184話 交渉、そして交渉
協力にあたって、シュラが提示した条件は三つ。
一つ、アンヘルとの接触タイミングはシュラが判断する。
一つ、シュラはアンヘルと顔を合わせず、アリヤが会うのを手引きするだけ。
一つ、アリヤは何があってもシュラの名前を出さない。
三つの条件はいずれも妥当だとアリヤは考える。
シュラの目標はサイレンの打倒とカラスからのアブラの奪還で、それを成すためには戦力差がある以上、不意を突くのが大前提になる。
今も七面會の一員であるアンヘルとシュラがここで事を構えてしまえばサイレンとカラスは守りを固めるだろう。
もちろん今でも警戒はしているだろうが、実際に事が起きる前と後では警戒のレベルも変わってくる。シュラがあからさまにアンヘルと対立するのはなしだ。
(十分すぎる。もともとシュラから連絡が来たのも協力を取り付けられたのもイレギュラーだ。戦いを手伝ってくれなんて言わないさ)
むしろ、共闘の方がやりにくいかもしれない。
シュラが連絡を取ってきたタイミングは若干都合が良すぎる気もしていて、シュラの言動に偽りがなさそうだとしても100%信頼するのは怖い。
アリヤを釣り出すためにシュラを追放して動かした……それくらいの訝しみは持ってかかるべきだろう。
(ただまあ、連絡を取ってきたのはコンブがきっかけだ。いくらカラスやらサイレンやらが陰謀家だろうが猫の行動までコントロールはできないんじゃないか……と、思いたい。偶然が生んでくれたチャンスなら活かさない手はないや。で、と)
アリヤは頭の中を素早く整理してから、まだ通話で繋がっているシュラへと声をかける。
「その条件三つは受け入れるよ」
『当然だ』
「ただ、こっちからも条件は出させてもらう」
『……いいぜ、言えよ』
「まずコンブを返してもらうタイミングだけど……」
『担保だ。すぐには返さねえ』
「わかってるよ。ただ、そっちの件に俺が手を貸すとして、カラスだかサイレンと戦うとしてだ。戦いを挑みに行く前には返してほしい。うちのエクセリアが心配するから」
『……返した途端知らん顔ってつもりじゃないだろうな』
「トンズラってどこにだよ、この街から出られやしないのに。もう事務所も構えてるんだ、逃げようもないよ」
『フン。様子を見て考えてやるよ』
シュラは快諾をしない。まあ、それはそうだろう。向こうにすんなりこっちの言い分を信じる要素はない。
ただ、実のところアリヤはシュラへの助力に乗り気だ。星の意思だというサイレンとは一度接触しておきたいし、それ以上にカラスと顔を突き合わせて喋る機会が欲しい。
ホテルアムランの一件以来、なんだか胸の内にもやつく違和感があるのだ。
何かを見落としている。何かを忘れてしまったような不快感、嫌悪感がある。
アリヤは頭脳明晰というわけではない。賢いと愚かで世の中を二分すれば、まあ一応前者に入るかなという程度。さらに勘がいいわけでもない。が、一度家族を失った青年の勘は身内の心の機微にだけは目ざとく働く。
(この違和感の原因はわかってる。燃さんだ)
善意好意と悪意、それから面白半分のからかいをないまぜにして、頼まなくても絡んでくるのが深谷燃という人だった。
だがどうしたことか、あのホテルの一件以来、燃さんのアリヤへの接し方が変わった気がしている。
連絡は取っている。文章でも電話でもやりとりは数度交わした。一見以前と変わらないスタンスの軽口を飛ばしてきているのだが、しかしそこに微かな遠慮を感じるのだ。
いや、遠慮? 違うかもしれない。憂慮? 心配? 気遣い、危惧、憐憫、保護……そんな不明瞭な感情がマーブルに入り交ざったフィルターが一枚挟まっているような、そんな奇妙な感覚を覚えている。
敵視してきているだとか、裏切りの意思があるとかならまだわかる。だがどちらかといえば気遣って守ろうとしているかのような雰囲気がある。何故? わからない。
あのホテルで燃に起きた出来事といえば、精神のバランスを失調したアリヤを慰めてくれたこととエレベーターで雷と交戦したらしい、ということ。
慰めてもらったことについてはとんだ恥を晒したものだとアリヤは赤面する。まあ恥ずかしさはさておき、あの一件で燃さんの中に親心のようなものでも芽生えたのだろうか?
(いや、しっくり来ない)
そういう類の感情とはまた違う気がする。
じゃあ、雷との交戦が影響しているのだろうか。しかしこれについても雷に尋ねてみたが、「大した話はしてないよ。ちょっとしたナワバリ争いみたいなものかなぁ」と軽い答えが返ってきた。
雷がそう言っているだけなら彼がごまかしているという捉え方もあるが、燃さんもあれ以来、雷についてノータッチだ。戦いに来るどころか探りを入れている様子すらない。
(あんなボロボロになるほどの殺し合いをして決着が付かなかった相手を放置する理由はなんだろう。素直に考えるんなら、雷に構っていられないくらいの大きな出来事が起きたとしか思えない。けどいつ? ホテルの件の直後、しばらく別れてからとかじゃなく、あの戦いが終わった直後から燃さんの様子はおかしかった。じゃあ一体どこで。何が起きた? 同じロビーにいたのに、燃さんだけが何かを知ったのか? そんなことがあるか?)
アリヤの調査が捗らない理由はこのことも大きい。
燃が自分に向ける目を見ていると、どうにも自分のことがよく分からなくなる。
パンドラでの戦いの日々で得た血筋がどう、亜人種がどうのという情報が、どこかそれが空々しく思えてしまう感覚がここ数日心の底にこびりついているのだ。
そんな思索の果てに、アリヤの目標の一つにカラスとの再会が加わっている。
元を辿ればこの世界に来て、エクセリアと会ったのが全ての始まりだ。そしてその場所はカラスの研究所だった。
アリヤは自分の中に芽生えている違和感を掴むために、エクセリアが何者なのかを知ろうと考える。
エクセリアは姉にそっくりだ。今は別人だと思っている。同一視はしていなくて、藤間夜とは別に存在している大切な仲間であり家族だ。
ただ、それは感情面の話。エクセリアと藤間夜の外見は事実として瓜二つだ。
これは何を意味している? なぜ自分は都合よく姉に似た少女の傍へと転移した?
エクセリアの正体を知ることが、釈然としない要素を正しく整理することに繋がるという根拠のない確信がアリヤの胸のうちに宿っている。
それにはエクセリアを捕らえて何かしらの研究を行っていたカラスを問い詰めるのが一番なんじゃないか、というのがアリヤの考え。早く知らなくてはならないんじゃないかという気がしている。
それを踏まえて、アリヤはシュラへもう一つ条件を提示した。
「もう一つなんだけど、アンヘルに会いに行く機会はできるだけ早く……そうだな、三日以内にセッティングできないか?」
『は? タイミングってもんがあるのがわからねえのかテメー』
「けど、そっちだってアブラを取り返したいなら急いだ方がいいだろ。延び延びになるほど取り返しのつかないことになってるかもしれないわけで。こっちの件さえ終われば、あとはそっちのスケジュールに従う。行けそうだったらアンヘルとの要件が終わって即日カラスだかサイレンの方に行ってもいい」
『チッ……その言葉忘れんじゃねえぞ』
交渉はまとまった。あとは詳細を詰めていくだけだ。
アリヤとシュラは、長電話越しにさらなる会話を続けていく。
……一方その頃、場末のバー。
薄暗い店内で、二人の女が顔を突き合わせている。
一人は深層六騎、深谷燃。
もう一人もまた深層六騎が一騎、ブリークハイドの姉、竜人であり序列三位のラクリ。
同僚ではあるが、二人の間に流れているムードはそこはかとなく険悪だ。
愛嬌のある顔立ちに薄笑みを貼り付けた燃へ、怜悧な北欧美女といった印象のラクリが冷たい声を投げた。
「貴女のような女狐が私を呼び出すとは、よほどロクでもない要件なのでしょうね。私を暗殺しようとしています?」
へらへらと燃。
水色のカクテルを口に含んで目を細めるが、目の奥に笑みは一切ない。
「殺せへんって。ラクちゃんの方が強いやん? うん、まあ用事はちょっとした交渉なんやけどね。とりあえず飲んで飲んで。燃さんの奢り!」
「私は酔いませんし、毒や薬も効きませんが」
「もーラクちゃん冗談きついわ〜、入れてへんって〜。で話なんやけどね、燃さん始まりの魔女を裏切ろうと思てるんよ〜」
「……それは、今ここで矛を交えるという意味に取っても?」
ラクリは魔女の腹心だ。燃よりも古参で魔女の信頼が篤く、ラクリもまた魔女に忠義を誓っている。
そんな相手に裏切りを告げることに何の意味があるのだろう。
だが燃は、不敵に深く口元を笑ませる。




