140話 死の追憶
「ドクロが死んだ? 京野慎吾が? えっ……殺された!?」
「そうだ」
「誰に!」
「知らねえ!」
「いつ!?」
「さっきだ!」
「一体何があったんだ……!?」
アリヤはまだ四時間と少ししか寝ていない。寝覚めの頭がどんよりと重たかったのだが、知人……いや、友人の死を聞かされて弾けたように目が覚めた。
アリヤは動揺を露わにシュラへ一歩詰め寄りつつ問いかけるが、シュラは生まれつきの挑発的な顔立ちをさらに鋭くしてアリヤの肩をドンと押し返す。
「偉そうに聞いてんじゃねえ! 質問してるのは俺だ! テメー、ドクロの死について知ってることがあれば言え。言わなけりゃ——」
語尾を切らずに台詞を宙に泳がせ、シュラは手にしている拳銃を寝ているエクセリアの頭へ向けた。
だが衝撃に異様に冴えきったアリヤの感覚は、彼のその動きに即応する。
「やめろ!」
「ぐうっ!?」
銃の照準がエクセリアに狙いを定めきるよりも速く、伸ばした前蹴りがシュラの腹部を強かに捉えた。
シュラは瞬間移動に特化した術師で、その他の戦闘能力はせいぜい中から中の下程度。蹴りをまともに受けた彼は背中から床に転げてもんどり打つ。
「げふっ! クソが!」
「よせよ、今戦う意味ないだろ」
「アァ!? 舐めやがって!」
アリヤは彼がどう動いても対処できるよう血中の魔素を編みつつ、周囲の様子を見る。
エクセリアはよっぽど疲れていたのか起きる様子がない。だが雷は横臥した姿勢を崩さないまま目を覚ましていて、シュラへは寝たままを装いつつ無言でアリヤへと目配せを送ってくる。必要になれば身を起こしざまにシュラを奇襲してくれるだろう。
数的優位を得ているアリヤは敵対の意思を感じさせないよう努めた声色で、もう一度シュラへ語りかけた。
「落ち着いて話そう、シュラ」
「偉そうに……!」
シュラは歯を剥き出しにして怒りを見せるが、起き上がろうと中腰の姿勢のまま三度静かに呼吸をする。
行き場のない激昂と憎悪を飲み込むようにゴクリと大きく喉を鳴らして、低く押し殺した声で彼は口を開く。
「まず……先に……答えろ。テメーが一つ答えたら俺も一つ答えてやる」
「わかった。死について知ってることがあれば言えって質問だったっけ」
「そうだ」
「何も知らない。寝てたし、死んだことも今聞いたばっかりだ」
「……」
シュラは何か言いたげな表情のまま無言で押し黙る。
沈黙が5秒ほど続いた後、彼はアリヤへと顎をしゃくる。
「聞けよ。そっちの番だ」
「あ、ああ。その……あいつ、本当に死んだのか? 重傷とか、意識不明とかじゃなくて?」
「死んだ。あいつがトップ張ってた食品企業の本社屋上から落ちて地面に叩きつけられて、体が原型留めてねえ。即死だ」
「っ……」
「俺の番だ。テメー昨晩は何してた」
「昨晩? 俺を疑ってるのか? 何時のことを聞きたいか知らないけど、昨日はそこで寝てる二人とずっと一緒にいた。夕方から夜にかけてはココルカ地区にいたし、ホテルに着いてから後は部屋から出てない。ホテルでのことはフロントに言って監視カメラでも見てくれりゃいいし、喫茶店やレストランにも寄ってるから調べればいいさ。店名言おうか?」
「…………いや、いい」
「そう? だったらこっちが聞く番だ。……その、カルナヴァルのビルから落ちたんだろ。監視カメラに不審者とかの映像は残ってたの?」
「……ない」
「ない?」
シュラの返答にアリヤは首を傾げる。
ないってどういうことだ。仮にも企業連の一角を占める大企業の本社ビルだろう、二十四時間厳重な警戒態勢が敷かれてるはずじゃないか、と。
少し考えて、アリヤは言葉を継ぐ。
「監視カメラが切れてたとか?」
「違え」
「じゃあどういうことだよ」
重ねての問いに、シュラは苦虫を噛み潰したような顔で応じる。
「カメラは回ってた。屋上への階段にも屋上にも。だがドクロしか映ってなかった」
「……だったら、転落事故なんじゃないのか。足を踏み外したとか……」
そこまで言いかけて、アリヤは思い直して言葉を切る。
どんな状況で落ちたのかは知らないが、アリヤの脳裏に思い起こされたのはドクロと一戦を交えたときのあの素早さと身軽さ!
軽業師のように舞い、曲芸師のように包丁を扱っていた。あの技術と俊敏さに特化したような男が落ちるか?
寝不足でめまい、考え事で集中力が欠如、栄養不足からの立ちくらみ。
どんな達人でも落ちるような些細な理由はいくらでも思いつくが、あの動きには彼に限って事故はないと思わせる凄みがあった。
動きについていけないままズタズタに斬り刻まれたあの焦燥は、未だ記憶に鮮烈だ。
言葉を途中で切って黙ったアリヤを見て、シュラは顔を引きつらせながら頷いて肯定を示す。
「そうだよ、ドクロに限って転落なんてクソみてえな死に方するはずないんだ。アイツが落ちる寸前、振り向いて、何かに驚いたような仕草をしたのが監視カメラに映ってた。何かを見たんだ。誰かがいたに違いねえ……」
「……」
「おい……テメーも知ってんだろうが藤間或也ァ! 付き合いあったんだろ!?」
「……飯には行ったよ。ビーフンを食べた。まずかったけどさ」
「そうだ! ドクロは優しい奴だった! テメーみてえなポッと出の転移ヤローにでも同郷ってだけで良くしてやってた! それがあんなッ、潰れて……クズ肉みてえに……! クソックソッ!!」
「……」
いい奴だった、とシュラは言うが、本当にいい奴は包丁で躊躇いなく人を斬ったりできないだろう。
手放しに善人だとはとてもとても言えないが、ただそれでもアリヤはドクロ……キョウノという人間に好感を抱いていた。
シュラが泣いている。会話よりも暴力が先立つようなトゲトゲしい性格のこの男が、怒り狂って地団駄を踏みながら顔を真っ赤にして目から涙を溢れさせている。
その鬼気迫る嘆きを見ていて、アリヤの頭にようやくドクロが死んだのだという実感が染み込んできた。
「死んだのか……」
この世界に来て以来、多くの死を見てきて死に鈍感になっていた。
だが鈍感でいられたのはそれが知らない誰かの死だったからだ。数回の交友を持った男の死に、アリヤの胸を苦重く暗澹とした空気が満たしていく。
シュラのように泣いたり叫んだりはしないが、自分の顔からゆっくりと血の気が引いていく実感がある。
死。青ざめるアリヤへ、シュラは慟哭を噛み潰しながら目を向けてきた。
「ドクロが……最後に連絡を取ったのはお前だ。それ自体はタイミングの問題だけど……アイツは結構お前のことを気に入ってた」
そう言い残して、シュラは瞬時にどこかへと姿を消した。
(……気分が悪い)
フラッシュバックする記憶。知っている人間の死。
アリヤが心の奥底に沈めていた姉と両親の死が泡のように浮かび上がってきて、吐き気とめまいと悪寒が混ざり合って視界が揺れる。
「アリヤ……大丈夫か?」
様子がおかしいのを察したのか、背後からエクセリアがアリヤの手を握る。
いつのまにか目を覚ましていたらしい。あれだけシュラが叫んでいたのだから当然か。
(そうだ、エクセリアがいる。大丈夫だ。俺は大丈夫……)
アリヤはエクセリアの小さい手を握り返して、自分の中に平静を取り戻そうとする。
だが駄目だ。出会ってすぐの頃はエクセリアに亡き姉の面影を見ていたが、今はもう亡き姉の代替品ではなく、別個の妹のような存在になっている。
代わりにはならない。忌まわしい記憶は去らない。
「おい、しっかりしろ! ゆっくり息を吸え!」と呼びかけてくる少女の声を芒洋と聞きながら、アリヤは呻くように床に崩れ落ちてしまった。




