155話 激昂
仕事多忙のため6日の更新はお休みします。
次回更新は8日を予定しています。
死は突然に訪れる。
戦いに身を置く以上そんなことはわかっているつもりだったけれど、それが今日だなんて、燃は微塵も考えていなかった。
交通事故に遭うと知っていて遭う人間がいないのと同じように、暴力と理不尽は前触れなく襲いかかる。
いや、彼女の場合半分は自分の撒いた種でもあるが、それにしたって向けられた怨念は逆恨みだ。
死に直面して思考が絡まった脳の片隅に浮かぶ、「死にたくない」という純粋な気持ち。だが抗う術がない。
あの時ああしてなかったら、こうしてなかったら、そんな無意味な仮定を浮かべながら、ゲーデが差し向けてくる暴力の波を前に燃の脳は死の受容へと傾きかけていた。
(これは私、死ぬんかな?)と。
だから燃にとって、目の前の光景は死の間際の幻覚にすら思える。
アリヤが降ってきた。
降りた彼は燃を守るように半身で立ち、晨星を構えて、すべての状況を理解したように刀を構えた。
いやいや。胸の内に深く広がった安堵と感動に、燃は思わず笑ってしまう。
アホちゃうん私。アリヤくんが来てくれた〜! って胸躍らせて、思春期か。アホくさ。
彼女の冷めた感性は自分の情動を嘲笑おうとするが、それがうまくいかないほどに心が動いている。
自嘲と照れとアリヤへのからかいをごちゃ混ぜにしながら「逆にダサいわ」と一言述べて、それから燃は、素直な胸の内を吐露する。
「……アリヤくん。助けて」
「助けます」
燃へと笑いかけてから、アリヤは修羅の形相で前を見た。
「ルシアン・ランドールッッ!!!! お前は殺す!!!!」
「おやおやこれはこれはようこそ死地へ!!! 舞台は用意した。兵隊も数を揃えた。あとはどうやってダンスホールへ誘ったものかと懊悩していたのだが、まさかまさかの君から赴いてくれるとは藤間或也!!!」
殺意を剥き出しにしたアリヤの憤怒に、ルシアンは同じだけの熱量の怨念で応えてくる。
パンドラの街で権勢を誇るランドール家の子として育ってきた彼にとって、拒否と否定に遭うのは人生で初めての経験だった。
深谷家で見合いを断られたあの日以来、アリヤと燃への復讐は彼が生きる上での最優先事項へと据えられているのだ。
が、知るか!!
アリヤはそれに応えず、眼差しに怒りを灯したまま駆け出した。
無策に飛び込んだらアカン! 燃はそう助言しようと身を起こしかけるが、全身の激痛に耐えられずに押し殺した声で呻く。
そんな燃の頭を、燃より少し小さな手がペシンと軽くはたいた。
「馬鹿、大人しくしていろ。燃が無理して死んでしまったら助けに来てやった意味がないではないか」
エクセリアだ。アリヤと一緒に降ってきた彼女は、既に打ち合わせを済ませていたかのように即座に燃の介抱へと回っている。
アリヤといいエクセリアといい、なんでこう状況把握済みみたい動きをしているのだろうかと疑問を覚えるが、それよりもと燃は傷に響かないよう小さな声でエクセリアに語りかける。
「っ……姫様、アリヤくんに忠告せんと……あんな突っ込んだら危ない……!」
「燃、アリヤは成長したぞ。なにせ一ヶ月ぐらい訓練してたからな!」
「……? 一ヶ月って、何が?」
エクセリアの言っている意味がいまいちわからず、燃は不思議に思って首を傾げる。
そんな二人の会話を背に、アリヤは迷うことなく刀を下段に下げたままルシアンへと向かっていく。
斬り捨てる。そんなシンプルな殺気に眉を潜めるルシアンの前へ、ゲーデが悪意に満ちた眼差しで立ちはだかった。
「お〜お〜久しぶりやなぁ。いや、そうでもないかぁ? 深谷邸では途中で邪魔が入って命拾いしてたもんなぁ。でも今日はやめへんで〜? この前みたいに手足ちょんぎってダルマにしてからミンチにしたるわ」
そう告げながら、ゲーデは煽るような仕草で指先をくるくると回した。
それを見たアリヤは、素早く自らの腕に晨星を縦にあてがい深々と切り込んだ。
行動を操作された!?
いや違う。ゲーデも片目を歪めてアリヤの真意を測りかねた顔をしている。
(何してるんアリヤくん!?)
そんな燃の戸惑いの視線の先で、アリヤは血に魔力を通わせて操作。
すると腕を滴り落ちる血が、爆ぜて霧散して赤い霧へと変化した。
アリヤの周囲を漂う赤い霧、その数ヶ所に生じるゆらぎ。
それを素早く視認して、アリヤは血を伝わせた晨星でゆらぎを斬る!
「だあっ!!」
「ンあァ!?」
アリヤの気勢にゲーデが顔を歪める。アリヤの斬撃によって、彼の目論見が外れたのだ。
その光景を見ながら、燃は少し落ち着きを取り戻した声でエクセリアへと話しかける。
「アリヤくん知ってたんやね、ゲーデの魔法が空気の操作やって」
「ふふん、見てたからな。あ! 私が気付いたのだぞ! 不可視の攻撃なんて大方風か何かを操っているのだろうと予測してやった。漫画でよくあるやつだ!」
「ふーん……」
風の操作というエクセリアの予想はほぼ正解だが、正確には少し違う。
ゲーデは指を指揮者のように泳がせるあの動きで、超精密かつピンポイントに気圧を操作しているのだ。
一般人たちの行動を操っているのは、彼らの背中や四肢の周囲の気圧をピンポイントに操作することで、高気圧から低気圧へと向けて生じる異常な突風。
大人数の体を同時に操作してみせる精密さは狂気的と言っても過言ではない。
ただ、あの力は完全な不可視ではない。目に見えないだけで空気は流動しているわけで、血霧のように微細な粒子で空間を着色してしまえば流れは見える。
アリヤはそうした上で、血の魔力を纏わせた刃でゲーデの気圧操作を斬り、かき乱してみせたのだ。
そして速攻!!
ダ、タ、タンと三歩跳躍、アリヤは敵の懐へと大股に飛び込んでゲーデを無視。深く一歩踏み込んで、刀の射程にルシアンを捉えた。
「なっ……!? ゲーデ、守れ!!」
「チッ、シカトしなやクソガキが!!」
ゲーデは忌々しげに舌打ちをしながら、指だけでなく掌で気圧を操作して風を生む。
だが、アリヤは踏み込みと同時に鋭く吼えた。
「“血茨”!!!」
「——! おっ、とぉ」
アリヤの踏み込んだ箇所の床にヒビが走り、そこから血で編まれた無数の有刺鉄線が槍衾の如く生えた。
ゲーデへ向けた牽制撃。しかしゲーデは見切りも素早く、すぐさまバックステップを踏んで有刺鉄線の射程から外へと逃れてみせた。
ルシアンのガードはもうない。
「は?」
「えらいすんまへん。足手纏いの坊ちゃん守るんはちょっと……まあ、無理でしたわ」
「ゲーデ、お前……!?」
「ルシアン!!!」
アリヤが叫び、晨星が下から上へと跳ね上がる。
ルシアンは咄嗟に手にしていた剣を構えて斬撃を受けた。が、一撃で折れて飛ぶ刃!
「ひ」とルシアンの声が漏れるがアリヤは止まらない。斜めに一歩、払い抜ける斬撃が一閃。よろけたルシアンの肩を深い斬撃が裂く。
「ふざけるな!!! 私はランドールの人間だぞ!!? 貴様、こんな真似をしてタダで済むと」
「とっくに敵だろ」
「っっ!」
先に仕掛けてきたのはそっちだ。恥をかいたのは気の毒だけど、見合いなんだから当然断る権利は燃にあった。
なのに逆恨みで戦いを仕掛けてきて、燃が危うく死にかけた。
身内が殺されることに強いトラウマを持つアリヤにとって、ルシアンとゲーデは既に迷いなく殺すべき敵だ。
折れた刃で刺してこようと握りを変えたルシアンの手首を、アリヤは渾身の蹴りで折り砕いた。
「ぎっ、貴様、下民風情がふざけるなよ!!!」
きっと激痛だろうに、痛みを叫ぶよりも下民への糾弾を優先するルシアンの精神性にアリヤは驚く。が————振るい、斬断。
「あ……お……!?」
死は突然訪れる。
真一文字の右薙ぎが、ルシアンの胴を真横に割った。
ガパ、と腹が裂けて血が溢れて、ルシアンは蒼白な表情で白目を剥いた。
迎えてしまった死を理解できていない顔で、口を開いたまま天井を仰いで動かなくなる。
じわっと血溜まりが広がり、アリヤは残心で刀の血を払った。まだだ。
「ラファエル・ゲーデ!!!」
「ザコ虫一匹殺して調子付いとったらアカンでぇ、ガキが」
彼の本来の主人はルシアンではなく兄でありランドール家当主のマクシムだ。
とはいえ、同じランドール家の人間であるルシアンに対してゲーデは一片の敬意も示さない。
トカゲのような顔立ちに悪意と嘲りを浮かべながら、彼は拍手をするように両手を鳴らした。
それに応じ、操られている一般人たちが一斉にアリヤへと顔を向ける。
「まだまだ雑魚はぎょうさんおるで〜斬り放題の殺し放題! ささ遠慮なさらず、斬れるもんなら斬ってみろやクソカスゥ」
「……」
ゲラゲラゲラと悪魔めいて笑う男を前に、アリヤは晨星を構え直す。




