165話 追跡
始まりの魔女が動き、アリヤの正体を知った燃が魔女に明確な敵意を持った。
だがその敵対構造も、一日二日で即座に表面化するものではない。ホテルでの戦いから五日が過ぎたが、事態に大きな動きはない。
現状魔女からすれば燃は歯牙にもかからない雑魚で、燃もそれを自覚している。
準備が必要だ。魔女に気取られずに磨き、確実にその喉元へと突き立ててやれる力の準備が。
燃はまだ動かず、アリヤたちは何も知らない。
そんな事態の一方、エヴァンたちは学園との共同調査を徐々に進めている。
シエナの失踪、シエナの旧知であるラナ・コルネットとの敵対、そして魔女の出現。不測のトラブルに見舞われながらも、メンバーを欠かずに切り抜けた。
そしてエヴァンは今、電話を片手にシエナと声を交わしている。
「じゃあランドールからの依頼は継続って事でいいんだな?」
『うん。ホテルの一件は把握した上で、ランドールは可能ならこのまま依頼を継続したいって言ってきてる』
「マジか。何考えてんだ?」
エヴァンは思わず顔をしかめる。
と言うのも、ホテルアムランで大量の死者を出したテロが起きたことはもう広く知れ渡っている。
ランドール家の圧力で報道規制が掛かっているが、テロを主導したのがランドールの次男ルシアンだということをシエナたち、そしてエヴァンは把握済みだ。
藤間或也へと恨みを持って仕掛けたのが件のテロの動機。そしてアリヤは学園と同盟関係にある。となれば、ランドール家としては学園にアリヤとの絶縁を求めてくるか、依頼自体を取下げそうなものだが。
シエナが少し困惑した声を返してくる。
『そういうのはなかったよ。当主のマクシムはあの一件を弟の独断かつ暴走だって言ってた。こっちに責任を問う気はないってさ。何考えてんだろうね』
「自分たちが責任を負う気はないのかよ」
『いやあ、そんな気サラサラないでしょ。報道を潰して終わりだよ。学園としてもミトマが巻き込まれたし、本当は徹底的に追求してやりたいところだけど……現状はそうも行かないな。悲しいことに』
「いけ好かねえな、ランドール」
エヴァンはアリヤから直接連絡を受けた。
ホテル内で起きたことは又聞きでも胸糞が悪くなるほどの大虐殺で、犯人は死んで消えたから償う者はもういない。
アリヤの声もどことなく暗く沈んでいたので、きっと心に傷を負うような戦いだったんだろう。
ランドール家がその一件を無視するスタンスなのは気に食わないし、やらかした悪事はさておき実の弟の死を一顧だにせず切り捨てるスタンスも見ていて気分が良くない。
ただまあ、学園としてはランドール家との関係が切れるのは困るところ。調査継続が助かるというのは本音だ。
それを踏まえて、エヴァンはため息混じりにシエナへと問う。
「とりあえず俺らはそのまま調査してりゃいいんだよな?」
『頼むよ。あと少しだからね』
「じゃあまた連絡する」
そう告げて、エヴァンは電話を切った。
エヴァンは今レンタカーの車内にいる。コインパーキングに車を止めて、斜め向かいにあるカフェのテラス席を監視している。
そこにいるのは一組の男女だ。片方は白い髪に透き通るような肌、エメラルド色の瞳をした目立つ女性。
彼女こそ浮気を疑われているランドール家当主マクシムの妻、リシェル・ランドールだ。
そしてもう片方。一緒にいる男は夫のマクシムではない。
ランドール家の政敵であるウィンターズ家の子息、アラン・ウィンターズ。
リシェルとアランの二人は仲睦まじい様子で、言葉を交わしては笑みを浮かべている。
離れているしこちらは車内。会話内容は聞こえないが、一つ確実にわかることもある。
助手席に鎮座していた黒猫のコンブが軽い調子で口を開いた。
「浮気してるよあれは」
「そう思うか」
「猫でもわかるって。特別な空気感ってやつを感じる。はーやれやれ、立場も忘れて欲求に負けちゃってさ。人間も所詮動物だよね」
「お前ら猫だって発情期はニャアニャアうるさいじゃねえか」
「フフン、あいにくオレは去勢済みだからそういうのはないよ」
「自慢げに言うことか?」
エヴァンとしてはランドール家の妻が浮気していようがなんだろうがなんだっていいが、仕事は仕事だ。助手席のシート下に放り込んであったカメラを取り出して、談笑する二人へと向けてシャッターを切った。
そこへ、後部座席に座っている少年が声を発する。
「よりによって政敵と浮気とは……何考えてるんでしょうか、あの奥さん」
そう言ったのはニキ。離脱しているイリスに代わる人手として学園から派遣されてきた少年、ニキ・ロッシだ。
まだ15歳の彼をユーリカが人手として押しつけてきた時は正気かと疑ったが、このニキ、存外役に立つ。
やたらやる気に満ちていてキビキビと働くし、歳こそ幼いが学のないエヴァンよりも知識が多い。
おっとりして見えるユーリカが(エヴァン君は頭が良くないから賢いニキを一緒に行かせた方がいいよね)なんてことを考えて同行させてきたならちょっと腹が立つが、それにしたっていい援軍だった、とエヴァンは考えている。
視線だけを後ろに流して相槌を返す。
「さあな、金持ちの考えてることはわかんねえよ。ただあの女、確か旦那のマクシムよりも若いんだろ?」
「あ、はい。リシェル・ランドールは確か20歳ですから、夫のマクシムよりも10歳以上歳下です」
「浮気相手のアランってのも似たような歳に見えるし、嫌気が差したんじゃねえか。ピリついた年上男との結婚生活によ」
そう言って、エヴァンは大きめのあくびを噛み殺す。
正直テンションの上がらない仕事だ。数日前の地下水道での戦いみたいな死線を踏むのはごめんだが、こそこそ人の後を付け回して浮気調査というのはなんともテンションの上がらない話だ。
恋愛沙汰にまるで関心のないエヴァンにとって、誰が誰と恋愛しようがどうだっていい。
ましてや既婚者の浮気なんて爛れた話題、「クソどうでもいい」というのが正直なところ。
「眠そうだね」とコンブもあくびをしながら言ってきたので、鷹揚に頷いてからニキへと声をかける。
「なあニキ、密会してる写真は撮れたし、もうこれでいいんじゃねえか?」
「いえいえ、駄目ですよ。これだけじゃタダの友達って言い逃れができちゃいますから」
「じゃあどうしたらいいんだ。タダの友達じゃないことの証明なんて」
「それはその、手を繋いでいるところですとか、き、キスしてるところを撮るですとか。それと……ら、ら……」
「ああ、ラブホにでも入ってくれりゃ手っ取り早いのか」
「そ、そうです。はい」
ニキは純朴な少年だ。ラブホテルという言葉一つ口に出すだけでもこの動揺っぷり。いくら有能だとは言ってもやっぱり子守り感が拭えない。
エヴァンはやれやれと息を吐いて、テラス席の二人へと視線を向け直す。
(まあ、ラブホだのなんだのと教育に悪ぃのは確かだからな。イリス連れて来ずに済んで良かったぜ)
そんなことを考えながら眺めていると、アランとリシェルの二人が談笑を終えて席を立った。
店を移動するつもりだろう。幸いまだ気付かれている様子はない。
エヴァンは必要最低限の荷物が詰まっているバッグを肩に引っ掛けて、ニキとコンブへと合図をした。
「追うぞ。歩きだ」
都心部へと向かっていく不倫カップルの後を追い、二人と一匹は気配を殺しながら人混みの中を歩いていく。
この浮気調査が都市を揺るがす大事件へと繋がっていくことを、エヴァンはまだ知らない。




