144話 報復テロ
アリヤが目を覚ますと、いやに頭が冴え冴えとしていた。
昨晩のことははっきりと覚えている。シュラが来て、ドクロの死を知らされて、心の脆い部分を刺激された自分がパニックになってしまった。
エクセリアを散々困らせてしまったし、燃さんが来て世話を焼いてくれたのもはっきり覚えている。膝枕をしてくれた辺りまでは記憶が鮮明だ。
そこからはプッツリと意識が途切れていたので、本当によく眠れたんだろう。
「……いや、いやいや。いやいやいや……よく眠れたんだろうじゃないよ、なんだよあれは、醜態どころの話じゃないだろ……おいおい、何やってるんだ俺は〜……!」
記憶と思考が鮮明になればなるほど、昨日の自分の姿がありありと思い出される。
いくら過去の記憶が蘇ったからって失神して吐いて、年下のエクセリアと自堕落な燃さんに手を焼かせただって? ひどい! とアリヤはベッドの上で身を捩らせる。
アリヤは二十歳だ。自分のことをもう大人だと思い、大人は落ち着き払って安定した精神を持っているべきだと考えている。
“大人”という曖昧な概念にこだわっていること自体まだ大人に成り切れていない証のようなものだが、とにかくアリヤはクールでいたい。自分の弱さを人に見せるのが苦手なのだ。
そんな彼にとって、さらけ出してしまった弱さと晒してしまった醜態は今にもいなくなってしまいたいほど恥ずかしいものだった。
頭を抱えて転げ回らずにはいられない……が、いつまでもこうしているわけにもいかない。
事態は動いている。ドクロが死んでしまったのは動かしようのない事実だ。
彼の死は悲しいが、昨日起きた出来事はそれだけじゃない。シエナやエヴァンたちも危うく死ぬところだったし、イリスは昨晩はまだ目を覚ましていないままだった。
それ以上に自分たちの元へも刺客が来ているわけで、どうやら死の暗雲がこの街を覆い始めているらしい。七面會が一角欠けたのなら、その流れにより歯止めがかからなくなるかもしれない。
だとしたら、エクセリアや燃さん、親しい人たちを不幸が襲わないようにしたいとアリヤは強く思う。断ち切らなくては。
ため息を深呼吸へと切り替えて、アリヤは勢いを付けてベッドから身を起こした。
すると、窓際の椅子に腰掛けて外を眺めている人影に気付く。雷だ。
「雷、こっちの部屋にいたのか」
「おや、我らが所長のお目覚めだ。昨晩は大変だったね」
「いや、すまない……迷惑かけちゃったな」
「気にしてないよ。人間が感情を露わにするのって、僕たち星の意思にとってなかなか面白い光景なんだ。またやってほしいな」
「遠慮しとくよ……」
アリヤは思わず肩をすくめる。ただでさえ恥を晒してしまったのに、それを人外にエンタメ視されたんじゃいよいよ形無しだ。
二度とあんな醜態は晒すまいと固く心に誓っておく。
「そう? もったいないな」と冗談か本気かわからない口調で呟く雷。
彼の目の前には湯気を立てたカップが置かれていて、部屋の空気にコーヒーの良い香りが混じっている。
自分も飲もうかとアリヤがそれを見ていると、意図を察してくれたのか、雷が電子ポットのところへと歩く。
数個置いてあるアメニティのティーパック類を指に挟んで、ゆらゆらと揺らして見せながら彼が問いかけてきた。
「君も何か飲む?」
「あ、悪いな。俺もコーヒーがあればそれで」
「コーヒーはカフェインが胃に良くない。昨日散々吐いていた君にはオススメできないなあ」
「あ、そうか。それじゃあ紅茶を」
「紅茶だってカフェインは入ってるから同じだねえ。はい、白湯をお飲み」
「白湯……」
手渡されるままどことなく侘しい気分で味のしないお湯を啜っていると、雷がおもむろにテレビのスイッチを入れた。
映し出されたのはニュース画面だ。そこには炎上する大きなビルと赤文字で強調されたテロップが表示されていて、アリヤはカップを片手にぼんやりとその文字を読み上げる。
「企業襲撃テロ? ふーん、相変わらず物騒な街だな。ニューシティマテリアルなぁ。……ニューシティマテリアル?」
この世界で育ってきたわけではないアリヤにとって、この街の企業のほとんどは耳慣れず馴染みもない存在だ。
だが、ニューシティマテリアルには聞き覚えがある。いや、聞き覚えどころか。
「企業連だねぇ」と雷が相槌を打つ。
そうだ、企業連だ。
「アブラの企業じゃないか!!」
アリヤは思わず驚いて叫ぶ。
昨日ドクロが死んだタイミングでアブラの企業が襲撃だって? それもちょっとした火災じゃない。地上から上階へとビル全体が炎を帯びた大炎上だ。一体何が起きたのだろう。
アリヤは慌ててスマホを取り出し、先日の共闘の時に聞いたばかりの連絡先へとメッセージを送る。
アブラと、おまけに側近として働いているリズムの二人に「ビルが襲われたみたいだけど大丈夫?」と尋ねてみたが、1分待っても二人へ送った文は既読表示にならない。
(まさか巻き込まれた? いやいや、あの二人は経営にしっかり絡んでるみたいだったし忙しいだけだろう……多分)
アブラやリズムは学園の敵であり裏切り者だが、アリヤとしてはマダム紅相手に共闘したことも同じくらい印象深い。
味方とは決して言えない存在だが、それでも心配は心配だ。
そのままテレビを見つめていると中継からスタジオへと画面が戻り、都市の情勢に詳しい専門家が見解を語り始める。
「ニューシティマテリアル社のCEOを務めるアブラ氏は先日の血の門襲撃に関わっていたとされています。このテロはおそらくアブラ氏個人への血の門残党による報復でしょうね」
「あぁ」とも「おお」とも付かない曖昧な声と共に、なんともコメントし辛いような雰囲気がスタジオに漂う。
無法地帯で殺伐としたこの街でさえも、マフィアや暴力組織についての話題について語るのはテレビでは若干タブー気味のようだ。
だがそれが聞けてよかった。血の門の残党はどうやらアリヤが思っている以上に本腰を入れて報復を試みてきているらしい。
(昨日俺を襲ってきた四俠とかいう連中がやったのか? 個人で動いている俺を襲うのはわかるけど、この街を牛耳ってる七面會の本拠の一つにまでテロを仕掛けるなんて……ここも安心できない。ホテルがいきなり爆破されたっておかしくないぞ)
と、そこでアリヤは弾かれたように立ち上がった。
「エクセリアは!? 一人にしてたら危ない!」
そんなアリヤの反応を見計らっていたかのようなタイミングで、部屋のロックがガチャリと開いた。
扉が開いて、姿を見せたのはエクセリアだ。
(よかった、無事か)とアリヤが嘆息しかけたのはわずか一瞬で、アリヤはすぐにエクセリアの表情が緊張にこわばっていることに気付く。
「……エクセリア、どうした?」
「アリヤぁ……」
開きかけだった扉が開いてしまうと、困り切った声でアリヤの名を呼ぶエクセリアの背後に青年の姿が見える。
青年の手には白刃。エクセリアの背に突き付けられた柳枝刀。
細く開いた鋭いその目は、先日の戦いで最後の最後にアリヤたちを裏切った凱秀英のものだった。
「や、お久しぶりです藤間さん。ちょっと人質取らせてもらってますよー」
「凱秀英!! エクセリアから離れろ!!」
「嫌ですよぉ。ほら、そちらさんからしたら僕って裏切り者の印象でしょう? 悪印象持たれたままでマダム紅を殺せちゃうバケモノの前に立つなんて大それたこと、小心者の僕にはとてもとても!」
「……エクセリアに触れるな。狙いは? 結局血の門に戻って俺に復讐しようとしてるのか?」
「血の門に戻る?」
アリヤの問いかけを受けて、秀英はへらへらへらと笑い声を上げる。
「できるわけがないでしょそんなこと〜。老大殺しやっといて戻らせてくださ〜いなんて言おうもんなら一族郎党で耳削ぎ鼻削ぎ四肢切断からの凌遅刑待ったなしですって」
「じゃあ何が目的なんだ」
「んー、とりあえず話を聞いてもらえます? 冷静に、落ち着いて」
細めた目の奥に鋭い眼光。
落ち着いて話を聞けという彼の言葉に逆らったら、その場でエクセリアの胴を割ってやりますよ、という威圧を漂わせている。
従うしかないのか? アリヤが歯噛みをした直後、秀英の背後から声が響いた。
「お前が誰だか知らないが、随分と愉快な話をしているな」
「え……あれえ?」
余裕綽々のへらついた笑いから一転、秀英の表情がさっと青ざめる。
何が起きたのかアリヤにもエクセリアにもわからない。ただ秀英は様子を一変させたまま、背後の「ゆっくり歩け」という声に従い、エクセリアに「ゆっくり歩いてもらえます?」と伝える。
伝言ゲームのような格好で言葉が伝えられて、エクセリア、秀英と順に部屋へ入り……その背後にいたのは、刃を秀英の背へと突き付けた女性。
黒髪を後ろで結えて凛とした佇まい。シエナの右腕のミトマだ!
エクセリアを脅す秀英の後ろから秀英を脅す格好になったミトマは、空いている片手をアリヤへと軽く挙げた。
「久しぶりだな。シエナに言われて訪ねてきてみたらいきなりこの有様だ。状況がよくわかっていないが……これでよかったか?」
「た、助かった!」
思わぬ援軍にアリヤは安堵の声を上げる。
状況は一転、どうやら秀英に彼の事情を問い詰めることができそうだ。




