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168話 なんでお前が?

 エヴァンは体調を崩したままのニキを背負い、コンブを肩に乗せ、リシェルと浮気相手のアランを追う。

 地下クラブで足止めされている間に距離を空けられてしまったが、エヴァンの嗅覚はまだ彼らの足跡を捕らえている。

 正直、尾行に気付かれたのだからこれ以上追う意味はない。

 向こうが浮気調査だと認識しているかは定かではないが、とにかく今日の調査は打ち止めだ。

 だが、エヴァンはそれを良しとしない。ニキとコンブに危害を加えられてナメられたまま引き下がれる性分ではないのだ。


「でも追ってどうすんのさ。まさか直接殴ろうってんじゃないよね」


 コートの肩口に爪を立てて器用にしがみついたコンブの問いに、エヴァンは凶悪な人相に犬歯をチラつかせて唸る。


「殴って悪い理由があるか? こっちは連れと猫に手ぇ出されてんだ。ブン殴ってギャン泣きさせてやるよ」

「はー!? この犬男アホだ!」

「あぁ!?」

「隠れて追わなきゃいけない浮気調査なのに尾行に気付かれた! 挙句に目の前に堂々と出ていって絡むってなんなの! ダメでしょ!」

「関係ねえよ」

「なくないよ!」


 朦朧とした少年を背負った男が人語を喋る黒猫と言い合いながら駆けていく光景に街行く人々はギョッとした顔をするが、この都市では異常異様は日常茶飯事。奇妙な光景も誰も深くは気にせずすぐに忘れていく。

 調査相手を追いかけて殴ると言ってはばからないエヴァンだが、その暴挙には一応の考えがある。

 焦った様子で反論するコンブに視線を向けて、エヴァンは面倒臭げに思惑を口にする。


「いいかコンブ、後ろをコソコソ付け回すなんてのはそもそも俺の性に合ってねえ」

「まーそうだろね。馬鹿だもん」

「あぁ……? ハッ、馬鹿はお前だ猫助。俺は閃いたんだよ。浮気調査はバレちゃいけねえなんて誰が決めた?」

「は?」

「追いついて蹴転がす。ブン殴って叩きのめして、「すみませんでした浮気してました申し訳ございません」とでも言質を取りゃそれで勝ちだ。だろ?」

「賊かよ」


 あまりにも野放図なエヴァンの発言に、コンブは細かい反論を思い浮かべることすらできずにただ呆れる。

 ……が、実はエヴァンの言い分は間違っていない。

 通常の浮気調査で何故その手段が取られないのか? 

 まず浮かぶ理由は、喧嘩になるとお互い怪我をする、させてしまうリスクがあるから。

 だがエヴァンはそもそも殴りたいが先立っているのだから問題ない。

 そして一番の身も蓋もない理由は、そんなことをすれば暴行罪で逮捕されるから。

 だがここは無秩序の街パンドラ。そんな法律は存在しない。

 呆れたように口を半開きにするコンブだが、倫理観を度外視すればギリギリありなのか、な? と小さく唸る。

 

「先に荒事仕掛けてきたのは向こうだ。ブッ殺すぞ」

「こ、殺すのは本当にダメだからな!」

「モノの例えだろうが。慌ててんじゃねえ」

「ひぇー、ヤンキー怖」


 そんな会話を交わしながらも二人は足を止めずに走っている。

 人狼のエヴァンは本気になればとにかく足が速い。向こうは車に乗り込んで移動しているようだが、それですら彼の鼻は匂いを拾い続けている。

 幸いこの辺りはゴミゴミとした道が続く繁華街だ。最短ルートを疾駆すれば向こうが信号待ちをしている間に十分距離を詰められるだろう。

 と、そこでエヴァンの背中でニキがうめいた。

 水をガブガブと飲まされたことで薬の効果が薄れたのか、明瞭な意識を取り戻したのだ。


「う……ここは……? っ、て! うわっエヴァンさん!? すみません、お、降ります!」

「降りられると遅え。そのまま乗ってろ」

「いえ、ですけど!」

「ですけどじゃねえ。それより治安の悪ぃ場所で一人にして悪かったな」

「そ、そんな……」


 こりゃ落ち込むなー、とコンブがニキの様子を伺う。

 コンブの目はニキがエヴァンの妹イリスを好いているだろうと見抜いている。その兄に無様を晒した上に背負われるなんて、今の彼はきっと消え入ってしまいそうな気分だろう。

 だがそのフォローをしてやるほどコンブは優しくない。というか面倒臭い。彼はあくまで気まぐれな猫なのだ。

 

 そこで不意に、マナーモードにしてあるエヴァンのスマホがブルルと震えた。

 疎ましげにスマホの画面を見たエヴァンは、発信者を見て「ユーリカ?」と不思議そうな声を出す。

 シエナの相方で学園の中核メンバーであるユーリカとはエヴァンももちろん面識はあるが、不良と優等生という立場の違いもあって直に話したことはそれほど多くない。

 小さく首を捻るような仕草をしつつ、彼は仕方なしに着信に出た。


「もしもし。なんだ、今忙しいんだよ」

『あ、エヴァン君? 取り込み中にごめんね。浮気調査相手のアラン・ウィンターズについて学園の方で色々調べたから伝えようかと思ったんだけど……』

「っと、アラン・ウィンターズの話かよ。だったら知りてえ。聞かせてくれ」


 ユーリカ曰く、アラン・ウィンターズを一言で言えばお坊ちゃんだ。

 このパンドラにはかつて都市を統べる市長がいた。いや、今もいるのだが、形骸化して都市議会の傀儡となっている。

 議会におもねり、星影騎士団(ステラ・イドラ)の機嫌を伺い、企業連に媚びへつらうコウモリ気質の傀儡男、それが名を覚える価値すらない現在の市長だ。

 だが、前市長は違った。高潔で清廉で、彼の任期の間だけはこの都市の混沌が僅かに色を薄めていた。

 その男の名がオリバー・ウィンターズ。アラン・ウィンターズの父だ。

 

「なにぃ……オリバー・ウィンターズの息子だと?」

『そう。エヴァンくんも知ってる?』

「オリバー・ウィンターズなんて偉人みたいなもんだろ。っていうかユーリカてめぇ、今の“エヴァンくんも”って言い回しは俺のことを馬鹿にしたな? こいつでも知ってるのか、みたいなニュアンス出しやがったな」

『そ…………そんなことない、よ?』

「チッ、クソほど言い淀みやがって。まあいい。じゃあなんだ、あのアランってのは超ボンボンなのか」

『う、うん。そうみたい。ウィンターズ家の末の子なんだって。でもウィンターズ家って今は政治から一線を退いてて、当時の資産もかなり食い潰してるみたいなの』

「没落してんのか?」

『没落……まではいかないかな。もちろん今もお金持ち。でも昔と違って変なビジネスに手を出してたり、怪しい人たちとの付き合いがあったりするみたいだよ』

「フン」


 それはさっき実感したばかりだ。

 お世辞にもお行儀が良いとは言えないあの地下クラブはアラン・ウィンターズの所有だと聞いたし、あそこに集っていたガラの悪い連中はアランと付き合いがある様子だった。

 ひとまず正体はわかった。バックボーンもわかった。ユーリカが続けて喋ろうとしたのを、エヴァンは短く遮る。


「大体わかった。もういいぜ」

『そう? でも』

「偉人の息子だろうが関係ねえ。もう目の前にいるからな」

『えっ? 待って、エヴァン君。今どういう状況なの? ね、ねえエヴァン君、軽はずみな行動は』

「悪いけど、切るぜ」

『ちょっ』


 電話を切った。電源も切った。

 エヴァンが立っているのは歩道橋の上。見下ろした道路には、数多くの車がビュンビュンと行き交っている。

 そんな中、エヴァンはこちらへ頭を向けて走ってくる一台のバスの車中に強くアラン・ウィンターズの匂いを感じている。もちろんリシェル・ランドールの匂いもだ。

 背中と肩にしがみついているコンブとニキが何か文句を言っているが、集中しているエヴァンにはもう聞こえない。

 タン、と歩道橋から飛び降り——天井へ着地! すかさず這いつくばって側面から頭を垂らし、アランがいるはずの車窓を覗き込んだ。

 だが、そんなエヴァンの動きが止まる。

 

「なんでお前が?」


 劫ッ!!!


 その問いに応えるように、車窓を砕いて炎が噴き出した。

 車上へと下がって回避したエヴァンの前に現れたのはアラン・ウィンターズではなく、アランのコートだけを羽織ったアブラ。

 そう、七面會(マスケラド)の一員アブラ。襲撃を受けて生死不明の行方不明になったはずの彼が何故かここにいる。何故?

 エヴァンとアブラは面識がある。

 アブラが学園を襲撃してきた時に顔を合わせているし、その後には利害が一致しただけとはいえ、血の門(シュエメン)襲撃で共闘した仲だ。

 かつては敵同士だったが一時的に味方になり、今は曖昧な関係性。だがエヴァンはアブラに対してそう悪い感情を抱いていない。

 しかしアブラはそんなこともお構いなしに、挨拶すらなく片手をエヴァンへと向けてきた。

「おい、お前」とエヴァンが話しかけるのも待たず、彼の義手から灼熱の炎が放たれる!


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