」

「ぃ、ッ、く……は、あああ……? ありませんが? そんなことは」

「もう好きだけなら可愛いもんで、それどころかめっちゃ倒錯的やもんね。殴られたいとか首絞められたいとか目を舐めたいとか皮膚を噛みちぎりたいとかグッチャグッチャの煩悩だらけ! 燃さんドン引き! その手の性癖あんまりよくわからへんのやけど、竜人特有のやつなん?」

「――――どこでそれを」

「んー? さあ」


 燃は独自の情報網を持っている。信頼できる直属の情報屋を20人近く抱えている。

 以前は必要最低限しか活用していなかったが、魔女を裏切ることを決めて以来フルに動かして情報をかき集めてきたのだ。

 ラクリの秘密は、情報屋経由で彼女の実家のメイドから抜き取った。彼女が以前に実弟への想いを書き綴ったものを破き捨てて袋詰めにして破棄したノートを、メイドは密かに盗み見ていた。

 燃は言葉を急がず、ラクリが頼んだモヒートを勝手に一口飲んでからニンマリと笑む。


「秘密暴かれてブチギレで燃さんのことを殺すのは一つの手やと思うけど、あんまりオススメはせえへんよ。燃さんが死んだらブリークハイドにこのこと伝わるように仕込んであるから」

「やめて!!!」

「ねー。困るもんなあ? 真面目で可愛いブリークハイド君は、メンタルが潔癖すぎてインモラルなことと か大っっっ嫌いやもんねえ? 多分敬愛していた姉が自分に変態欲求向けてるドスケベ女やったなんて知ったら嫌悪感爆発させて二度と口も利いてくれなくなるんちゃう? まあ変態性癖はどうかと思うけど、潔癖すぎもおもんないよね」

「弟を侮辱しないで!!!」

「怖~。わかったわかった」


 鎮めるように手のひらで抑えるような仕草をする燃へ、ラクリは獣のような憎悪の眼光を向けつつ低く唸る。

 カウンター席では注意を受けたカップルの男とバーテンダーが険悪なムードになっている。


「っ……! っっ……! それで、私を脅そうという気ですか……。ですが魔女は全知、このことも見ているに違いありません。あなたは明日を迎えられない……!」

「それが見てへんのよね~。燃さん、色々と細工頑張ってるから」


 事実だ。でもなきゃこんな大っぴらな動きができるものか。

 目を細めて笑う燃へ、ラクリは今にも脳の血管が切れそうな顔色で声を絞り出す。


「……何が、目的ですか」

「ん。魔女殺すから協力して」

「そんなことできるわけが」

「見返りに弟とくっつけてあげる」

「…………は?」

「書き換えるんよ。頭の中を。性格とかは全然まったくいじらずに、近親相姦への忌避感とか嫌悪感だけ取っ払ってあげる。あとは自分で努力したらええんちゃう?」

「そ、そんなこと、できるわけが」

「できる。例見せよか?」


 燃がパチンと指を鳴らした瞬間、一触即発のムードだったカップルの男とバーテンダーが突然弾かれたようにキスを始めた。

 熱い抱擁を交わして、生き別れになっていた恋人同士の再開かのように周りの目を気にしないキスを。

 カップルの女の方は何が起きたのかわからないと言った様子で口を開けて、ただただあっけに取られている。

 言葉を失ってその様子を眺めるラクリに、燃はキスする男たちを指差しながらケラケラ笑って見せる。


「カップルはクソ迷惑やったし、あのバーテンも時々女の子酔わせて潰して手ぇ出してる色情狂なんよ。いや~恋愛対象増えて良かったやんって拍手したい気分。拍手しちゃお」


 パチパチと間の抜けた拍手を鳴らす燃へ、ラクリが爛々とした目を向ける。


「これは、どうやって?」

「企業秘密」

「……これを、弟に?」

「魔女殺せたらね〜」


 同盟成立。

 ラクリが沈黙の底で弟への情欲を募らせる様子を横目に見ながら、燃は脳内で彼女を戦力に加えた。


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