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175話 老女は語る

 老メイドを追うエヴァンたちは、存外早くにその足を止めることになった。

 路地裏で彼女と接触するべくその背を負っていると、人気のない通りで老メイドが不意に足を止め、エヴァンたちの方を振り返ったのだ。

 助手席に座っていたサイハイが声を上げる。


「は? 婆さんこっち見てない? よーし轢いちゃえ!」

「バカ言ってんじゃねえ」


 追跡に気付かれた?

 老婆の脇を通過して知らないふりをするべきだろうか。それともブレーキを踏んで彼女と対峙する?

 そんな逡巡がエヴァンの脳裏を染めたが、彼はすぐに後者を選んで車を止めた。

 どうせ接触しなければ何も始まらないのだ。気付かれていようがいまいが、ここで話を聞く。

 そう思って車を止めた瞬間、ヘッドライトに照らされた老メイドが微笑を浮かべた。

 その瞬間、彼女の背後に黒い煙が立ち込める。

 煙はたちまち一点へと凝縮して、ぐにゃぐにゃと蠢きながら人型の巨大な影へと変貌を遂げていく。

 七面會(マスケラド)が操る瘴気モンスターだ。なぜ今? どうしてここに? 当惑しつつ、エヴァンは咄嗟に大声を上げる。

 

「おい婆さん、後ろだ! 逃げろ!」

「必要ないっての!!」


 そんなエヴァンの警告と同時に、助手席のドアを開けてサイハイが飛び出した。

 ブーツの側面にねじれシワができるほどに強い踏み込み。地面から足を伝って上体へと力を流動させつつ跳躍。

 瞬時に3メートル大の体躯をした瘴気の怪物の顔面へと近寄ると、「くたばれデカブツ!!」と拳を叩き込んだ。

 判断が早い。そして威力が高い! まだ形成されきっていない怪物の体が打撃のヒットした部位から捻れて、えぐれて窪んで破裂した。

 サイハイの戦術は格闘。力を効率的に流動、膨張させて破裂させる。そのテクニックが細身の体からは想像もできないほどの破壊的な威力を生み出しているようだ。

 病み上がりにはとても見えない思えない彼女の強さにニキが驚いている気配を背後に感じながら、エヴァンは車を降りて老メイドへと歩み寄った。


「婆さん。あんたバケモノに驚きもしなかったな。あんたが呼んだのか?」


 老メイドはその質問には答えず、老練な微笑を浮かべたまま緩やかな一礼をエヴァンへと向ける。

 エヴァンが無言のままそれを睨んでいると、彼女はあくまで落ち着いた声色で口を開いた。


「お待ちしておりました」

「追われてんのに気付いてたか。ってことは今の黒いのもテメェがやったんだな?」

「ええ、否定は致しません」

「タヌキ婆ァめ。瘴気のバケモンを操ってんのは七面會(マスケラド)だ。ってことはテメェは七面會(マスケラド)とつるんでんのか? いや、でもランドール家のメイドで、ランドールを裏切って不倫の手引きをしてて……?」


 彼女の立ち位置が不可解で、エヴァンは苛立ち気味に顔をしかめる。

 ややこしい話は後回しだ。まず確かめるべき本題を問え。

 エヴァンはストレートな質問を投げる。

 

「リシェル・ランドールの浮気を手伝ってんのはテメェだな? イエスかノーで答えろ」

「リシェル様が屋敷をお出になるのをお手伝いしているか、という問いに対してはイエス。しかし浮気を手助けしているかと問われれば、ノーでございます」

「……」


 ニキがレコーダーを回しているはずだ。ここで言質を取れれば話がスムーズになる。

 だが老メイドの答えは煙に撒くような言動だ。素直に答えるはずもないかとエヴァンが考えていると、歩み寄ってきたサイハイがパキポキと拳を鳴らした。


「じゃどうする? 殴って吐かせる?」

「そのマフィア思想をやめろ。トラブルの種にしかなんねえよ」


 制止されて不機嫌げな顔をするサイハイを横目に、エヴァンは老メイドへと語りかける。


「先に言っとくが、暴力を振るう気はねえ。だが誤魔化されてすごすご引き下がりますって気もない。俺らはマクシム・ランドールから依頼されて調べてんだよ。あんたの雇用主だろ? 不義理をチクりゃ、メイド風情は一発でクビが飛ぶぜ」


 不慣れな脅しを口にしたエヴァンは、まぶたを狭めて老メイドを鋭く睨む。

 だが彼女は怯むどころか、エヴァンを驚かせるほどの鋭利な怒りを感じさせる眼差しを向け返してきた。


「マクシム・ランドール? 雇用主? フン、どう思われようが知ったことですか。あの男は畜生にも劣る、唾棄すべき存在です!」

「お、おお」

「リシェル・ランドール。あの子がどういう存在かを、あなた方はご存知ではないでしょう?」


 思った以上にヒートアップした声色を向けてきた彼女の態度に、長めの話が始まる気配を察したエヴァンは鼻白む。

 手っ取り早くイエスノーの答えを聞きたかったのであって、老人の長話に付き合わされるのは嫌なのだ。

 半身足を引いて、後ろに立っているニキに目配せをした。


(代わりに答えてくれ)

(えっ、あ、はい。わかりました)


 ニキが一歩前に出て口を開く。


「ええと、リシェル・ランドール。年齢は20歳で身長は163cm、体重は56kgで」

「数字の話をしているのではありませんよ。あの子の生い立ちや人柄。そういったものをあなた方はご存知かと聞いているのです」

「う、それは存じ上げないです。すみません……」


 何故か謝るニキ。

 それを受けて、老いた彼女は重いため息を一つ吐いてから言葉を続ける。


「リシェル。あの子は先代当主付きの運転手と、屋敷で働いていたメイドの間に生まれた娘です。父親は賢くはないものの誠実で、母親も教養はありませんでしたが、素直で愛らしい女でした。ですがそんな凡庸な両親を持ちながらも、生まれた娘のリシェルは魔素(マナ)を扱うことに対して類まれな才を持った少女でした」

「それがどうした。天才なんて珍しくもねえだろ」


 エヴァンの冷めた相槌を老女は無視し、語りを続ける。


「無垢にして非凡。ランドール家にとって、そのことが重要でした。……ランドール家は代々都市議会へと議員を輩出している家系。この無秩序な都市において、議員の一番の死因は何だと思いますか?」

「暗殺、ですよね?」


 ニキが答えた。

 これは知識として知っている。自信を持っての即答だ。

 老女が頷き、話が続く。


「この都市で政治家が絶対の安全を期するのであれば、護衛を付けるだけでは足りません。護衛が帯同できないような状況下であっても違和感なく隣に付き従うことができる存在は妻だというのがランドール家の考え方。リシェルの非凡な才は先代当主の目に留まり、そのための存在として選ばれたのです」


 そんな老女の語りに、サイハイが苛立ち混じりに首を傾げる。


「それの何が悪いわけ? まあ戦わせる前提で嫁を選ぶのは珍しいかもしんないけど、運転手とメイドなんかの子供が次期投手の嫁に選ばれたんでしょ? 成り上がりじゃん。超ラッキーじゃない。文句言ってんじゃないわよ」

「ええ、そうですね。ただ娶られるだけならそうでしょう。ですが……ランドール家は、リシェルの物心が付くよりも早く、彼女の両親を亡き者としました」

「は? 殺したの? なんでよ」

「リシェルを完全な戦士として育てるためです。あの子は15年以上の長きに渡り地下に幽閉され、教育は最低限しか施されず、常識すらまともに与えられず、ひたすら戦闘技術を磨くだけの生活を強いられてきたのです。それが普通でないということさえ知らずに」

「へー……」


 老女の口ぶりには迫真の怒りが篭っていて、そこに嘘は感じられない。

 懐疑的な態度だったサイハイもその矛を収めて、ふーん、そう。とそっぽを向いた。

 普通ならこの老メイドが都合よく話を盛っているのではないかと疑うところだが、つい先日アリヤたちがランドール家の次男坊に襲われたという話をエヴァンは直接聞いている。

 一般人も大勢巻き込まれたらしい。そんな人を人とも思わない態度は、確かにランドールという家に共通のものなのかもしれない。

 老女が手を震わせる。


「私は……ランドールの屋敷で雇われるよりも昔、放蕩暮らしの果てに子供を捨てました。……ですが偶然、本当にただの偶然……老いた私は再び息子と出会いました。ランドール家に殺されたリシェルの父は私の息子です」

「……じゃあ、リシェル・ランドールはアンタの孫か」


 エヴァンの問いに、老女は首を横に振った。


「そう名乗るつもりも、その権利も私にはありません。けれど、あの子をあの忌まわしい家から解き放ってやりたい。そして願わくば……ランドール家に滅びを」


 そう語る老女の目は爛々と復讐に燃えていて、エヴァンは腕組みをして低く唸った。

 

24日は更新をお休みさせていただきます。

次回更新は26日夜の予定です。

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