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178話 不退転の決意

 よくもまあ屋上にこんな設備を作ったものだと呆れるほどに、ミヤビのナイトプールは華やかだ。

 桃紫色のライトが水辺を照らして、設置されたカクテルライトが空間の彩りに飽きさせない変化を付ける。

 いかにもSNS映えしそうなアートオブジェが壁面にあしらわれていて、はしゃいだテンションのEDMがズン、ズンと重めにムーディーな雰囲気を演出している。

 そんな中で燃は軽く首を左右に揺らして、敵意を露わに取り囲もうとしてきたミヤビとその女たちに視線を滑らせて口を開いた。


「ねえ、やめとかへん? 燃さん今夜はお話に来ただけやから。なんでもかんでもバトルで解決〜なんて少年漫画の世界やん? どっちかというと青年誌の漫画が好きなんよ燃さんは。まあジャンプとかも全然読むんやけどぉ、少年誌の中にも少年向けと青年向けってわりとあるやん? 燃さんは後者が好き。って……漫画読まへんのやった。はーおもんな。せっかくの楽しい夜やろ? 邪魔者はもう帰るから、魔女とか陰謀とかに関わらず好きにしたらええやん。言っとくけどこれガチの忠告やから」


 燃は手のひらを泳がせながらぺらぺらと喋る。

 ミヤビは声こそ出さないが、あごに手を当てて、ふーむ、とでも言いたげにそれを聞いている。

 だが、ミヤビの女たちはそんな言葉に耳を傾ける様子がまるでない。

 燃の周囲を囲んだのは8人。他にもプールにはまだまだ女がいるが、少なくともこの8人は臨戦態勢の顔付きだ。

 彼女らは各々、その手にタンク付きの水鉄砲を構えている。


「水遊びしよ〜! って、雰囲気やないねえ」

「うん、残念ながら楽しく遊ぼうと言えるフェーズは過ぎてしまったよ。この子らの水鉄砲に入れてあるのは皮膚に数滴付着するだけで大の大人が昏倒するしびれ薬。ドミニオン・バイオファーマ謹製さ」


 ドミニオンは七面會(マスケラド)のカラスが統べる企業だ。

 前に殺鼠剤を改良したものでアリヤを苦しめていたのを見ても、その技術力は極めて高い。

 水鉄砲の中身だしびれ薬という話もおそらく本当だろうと燃は考える。

 ミヤビは形の良い眉を斜めに傾けて、苦笑気味に言う。


「なるほど、燃。君の言っていることは間違いじゃないさ。僕が優先するのはぬるま湯の平穏と曖昧な怠惰。七面會(マスケラド)の仲間たちに見放されない程度に彼らに貢献しつつ、魔女に目を付けられない程度にリスクを避けて暮らしていきたい。もちろん危険もごめんだ。今ここで君と争うのもリスクだと言えるね」

「せやね〜、今が最後の分水嶺。水鉄砲の引き金を引かせたら、優しい燃さんもそろそろ容赦できなくなりそうやわ」

「だが、ねえ……」


 両手を広げて手のひらを上に向け、ミヤビはやれやれと言った具合にポーズを取る。


「僕も無関心でこそあれ無知じゃあない。この街の現状は理解しているつもりさ。藤間(とうま)或也ありやの登場をきっかけに雪崩が起きて、薄氷の上で保たれてた均衡はもうバッキバキに壊れてドロ沼にドボンだ。たとえ僕が非戦派を気取ろうが、七面會(マスケラド)や企業連は対魔女路線だったりそれぞれの思惑を通すための戦いに身を投じていくだろう。となれば、同じ七面會(マスケラド)としてブイブイ言わせていた僕にも連帯責任的に色々な勢力からの矛先が向く」

「せやろね」

「だとしたら、身を守らなくちゃならない。君が僕を引き入れようとしたように、戦力が必要なのは僕の方もなんだよ」


 だからやっぱり組もう、と言ってくる雰囲気ではない。

 燃は肩をすくめて退路を探すが、完全にアウェイだ。逃げ道はない。


「じゃ、どうするん?」

「君を手駒にして、守ってもらうことにするよ」


 スッとミヤビが手を掲げると、取り巻きの女たちが一斉に燃へと水鉄砲を放った。

 少量で動けなくなる薬品を大量に浴びる燃を見ながら、ミヤビは猛るでも笑うでもなく不本意げな表情で顔をしかめる。


「本来の僕は平和主義で博愛主義さ。こんな手段は使いたくなかったんだけどね、ただ深層六騎(ディープシックス)と正面切ってやりあうなんてのはキャラじゃないんだよ。僕の魔法は女性に対する完全洗脳。条件は肉体関係を結ぶことで、僕が手中に収めた女の子はこの街中至る所にいる。女の子と会話をして心を開かせて、自然な流れで身を委ねてもらうのが一番なんだけど……君はそうもいかなさそうだ。だが逃すのも惜しい。不本意ながら、薬に頼らせてもらうよ」


 プールに侍った女たちは全員ミヤビの手駒で、彼はその一人に燃を加えようとしている。

 リズムが使う洗脳魔法は握手をトリガー。それに比べれば肉体関係を持つという条件は重いが、その分ミヤビの操る洗脳は濃く深い。

 囚われてしまえば自我は失せて、日々の修練を厭わず戦いを恐れず、死をかえりみない盾にすらなる、極めて絶対的な洗脳なのだ。

 その話を聞きながらも薬を浴びてしまった燃は、成す術なくその場に倒れ……ない。

 倒れない。ビクともしない。

 せせら笑うような表情で、彼女はミヤビへと首を傾けてみせる。


「で?」

「あれ……なんだ? どうして倒れない?」

「効かへんみたいやねえ。残念ながら」

「そんな馬鹿な」


 余裕の面持ちの燃を見て、ミヤビは険しく顔をしかめた。

 ミヤビの見積もりが甘かったわけではない。彼はこれまでこのしびれ薬を用いて数々の敵を無力化してきた。

 以前、同じ七面會(マスケラド)のシュラは他人が開発した薬に頼っているとミヤビを非難したことがある。

 だがその意見は的外れだ。ミヤビは極めてからめ手の運用に長けていて、本人がそれを好むかはともかくしびれ薬を最も上手く戦術に組み込んでいるのは彼だ。

 そんな彼をして、これだけ大量の薬を浴びた燃が平然としている理由がわからない。人間だかは、亜人種だからの次元でもない。

 燃が指を立てて、ロウソクのようにその先端に小さな火が灯り————直後、ミヤビが頼みにしている女たちがバタバタと床に倒れた。何が起きた? 動揺するミヤビの視界に、歩み寄る燃の姿がブレて見える。

 何だ? 髪が赤く燃え上がって、炎が幾本もの尾を描いて。蜃気楼のように熱で揺らいで……


「燃さんね、決めたんよ。今後は自分の力に制限を掛けへんって。これまでは苦戦しても死にかけても、意識的にリミッターを掛け続けてきた。趣味に合わへんのよ、自分の本質的な力が。でもあのクソ魔女とやりあうなら選り好みする余裕はない。ってことで——」


 燃が聞き取れないほど口早に、人の域を超えた速度で詠唱を紡いだ。

 彼女の全身を飾り立てた炎が権勢を増して、一つ、その文言の締めに炮烙という不吉な言葉が混ざっていたのだけをミヤビは聞き取る。

 

「ぎゃあああああああああああーッッッ!!!!!!!」


 何か重いものが落ちたように空間が揺らめいて、ミヤビは白目を剥いて絶叫してその場に倒れ込んだ。一瞬だ。

 屋上に変わりはない。床が剥げたり照明が壊れることはなく、プールはただ静かに水面をきらめかせている。

 だがミヤビとミヤビの女たちだけが声もなく昏倒していて、燃は酷薄な目でそれを見下ろした。


「悪いけど、手駒にするのはこっちやったね」

 

 その声は酷く冷たくて、アリヤたちに向けるものとはまるで違う。

 異様な魔力にミヤビの心は砕かれた。燃はそこに呪詛で思考のプログラムを上書きするだろう。

 もう戻れない。引き返す気もない。


「甘さは捨てる。獲れる戦力は全部獲りにいく。まずは七面會(マスケラド)の連中からや」


 始まりの魔女の殺害に向けて、彼女は着実な準備を進めていく。

 

12/31〜1/3の年末年始は更新をお休みします。

次回は1/4の予定です。良いお年を!

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