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176話 水面下

 エヴァンたちとランドール家の老メイドとの接触は、思わぬ形で幕を閉じた。

 リシェル・ランドールの生い立ちを聞かされ、自らがその祖母だと明かして協力を乞う老メイド。

 もちろんランドール家から依頼を受けているエヴァンたちにとってそれは依頼者への裏切りだ。ありえない。

 だが、ランドール家が信用ならないのは事実。

 なにせアリヤたちはランドール家の次男坊の暴虐に巻き込まれて死にかけたのだ。家とは関係ない個人の暴走というスタンスを依頼人の現当主マクシムは取っているが、少なくともエヴァンのランドール家に対する好感度はゼロだ。

 言うだけ言って去っていった老婆の背を見送りながら、エヴァンは仲間たちと顔を見合わせた。


「この場でどうこう決められることじゃねえ。一旦持ち帰ってシエナたちに話す。それでいいな? ニキ」

「は、はい。僕はそれでいいと思います」


 学園からの派遣戦力であるニキに一応の確認を取って、エヴァンは顔色を重くして路地から離れる。

 暴力沙汰にならなかったことがつまらなさげなサイハイの足元をすり抜けて、コンブがエヴァンへと歩み寄ってきた。

 と、猫に優しくないエヴァンが珍しくコンブをひょいと抱き上げたかと思うと、コンブの耳元で小さく耳打ちをする。


「コンブ、あの婆さん追ってくれ」

「オレだけで? やだよ、危ないじゃん」

「お前だけならどうとでもなんだろ。ランドール邸の中までは深追いしなくていい。婆さんには一方的に喋られちまったからな、動向は掴んでおきたいんだ」

「えー……まあ、いいけどさあ。猫に責任感期待すんなよ。オレ危なくなる前にさっさと逃げるから」

「それでいい。むしろ積極的にそうしろ。死なれたら意味ねえからな」

「死ぬとかなんとかさー、可愛い猫に危ない橋渡らせるかな普通。動物愛護団体に訴えられちまえばいいんだ」


 捨て台詞を吐いて、コンブは身軽に建物の屋根へと駆け上る。

 コンブは賢い猫だ。用事が済めば自力で宿まで帰ってこられるだろう。

 ああ、面倒だとエヴァンは顔をしかめる。誰と戦えばいいのかハッキリしていればこんなややこしい行動をしなくて済むのに。


「……片っ端から殴って終わりじゃダメなのかよ」


 そんな冗談半分の独り言に耳聡く反応したサイハイが目を輝かせたので、そっぽを向いて無視してやる。

 この暴力女と同レベルに落ちるのはナシだ。頭を使わされてヤケになりそうな自分を戒めつつ、エヴァンは最愛の妹の顔を思い浮かべる。


(隣にイリスがいてくれりゃ、もう少しモチベーションも上がるもんなのによ。イリスの意識はいつ戻るんだ……?)


 



 病院。

 学園の手勢に護衛された一室には、イリス・オーウェンが眠っている。

 地下水道で魔女と交戦して依頼、少女は眠りに就いたままだ。

 検査で体に異常は見られなかった。脈拍も脳波も安定していて、多少の怪我はあったが人狼の血と合わせた生来の治癒力でもう癒えている。

 あとは安静にしていれば近々目を覚ますはず、というのが医師の見立てなのだが、その目覚めがなかなか訪れない。

 そんな少女の寝顔を、ベッドの傍らに立って見つめている人影がある。

 燃だ。

 病室へは無断で入ったわけではなく、シエナへと連絡を入れて許可を得ている。

 騎士団での仕事を終えての帰宅途中に病院に寄った彼女は、眠るイリスに話しかけるでもなく、ただ無言でじっとその寝顔を10分以上眺めているのだ。

 窓から差し込む光は夕暮れ、布団がオレンジ色に染まっている。

 やがて日が傾いて、西日のまばゆさが燃の物憂げな目をしかめさせた。

 それを期に、ふわりと揺れる桜色の髪。彼女はイリスの額に軽く指先を触れさせると、小さくブツブツと言葉を紡いだ。

 それから病室の扉から廊下へと出て、警護役の学園の生徒二人に軽い調子の挨拶をしてその場を離れる。


「……ああいう感じね。死ぬほど性格悪いわ、あのクソ魔女。気に入らへん」


 魔女を殺す。

 そのためには魔女の手の内と計画を少しでも掴んでおく必要がある。

 地下水道で魔女から力を注がれたイリスは、魔女が撒いた騒乱の種だ。

 時期が来ればトリガーが引かれ、魔女の目的を達成するための駒として動いてしまうだろう。

 

「ま、邪魔しといたけど」


 魔女の魔法を解除するのは容易ではないが、燃はイリスの体内に自分の魔法を少しだけ混ぜ込んでおいた。

 劇的な効果はないが、最後の一線で少女が踏み止まるためのフックにはなるかもしれない。

 魔女の力の規模からすれば、イリスなんて彼女の戦力の一端も一端。削ることに大した意味はないだろうが、顔見知りの少女が魔女の傍若無人に使い潰されるのがなんだか腹立たしかったのだ。

 病院を出た燃は、病院そばにあった店でワッフルを買って街をぶらぶらと歩く。

 専用の紙パックに乗せられたワッフルには粉砂糖が細雪のように振りかけられていて、焼きたての熱でそれが生地によく馴染んでいる。

 添え付けのプラスチック製フォークを突き立てて一片を齧ると、サクサクとした生地から品のいい甘味と香りが口の中に広がった。


「ふーん、悪くないやん」


 ザクザクとフォークで割って食べ進めながら、そういえば今日は何も食べてなかったっけと考える。

 ここ最近、燃はとにかく忙しい。

 日中は魔女に目を付けられないよう真面目に……(と言ってもいつも通りに見えるよう適度に不真面目に)仕事をこなして、空いた時間で魔女への対抗策を練り固めていく。

 夕方から夜は睡眠時間を切り詰めて情報収集と根回しを。

 全知全能に限りなく近い魔女を殺すためにはなんだってする覚悟でいる。


「美味いは美味いけどもうちょい甘くても良かったかな〜。まあ次食べるときはメープルかチョコソース必須やね。とりあえず燃さんの名店リストに暫定追加やわ。ま、正式追加は二度目次第やけど」

 

 そんな独り言をぺらぺらと喋りながら、空になったワッフルの箱を公園にあったゴミ箱に捨てる。

 そこで目に付いたキッチンカーに歩み寄って、今度はホットドッグとホットコーヒーを買った。

 半分に割られた小さなハンバーグがソーセージと一緒にパンに挟み込まれている。普段ならちょっとわんぱくすぎるように感じるところだが、今日の燃はとにかく空腹だ。

 デミソースのかかったパンを齧り齧り胃に収めると、コーヒーを吹き冷ましながら10口ほどで飲み終えた。


「よし、とりあえず満足」


 ホットドッグも良い味だった。空腹もあってか、今週に入って一番美味い食事だったかもしれない。

 そんなガツガツとした食べっぷりで食事を胃に押し込んだのには理由がある。

 ストレスからのやけ食い? いや違う。燃は今夜、命を賭けた勝負に挑むつもりなのだ。

 エネルギーを補充した彼女が訪れたのは、パンドラ随一の繁華街である桜花街。

 ギャンブル、ホストクラブ、キャバクラ、性風俗、そんなものばかりで構成された夜の街に踏み入れた燃は、迷わず桜花街で一番高いビルの正面に立ついかめしい黒服たちに話しかけた。


「アポ取ってた深谷やけど。入れてもらえる?」

「……! お入りください」


 黒服らの顔に緊張が走り、燃はそれを横目にビルへと踏み込んでいく。

 エントランス、エレベーター、そして最上階へ。

 箱から出ると、そこは煌めくパンドラの街を一望できる超高層の屋上だ。

 色とりどりの照明が明滅して、気分を煽るような音楽が重低音を効かせて鳴り響く中、設けられたプールには大勢の若い女たちの姿。

 そして屋上の深い位置で両手を広げて燃を出迎えたのは、まるで機械仕掛けめいて整った顔をした一人の男だった。


「これはこれは、お会いできて光栄だ。よく来てくれたね、星影騎士団(ステラ・イドラ)の燃」


 彼の名はミヤビ。企業連の一角に企業とさて名を連ねる大繁華街を統べている、七面會(マスケラド)の一員だ。

 いわば夜の街の支配者。まるで王族のように女を侍らせ、当然のように暴力も備えている。

 そんな彼にわざわざ燃が会いに来た理由は一つだ。


「早速の用件やけど、燃さんと協力して魔女殺さへん?」

「へえ?」


 魔女側の手勢である燃からの提案に、ミヤビは興味深げな笑みを浮かべて顎を撫でる。

 この男はどう出るだろう。皮膚の下に警戒を纏いながら、燃はあくまで彼の顔を睨み続ける。

 


 

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