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163話 一人きりの苦境

(待って、知らない知らない。何この展開? 燃さん全っ然なーんも聞かされてないんやけど)


 始まりの魔女によるアリヤの出自の暴露に混迷する状況の中、燃もまた戸惑いを抱えている。

 なぜなら彼女は事の大半を知らなかった。魔女の企みも魔王という存在の意味合いも、アリヤの正体も全て今知った。

 魔女に付き従っている深層六騎(ディープシックス)の上位三人は当然のようにアリヤの正体を知っていたような顔をしているが、燃は何も聞かされていなかったのだ。

 

(は? アリヤくんって人間やないの? いやまあ、それは別にいいけど、何? 今の話やったら会ったあの日が誕生日ってこと? え、じゃあ実質0歳児やん。おもしろ……やなくて、ええ?)


 実際、魔女が今回の件を話していたのはこの場にいるマイロン、ジーヴァ、ラクリ、そして序列四位のフッコまで。

 序列六位のブリークハイドは深層六騎(ディープシックス)への昇格から日が浅いため今回の件の概要を聞かされておらず、五位の燃はアリヤと直に接する役割を担うため、接し方が不自然にならないようにアリヤの正体について聞かされていなかった。


 ……という理由はある。あるのだが、燃はその理由についても魔女から聞かされていない。

 となれば心中に芽生えるのは不信と反骨。燃は魔女を見ながら思う。


(こいつ……私のことめっちゃ安く見てへん?)


 すごく腹立たしい。なんだか人生をそれなりの軌道に乗せてしまって薄れていた反逆の心がむくむくと鎌首をもたげていくのがわかる。

 だが、燃は馬鹿ではない。むしろ賢い部類の人間だ。

 忌々しい自分の賢さが、魔女に真っ向から歯向かえば自分なんて一瞬で存在を消されてしまうと冷静な警鐘を鳴らしている。

 従うのはナシ。だが今ここで正面切って敵対するのもナシ。

 そう考えた時に目に留まったのは、暗く表情を曇らせたアリヤの横顔だ。


(ふっ、めっちゃ不安そうにするやん? 情緒とか知識は見た目相応に育ってても、実際は生まれたばっかの赤ん坊みたいなものなんやろ? それを寄ってたかっていじめるってのはどうなん? っていうか腹立ってきたわ。そういう事情やったらアリヤくん育てたのってほとんど私やん? なんで自分が手塩にかけて育てた……ってほどは世話焼いてないけど、とにかく面倒見てあげてた子を好き勝手されるのを見てなアカンわけ?)

 

 燃は正義の人ではまったくない。

 見ず知らずの他人なら同じ状況でも平然と放っておいただろうし、なんなら魔女に媚を売りながら尖兵として働いて見せたかもしれない。

 だが、アリヤとの間に紡いだ親愛と自分を軽んじた魔女への反発心が相まった結果、燃は怪我を押して立ち上がっていた。

 燃は愛刀に炎を宿し、それをアリヤの背中へと突き立てる!

 

——状況は今に至り、アリヤは信じていた燃からの奇襲に目を白黒とさせ、魔女は燃の突然の奇行に目に不快げな色を浮かべている。


「燃さあ、敵意がないならそれは何のつもりなのか説明してくれない? なんで刺したの。刺す意味ある? いつアタシがそんな命令した?」

「あ、いや、えーと、違うんですよぉ。私みたいな小物が魔女様に逆らうなんて滅相もない! えへははは(死ねカス! 偉そうにすな!)」


 燃はヘラヘラと頭を下げつつ、内心で顔を引きつらせながら舌を出す。

 魔女はこの都市の万事においてほぼ全知だが、人心だけは読めない……はずだと燃は考えている。

 心を読めるのであれば、短気で尊大な魔女のことだ。自分みたいな面従腹背なタイプは早々に処分されているだろうというのが頼りない唯一の根拠。

 一か八か、燃はその根拠を頼みに魔女の意に反する道を選んだのだ。

 魔女が問う。


「じゃあ何のために刺したの」


 燃がすかさず答える。


「や、直々にお出ましいただいたのに申し訳ないんですけど、実は藤間(とうま)或也ありやの体ってまだ完成してないんですよぉ。魔王の器として使うには不十分な状態で……」

「その器に情でも移った? けどいらない意見よ、十分不十分を判断するのはアタシ。口出しをするならアンタも殺すけど」

「いやいやいや、待って!? ホントなんですって! こんな器なんかに情なんて全っ然移ってませんし!」


 吐き捨てるような口調でそう言って、燃はアリヤから荒っぽく刀を抜きつつ背中を蹴る。

 愛情や慈悲のまるで感じられない所作で床に蹴倒されたアリヤは、呻くような細い声と共に振り返る。


「燃さん……?」


 自らの素性が明かされたことに加え、信頼していた燃にまで見捨てられた。

 そんなアリヤの顔には怒りの色がない。

 ただ驚きと悲しみだけを色濃く宿していて、怒ることすらできないほどにショックを受けているのが見て取れる。

 そんなアリヤを気の毒に思う感情に蓋をして、燃は彼の横っ面を炎刀の峰で殴った。


「ぐうっ!!」

「捨て犬みたいな目でこっち見んといてくれる? ま、私も細かい事情は今の今まで知らへんかったけど、正体聞いてドン引きやわ。人でも亜人でもない紛いもんやん。今思えば姉がどうこうとかおかしかったし植え付けられた記憶に従って動いてただけの偽人間やったなんてね。そんなのと仲良くしてたとかヘドが出るわ。しょうもない」

「そんな……」


 反発する気力も残っていない様子で、アリヤは今にも泣き出しそうな顔で膝を屈する。

 そこまで言うか?

 いや、ここまで言う必要がある。

 憔悴しきったアリヤの様子には胸が痛んで仕方がないが、燃はまだ言葉を緩めない。


「ま、良かったやん。姉さんの復讐とかなんかごちゃごちゃ言ってたけど死んだ家族も殺した仇も偽物の記憶でどこにもいてへんかったわけやし。アリヤくんの原動力だった行動原理とかは全部消えてなくなっちゃったわけやから、まあ綺麗さっぱり気持ち切り替えて、安心して消えればええんちゃう?」

「……」

「こっち見んといて、偽人間」

「っ……」


 限界を迎えてうなだれたアリヤの目から、ボロボロと涙が溢れる。

 これでは心が壊れてしまうかもしれない。自分で罵っておいて胸を痛めた燃は片眉をしかめたが、しかしこれでいい。


「ん?」


 魔女が小さく首を傾げた。背から胸への貫き傷と火傷、頬を峰で殴られた痣。

 アリヤが燃から負わされた二つの傷に、なかなか治癒する気配がないのだ。

 魔女はその様子を訝しむ。器として十分な覚醒を果たしたはずのアリヤであれば、その体質故に放っておいても傷はすぐに癒えるはず。

 だが今のアリヤは傷の完治どころか、血で傷口を覆って修復を始めるという基本の工程にすら着手できていない。

 

「燃、アンタ何かした?」

「してませんしてません! 目の前で見てたでしょ?  変な魔力込めたりしてませんって。この通り、この出来損ないはまだ未完成なんですよ。不安定すぎてとてもとても! 偉大な魔王様の器として使えるような状態やないんです」

「……」


 魔女の目は眼前で小細工が行われれば決して見逃さない。

 燃の言っていることの何割が事実なのかを魔女は測りかねているが、アリヤの状態が不安定なのは事実らしい。

 そして、この状況は燃の狙い通り。彼女は根拠の薄い賭けにまず一つ勝ったのだ。

 燃は密かに思考を巡らせる。


(魔女が知らない事柄は本当に限られる。その中でも把握していない可能性が高いのは人の感情の機微。自分以外を下等生物くらいに見下してるあのクソ魔女は、下等生物なんかの感情をいちいち把握してないし、しようとも思ってない。だったら知らへんやろ? アリヤくん、燃さんのことめっちゃ好きなんよ)


 アリヤの自動治癒体質にも魔素(マナ)は使われていて、あれは広義での魔法の一環だ。

 魔法はイメージを礎とした力。心から信じて好意を寄せていた相手に裏切られて罵られれば、治癒なんてものが機能する余裕はなくなるはず……と、そんな曖昧な考察だけを頼みに燃は大博打に打って出て、賭けに勝った。

 燃の仕打ちに深いショックを受けたアリヤは、自動治癒ができなくなっている!


「ね? さっきの獄門空道(オルルスアグラ)を倒した一撃は出来すぎの大まぐれ。私が一番見てたからわかるんです。アリヤくんなんてほんとショボい庶民じみた感じに育ってますからそんな魔王どうこうなほどには育ってないんですよまだ。私こう見えて仕事に責任持って取り組む方なんですよぉ。せやからこのままの状態で納品ってのはちょっとポリシーに反するな〜って思うんですよね?」


 燃は畳みかける。身振り手振りを交えて全力で舌を回す。

 今この日さえ乗り切れれば、アリヤにもまだ生き残れる目が残るかもしれない。

 心が折れていても立ち直れる。だが人格が消されてしまえば戻す手段はもうきっとない!


(アリヤくんは消させへんよ)


 そんな一心でペラペラとまくし立てた燃へと不意に、しかめ面をしていた魔女がニッコリと笑いかけた。


「そっか。なるほどね〜、よくわかったわ」

「わ……わかりました?」

「アタシにとってこれは悲願だもの。半端な状態のこいつを使って失敗するなんて確かに嫌だわ」

「ですよねぇ〜!?」

「うん、理解できたわ。藤間(とうま)或也ありやを器にするべきタイミングは今じゃない。あ、でも」

「で、でも?」

「だとしたら本人に色々聞かせちゃったのは失敗よねえ? 器にされるとわかってて成長してくれるほど馬鹿じゃないだろうし。家畜が半端に知性つけたらこんな感じかしらね? 面倒臭っ」

「ははー。仰る通りで」


 燃は内心で魔女を小馬鹿にしつつ、わざとらしさの隠せない相槌を打つ。

 考えなしにノコノコ出てくるからやろ、バーカ。そんなことを考えながらほくそ笑んでいると、魔女がパチン! と両手を打ち鳴らした。


「じゃ、今の流れナシで」

「は?」


 燃が周りを見回すと、辺りの光景がガラリと変わっていた。

 アリヤが宙空で獄門空道(オルルスアグラ)の仮面を叩き割って、エクセリアやミトマが決着の一撃を見届けようと頭上を見上げた、その瞬間で時の流れが滞っている。

 深層六騎(ディープシックス)の上位三人もいない。動けるのは魔女と自分だけ。

 え、何が起きた? 時間を巻き戻したん? 自分たちが出てくる前まで? は? なにそれ?

 唖然とする燃の肩に、魔女がするりと手を添えた。


「全員の時間が巻き戻ったから、記憶ももちろん消えてるわ。藤間(とうま)或也ありやは何も知らない幸せな家畜に逆戻り」

「へ……」

「アンタの記憶は残しとくわね、燃。藤間(とうま)或也ありやはあと少しで完成。ここまでうまく進めてきたアンタなら、最期までうまく導いてあげられるでしょう?」

「……は、は……い」


 蛇に睨まれた蛙のように、燃の呼吸が浅く早まる。

 時間逆行? 時間停止? 燃は魔女に対してヤバいヤバいという印象こそ抱いていたが、ここまでの怪物だとは思ってなかった。魔法のスケールが違いすぎる。

 

「ねえ燃。私を恐れず意見を言えるアンタのこと、前より少し気に入ったわ。んー、それともビビりながらも勇気を奮ったのかしらね? お気に入りのペット(アリヤくん)の助命嘆願のために?」

「ち……違いますけど〜?」


 停滞した時間の中で、燃は今にも恐怖でへたり込みそうなのを堪えてごまかしを口にする。

 それをどう捉えたかはわからないが、魔女はケラケラと笑いながら片手を煽るように振った。


「きゃはははっ! 冗談冗談。うまくやってくれたらボーナス弾んであげる。褒めたりおだてたりいい感じに誘惑したりで成長促してもいいし、機を見てさっきの話を聞かせてもいいし。もちろん裏切ったら、死ぬより辛い目に遭わせるけど。じゃ、アタシ帰るから」


 そう言って、彼女はパッと嘘のように姿を消した。

 同時、時間が正常に流れ始めてアリヤの刃が怪物を切り捨てる。


「アリヤ! やったぁー!」


 エクセリアが嬉しそうに快哉を上げる。魔女は現れない。

 着地したアリヤの顔には憂いがあるが、それは血を吸って殺してしまった一般人を悼む感傷。

 時を戻された今の彼に、魔女から聞かされた話の記憶は残っていない。

 エクセリアと手を合わせて勝利を喜んだアリヤは、ふと燃に視線を向けてきて、困ったような笑顔を浮かべた。


“裏切ったら、死ぬより辛い目に遭わせるけど”


 そんな魔女の脅しが脳内に蘇り、本能レベルの身震いが彼女の骨身を震えさせる。


(え、これ……どうすればいいん?)


 アリヤが自分がきっと死ぬ。それか二人とも殺される。

 そんな誰とも共有できない一人きりの苦境に身を置いた燃は、何も言えずに困り笑みをアリヤへと返した。

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