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149話 混沌と臨戦

 アリヤが部屋から出るべく、刀を振り回して悪戦苦闘しているのと同刻……

 ホテルアムランの内部に取り残されているのはアリヤとエクセリアの二人だけではない。


 ただ、同刻と言うべきかは微妙なところだ。

 時間の流れが極度に停滞していて出入りができなくなっているのはアリヤたちの部屋だけで、その他の部屋やフロアは平常時と変わらない。

 各部屋の宿泊者たちや従業員たちが異変に気付いて恐る恐る廊下へと顔を覗かせている只中、一階フロント前のロビーには困惑の面持ちを浮かべた集団がいた。


「オイオイ、これはなんだ? どうなってる」

「すんません、わからないっす。俺が任されていたのは藤間(とうま)或也ありやの部屋の封鎖と侵入の手筈だけなんで」

「私もわかりません。この異常な力場……一体何が起きてるんですか?」

「俺にもなんとも……」

 

 男が三人と女が一人、いずれもスーツを纏っていて、その顔相はまともな職業の人間には見えない。

 その中の一人、サングラスをして浅黒く焼けた肌の男が最も偉そうな態度を取っている。

 サングラスの下に隠れた男の目付きは極めて鋭く、人を一人や二人殺めても何一つ気にしない不穏なオーラを醸している。

 彼の名はサギシ。四俠の一角に名を連ね、アリヤの命を狙っている男だ。

 その名前は正確には佐岸(サギシ)と書き、アリヤと同じ日本人の血統を引いている。

 だが二丁拳銃を用いる冷酷な暗殺者として働く彼にとって、同じ人種だとかそんなことは躊躇の原因になりえない。

 上から指示を受けた以上、一点の迷いもなく藤間(とうま)或也ありやを殺す……と、決めていたのだが、この状況には冷酷な彼も困惑を感じずにはいられない。

 

(邪魔立てされず確実に殺すために、魔法での空間封鎖に長けた部下を三人連れてきた。なのにこれはどうなってる? 空間が奇妙にねじ曲がっていて藤間(とうま)或也ありやのフロアには辿り着けねえし、ホテルの外にも出られねえと来た。こいつは一体……)


 考慮の合間、サギシはふとロビーを見回す。

 ここには大勢の人が集っている。不安そうにしている者、フロントにクレームを付けに来ている者、正面玄関と外部を隔てる漆黒の闇を突破できないか試みる者と様子はさまざまだが、パニックに陥っている点は全員に共通だ。

 そんな中に、サギシの目は様子の異なる一団を見出した。


(あの連中は……)


 一見するとごく普通の一般人だ。

 なんの変哲もないポロシャツやネルシャツやら至って普通の服装を身に付けていて、若い男から少し高齢の女性まで年齢もまばらな十人ほどの集団。

 フロントから離れた片隅にひとかたまりになっていて、それぞれ会話を交わしているので一つのグループなのは間違いない。

 だが、サギシは違和感を覚える。

 彼らの接点が見えない。何か共通の趣味を持った集まりにしては年齢も性別も雑多すぎる。家族や親族にしては顔が似ていない。


(そして何より、全員がこの状況に動じていない。コイツは妙なことだぜ。パニックに対する耐性は人それぞれだ。肝が座ってて驚かねえ奴や、驚いててもそれが顔に出ない奴はそりゃいるだろうよ。だがジジイババアまで揃ったあの集団で、誰一人驚いてる様子がねえと来た。そいつはおかしすぎるんじゃねえのか。ええ?)

「……? どうしたんスか、サギシさん」


 サギシがフロアの一角を凝視しているのを見て、部下の一人が声をかけてきた。

 だがサギシは「いや……」と言葉を濁して何も言わない。

 彼の中には一つの仮説が組み上がっている。誰一人パニックに陥っていない集団というのは自分たち四人も同様だ。それなりに驚いてこそいるが、過呼吸になったり泣いたり騒いだりといったことはない。

 どうしてパニックにならないか? それは状況の原因の一端を理解しているから。自分たちが藤間(とうま)或也ありや襲撃のために空間封鎖の魔法を用いていたことを知っているからだ。

 こんな大それた状況になるとは思っていなかったが、自分たちが使った魔法がこの状況を生み出す一因を担っていることは理解できている。

 だとして、あの集団が驚いていない理由は? 


(コイツは憶測でしかねえが……もしかすると、あの連中も似たような魔法を使ってたんじゃねえのか。こっちが用意した魔法と向こうが使った魔法が奇妙に作用しあって、想定外の効果を生み出しちまったんじゃねえか?)


 サギシの中で、その思考は既に疑惑から確信へと変わっている。

 根拠ならある。昨日の夜に同じ四俠のドラが藤間(とうま)或也ありやを襲撃した際、狙い撃った薬剤弾が不可視になっていた男に当たって不発になってしまったと報告を受けている。

 不可視の男? 何の言い訳だ、とサギシは首を捻ったが、この状況下でようやく理解できた。藤間(とうま)或也ありやはどうやらどこか別の組織にも狙われているらしい。


(どんな人柄かは知らないが、なんとも難儀な野郎だな)


 そんなことを考えていると、部下の一人がサギシの横顔へと問いかけてきた。


「殺りますか?」

「うん?」


 サギシが連れてきた部下の中で唯一の女性、彼女はとても気が回る。

 上司の視線を見て敵意を察したのだろう。その問いを受けて、他の部下二人も合図さえあれば即臨戦とばかりに懐の銃に手を伸ばす準備をしている。

 だが、サギシは首を横に振った。


「やらねえよ、連中の素性がわからん。一般人も大勢いるからここでドンパチはなしだ」

「承知しました」


 サギシは殺し屋だが快楽殺人者ではない。

 職業として殺しを営んでいるだけで、無関係な人間を殺さずに済むなら殺したくないという感覚は持ち合わせている。

 可哀想だとか気が引けるという感情もあるが、なにより商売としてのスキルである殺しを安売りするのが嫌なのだ。

 彼の判断に、部下三人はすぐさま矛を収めた。

 そんなやりとりを経てなお、フロア向こうの十人組がサギシたちの敵意と警戒に気付く様子はない。

 部下たちは殺意を満面に押し出してしまっていた。戦闘を生業にしているプロなら既に気付いていそうなものだが、その様子がない辺り、彼らは素人なのだろうか?


(勘違いだったのか? まあ、どちらにせよ仕掛けなくて正解か)


 ……と、サギシの視線は別の方向に釘付けになる。上階からの階段に、一人の男が姿を表したのだ。

 目を細めてヘラヘラと笑顔を浮かべ、両手を縛られて表情の硬い女にしょっぴかれている一人の青年。その男をサギシはよーく知っている。

 カイ秀英(シゥイン)! あの男が裏切ったせいで血の門(シュエメン)は!


 姿を隠してこそこそ逃げ回っていたようだが、それもこれまでだ。

 サギシは低く怒気を込めた声で、部下たちへと一転した指示を下す。


カイ秀英(シゥイン)だ。殺すぞ」

「了解」


 サギシたち四人が銃を構えた瞬間、フロアを人々の悲鳴が満たした。

 それに応じてフロアの隅にいた十人組、アリヤを狙って集った団地の刺客たちが一斉に色めき立つ。ナイフ、鉈、銃。隠し持っていた武器を各々が構える。

 秀英(シゥイン)が「あ、やばいですよこれ」と一言告げるよりもわずかに早く、彼を連行していたミトマは彼を引きずりながら展示されていたオブジェの台座の後ろへと飛び込んで隠れ————怒涛の勢いで連なる銃声!!


 暗殺者と暗殺者と暗躍を目論む青年にミトマを交え、混沌の乱戦が幕を開ける。


 そしてホテル上階。

 静まりかえったエレベーターホール、すうっと開いた鉄扉の前で、ある二人が顔を合わせていた。


「おっと。エレベーターが一機使えなくなってると思ったいたら、お取り込み中だったみたいだねえ?」

「えーとあなた誰やっけ。ごめんごめん、燃さん興味ない人の顔覚えるのあんまり得意やないんよ〜……って、あーそうそう思い出した! 私のアリヤくんにチョロチョロまとわりついてる羽虫やん?」


 燃。彼女が出てきたエレベーターの中は、血みどろに汚れて黒く焼け焦げている。

 ボロクズの炭になった死体が一つ残されていて、尋問と拷問、アリヤを狙った刺客の末路が窺い知れた。

 そんな血と煤の匂いを意にも留めず、レイはニィッと目元を笑ませた。


藤間(とうま)或也ありやはこの街の重要なキーだ。君の好奇心の玩具にされちゃうと困るんだよ、妖狐」

「は? なんなん好奇心の玩具って。人を悪者みたいに言って腹立つわ。うーん……アリヤくんにちょっかいかけそうな星の意思(イデア)とかいう胡散臭い存在には、ここでご退場願っとこか?」

「それは困るなぁ。正当防衛なら、仕方ないよねえ」


 燃は炎刀に火を灯し、雷は蛇腹剣をシャラシャラと鳴らす。

 二人の間で、急速に臨戦の気配が高まる。

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