147話 ホテル消失
ホテルアムラン。アリヤたちが調査していたココルカ地区の隣接区、モントアの繁華街の外れに位置するビジネスホテルだ。
アリヤたち一行は昨夜からここの五階に泊まっていたのだが、その建物が突如として消失した。
「あん? ホテルが消えた?」
その報告を受けたエヴァンは、一体何の話だと片眉を上げる。
学園のメンバーと連携してランドール家の浮気調査に当たっているエヴァンだが、彼にとって学園は既に去った古巣だ。
特にシエナ、ユーリカ、ミトマの三人はともかく、それ以外の運営メンバーとは折り合いが悪い。
彼らと同行する気は一切なく、妹のイリスが安静に寝ている病室の片隅にもたれかかって過ごしていた。
人狼の異様にタフな体質が幸いして、体調はもう悪くない。今日もせいぜい働いてやるかと考えていた矢先の報告だ。
だが、それだけ聞いたところで何も話が見えてこない。どこかもよくわからないホテルが一棟消えようが知ったことか。
「どこのホテルが消えようが知らねえよ。どうしてそんな話を俺にすんだ」
不機嫌に問い返したエヴァンへ、学園から伝言役としてやってきた少年は少し怯みながら声を返す。
「あ、いえ、僕もただの伝言役だから詳しいことは知らないんですけど……ええと、そのホテルの中に藤間或也さん一行が滞在していたらしくて」
「ンだと?」
「それに、ミトマさんがアリヤさんたちと会うためにホテルに行く予定だったそうなんです。もしかしたらホテルの消失に巻き込まれたんじゃないかってユーリカさんが……」
「ふーん、ミトマまでか。何やってんだどいつもこいつも」
なるほど、エヴァンにも事の重大さが飲み込めてきた。
アリヤたちは自分の事務所への依頼に取り組んでいるが、学園にとっては最悪いざという時に頼れる同盟相手だ。それが行方不明になってしまったのは痛い。
アリヤとエクセリアに電話をしてみるが、揃って圏外になっていて繋がらない。
心配だ。アリヤが消えたら給料が出ない、それは困る。
あのいけすかない雷も巻き込まれたんだろうか。それとも奴が何かしたのか?
だがエヴァンは考察を好まない。ここで憶測を立ててもわからないことだと思考を打ち切った。何事もなるようになる。
学園側の視点に立てば、ミトマが巻き込まれているのが最悪だ。
彼女は学園にとってシエナに次ぐ戦力で、おおざっぱで細かな指示を下すのに向かないシエナに代わって前線指揮官的な役割も務めている。
それが突然消えてしまったとなると、学園の体制はガタガタになってしまう。
そんな事情を鑑みて、エヴァンは伝言役の少年へとぶっきらぼうに声をかける。
「もうランドール家からの依頼はすっぽかして手切れでいいんじゃねえか。今更ランドール家の嫁の浮気調査やってる場合じゃねえだろ」
「そ、そうもいかないんじゃないですか……? 僕は詳しいことはわからないけど、ランドール家から学園防衛のための戦力を借りるには今回の調査をこなさなきゃならないって聞いてます」
「その防衛のための戦力ってのがいらないんじゃねえのって話だよ。企業連やら七面會ぶつかることを考えてるんだろうが、そいつら七面會は一人殺され企業も一つテロに遭いで散々じゃねえか。しばらくちょっかい出してこねえだろ」
「ええと、そういうのは僕にはなんとも……」
「フン」
まあそりゃそうだ、とエヴァンは鼻を鳴らす。
伝言役の少年に方針の話をしてどうする。シエナとユーリカにでも後で話してみるべきだろうか。
しかし、エヴァンは結局そうしないことにした。
シエナ……はともかく、ユーリカや学園の運営連中は自分よりもよっぽど賢い。ランドール家の調査を引き受け続けるからにはそれなりの利点があるんだろうと考えたのだ。
頭を軽く掻いてから、伝言役の少年を追い払うようにシッシッと手を揺らした。
「まあいいや、ホテルの件は了解だ。俺のやることが変わるわけでもないしな。調査は手伝うがよ、足並みは揃えず好きにやらせてもらうぜ」
イリスはまだ眠ったままだ。脈拍やら諸々の数値は安定しているのでじきに目を覚ますだろうと医師には言われたが、魔女から魔力の塊を流し込まれて以来この状態なのが気がかりで仕方がない。
ただ、まさか病室でずっと妹の寝顔を眺めているわけにもいかない。
復讐目当ての血の門の刺客が街中をうろついているとも聞くし、厳重な警備プラス学園の精鋭が護衛してくれているこの病室にいる方がイリスにとってはきっと安全だ。
「行くか」とエヴァンが立ち上がると、窓際のひなたで陽光を浴びていた黒猫のコンブもすとんと地面に降り立った。今日も懲りずに調査についてくる気らしい。
まあ、来たいなら来ればいい。そんなことを思いながらエヴァンが病室を出ると、伝言役の少年がエヴァンの隣についてきた。
「なんだ。まだ何か伝言あんのかよ」
「いえ、ユーリカさんからエヴァンさんの手伝いをするようにと指示を受けているので、ご同行させていただきます!」
ゴドウコウ? 言葉の意味をすぐに噛み含められず、エヴァンは数秒沈黙してから顔いっぱいに疑問を浮かべた。
ご同行。ついてくるって言ってるのか? とようやく理解できてくると共に、腹の奥から声が漏れる。
「…………はァ〜?」
「頑張ります! よろしくお願いします!」
「いらねえよ。帰れ」
「足は引っ張らないよう努力しますので!」
「いらねえって。ユーリカめ、何考えてやがる」
武闘派の不良のエヴァンと穏健派かつ優等生のユーリカはまるで生き方が違うが、エヴァンは案外ユーリカのことを嫌っていない。
個人的な友人になれるとはまるで思わないしそうしたいとも微塵も思わないが、ひたすらシエナ優先主義の彼女の生き方にはある種の一本気を感じて好感を抱いている。
それに彼女はシエナの右腕を務めているだけあって、おっとりとした少女に見えてわりとしたたかな切れ物だ。彼女の判断は正しいケースが多い。
だが……これは理解できない。どういうことだ?
戦闘経験もロクになさそうなガキを押し付けられたって、フットワークが悪くなるばかりで何の役にも立ちやしない。
まともに働くかどうかの監視? いや、それならもっと冴えた人員をよこすはずだ。
深く汲み取れない意図があったりするのか? と、エヴァンは少年の顔を訝しげに見つめる。
「お前、見たことあるな。確か……前から運営の手伝いしてたろ」
「はい、ニキと言います! あの、僕、エヴァンさんのこと尊敬してます!」
「そうか、そりゃ嬉しいぜ。尊敬ついでに一つ頼まれてくれるか?」
「はい!」
「さっさと帰れ」
「いえ! ご同行させていただきます!」
少年……ニキはやたら折り目正しい。
ぴしりとカカトを揃えた直立不動で、エヴァンの言葉一つ一つに誠実でハキハキした声を返してくる。
おそらくニキの「尊敬してます!」という言葉に嘘はないのだろう。やたらとまっすぐな瞳には虚が入り込む隙がなさそうだ。
よく見れば、ニキは腰に折りたたみ式の槍を提げている。一応戦闘要員としてついてくる気で満々のようだ。
15歳前後だろうか。イリスと同じくらいの年代に見える。
(こんな若いのも学徒動員かよ。人手不足もここまで来たか)
いよいよ呆れてしまって声も出ないが、ユーリカが連れて行けと言うからには、何かの意味があるのだろう。
仕方がない。連れて行くしかないかと腕組みをして唸っているとニキがエヴァンの足元にいるコンブに興味を示した。
「可愛い猫ですね。どこかで見たような……なんて名前ですか?」
その質問には、エヴァンでなく猫自身が直接答えた。
「コンブだ」
「!!!??」
猫が喋った!?
ニキはそんな驚きに絶句して硬直してしまったが、お約束とでも言うべきか、エヴァンはこの手の反応に少し見飽きてきている。
それよりも気がかりなのは自分たちの見た目だ。
はりきり少年と喋る黒猫を連れた人狼の珍道中、絵本じゃないんだぞと思わず頭を抱えたくなる。
だがまあ、仕方がないとエヴァンは割り切る。今日こそまともに浮気調査とやらに取り掛かってみるのだ。




