156話 一ヶ月の成果
「ほれ行け雑魚ォ」
タシタシと手を叩くゲーデの号令を受けて、操られた人々が隊列を組んで押し寄せる。
両手だけではとても数えきれない人数が、ゲーデの精密気圧操作によってピンポイントに生み出される風で細かな動きを強制されて前進してくる。
「嫌ァッ!!」「助けてくれ……!」「死にたくないよ!」と彼ら彼女らは必死の形相で口々にアリヤへと命乞いを向けてくる。
洗脳されているわけではないのだ。あくまで四肢全身の制動権を奪われているだけで、アリヤと敵対しようなんて意思は微塵も持っていない。
だがそんなことはお構いなしに、ゲーデは気圧操作だけを用いて数十人の体を同時に操り仕向けてくる!
「器用すぎないか?」
群衆と向き合うアリヤは思わずボヤかずにはいられない。
ルシアンを斬り殺すことに躊躇いを持たなかったアリヤだが、いくらなんでも“敵意がない”、“意識はある”、“操られているだけ”と三拍子揃った人たちを殺すわけにはいかない。そんなことができるほど冷徹な精神性は持ち合わせていない。
あれは何人いる? 20以上……30近く?
そんな人数の手足や背中をピンポイントな風で押して操るなんてどれだけの魔力と集中力を要するんだろう。
操られている人たちだって抵抗しようと体に力を入れているはずなのに、それを片っ端から抑え込んでいるのだ。マジか?
戸惑いを覚えて対処を迷うアリヤ。だがその背後から、少女の活発な声が飛んだ。
「アリヤ! 目だ! あの男の目に大量の魔素が集まってるぞ!」
「目? よしわかった。助かる!」
体感時間一ヶ月以上、時間が引き延ばされたホテルの一室で修練を積んでいたのはアリヤだけではない。
エクセリアもまた集中力を高めてイメージを深めて、生来優れている魔素の扱いをより熟達させている。
今の彼女は特殊な魔法を使うでもなく、大気や人体に含まれた魔素の流動を見ることができる。
エクセリアの見立ては正解だ。ゲーデが不快げに顔をしかめた。
「魔素見えただけで何イキっとんねんメスガキが。姫だかなんだか知らんけど、そこの狐女もろともきっちり搾り殺したるわ」
ゲーデの瞳が怪しく魔素を帯びる。
彼のまぶたの裏には自前で開発した魔法式“風瞳”が焼印で刻み付けてあって、気圧変動を指と視線だけで操ることを可能にしている。
まばたきをするたびに視野に留まるまぶたにそれを刻むことで脳内に術式を強く刷り込み、魔法を発現させるためのイメージプロセスを省略して詠唱をカット。視線と指先による操作を実現させ、強力な魔法を成立させているのだ。
(重要なのはその仕組みや。魔素の流れがバレたからって何が変わるわけでもないが……ドグソがぁ〜〜)
まだ少しあどけなさの残る少女に見透かされたことが気に食わない。
ゲーデは群衆に迫られたアリヤがまだ動いていないのを確認して、視線をエクセリアと倒れている燃へと向ける。
「オラ死ねやカスぅ」
ゲーデの双眸が二人を捉えた。彼が両手の指で雑巾を絞るような仕草を見せると、エクセリアと燃の周囲にヒュル、と突風が渦を巻き始める。
彼の気圧操作魔法における十八番の一つ、“風の巣”だ。
目標の周囲に無数の気圧変動を起こすことで、あたかもタービンに巻き込まれたかのような凄まじい攪拌へと巻き込んで殺す。二人が殺されてしまう!
だが、アリヤはそこへ一瞥も向けずにゲーデを見据え続ける。
「頼んだよ、エクセリア」
「任せておけ!」
信頼を向けられたエクセリアは、殺人風を目の当たりにしながら一歩も退く様子を見せない。
燃を守る位置に立ち続けながら、ゲーデが起こした乱旋風を鼻先で笑った。
「フン、この程度か? ——“祈る春鳥、螺旋する翠楼。七つの翼よ曲輪を成せ”」
「姫様が詠唱を!?」
燃は驚きに目を見開いた。
記憶を失って以来、エクセリアはまともな魔法を使えなくなっていた。
魔素の扱いには長けていることから「エクセリ波」とかいう冗談みたいな破壊光線を放つことはできていたが、あれは潤沢な魔力をゴリ押しで放出していただけに過ぎない。
だがこれは違う。キチキチと微かな摩擦音が響き、正確かつ強力無比に魔力が束ねられていく至極真っ当な魔法!
「『七聖城』」
普段の子供っぽさのある発声とは違う、威厳すら感じさせる声色でエクセリアが宣告すると、その魔力がゲーデのものを上回る。
風を束ねて光輝の城壁を築く魔法『七聖城』は、ゲーデが生じさせた風を自分のものとして絡め取ってみせた。
「はははは! 私の方が上のようだな〜! バーカ!」
ゲーデへ向けて勝ち誇って高笑いするエクセリア。いや実際、圧倒的だ。
『七聖城』。
記憶を失う前のエクセリアが得意としていたこの魔法は魔素に対する防御性が極めて高い。今二人のいるこの場所は、完全な安全圏へと変わっている。
堅牢な風の砦に守られながら、燃は目を丸くしたままエクセリアへと問いかける。
た
「ひ、姫様。記憶戻ったん!?」
「フフフ! どっちだと思う。当ててみろ!」
「え? あー、ううん。どう見ても戻ってるようには見えへんけど……表情は完全にアホ面やし……」
「不敬罪で処刑だな」
「待って、横暴すぎひん? 暴君誕生やん」
そんな軽いやりとりを交わして、燃はふうと肩を竦めた。
「記憶戻ったとかそういう感じには見えへんわ、どう見ても」
「当然だ。記憶なんて戻っていないからな!」
「なんで自慢げなん。でも、それならなんで魔法使えたん?」
「ふふーん! 天才だからだな!」
「そういうのやなくて。昨日……っていうか今朝方までそんな気配全然なかったやん」
「今朝? あ、うん。そうか、今朝か」
歯切れの悪い返事をしながら飲み込むようにうなずくエクセリアを見て、燃は概ねの事情を理解した。
元々封印系の魔法に造詣が深い燃は、強固な封印が内部の時間を歪ませるケースがあることを知っている。
今朝会った時と比べてアリヤもエクセリアも髪が伸びている。わりと鬱陶しそうな長さに伸びた前髪を見るに、あの部屋の中で一ヶ月は過ごしたと見るべきか。
「結構長かったみたいやね、部屋から出られるまで」
「ん? おお〜流石は燃! 理解しているのか」
「でも結局わかれへんわ。なんで記憶が戻ってないくせして魔法が復活してるん?」
「それはだな……」
——二人が会話を交わす風壁の外では、変わらず死闘が続いている。
アリヤへと押し寄せてくる無実の人々の壁、壁、壁!
ゲーデはエクセリアと燃を仕留められなかったことに激しく憤慨している。
「なに邪魔してくれとんねんあのメスガキ!! ッチ、せやったら藤間或也の方は念入りにブッ殺したるわボケが。完全に制動された生き人形共に驚けェ!!」
だが、驚愕に目を見開いたのはゲーデの方だった。
「へ?」
ダ、ダンと二歩。たったの2ステップしか見えなかった。
ただそれだけで、人垣に隔てられていたはずの藤間或也が目の前へと迫っている。
いつの間にか恐ろしげな紅月の甲冑を纏った藤間或也が、刀を翳して振り下ろしてくる!
「なッ……何ィ!!?」
「覚悟しろ、ゲーデ!!」
首に迫った刃を、ゲーデは気圧の流動で編んだ空刃で辛うじて受け止めた。
何が起きた!? ゲーデはアリヤの高速の挙動をまだ理解できずにいるが、既に戦いは近接戦へと突入している。
醜悪な怒りと困惑に顔を歪めたゲーデ、赤黒い血の鎧で全身を包んだアリヤ。両者の激闘がヒートアップしていく。




