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17話 月に向かって打て

 俺に野球経験と呼べるものはほとんどないが、素振りだけなら回数をこなしてきた。

 姉さんの仇に復讐するため、毎日の日課として飽きもせずブンブンと振り込んできたのだ。

 その感想として言えるのは、バットは結構重いということ。

 プロが軽々とスイングするから自分もそうできそうに思ってしまうが、ただの棒より重心がかたよっている分だけ“振り回される感”がある。

 振り回されて体幹がブレれば力は伝わらない。一朝一夕に正しく扱えるものじゃない。……そう思っていたのだが、打席に立った俺は戸惑いを覚えてしまう。


(あれ、バットってこんなに軽かったか?)

 

 打席は右。腰を落としてバットを立てて、構えてみてもほとんど重さを感じない。

 違和感をぬぐえないまま、マウンドのエヴァンがモーションに入った。


「ポッと出のモブ野郎が、俺の前で一丁前に構えてんじゃねえ!!」

「……!」


 ストライク!

 豪速球がうなりを上げて通過して、主審が高らかにコールをする。

 バットを振れなかった俺は、スコアボードに表示された球速を見る。174キロ。本当に?


(球筋がはっきり見えたぞ。それどころかボールの縫い目まで。そんなにスピード出てるか?)

 

 俺が首を傾げていると、キャッチャーがボールを投げ返しながら大きな声を出した。


「お兄様ー! こいつ全然球見えてませんわよ!」

「あれっ、キャッチャーは女の子だったのか」

「女だと何か悪いんですの? わたくしのお兄様はその気になればプロでもエースになれる逸材。あなた如きに打てやしませんわ!」


 お嬢様口調、にしてはなんだか荒っぽい喋り方をする子だ。

 エヴァンのことを兄様と呼んでいるから、たぶん彼の妹なんだろう。

 スコアボードの選手名に目を向けると、敵チームの9番捕手にイリス・オーウェンと名前が記してあった。4番投手にはエヴァン・オーウェン。間違いなく兄妹だ。


 返球を受けた兄エヴァンは、「さっさと決めちまおうぜ!」と声を上げてサイン交換に入った。

 俺も気を取り直して、今度は振ってみようと考える。

 確かこいつの持ち球はは左右の変化、スライダーとシュートだけ。縦方向に大きく変化する球はなかったはず。

 そして見下し癖があるのか、舐めてる相手にはコントロールが露骨にアバウトだ。決め球はストレートかスライダー。カウントは1ストライク。それなら。


(カウント稼ぎのシュートにヤマを張る……荒っぽい野球しやがって。ちょっと落ち着いたら腹立ってきたぞ》

「死ねオラァ!!」

(見える。……外にズレる軌道、けど少し甘い。何が死ねだこの野郎、お前がくたばれ。スイングの遠心力を意識して、弧の頂点で逆らわずに強く叩く。月に向かって打てってやつだ! 昼だけど!)


 カッ——キィン!!!


「あ、行った!」

「おお?」

「ンだと!!」

「なぁんですの!?」


 シエナ、エクセリア、兄のエヴァンと妹のイリス。

 集中が高まっていた俺の耳は四者四様の反応をつぶさに聞き分ける。

 広角打法で強く弾いた俺の打球は青緑の空にふわりと舞い上って、そのままスタンドに吸い込まれていった。逆転のツーランホームランだ。

 驚きのどよめきとチームメイトの歓声に包まれながら、俺は照れまくりながら小走りにベースを回る。

 絶対に踏み忘れのないよう一つ一つの塁をしっかりと踏んで、ホームに戻ってきた俺をシエナとエクセリアが待ち構えていた。


「やったね! すっごいよアリヤ! 見たことないぐらい最高の打球だった!」

「おいシエナ、よくわからんけどボールを遠くに飛ばすと偉いのか?」

「それで合ってるよ、エクセリア姫。向こうの壁を越せたら一番偉いんだ」

「そうかそうか! どうだ、物怖じせずに行くのが正解だったろうアリヤ!」


 二人揃って満面の笑顔で両手を掲げていたので、俺も両手を上げて合わせる。ハイタッチ!


(なんだこれ、最高に気持ちいいな)


 復讐だけを目的に友達もロクに作らず鬱々(うつうつ)と過ごしてきた俺は、団体競技の楽しさを知らなかった。

 それが突然この華々しい活躍だ。うーん、思いがけずテンションが上がってしまう。

 そんな俺の背中めがけて、キャッチャーのイリスが叫ぶ。


「テメェ何考えてやがりますの!?」

「えっ? 別に何も」

「この野郎〜! 兄様の渾身(こんしん)のシュートを卑怯にも狙い打ちやがって……! ドブに沈めちまいますわよ!?」

「ええ……そう言われてもな」

「ちっくしょう……! 悔しいですわ! 悔しいですわ! わたくしの配球のせいで……!」


 ガラが悪い。上品っぽい口調と激情が合体事故を起こして、なんとも得体の知れない憤怒の塊が生まれてしまっている。

 ヤンキーの妹はやっぱりヤンキーなのか。地団駄を踏んで悔しがるイリスに俺が納得感を抱いていると、マウンド上でエヴァンが吠えた。


「イリスッッ!!!」

「……っ!」


 怒るのか? 打たれたのを妹のせいにするのか?

 いや、エヴァンは牙のように尖った歯並びで、妹にニッと笑いかける。


「まだ試合は終わってねえ。だろ?」

「にっ、兄様ぁ〜!!」


 マスクを捨ててマウンドに駆け寄り、兄妹はがっしりと熱く抱擁を交わした。

 なんだこの兄妹。まあ、楽しそうでいいんじゃないかな。


 


 それから残る数回をこなして、試合は円滑に終わりを迎えた。

 リリーフで登板したシエナが快投を見せて、無失点のまま俺たちの勝利。

 外野に入った俺もなんとか最後まで出ることができた。フライの目測を誤って頭上を越されたのはとんでもなく恥ずかしかったが。


(最後まで出てみてわかった。この世界の人たちは身体能力が高い。けど、俺の上げ幅はもっと大きい。筋力、瞬発力、反射神経、動体視力、その辺が全部デタラメに向上してるんだ)


 初日のブリークハイド、昨日のシュラ、今日のグールの群れと戦いをこなした時に自分がやたら強くなっているのは感じていたが、元の世界で戦ったことなんてほとんどなかったから比較が難しかった。

 だが野球という速度が計測されるスポーツをやったことで、自分の能力が上がっていることを確実に体感できた。

 俺の体は魔素(マナ)への適応力が高いとか、そういう感じだろうか?


 まあそれは一旦置いておくとして、試合中はバチバチに闘志を向けてきていた敵の不良チームも、終わってユニフォームを脱いでしまえば意外に表情は爽やかだ。

 こっちと馴れ合う様子こそないが、顔見知り同士で軽く言葉を交わしたりはしている。

 キャッチャーを務めていたイリスが腰に手を当てて、グビグビとコーラを飲んでいるのが見えた。いい飲みっぷりだ。


「カーッ! 試合の後のコーラは最高にうめぇですわね! お兄様も飲まれるなら一本取りますわよ。って、お兄様?」


 そんな中で一人、エヴァンだけが憮然(ぶぜん)とした表情でこちらに歩いてくる。

 シエナの前で立ち止まった彼は、けわしい眼光で見下ろしながら口を開く。


「勝って満足かよ。おい」

「そりゃ勝ったら嬉しいよ。まだまだ練習が足りないんじゃない、エヴァン」

「テメェはどうなんだよ。試合に出るのも半月ぶりじゃねえか」

「じゃ、練習不足はお互い様かな。君だって私が出る日しか試合に出ないじゃん」

「そんな話をしに来たんじゃねえ」


 エヴァンが大きく舌打ちを鳴らす。


「これが終わったら次は何だ? 外の様子を見に行くんだろうが」

「そうだね。私がちゃんと確認しとかないと」

「クソが。一人で学園支えてる気になってんじゃねえぞ」


 野生の獣のように牙を剥いたエヴァンは、激しい怒りを感じさせる目でシエナに指先を突きつけた。


「俺がテメェに勝ったら、テメェは丸一日何もせず休む。約束を忘れんじゃねえぞ」

「もちろん。前みたいに喧嘩でもいいし、勉強以外なら何の勝負でも受け付けるよ。……って、エヴァンは私より勉強苦手だっけね」

「混ぜっ返してんじゃねえ。行くぞ、イリス」

「了解ですわー!」


 肩を怒らせてグラウンドから去っていくエヴァンとその後に続くイリス。

 彼が妹から手渡された上着を遠目に見ると、それはシエナやリズムたちがそろいで羽織(はお)っているのと同じ“CL”のロゴが入ったものだった。

 どういう関係性だろう? 俺が不思議に思っていると、ベンチを立ったシエナがこっちに歩み寄ってきた。


「彼、悪い奴じゃないんだよね。やり方が荒っぽいだけで」

「聞こうと思ってたんだけど、あのCLの上着はどういう意味があるんだ? 一部の生徒だけが着てるみたいだけど」

「えっと、そうだな……」


 少し考えてから、シエナは顔を上げて提案してくる。


「さっきエヴァンと話してたのを聞いたと思うけど、今から外の様子を見に行くんだ。一緒に来ない?」

「ああ、行くよ。外のことは気になってたんだ」

「なあ、ゾンビは出ないか……?」


 恐る恐る聞いたエクセリアに、シエナは笑って答える。


「あはは、出ない出ない。ついでに上着のことも教えるよ」




 グラウンドを後にして、俺たちは学園の外周へと向かう。

 敷地が広いので校舎の付近にいる時はあまり意識しないが、学園の外側は堅牢な城壁でぐるりと囲われている。

 俺たちは地下道を抜けることで、その壁をやり過ごして中へ入ってきたらしい。

 シエナと一緒に向かうのは学園正面に位置する巨大な正門だ。

 巻き上げ式のリフトに乗って門の上へと昇り、強風に吹かれながら外を見下ろす。

 そこで俺とエクセリアは突如聞こえ始めた轟音に耳を塞ぎ、凄まじい光景に目を奪われた。


「なっ、なんだこれは!? 戦場ではないか!」

「これ、地下街に入る前に遠くに見えてた景色だ」


 学園の門へと押し寄せる黒い波は虚鬼(ゴブリン)装甲鬼(オーク)死鬼(グール)、その他モンスターの大群だ。

 それを迎え撃つのはビルほどの大きさを誇る二つの巨影。輝かしい白銀の鎧と、牙と角を備えた四つ脚の獣。

 銀の拳が敵を叩き潰し、獣の尾が猛然と戦列を薙ぎ払う。

 二体が敵を寄せ付けずにいるかたわらで、“CL”の上着を着た生徒たちが武器を片手に討ち漏らしを倒している。

 戦いの音は学園を覆った障壁でさえぎられているらしい。さっきまで平和に野球をしていたのがまるで嘘のようだ。

 驚く俺たちに、シエナが口を開く。


「これが私たち学園自治連合(キャンパス・ライン)の戦場だよ。学園にいるほとんどの子はただの生徒。この上着を着てる人だけが戦いに参加してくれてるメンバーなんだ。誰でもが戦いに向いてるわけじゃないからね」


 現状を聞いてますます驚いた。

 七面會(マスケラド)らの攻勢は24時間態勢、戦闘要員はシフト制。

 ただしシエナだけは、1秒たりと途切れることなく常に召喚を続けている。

 今門の前で戦っている銀騎士と巨獣のように、契約している召喚獣のうち二体をローテーションで入れ替えながら、常に呼び出し続けている、と。


学園自治連合(キャンパス・ライン)は私が始めたこと。あんまりみんなを危ない目にわせたくないし、私が頑張ればなんとかなる話だからさ」


 そう言って笑顔を浮かべるシエナに、俺はかすかな死の影を見る。

 そんな無茶が長く保つはずがないのだ。表向きは元気そうに見えても、どれだけの疲労が溜まってるだろう。


「長生きできないのではないか。こいつ」


 エクセリアの心配げな小声を受けて、俺はうーんと考え込む。

 俺たちはこれから、どう身を振っていくべきなんだろう。

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