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16話 青空に白球

 この街の空は、青色にかすかな緑が混ざった色をしている。

 あの緑が大気中に混ざった魔素(マナ)の色らしい。見慣れないが、雲ひとつない空が綺麗なのは元の世界と同じだ。


 パキッ! 乾いた音を立てて、金属バットがボールを叩く。

 涼やかな風が吹いて、白球が砂を跳ね上げながら三遊間をった。

 ショートを守るシエナがそれを予測していたような動きでグラブを合わせて、掬い上げざまに一塁へ放る。

「アウト!」

 審判の声が響いて、敵チームのアウトカウントが一つ増えた。


「上手いもんだなあ」


 ベンチでそれを眺めながら、俺はパチパチと拍手を鳴らす。

 学園の野球チームは男女混合だ。割合で言えば男の方が多いけれど、女の子もシエナだけでなく何人も混ざっている。

 身体能力の差があって競技にならないんじゃないか? いや、全然そんなことはない。


 今、シエナのチームで投げているピッチャーは女の子だ。

 右利きの上手投げ(オーバースロー)。力強いフォームからストレート、スライダー、チェンジアップを投げ分ける本格派。

 キャッチャーのサインを見て、足を上げて、指先から逆回転で放たれたボールが外角高めのカドを掠める。

 球速表示は147キロ。プロ野球の一軍ピッチャーのスピードだ!


「めちゃくちゃレベル高いな……」


 ひとり言だったのだが、ベンチにいた控えの青年が笑いながら答えてくれた。


「うちは趣味でやってる同好会チームだからそうでもないよ。もっとガチなとこが何チームもあるから」

「へえ……けど、あのピッチャーの子の球めちゃくちゃ速くないですか」

「学生でも160オーバーはザラだからなぁ、遅めだよ。ちなみにプロリーグは200キロ超えが何人もいるぞ」

「マジですか」


 思わず顔をしかめてしまう。

 俺はパワプロとかで選手を作って遊ぶとき、無双するタイプの選手を作るよりも、能力を現実的なラインで抑えた選手を増やしてリアリティを楽しむ方だ。オートでシーズンを回してそこそこな成績を残してるのを見て達成感を覚えるタイプだ。

 そんな俺からすると、200キロオーバーの球というのはちょっと盛り過ぎててゲンナリしてしまう数字なのだ。


 まあそんな個人の感想はさておき、とにかくピッチャーの球が速い。バッターの打球も速い。それでも試合が崩壊しないほどに守備の反応も鋭く速い。

 試合をここまで眺めていて印象的なのは、全員の身体能力が平均して高いこと。そして男女に能力差がないことだ。


(この世界に来てからやけに体が軽いし身体能力が上がった気がしてたけど、俺だけじゃなくて全員の身体能力が高いのか。やっぱ魔素(マナ)の影響なのかな?)


 だとすれば、地球の常識や物理法則で考えるのが間違いだ。男女の能力差がほぼないのもこの街では普通のことなのかも。


 俺は元々野球観戦が好きだ。

 期せずして出くわしたやたらハイレベルな試合を間近で楽しく眺めていたのだが、暇そうに黒猫の背中を撫でていたエクセリアがうめいた。


「……つまらん」

「え?」

「なんだ? この野球というのは。棒で球を叩いてそれをバタバタワーワーと追いかけて、何が楽しい?」


 文句を垂れるエクセリアは黒猫から手を離しているのだが、猫は傍らに座り込んでいて逃げる気配がない。すっかり懐かれているみたいだ。

 さておき、俺は反論する。


「面白いだろ。あんな速い球投げられるんだ! それを打ち返してそれを捕るんだ! すごい! って」

「わからんわからん! なんでみんなして右側に走る? 左側に走れば良いではないか!」

「いや、そういうルールだからさ」

「もっとわからんのはお前だ! ぼーっと眺めてパチパチとアホみたいに拍手して。出ろ! 出場してこい!」

「そう言われても。レベルが高すぎて混ざれる気がしないよ」

「なんだその弱腰は!」


 エクセリアから吠えられているとスリーアウトで回が終わり、シエナたちが小走りにベンチへと戻ってきた。

 スポーツドリンクに口をつけながら、シエナが俺たちに声をかけてくる。


「そうだよアリヤ、出ない? この回まででピッチャー交代するから代打で出られるよ。せっかくユニフォームも着てるんだし」

「いや、でも迷惑かけちゃ悪いよ」

「うちは同好会だから全然いいって。私も忙しくて毎試合は出れてないし、最下位が定位置だからさ。空振り三振だって誰も気にしないよ」


 シエナ曰く、学園内には10以上の野球チームがある。

 目的も様々で、薬学系の生徒たち中心のドーピングチーム、データ取りにしか興味のないスポーツ科学チームなんかがある。

 それにプロ志向のガチ競技チームがいくつかと、趣味でやってる同好会チームがいくつかが入り混じってリーグを組んでいる。

 

「ドーピングチームってなんだ……ステロイドとか? それ大丈夫なのか?」

「肉体に悪影響のない薬物の開発を目指してるらしいよ。ちょっとマッドだけど結構強いんだよねー」


 そう言って軽く笑うシエナ。

 昨日の雑然としたマーケットでも感じたことだけど、この街には“なんでもあり”を美徳とする価値観が流れている気がする。

 職業を選ぶ自由もない管理社会だからこそ、その真逆の精神性が好まれているんだろうか。


 キン! と弾けるような快音が響いて、三番バッターの打球が三塁線を破った。ツーベースヒットでノーアウト二塁。チャンスだ。

「おっと」と慌てて立ち上がったシエナが次打者の待機場所へと歩きつつ、「出たくなったら勝手に代打コールしていいからね!」と笑顔で言ってきた。

 

「ほら、シエナはああ言ってるぞ。出してもらえばいい」

「いやあ……」

「なんで今日に限ってそんなに弱気なのだ。ゾンビだかグールだかの相手よりよっぽどマシだろう!?」


 エクセリアが両手を振り上げてキィキィと怒っている。

 いや、まあそうなのだが、俺が出るのを渋る理由はある。相手のチームだ。


 目付きの鋭い相手ピッチャーが大きく足を振りかぶって、猛烈な勢いのボールを178キロでミットへ投げ込んだ。ストライク!

 空振り三振に終わった四番バッターに挑発的な視線を向けて、とがった歯並びでニヤリと笑う。


「ハッ! おととい来やがれ雑魚助が!」


 そしてネクストバッターズサークルで待つシエナに向けて、ギラついた眼光で親指を下げた。


「来やがったな、ブッ殺してやるよシエナ」

「いやいや怖いって。普通に野球やろうよ」

「余裕ぶってんじゃねえぞ、今日がテメェの命日だ」

「わかったわかった」


 シエナは軽口のノリで返しながら打席に入るが、どう見ても相手の剣幕はガチだ。

 なにせ相手チームの名前は“反シエナ同盟”。シエナのアンチ軍団が徒党を組んでいるのだ。

 

「彼ら、シエナは学園のリーダーで目立ってるから煙たがってるみたいなのよ」

「あのチームだけ治安悪いんだよねえ。やだやだ」


 ベンチに座ったシエナのチームメイトの女の子たちがそう教えてくれる。

 まさにそれだ、治安が悪い。あのエースだけじゃなくて総じて表情が攻撃的だ。


「わかるだろエクセリア。あれは不良だ。俺はヤンキーが苦手なんだよ」

「いや知らんわ。本当に殺しにかかってくるわけじゃあるまいし、逃げるな」

「逃げとかじゃなくてだな、姉さんが不良みたいなのにひき逃げされて以来トラウマがあるんだ。まあ気合入れて復讐してみたけど、基本的には関わりたくないんだよ」

「じゃあお前、この私がああいう連中に囲まれてたら同じことを言うのか? まるで頼りにならんではないか!」

「いや、その時はもちろん戦うさ。ただ接触を最低限にしたいって話であって……おっ?」


 俺が言い訳をしている途中、打席に動きがあった。

 左打ちのシエナめがけて、左の斜め投げ(スリークォーター)から投じられた166キロ超のシュートが内角高めのスレスレをえぐる。一歩間違えばデッドボールになるコースだ。

「死ねや!」とピッチャーが叫んだのを俺は聞き逃さない。怖っ。

 だがシエナは脇を締めて、体幹を崩されることなくバットを繰り出した。

 鋭く息を吐き、スイング軌道に風を巻き込みながら、スピードと変化に差し込まれることなく前で叩く。


「フ……ッ!」

「あっ、クソが!」


 キィン! 

 鉄琴を力任せに殴りつけたような音を残して、シエナの打球が二塁手の頭上を越えていく。打った瞬間にピッチャーが悪態を吐くほどの快打だった。

 打球が右中間を転々とする間にランナーは悠々の生還。シエナは快足を飛ばして三塁へと滑り込む。見事なタイムリースリーベースだ。

 

「チィィッ! ふざけやがって!」

「あっはは、内角高め(インハイ)ばっかじゃ簡単に決め打ちできちゃうよ、エヴァン!」

「次はブッ殺す……」


 完璧な打ち方だった。運動神経の塊って感じだ。

 牙を剥いて悔しがる相手ピッチャーに、シエナはあくまで軽やかな態度で笑顔を見せる。

 ここまでリードされてた同好会チームだが、これであと一点差にまで追い上げた。ここは重要なチャンスだ。


 そこで突然、隣のエクセリアがすっと立ち上がって手を上げた。


「審判、代打だ! アリヤが出る!」

「なっ……!? お、おい! 勝手に何を!」

「フン、私の騎士を自称するなら精神的な苦手をいつまでも引きずるな。ここで克服してこい!」


 背中を押されて立ち上がると、シエナのチームメイトたちが口々に頑張れよと応援の言葉をくれる。

 爽やかだ。いい奴らだ。引くに引けないじゃないか、勘弁してくれ。

 後ろからエクセリアが声をかけてくる。


「私が見るに、あのエヴァンという男は戦っても強いぞ。おそらく学園自治連合(キャンパス・ライン)の主力級だろう。力試しと思って行け。コンブも応援してるぞ!」

「コンブって誰だよ」

「この子だ」

「ああ、黒猫に名前付けたのか……どうなんだそのセンス」


 すっかり飼い主気分のエクセリアをちょっと面白く感じつつ、俺は重い足取りでバッターボックスに入る。

 

「……いやいや、無理だろ。野球経験ないのにいきなり170キロ相手って」


 メジャーリーグの最速記録が確か約170キロで、マウンドにいるあの男はさっき178キロを出してた。つまり地球最速よりこいつは速い。

 そのマウンドの不良男、エヴァンが俺をギロリとにらみつけてきた。


「おい、誰だお前」

「あー、なりゆきで飛び入り参加しただけだよ。覚えてくれなくていい」

「ほーう。素人かよ」

「そうそう。だから出来ればお手柔らかに……」

「この俺の相手は素人でも十分だ、ってか。舐めてんのか? ブッ殺してやるよ!!」

「ええ……」


 沸点が低すぎる。呆れ半分驚き半分の俺は、仕方がないのでバットの握りを入念に確かめる。

 まったく、観るのとやるのじゃ大違いだ。見様見真似でそれっぽく構えて深呼吸をひとつ、エヴァンとの対決に集中を高めていく。

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