181話 手に余る状況
エヴァンとシエナら学園はランドール家の深部へと迫り、燃は始まりの魔女の殺害へ向けて暗躍し、コンブは黒貌王の正体を掴みながら戦線を離脱し、七面會は瓦解の気配を見せ……激動の足音がパンドラの街へ、一歩一歩近づいてきている。
そんな中、燻っている一団の姿がある。
藤間或也とエクセリア、そして雷春燕の三人組だ。
三人がいるのは事務所の居間。
ブラインドを閉め切って暗くして、電気屋で買ったプロジェクターを壁に取り付けて映像を流している。
調査の参考になる映像? いや違う。近所のレンタルビデオ屋で借りてきた、ごくごく普通の準新作映画だ。
応接用の椅子をずらして三つ席を並べて、三人仲良く映画鑑賞としゃれこんでいる。
二時間弱の内容が終わって、環境音楽のようなBGMと共にエンドロールが流れている。
チーズ味とキャラメル味を合い盛りにしたポップコーンに手を伸ばしながら、雷がうっすらと満足げに笑みを浮かべた。
「フフフ、面白い映画だったね。淡々としていたけど不穏でボク好みだったよ」
「えー、地味でよくわからなかったぞ。私はもっとこうドカーンとかギャーとか派手なのがいい!」
対照的にエクセリアは不満顔だ。ポップコーンの横に添えて突き刺してあるポッキー似のチョコ菓子を四本まとめて噛み砕きながら、納得がいかない様子で眉をしかめている。
コップに並々と注いだ牛乳をごくごくと飲んでから、彼女は左に座っているアリヤへと目を向けた。
「お前はどうだったんだ。もっとかっこいい映画がいいと思うだろ!」
「え? ああ、いや、俺も雷派だよ。面白かった。雰囲気良かったしさ」
「はあ~? なんなのだお前たち。揃いも揃って趣味の悪い!」
ご立腹。まあ、確かに静かな映画ではあった。
ワンマンなIT企業の社長が辺境の地で行っているAI開発に一人の社員が巻き込まれるという設定の、ごく限られた登場人物だけで進んでいくスリラー映画だ。
例によって礎世界から勝手に輸入されたもので、なにやら大きめの賞を取った作品らしい。
アリヤは別に作品への審美眼に自信がある方とかではないので、賞を取ったと聞かされれば(面白い映画なのかもな)と安直にプラス方向の色眼鏡をかけてしまう。
ただまあ、雰囲気は間違いなく良かった。
「最後の包丁のシーンなんて淡々としすぎてまるで迫力がなかった。変な映画だ!」
「ハハッ、それがいいんじゃないか。っていうか迫力なかったかい? あそこの音楽、良かったじゃないか。ボクは恐ろしさを感じたけどね」
「勢いがない! 私はもっとこう、グサーッ! ギャーッ! みたいなやつが見たいんだ!」
熱弁を振るうエクセリアに、雷は軽く肩をすくめる。
「うーん、君、ギャーが好きだね。ゾンビ映画でも見るかい?」
「ホラーは嫌だ」
「じゃあ……サメ映画だ」
「クソ映画も嫌だ!」
「どうしろって言うのさ?」
雷が困り始めたのを見て、アリヤは少し温くなったジンジャーエールの缶を飲み干しながらBDをマッドマックス怒りのデスロードと入れ替えた。
上映が始まって数分、アホみたいな連中がアホみたいな車が爆走させるのを見ながら、エクセリアは「こういうの!」と快哉を上げた。
対照的に雷は(こういうのじゃないんだ)とでも言いたげな表情。
「これはこれで面白いよ」と彼に告げて、アリヤは椅子を立って冷蔵庫へと向かう。前に見たことがあるから全編集中して見なくても問題ないのだ。
冷蔵庫があるのは奥の部屋だ。なくなった飲み物を補充するために向かったところで、ふと閉め切ったブラインドの隙間から外の光景を垣間見る。
(……はあ。もう夜か)
アリヤは深いため息を吐く。
時間が飛ぶように流れていく実感、そして焦りが去来する。
ホテルアムランでの戦いから既に数日が過ぎた。
あの戦いの後半で何が起きたのかをアリヤやエクセリアは知らない。
彼らにとってのあの出来事の認識は、ルシアン・ランドールとその部下であるラファエル・ゲーデの襲撃に四侠サギシの襲撃などが重なって、最終的にゲーデの暴走によって招かれてしまった惨劇だ。
燃と雷の間にいざこざが起きたのは把握しているが、それも当人同士で一旦折り合いを付けたと聞いている。
お互い大人でそれぞれの立場があるわけで、ここに関してはアリヤが口出しをするべきことでもないという認識。
そう、アリヤは始まりの魔女によって明かされた自分の正体を知らないままだ。
魔女の手で巻き戻された時間はそのまま。アリヤにとってそれは起きなかった出来事になっている。
ではあの惨劇で得たものは何もなかったのか?
いや、あった。あのホテルでアリヤたちを襲撃しようとして大きな役割を果たせなかった第三勢力、ココルカ第十二号団地からの刺客の一人を確保することができたのだ。
既にその資格からの情報収集は済ませた。
確保した三十路絡みの男はきちんとした修練を積んだ暗殺者ではなく素人に毛が生えた程度の存在だったため、拷問やら尋問の知識がないアリヤでも適当に血の魔法を使ってみせて恐ろしげに脅すだけで情報を吐いたのだ。
そして、情報を得たからこそアリヤは動けなくなっている。
(思想団体……まあ、そんな類かなとは思ってたけどさ)
あの団地に蔓延っている団体の名前は「森羅の光」。
人を植物に喩え、緑を貴いものとして崇め、自殺教唆まがいの教義を掲げた過激派の思想団体だ。
それだけなら珍しい話じゃない。過激派の組織が殺人や誘拐をやっていて、それを調査に来たアリヤを狙ってきたというだけの話なら蹴散らしてしまえばいい。
だが、事はもう少し複雑だ。
森羅の光を立ち上げ、広めているのは七面會のアンヘル。団地の調査をしている途中に出会った癖毛で垂れ目の胡散臭い男。
七面會が関わっているという点がまず面倒臭い。アンヘルだけが独自にやっていることなのか、七面會のうち数人、あるいは全員が関わっている企みなのかの切り分けをまずしなくてはならない。
そして、刺客の男が出したもう一つのワードがアリヤの調査の足を止めてしまった。
「森羅の光の教義は完全だ! 髪は葉、腕が枝、体が幹で命は実! 樹こそが生命の完成形なり! 我ら人の子はそうなれずに罪の償いを求められる迷い子よ! 死して償いを果たして生命を樹へと昇華させるのだ!」
愚にも付かない戯言。
そう思いながらも一応と耳を傾けていたアリヤへ、狂信者の男は満面のドヤ顔で誇らしげに言い放つ。
「我々の活動は社会に認められている。あのクラウン・メディアネットが我らの支援をしているのだからな! 樹敵よ、恐れるがいい! 死してその罪を濯げ!」
「なんだって?」
クラウン・メディアネット。企業連の一角が携わっていることが確定したが、事はそれだけじゃない。
パンドラの報道を牛耳るクラウン・メディアネットは、学園のリーダーにして友人、シエナ・クラウンの父が経営している企業なのだ。
シエナの目的は父殺し。その思いにはこのことが関わっているんだろうか?
そして何よりアリヤの調査の足を鈍らせているのが、この世界に宗教という概念が根付いていないということ。
パンドラには騎士団の本拠である世界骨への礼拝と信仰の文化こそあるが、それを宗教として認識している人間は基本的にいない。
この世界生まれの人々は「宗教」という概念に対して無知であり、耐性がないのだ。
「森羅の光」はあくまで思想団体、あるいは新手の暴力組織程度に捉えられていて、直に接した人々以外はその存在を知っていても「よくある変な組織ね」としか思わない。
だからこそ森羅の光は免疫のない人々へと静かな広まりを見せて、まるで病巣のように都市の深部に根付いてしまっている。
そんな現況に、気付いてしまった。
(考えなきゃならない要素が多すぎて、正直今の俺の手には余るよ……ただの団地の婆さんからの失踪人探しの依頼だったはずなのに)
アリヤは冷蔵庫の光に顔を照らされながら、頭痛を押さえるように頭に手を当ててうめく。
どこから手を付けたものかわからなくなっている。処理能力の限界を超えている。
そんな自分に嫌気がさして、余計に身動きが取れなくなるという悪循環……その末に、ダラダラと三人で映画を見ているのだ。調査を一旦止めたままで。
(ダメに決まってるよなぁ〜!! いや、わかってるんだよ俺だってさ。あの依頼者の婆さん、マルシアさんだって結局妄想じゃなくて正しいことを言ってたわけだ。ちょっとおかしくなってる部分はまああるにせよ。 だったら報いるべきだし、息子さんのことも探してあげたい。だけどどこから手を付ければいい? 団地で暴れる? いや、あそこはただの末端だ。じゃあクラウン・メディアネットの放送局にでも乗り込んで暴れるか? いや馬鹿かよ。表向きには普通に放送局なんだから真面目に働いてる人だけの人たちだって大勢いるんだ。巻き込むのはありえない。ホテルの件もあったばかりだし。じゃあどうする。シエナにクラウン家の件を尋ねる? ……機を見て尋ねる必要はあるけど、今じゃない。向こうのランドール家との仕事はもう相当スケジュールが押してるらしい。そこに余計な厄介ごとを持ち込むのは良くない。……じゃあどうすればいい?)
迷い、逡巡、戸惑い、懊悩。
方針が定まらないまま、脳内に思考がぐるぐると堂々巡りを繰り返す。
どうすればいい?
心底からの悩みに頭を抱えていると……不意の着信にスマホが震える。
その画面を見て、アリヤは小さく「えっ」と声を漏らした。




