146話 保留ってことで
「とりあえず、今回は保留ってことで」
さまざまな要因を踏まえた上で、アリヤは腕組みしたまま答えを返した。
保留。その答えを受けて、秀英は「ええ?」と眉をひそめた。
「保留ですか? 血の門の残党が藤間さんたちのことを狙ってきてるんですよ? それに対抗できるように共同戦線を敷こうって提案ですよ?」
「そう畳みかけられても。そっちのことが信用できるかわからないからな」
「悠長だなぁ〜! これからガンガン攻めてきますよ血の門残党は。黒貌王さんからの厚意なんだから受けておけばいいのに」
(余計なお世話だ)とアリヤは考える。
押しかけてきておいて人質まで取ろうとした時点で秀英に対する信頼はゼロなのだ。そもそも黒貌王だって秀英がこっちを裏切ったことがあるという事情は知っていたはずで、印象がマイナスに傾いている彼をメッセンジャーとして送ってくるのはどう考えてもおかしい。
何故だろう? その理由として思い至るのはアリヤたちへの探りだ。
一度裏切った男が伝言役を務める提案をすぐに受け入れるようなら、自分たちだけではもう対処できなくなってしまっているほど切羽詰まっていると見られるだろう。
つまり秀英はいわゆる観測気球だ。
もしそうなら共同戦線と言いつつ、黒貌王は段階的にアリヤたちを自陣営へと取り込んでいく……と穿った見方をするならそうとも取れる。
アリヤはそれを念頭に置いたまま、秀英へと声を向けた。
「あくまで保留だよ、完全に断るわけじゃない。うちの事務所は今初めての仕事を受けてて、これを途中で投げ出すわけにはいかない。初仕事から途中で放棄しましたじゃ信頼も何もあったもんじゃないからさ」
「一件だけでしょう? それも気の触れたお婆さんが依頼主って聞いてますけどね」
それを聞いて、今度はアリヤが怪訝げに眉をひそめる。
「随分こっちの事情に詳しいじゃないか。いい気はしないな」
「いやいや、それぐらい知ってて当然ですよ。黒貌王さんはかなり慎重な人ですからね、組もうって相手のことはよーく調べてます。とにかく、そのお婆さんの件は適当な調査でお茶を濁したって評判の低下には繋がらないと思いますよ?」
「そういう話はしてない。こっちの気構えの問題なんだ」
お互いを訝しみ、お互いの発言を否定しつつ、手の内を探り合うような会話は進みが遅い。
秀英はメッセンジャーとして来ている以上は共同戦線を取り付けたいと考えているが、アリヤは深く警戒している。
ただし完全に黒貌王と決別してしまうのもまずい。団地の連中と血の門残党という実態の掴めない敵組織を二つ抱えてしまっている以上、これ以上敵を増やしたくないのだ。
さらにいくつかの言葉の応酬の後、アリヤが断定的に言葉を発する。
「とにかく、今すぐ協力どうこうってのは無理だ。帰ってそう伝えてくれ」
「いやー、後悔しますよ? まあ別に僕は構いませんけど、後手後手に回ったら酷いことになっちゃうかもしれませんからね」
秀英は負け惜しみめいてそう言い放つと、後ろ手を縛られたまま器用に立ち上がる。
「じゃ、僕はこれで」と去ろうとする彼の足を、ミトマのキレのある足払いがスパンとはね飛ばした。
「痛っ。ちょっと何するんですか〜、部外者の方は邪魔しないでくださいよ〜」
「とぼけるな。お前は後で外に吊されるんだから大人しくしていろ」
容赦のない声色でそう言い放つと、ミトマは視線を上げてアリヤへと歩み寄る。
「この男のせいで挨拶が遅れたが、アリヤ、最近調子はどうだ。変わりはないか?」
「え? ああ、問題ないよ。まあ今朝はちょっと取り乱したけど、今は快調かな」
「そうか。ならいいんだが」
「……?」
ミトマからの質問の意図がよくわからず、アリヤは軽く違和感を抱く。
きちんと顔を合わせるのは前回シエナの護衛で同道したとき以来だが、その時は気安く話せていたのに今回はなんだか彼女の態度が妙だ。
妙な距離感があるというか、久々に会った甥と何を話せばいいか測りかねている叔父ぐらいの遠慮と手探りを感じる。
しばらく会わなかった相手への態度がリセットされたりよそよそしくなったりする人もいたりするが、ミトマはあまりそういうタイプにも見えないのに。
そんなことを考えるアリヤへ、彼女は鞄から取り出した一冊の本を手渡してきた。
「アリヤ、お前はこの本を知っているか?」
「本? あっ、『異日』か」
アリヤはその本を知っている。
深層六騎のフッコ曰く、都市伝説や与太話ばかりの載ったその本の著者はアリヤの父、藤間良悟だという。
この世界に来ていたはずがない父の本が、なぜこの世界で出回っているのだろう?
フッコによれば、初版よりも前に試し刷りされた数冊だけに重大な何かが書かれているという。
話を聞いて以来その疑問は胸の内に燻り続けていたのだが、別件で忙しかったせいで探せずにいた。
そんな諸々を踏まえた上で、アリヤはミトマへとうなずく。
「知ってるよ。まだ読んだことないけどね」
「そうか。本当の著者も?」
「一応知ってる。実感はないけど……」
「そうか……うん、なら良かった」
ミトマはしっかりと首を縦に振り、固かった表情を和らげてくれた。
どうやら父の著作の件をアリヤが知っているか、知らなければどう伝えるべきかで悩んでいたらしい。
彼女は物言いこそ硬いが、シエナを補佐する立場だけあって気配りができるタイプなのだ。
ミトマはその本を、アリヤへと手渡してきた。
「これは私が古本屋で買った、一般に出回っている初版のものだ。だがリョーゴ・トウマの名が記された試し刷りの本には、一部異なる内容が綴られているという。私はそれを読んでみたい。君もそれを読むべきだ」
「ああ、読んでみたいよ。けどどこをどう探せばいいのか見当も付かなくて……」
「本探しなら任せておけ。古書店巡りは元々私の趣味だからな、代わりに探しておこう」
「え、いいのか?」
それは助かる。本当に助かる。
初版ならともかく、それ以前の試し刷りなんて何冊あるんだという話だ。
ネット通販やオークションを漁ってみても売り切れどころか影すら踏めなかったし、掲示板を軽く巡ってみても話すらほぼ出てこない。
もっとネットの深部にあるようなサイトを探せば色々な情報も出てくるのかもしれないが、アリヤはまだパンドラのネットに関しての造詣がそれほど深くないので無理だ。
そんな状況に、ミトマからの申し出は渡りに船だった。
亡き父の遺した本なら、触れてみたいと思うのは当然の情だ。
満面の笑みで喜びを示したアリヤへ、ミトマはしっかりと頷いた。
それからもう一歩アリヤへと寄り、秀英に聞かれないよう声を潜める。
「その代わりに……と言うのも変だな。いや、これは別件として聞いてほしいが、エヴァンたちをもう少し学園の方に貸しておいてもらえないか?」
「エヴァンたちを?」
「ああ。昨日の一件でシエナはかなり消耗を強いられてしまった。正直言って戦力不足だ。もちろん学園からも大勢の人員を動員しているが、精鋭との戦闘に応じられる人員はそう多くないからな」
「わかった。エヴァン次第だけど、俺の方は構わないよ。魔女だなんだでゴタついたけど、元々エヴァンたちにはそっちにしっかり参加してもらうつもりだったし」
「そうか。助かる!」
その確認を済ませると、ミトマはふてくされたように床に寝転がっていた秀英の襟首を掴んで引き立てた。
「さあ行くぞ。私は役職柄、捕縛が得意だ。お前は外に出てすぐの適当な木にでも括り付けておいてやろう」
「ええ? あれ脅しでしょ? 本気でやる気ですか? ちょっと藤間さん、この人止めてくださいよ。僕は反省しましたって。ちょっと? ちょっと〜!」
ドアがバタンと閉じて、引きずられるままに秀英の声が遠ざかっていく。
来訪者が全員去って、ようやく部屋が静かになった。
雷がずっと腰掛けていた窓際の椅子から立ち上がって、「少し疲れたね。飲み物を買ってくるよ」と部屋を出ていく。
それを見送った瞬間、アリヤは腹に衝撃を感じて「ぐうっ!?」と声を上げた。エクセリアが頭から勢いよく突進してきたのだ。
一体何を? アリヤが突然のダメージに目を白黒とさせていると、少女は機嫌を損ねた猫のように、「うー」と低く唸る声を漏らす。
「どうしたんだよ、エクセリア」
「……最近、人が多すぎる」
「人が多い?」
意味がわからずアリヤが首を傾げると、エクセリアは瞳に不満をたっぷり湛えて大声を張り上げた。
「私はお前と! あとコンブとでのんびり過ごす時間が一番好きなのに、最近そういう時間が全然ないではないか! 味方だ敵だ、仕事だ勢力がどうだ、同盟だの共闘だのあーだこーだ! めーんーどーくさい〜! ややこしい話はしばらく聞きたくないぞ!」
エクセリアはわめく。
ギャーギャーと声と手を振り上げて、アリヤへと不平不満を訴えてくる。
だがまあ、アリヤにもその気持ちはわかる。
「ふふっ、ははは。もっと色々シンプルだといいのにな」
「そう! 平和な日常をダラダラすごして、たまに敵が出てきてそれをババーンと倒す! そういう感じがいいのに!」
「わかるわかる」
色々な状況が絡み合い、さまざまな責任を抱え込んでしまっている今、それは当分叶わなさそうな願いだ。
けどまあ、そんな日が来ると助かるなあとアリヤは頷いて同意した。
その瞬間————激震。轟音。
ビルが崩れ去ってしまうんじゃないかと思わせるほどの衝撃を感じて、アリヤとエクセリアは驚きに身を竦ませる。
それが止まるまでに数秒。テロ? 大災害?
慌ててカーテンを開けてみると、窓の外の世界は墨をこぼしたような漆黒に塗りつぶされていた。
「お、おいアリヤ……」
「な……何が起きた?」




