170話 サイハイ
アブラとの交戦から半日が過ぎ、エヴァンたちは拠点にしている宿のそばの公園のベンチに座っている。
エヴァンたちを囮に、本命の尾行者としてアランとリシェルを追ったミトマが押さえた浮気の現場写真を見ておきたいと彼女に連絡を入れ、この公園が待ち合わせ場所として指定されたのだ。
文字通り体を張った功労者であるエヴァンたちから写真が見たいという要求を受けて、ミトマは直に出向いてきた。
彼女は写真データを移してあるタブレットを片手に、エヴァンへとそれを手渡して見せてくる。
「お前と電話をした後もしばらく追いかけたんだ。どうだ? よく撮れているだろう」
「……なんだこりゃ?」
その写真を見て一番、エヴァンの口を突いて出た言葉は疑問系だった。
別にミトマの仕事を否定したかったわけじゃない。ひねくれた気持ちや悪意から出た言葉でもない。
ただシンプルに、よくわからない。エヴァンはもう一度同じ言葉を繰り返す。
「おい、なんだこりゃ」
「何って、不倫デートの現場だろう。見ればわかる」
「それはまあ、そうだけどよ」
エヴァンの煮え切らない反応を妙に思い、ニキとコンブが背後からタブレットの画面を覗き込んできた。
画面内に並んだ写真をタップして、拡大して横にスライド。
一枚、一枚と画面をめくっていきながら、ニキが少し弾んだような声を出した。
「ショッピングモールに行って店を見て、映画見て、ご飯食べて、公園歩いて……なんか楽しそうですね!」
「……なんかガキのデートみたいだな」
そんなニキとは対照的に、不思議そうに呟いたのはコンブだ。
そう、エヴァンも同じことを考えていた。カフェで喋っている様子を直に見た時は睦まじげな空気感が伝わってきたので、交際関係にあることは間違いない……はずなのだが、ミトマが撮った写真の様子を見ると首を傾げたくなる。
アラン・ウィンターズとリシェル・ランドール。二人は楽しげに笑みを交わしているのだが、デートの道中の距離感がどうも遠い。
二人がお互いを意識していてチラチラと横目を向けているが、近付ききれずに曖昧な距離感を保っている。
時折手を繋ごうかと思い悩むも、結局行動に移せずに諦める。
写真から読み取れるデートの様子は終始そんな調子で、コンブの表現にエヴァンは思わず頷いた。こんなのは10代前半の子供がするデートだ。
見ようによっては微笑ましい。だが、浮気だ。エヴァンは思わずミトマに問う。
「これで写真全部か?」
「ああそうだ。ランドール邸の近くまでリシェルを送ってそこで別れて二人の逢引きは終わった」
「ラブホだのキスだの……せめて手を繋いでるとことかなかったのかよ」
「やれやれ、下世話なことを聞く奴だな。なかったものは仕方ないだろう」
「お前も尾行に気付かれてて適当にお茶を濁されたってことは?」
「ないな。リシェルが家に戻ったところまでを確かめているから間違いない」
「……こんなので依頼者は満足するか?」
「既婚者が勝手に出かけて他の男と遊んでいたのだから十分なんじゃないか? まあ私も既婚者じゃないからその辺りの機微はわからんが」
「そんなもんかね」
ひとしきり写真をチェックし終えて、エヴァンはそれについて考えるのをやめた。
依頼者との交渉はミトマやシエナたち学園の仕事だ。
エヴァンは考えるのが得意ではないし、それは自分の役目でもない。
自分のやるべきこなせたことをしっかりとこなせたなら十分。そう割り切って、公園のベンチから腰を上げる。
「今日はもう仕事もないだろ。俺は自由にさせてもらうぜ」
「写真はもういいのか?」
「他人のほのぼのデートの写真なんて見てもクソ面白くもねえよ」
そう言って去る気配を見せたエヴァンに、ニキとコンブが寄ってこようとする。
エヴァンは財布を取り出して、少年に紙幣を数枚渡した。
その意図を読み取れず、ニキは目を丸くしながらエヴァンに問う。
「あのエヴァンさん、これは?」
「それやるから遊ぶなり飯食うなりしてろ。子守りは昼の時間で終わりだ」
「い、いえ! お金なんてもらえませんよ! 僕、迷惑かけてばっかりでしたし……」
「いいから受け取れよ、小遣いだ。確かに役立たずな場面も多かったが、アブラとの戦いじゃ助けられたぜ」
エヴァンはお世辞を言うタイプではない。実際にニキをそれなりに評価しているのだ。
その心が伝わったのか、ニキは嬉しそうに顔を綻ばせてからハッと表情を変えて口を開く。
「あ、あの、明日は……」
「ああ、明日からも頼むぜ。足手まといにならないようにしろよ」
「はいっ!!」
同行の許可を得て、ニキは心底嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
ミトマがそれを微笑ましげに眺めるのを尻目に、コンブがトコトコとエヴァンに歩み寄ってくる。
「やれやれ、子供だよな。ちょっと褒められただけであんなに喜んじゃってさ。じゃあ行こうぜエヴァン」
「なに付いてくる体で喋ってんだ。お前はニキとでも過ごしてろ」
「はー!? 何言ってんだよ! オレはアリヤから言われてお前のお守り役でついてきてんの! たらい回しにしようとすんな! 猫ナメんな!」
「うるせえな。言っとくが、俺はお前を猫じゃなく対等な同僚として見てる」
対等、という言葉にコンブが尻尾をゆらゆらと揺らす。
「お、おう。そうなの。ふーん」
「ああそうだ。で、だ。職場の同僚と四六時中一緒に過ごす奴がいるか?」
「え? オレは人間の職場で働いたことなかったからよく知らないけど、いないんじゃないの」
「だろ? だったら俺とお前が四六時中一緒にいるのもおかしいじゃねえか。なあコンブ」
「……うーん……まあ、そう言われればそうなのかな」
100%の納得ではないが、コンブはまあ言い分は理解したという具合に渋々と頷く。
こんな言葉だけで丸めこめるなんて所詮猫だな、とエヴァンは内心に思う。
同僚として捉えているのは嘘じゃないし一定のリスペクトも持ってはいるが、猫は猫だ。
と、コンブが口を開く。
「別行動はいいけどさ、なんでそんなに一人になりたいんだよ。エロい店にでも行くのかよ」
「違えよ」
「まったく、遊びはほどほどにしておけよ、エヴァン」
「違えって言ってんだろ!」
エヴァンが否定すると、様子を見ていたミトマが面白がるように口を挟んでくる。
再度否定して、エヴァンは三人に背を向けて歩き始める。
とにかく、今は一人になる必要がある。
じゃあなと片手を挙げて去り、街中を人気の少ない方向へと歩いていくこと5分ほど。
袋小路でピタリと足を止めたエヴァンは、背後に向けて声を掛けた。
「ここらでいいだろ。姿見せろや」
「へ〜え! 気付いてたんだ。なんか知らないけど潔いじゃん?」
やたらに元気な女の声。
物陰からスッと姿を現したのは、鮮やかな赤色の長髪をツインテールにした若い女だ。
サイハイブーツを履いた彼女は、居丈高な態度でエヴァンを見下しながら口を開く。
「ブッ殺す前に自己紹介しとこっか。あたしは“サイハイ”。あんたたちがブッ潰してくれた血の門で四侠って呼ばれてたの。超強いんだから! 特にあたしは対人戦闘のエキスパートなんて呼ばれてて、組織に歯向かう色んな奴をそりゃ〜もう豪快にブッ飛ばしてきてたわけ。お給金もたーっぷりもらってたの。でもそれがさあ! あんたたちが余計なことしてマダム紅を殺しちゃったせいでさあ!? で、超腹立つからやっつけちゃおうってわけ。でも同じ四侠のドラさんは藤間或也にやられて、サギシはなんかホテルの件に巻き込まれて様子はわかんないけど死んじゃったみたいじゃん? だから賢いあたしはまず雑魚っぽそうなあんたを殺しちゃおって考えたの。でもなんか猫ちゃんとか連れてたじゃん? あたし猫好きだから猫ちゃん巻き込みたくなくってずーっと仕掛けるタイミングに迷ってたのね」
よく喋る喋る。
ベラベラとまくしたてるサイハイにうんざりしつつ、エヴァンは鼻をひくつかせて追跡者の匂いが彼女のそれであったことを確かめる。
後をつけられている気配に気づいたのはバスの戦いの後だ。かなり距離が離れていたので普通なら気付けなかったろう。
人狼の優れた嗅覚があってこそ、同じ匂いがかすかに、だが確実にずっとついてきていることに気付くことができた。
このサイハイと名乗る女、どうも頭の悪そうな印象だが、それでも四侠なら相当な実力者なのだろう。
個人的に買った恨みにニキとコンブを巻き込むわけにもいかないので単独行動を選んだ、というわけだ。
さて、エヴァンは珍しく一つだけ仕込みをしている。
懐に入れてあったテグスの一端を手で握り、もう一端は路地にあったアルミのゴミ箱の蓋にくくりつけてある。
(こいつが喋ってるうちに、先を取ってやる)
サイハイの立ち位置はゴミ箱よりもこっちに近い。
エヴァンはゆっくりと横に歩き、位置を調整して……強くテグスを引く!!
ピンと張った糸はゴミ箱の蓋を勢いよく持ち上げて、水平に飛んだ蓋がサイハイに迫った。
「ぎゃっ!!!?」
「!?」
直撃!!
ガァン!と良い音をサイハイの後頭部を捉えた蓋が地面に落ちて、ガランガランとけたたましい音を鳴らす。
猛烈な勢いでの直撃は、アルミ製とはいえ十分すぎる威力を持っていた。
サイハイは意識を刈り取られて、気絶して前のめりに崩れ落ちる。
困惑したのはエヴァンだ。本気か? こんな小手調べみたいな仕込みで……。
「あー……どうしたもんだ?」
敵だ。介抱するのもおかしいが、トドメを刺すのも若干気が引ける。
かと言ってこのパンドラで気絶した若い女を放置というのもちょっとまずい。
戸惑いながら、エヴァンはガリガリと頭をかく。




