153話 予期せぬ遭遇
エレベーター内の戦いは1分にも満たない短短いものだったが、まさに死闘と呼ぶべき激戦だった。
6人乗りエレベーターのさほど広くもない室内で、幾重にも刃をぶつけ合い、轟々と魔力を唸らせたのだ。
死闘の最中、燃と雷はお互いの本性を目の当たりにしている。
燃が雷を評して曰く「ゲテモノ」。
雷が燃を語って曰く「バケモノ」。
両者の実力は拮抗している。易々とは決着が付かないからこそ、お互いの存在を看過できない。ここで仕留めておく必要がある……二人がそう判断した瞬間、灼熱に溶けて斬撃を刻まれた天井が抜け落ちて、エレベーターは一階へと落下した。
「痛っ、つつ……ぅ!」
「これは……ちょっと、予想外だったかな」
眼光鋭く睨み合いながらエレベーターから這い出てきた燃と雷だが、二人ともにエレベーター落下の衝撃で重いダメージを受けている。
そんな二人はタイミングを図ったかのように、ふと同時に一階ロビーの様子へと目を向けた。
血飛沫、弾痕、大きく抉れた光沢ある床。一般の宿泊客と従業員たちが怯えた表情でフロアの一角に集っていて、乱闘している集団の傍には異様な形状の巨剣を構えた女と男の死体が一つ。それとフロア端に我関せずとばかりに座り込んだ青年が一人。
いや、それよりも……燃の視線は離れた位置で嫌悪感のある笑みを浮かべた二人の男に着目する。
「はぁ? なんであんたたちがここにおるん」
「おや? おーやおやおやこれはこれは! 予想外の方がお出ましだ。それも全身ズタボロで、随分とみすぼらし……簡素な格好をしていらっしゃる。同じ質問をお返ししよう、深谷燃。あなたは一体何故ここに?」
「答える義理ないわ。死ねカス」
「やれやれ、相変わらず品のないことだ」
男はニヤニヤと目元を歪めたまま、燃を煽るよう肩を竦める。
つい今し方まで雷へと向けられていた燃の殺気は、この男を視認した途端に全面的にそちらへと向いた。
そのことに気を削がれた雷は、気になって燃へと尋ねる。
「よければ聞かせてもらいたいんだけど、彼は誰かな?」
問われて、燃は苦虫を噛み潰したような顔でチッと大きな舌打ちを鳴らした。
「……ルシアン・ランドール。ランドール家の次男坊や。相変わらずけったくそ悪いツラしてるわ」
「ランドール。へえ、あれが」
「……あと気安く話しかけんといてくれる? 一旦保留にしてるだけで、後で決着付ける気やから」
「そう。僕はもう面倒になってきたけど」
可愛らしい仕草で小首を傾げた雷を無視して、燃はルシアンから睨む視線を逸らさない。
あの男は最初の問いに答えていない。燃は声色に攻撃的な重みを込めつつ、吐き捨てるように彼へと問う。
「なんでここにいるのかって聞いてるやろ? さっさと答えてくれへん?」
「フフ、知れたことを。ランドール家の名に傷を付けた藤間或也、あの馬鹿な男を始末するためだよ。それよりも……私の名前など覚えていないと言った割にはしっかり覚えていてくれているようだが?」
「ハッ、顔も声も人柄も不愉快すぎて逆に思い出せたわ」
燃の脳裏に浮かんだのは(やっぱりか)と(そりゃそうか)と(もう来たかー)という三つの感想だ。
あれだけ真正面からメンツを傷付けられて、議員家系ながらに悪名高いランドール家が黙っているはずがなかった。
だがここで遭遇するとは。アリヤはまだきっと本調子じゃないのに!
燃は適当かつ曖昧に、色々な責任を回避しながらのらりくらりと生きてきた人間だが、これには流石に責任を感じてしまう。
気軽に恋人の演技を頼んだせいで、アリヤはランドール家から目を付けられてしまったのだ。ならどうする? 殺すしかない。
「悪いけど死んでくれへん?」
燃が迷いなく刀の先端を床に突き立てると、神楽鈴を振るったようなシャンと涼やかな音が鳴った。
応じて、ルシアンの足元の床に水面であるかのように波紋が揺らく。炎で象られた赤い鳥居が蜃気楼のように顕現する。
その中心点に燃の魔力が収束——するよりも速く、ルシアンの隣にいた男が指をヒュルと回した。
瞬間、燃は体に暴圧を受けて弾き飛ばされる!
「うぐっ!?」
殴打されたのとも衝突とも違う、不可視で純粋な力の圧力。経験したことのない感覚だ。
普段ならまだしも、刺客への拷問と雷との戦闘、さらにエレベーターの落下で魔力と体力を摩耗した今の燃には猛烈な勢いで床を転げるダメージは重かった。
「い、ったぁ……! なんなん!? 腹立つわ……!」
全身のあちこちを痛打していて、軽く脳震盪まで起こしているのか視界が揺れて明滅する。
それでも手放さずにいた刀を頼りに立ち上がろうとするが、ルシアンの隣の男がさらに指を空中に泳がせる。
燃の両側から挟み込むような暴圧! 衝撃に全身の筋骨を痛めつけられて、燃の口からは潰れた吐息がガフと漏れた。
(これ、ちょっ……ヤバない?)
想定外だ。燃は深層六騎に名を連ねる実力者だが、戦闘スタイルはどちらかといえば事前の仕込み重視。その場で戦って即十二分に実力を発揮できるというタイプではない。
それがアリヤの介抱ということで大して気負いもせずに訪れたホテルで思わぬ連戦。昨晩は微妙に寝不足で血中魔素が不足気味だし、頭の冴えも体のキレもイマイチだ。
そんな状況下に突如の強敵。あれは誰だ?
(……あ、あれやわ。この前ルシアンの隣にいたトカゲ顔の気色悪い男。えーと名前、名前呼ばれてたけどなんやったっけ……なんか顔に似合わずお高貴な……)
痛みに顔をしかめながら燃が半身を起こすと、雷が蛇腹剣を泳がせてルシアンたちへと伸ばすのが見えた。
「邪魔させてもらうよ」
「アァ? なんや貴様コラァ。アー、お前知っとるでぇ。血の門が潰れるやいなや潰した藤間或也んとこに転がり込んだ腰抜けの雷春燕やろ!? ギャハハハハ!! すっこんでろやカマホモが!!」
男は極めて荒々しい声色で喋る。
喋り方のイントネーションやニュアンスは燃の口調と少し似ているが、聞いた印象はまるで別だ。
ひたすらに粗野で卑俗。唾液を飛ばしながら悪辣な哄笑と共に叫んでいる。
だが実力は確かだ。魔素を切り裂く雷の蛇腹剣が、不可視の力に的確に弾かれて無力化されている。
雷も燃との戦闘で疲労が募っているのだ。彼は伸び切った剣を一度手元に戻して、渾身の勢いでもう一撃を放つ!
「君たちの因縁は知らないけれど、藤間或也は僕の雇用主なんだ。殺されると困るね」
「知らんわボケ死ねカス!!!」
「……!」
力が炸裂した。
雷の斬撃が完全に弾かれて、彼自身も後方へ吹き飛ばされて壁へと叩きつけられる。
さらにほぼ同時に回天麒麟で地面を擦りながらミトマが斬りつけていたのだが、大質量と機械駆動が合わさった強烈な斬撃すら不可視の力が受け止めてしまう。
ミトマもまた体を弾き飛ばされて、痛烈なダメージを負って床に屈した。
男の無双ぶりを見て、ルシアンがやれやれとばかりの拍手を鳴らしながら口を開く。
「もう少し加減できないかな、ラファエル・ゲーデ。駒として使えるのがいるかもしれない。壊しすぎるのは趣味じゃなくてね」
「はあ、ご要望やったらその通りに致しますわ。ルシアン坊ちゃん」
「それと、使えそうなものは間引いて構わない。処遇も一任する」
「へへ……そいつはどうも」
そう、ラファエルだ。ラファエル・ゲーデ。
ニチャニチャと下卑た笑みを浮かべる男を目の前にして、燃は苛立ちに奥歯を噛む。
だが消耗した燃たちにとって、ゲーデは対抗手段を見つけるのすら難しい難敵だ。
ゲーデの薄汚い視線が、玩具を見つけたかのように一般人たちを捉える。




