★15話 履修選択
学園とは名ばかりの荒地の廃ビルに武装して立てこもった若者たち。
衣服は汗と砂ぼこりにまみれていて、食料は味気ない保存食と水だけ。夜な夜な響く負傷者たちのうめき声、こんなはずじゃなかったとすすり泣く声……。
俺のそんな学園自治連合への想像は、まるっきり良い方向に裏切られた。
地下街からの階段を上がりきると、目の前に広がっていたのは一面の芝生と青い湖、手入れされた花壇と美しく並んだ校舎群だった。
エクセリアがだっと駆け出す。
「広い! 明るいっ! キレイだー!」
ライオンキングの誕生シーンみたいに黒猫を掲げて声を上げるエクセリア。
まあ気持ちはわかる。すごくわかる。薄暗くて湿っぽい地下道から、爽やかな風の吹くキャンパスへと出たのだ。まさに気分爽快、俺も深々と胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
ふと校舎の方に目を向けると、こちらへ小走りで近付いてくる影が見える。シエナだ。
笑顔の彼女は左右の手で俺とエクセリアの手をそれぞれ握ると、「うわー本当に来てくれたんだ! ありがとう!」と縦にブンブン揺さぶってきた。ちょっと痛いが、純粋に喜んでくれてるのが伝わってきて悪い気はしない。
シエナより頭ひとつ背が低いエクセリアが揺すられて「うおお……」と困惑している様子に、リズムが横から口を挟んできた。
「うーん? シエナ、僕には君の勢いに二人が困ってるように見えるけどね」
「あ、ごめんね! いやあ、嬉しくってついつい」
「いやいや、誘ってくれてありがとう。しばらくお世話になることにしたよ」
「しばらくなんて言わずにずっと居てくれていいよ!」
朗らかな笑顔。知った顔と再開できたことで、ようやく学園自治連合の拠点に到着したのだという実感が湧いてきた。
俺たちの合流を見届けたリズムが腕時計を見ながら口を開く。
「じゃ、あとはお任せしていいかな。フットサルの予定入ってるんだよね」
出た、フットサル。意識高い系御用達スポーツめ。
俺は野球やらサッカーやらスポーツ全般を観るのは好きで好意的に捉えてるタイプだけど、フットサルをやる連中はどうにも好きじゃない。少人数でやれるとかの利点はあるんだろうけどなんかこう生理的に好かんのだ。
あいつはきっとフェイスブックに意識高い系の投稿をしまくるタイプだぞ。俺はTwitter派だ。うーん好きじゃないな。
そんな陰キャ根性をこじらせた偏見を燻らせる俺をよそに、シエナは爽やかに片手を上げて応えた。
「うん、出迎えに行ってくれてありがとう。助かったよ。ニキもね!」
「はい!」
シエナに礼を言われたニキは嬉しそうに返事をして、リズムに伴われて校舎の方へと去っていった。
シエナの格好を改めて見ると、昨日の私服とは違ってリズムやニキと同じ“CL”のロゴが入った上着を羽織っている。
揃いのロゴの服って組織感あってちょっといいな、なんてことをぼんやり考えていると、シエナが校舎の方へと歩き出しながら俺たちを誘った。
「二人ともついてきて。学園の中を案内するよ!」
・
シエナの後に付いて、俺たちは学内を歩いて回る。
まず印象に残るのは、並んだ校舎の美しさ。
日本の一般的な高校や大学の箱型の校舎とは違い、ヨーロッパのちょっとした宮殿のような華やかな形をしている。
ゴシック建築ってやつだろうか。前にテレビで見たことのあるイギリスのオックスフォード大学と雰囲気が似ているかもしれない。
時刻を知らせる大鐘楼塔を起点に中央校舎が円く連なっていて、そこからさらに六本の校舎が雪の結晶のような形で放射状に伸びている。
校舎の南側、俺たちが地下から出てきた方向には大きな芝生広場と湖が広がっている。
そこではバレーボールで遊ぶ生徒、湖の木陰で読書をする生徒、何をするでもなく寝そべっている生徒、それぞれが思い思いの時間を過ごしているのが見えた。
ちょうど予鈴が鳴って、自由時間を過ごしていた彼らが顔を上げる。
ゆっくりと立ち上がって校舎に向かう生徒もいれば、そのまま野外に残る生徒もいる。
人が密集して慌ただしい印象のあった都市部とはうってかわって、穏やかで、けれどどこか学究的な空気感に満ちた場所だ。
不思議だ。地下街に潜る前に遠目に見えた戦いの気配はどこに消えたのだろう?
ちょくちょくと敷地の説明をしてくれながら歩いていたシエナが振り向いて、俺たちに尋ねかける。
「どうかな。なかなかいい校舎じゃない?」
「綺麗だなあ、この建物だけでも大人気の観光地になりそうだ」
「あはは、歴史のある建物だからね。そう言ってもらえると嬉しいな」
「学校のシステムは単位制? 鐘が鳴っても外にいる人も結構多いみたいだけど」
「ううん、そういうのじゃないよ。何を勉強するかは完全に個人の自由なんだ」
「うん……? よくわからないな」
首を傾げた俺に、シエナは簡単にこの学校の制度を説明してくれる。
それによると、この学校に教師にあたる人間はいないらしい。
学園には膨大な量の授業、講義のデータベースが確保してあり、そのさまざまなジャンルの記録が毎時、講義室に投影される。
生徒たちはそこから受けたい授業を自分で選び、自分の学びたいことを学ぶのだと。
そんな彼女からの説明を聞いて、俺はますますよくわからなくなり首を傾げてしまう。
「それって、みんなちゃんと勉強するのか? 自主性に任せるって言えば聞こえはいいけど、完全に放任されたら学生なんてひたすら遊んでるんじゃ……? 俺なら多分そうなる」
そんな俺の感想に、シエナは軽く笑ってから返事を継ぐ。
「環境の影響が大きいかな」
「環境?」
「うん。この街も他にも学校はあるんだけどさ、生徒の適性を測ってどんな内容を学べってのが勝手に決められるんだ。美容師になりたい子が薬剤師になるための勉強だけをさせられたり、絵を描きたい子でもより適性のある土木の勉強をさせられたり」
「それは嫌だな」
俺は顔をしかめる。
日本だって希望通りに就職するのは難しいし好きなことを仕事にするのは辛いともよく聞くけど、少なくとも何を目指すかの自由は保証されてる。
向いてるって理由だけで一生の仕事を決められたんじゃたまらないだろう。
シエナが頷く。
「この街では、やりたいことをやるのって難しいことなんだ。生まれてからずっと抑圧されてて、騎士団と企業連から首輪を付けられて、自分で考える力を奪われて、一生をただやり過ごして死んでいくだけの人がほとんど。私はそれは違うと思う」
口調こそ穏やかだが、シエナの目は静かな熱を帯びている。
強い信念を感じさせる光を宿して、彼女は両手を大きく広げた。
「別に勉強しなくたっていい。スポーツばっかりしてたっていいし、音楽をやりたいならそれも最高。もちろん勉強したいなら応えられるだけの知識の蔵が備えてある。何もしたいことが思い付かないならダラダラしてても全然オッケー。けどとにかく、自分の頭で考えて欲しいんだ。学生でいられる時間って、やりたいことを見つけるための猶予時間だと思うから」
シエナは語る。
今学園に受け入れている生徒数は1万人弱。小規模な町ほどの人数がいる。
土地が放棄地区に指定されて地下パイプラインからの濃縮魔素供給が断たれても、大気中に漂う魔素だけで1万人の生活を賄えるだけのエネルギー技術を開発した子がいる。
爆撃や外敵の侵入を防ぐ天蓋システムを完成させた子もいる。
そんな目覚ましい天才もいれば、農業、畜産方面に才能を発揮して食糧問題を地道に支えてくれてる子たちもいると。
「学園自治連合なんて名乗ってるけどさ、学園って名前はただの看板。この世界に窮屈さを感じてる子たちの受け入れ先としての旗印……に、なれてるといいんだけど」
そこまで語ったところで、シエナは熱が入ってしまったことに恥ずかしそうに頭をかいた。
「なんだか話が脱線しちゃったけど、この街では好きなことをできるってのはとっても貴重なことでさ。みんな抑圧されて育ってきてるから、環境への反発心とかもあって自発的に勉強するのかも。まあしない人もたくさんいるけどね!」
と、シエナの背後から教科書の背表紙が振り下ろされた。
コツンと軽く頭を叩かれて、「いって」と言いながら振り向くシエナ。そこにいたのは眉を困らせたユーリカだ。
「もう、シエナちゃん。一緒に講義受けようって言ってたのに」
「あーっごめん! 忘れてた!」
「熱く語ってた当人が勉強しない人なのはどうなのかなぁ。大体シエナちゃんはこの前もその前も……」
「あ、ははは……」
矢継ぎ早にサボりを指摘されて、痛いところを突かれたシエナがごまかし笑いを漏らす。
話の最後にちょっと語気強めに付け加えた“しない人もたくさんいる”の中に、どうやら自分も含まれていたみたいだ。
それからユーリカは俺たちに目を向けて、目元を緩めながらゆっくりと頭を下げる。
「アリヤさん、エクセリア様。シエナちゃんの誘いに応えてくれてありがとうございます。……あら?」
「む、なんだ」
「エクセリア様が抱きかかえてるのは猫ちゃん?」
「そうだぞ。ふっふふ、可愛いだろ!」
「うん、とっても可愛いね。撫でてもいい?」
昨日会った時のユーリカはこちらへの警戒心を感じさせる子だったが、猫が仲介役として役立ってくれたようで、撫でる表情はとても柔らかい。
寒がりなのか首元にマフラーを巻いていて、赤らんだ頬が彼女の表情を女性的に見せている。ボーイッシュなシエナとはなんだか対照的だ。
……それにしてもエクセリアめ、ユーリカにはあっさり猫を撫でさせたな。俺には触らせてくれないくせに。
「アリヤさんたちはお昼ごはんは食べた?」
「ああ、うん。俺たちは列車に乗る前に食べてきたから大丈夫」
「私はまだ食べられるぞ!」
「やめとけよ、ラーメン替え玉した後に菓子パンとチョコバー食べてたろ」
俺がエクセリアの食い意地を嗜めていると、ユーリカはシエナにも同じ問いかけをする。
「シエナちゃんは?」
「さっき食べたよ。中央棟の購買でパン買って」
「パンだけ?」
「うん、焼きそばパン」
「もう……野菜も食べなきゃっていつも言ってるでしょ? パンだけじゃ栄養足りないんだから」
「あー、ささっと食べられて楽だからついつい……」
「それにシエナちゃんはもうちょっと添加物をちゃんと見ないと。購買が仕入れてる既製品のパンは色々入っててあんまり体に良くないんだよ? 希望者が多いから置いてるけど、そればっかりじゃ良くないんだからね」
「うーん……うん……」
さっきまでの理想に目を輝かせていた学園のリーダーの姿からガラリと変わって、ユーリカからお説教を食らうシエナの姿はたじたじで萎れて見える。
どうやらこの二人、有事の際はともかく、日常でのパワーバランスはすっかりユーリカが手綱を握っているようだ。
ちょっと面白く思えて観察していると、ユーリカの視線が俺に向いた。
「本当に、食生活について全然言うこと聞いてくれないんですよ。シエナちゃん。どう思います?」
「まあ、そうだなあ。パンの現物見てないからわからないけど、ショートニングとかイーストフードとか入ってるやつは食べすぎない方がいいんじゃない」
「そう、そうなんです! ほらシエナちゃん聞いた? 体に良くないんだから!」
「あーっ、そこ援護射撃されちゃうか……」
俺がユーリカの肩を持ったのが予想外だったのか、シエナはますますバツの悪そうな顔でうなだれる。
これでも俺は一人暮らしをしてた頃、食品添加物とかには微妙に気を付けてたのだ。姉さんの仇を討つ前に体の調子を崩す要因はなるべく排除したかったので。
そんなやりとりを割るように、シエナの上着のポケットでピピピとアラームが鳴った。
ラッキー! とばかりに音の鳴っているスマホを手に取ったシエナは、それを止めながら口を開く。
「えっと、ごめんねユーリカ。そろそろ次の時間の準備しなくちゃ。野球の予定だから」
「もう……でも私も準備した方がいいかな。食文化研究の講義だし」
ユーリカからの追求を逃れられたと見て、シエナが俺たちの方へと目を向ける。
「二人はどうする? これが次の時間の講義リストなんだけど、受けたいのがあったらどれでも好きに受けて大丈夫だよ」
「どれどれ」
受け取ったリストをざっと見ると、なんとも数が多い。
ただ高校でやるような科目を今やる意味はないし、経営学だとか経済学をここで学んでも仕方がない。理系はそもそも苦手だ。
魔法についての講義でもあれば受けたかったが、今の時間帯はちょうど見当たらない。
気になるのは「都市世界の成り立ち」についての講義だろうか。付け焼き刃で聞いてわかるかは微妙だけど、知っておくべき内容なような気もする。
迷っていると、シエナとユーリカがそれぞれ声をかけてきた。
「受けたいのがなかったら私と来て野球するのはどうかな! 見てるだけでもいいし、参加すれば自分の身体能力を把握しやすいよ。転移で色々感覚変わってるでしょ」
「それか、私と一緒に食文化研究を受けますか? お料理もパンドラの文化の一つだから、もしかしたら二人の参考になることがあるかも。お話もしたいし」
迷う。
「私は勉強のことはよくわからん。任せた」とエクセリアは言っているので、どこに行くかは俺が決めてしまって問題ないだろう。
その時、頭の中で……
————鐘が鳴った。
『運命分岐点』
「え、そんなしっかり決めた方がいいとこなの? これ」
『今ここが、お前の運命を大きく分かつ岐路。選択肢を示そう。選ぶ権利を与えよう』
「大げさじゃないか?」
問いかけてみたがやっぱり返事が返ってくるものでもなく、俺の目の前に選択肢が浮かび上がる。
【①.「都市世界の成り立ち」についての講義を受ける】
【②.シエナと一緒に野球をしに行く】
【③.ユーリカと一緒に食文化研究の講義を受ける】
どうしたもんかね。
いまいち分岐の重要性を実感できないまま、俺は目の前の三択について考える。
①については言わずもがな、都市についての知識を得られる点が大きなメリットだろう。情報は生き延びるための武器だ。
ただ②と③も捨てがたい。頼れる相手が今のところ燃ぐらいしかいないこの世界で、誰かと少しでも親しくなっておくことには大きな意味がある気がする。二人に付いていけば他の友達を紹介してもらえる可能性だってあるだろう。
「ま、カジュアルに決めちゃっていい気もするけど……」
そう呟きつつ、俺が選ぶのは——




