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138話 小さな前進

「あらアリヤちゃんじゃない。お晩〜」


 エクセリアとレイはもう寝てしまったので、アリヤは二人を話し声で起こしてしまわないようにベッドから少し離れた位置の椅子に腰掛けている。

 電話の相手は情報屋のバーガンディ。表向きにはゲイバーを営んでいる彼にとって夜11時はまだまだ仕事の時間だ。

 バーガンディは案の定すぐに電話に出てくれた。急ぐでもなく腰を据えた様子で喋っている辺り、いつもの如くバーは暇なのだろう。

 そんな彼へ、アリヤは手短に自分たちの置かれた状況を話す。

 流石に慣れたもので、情報屋の彼はすぐに一連の説明を理解した上で渋い声を漏らした。


「エェ〜? なによアリヤちゃん。アンタ事務所開いて最初の仕事がココルカの失踪者探し? アンヘルと会ったですって? いきなりヤクい案件に首突っ込んじゃってるじゃないのォ」

「あれ、もう何か知ってる感じですか? 流石だなぁ、有能!」

「さすがだな〜じゃないわよ白々しい褒め方しやがって。オカマおだててて安く働かせようったってそうは問屋が卸さないってのよ」

「ダメですか」

「ダメに決まってんでしょうが。ナメた口利いてたらお尻齧っちゃうわよ」


 意図を透かされたアリヤは首を軽くすくめる。

 アリヤの事務所、藤間エージェンシーは主な業務としてトラブル解決を謳ってはいるが、別に専門的な探偵だとか興信所のようなノウハウがあるわけでは全くない。

 どちらかといえば悪人から脅されているから助けてほしいだとか護衛だとか、その手の戦い絡みの依頼が来るかなーと想定していた。なんともフワッとした絵図だが、暴力沙汰だらけのパンドラではその手の業態は需要が多いようなのだ。

 それが成り行きで人探しを受けることになってしまい、地道に頑張ってみようと思っていたところに不可視の刺客だのなんだのとトラブル続きだ。

 正直、自分たちだけでコツコツやるには手に余る。手探りの調査の合間にガンガン見えない敵に襲われたのでは身が持たない。

 そこでバーガンディに協力を頼みたいと考えた……のだが、仮に失踪したセベロ探しに成功したとしても、その報酬がバーガンディへの依頼金に消えたのでは完全に赤字だ。

 あわよくばバーガンディが割安で調査を受けてくれないかなぁ、という考えがあったわけだが、そんなアリヤの思惑を汲み取ったバーガンディは先んじて釘を刺してくる。


「初めに言っとくけど、アタシはその件に深く関わる気はないわ〜。マフィア突っつく方がよっぽどマシだもん」

「えっ、ココルカ地区ってそんなにヤバいんですか?」

「ヤバもヤバの大ヤバよ。ココルカ地区だけがヤバいんじゃなくて、似たような案件があちこちの辺境地区で起きてんの」


 深刻な表情が伝わってくるような重々しい声色に、アリヤは思わず天井を仰ぐ。


「なんでよりによっていきなりそんな案件が回ってくるかな……」

「あら、当然の流れじゃない? わざわざ実績のない新興事務所に依頼してくる理由なんてせいぜい二つぐらいよ。一つはたまたまチラシとか看板が目に付いたから。もう一つは?」

「えーと……わかった。よその事務所に断られたから!」

「ハイご名答。それもオープン直後の電話なんてヤバ案件の香りプンプンよ。ま、陥るべくして陥った事態って感じよネ〜」

「参ったなぁ……」


 バーガンディの言い分はあくまで憶測だが、まあ当たらずとも遠からずだろう。

 依頼人の老女マルシアの半狂乱の語り口を見るに、まともな事務所なら依頼を受けずにお引き取り願うに違いない。

 レイの電話対応が完璧だったのがむしろまずかった。彼は発狂老人のあしらいが上手すぎる。結果として貧乏くじを引く形になってしまったわけだ。


(いや、レイは全然悪くないんだけどな……)


 なんだかサイコロの出目が全て悪い方に向いているような感覚だ。

 こんな時に限って血の門(シュエメン)の残党、それも四侠とかいう強者連中が仕掛けてくるというオマケ付き。一人はどうにか撃退できたが……弱った。

 だが困ってばかりもいられないので、アリヤはバーガンディに問いを投げる。


「さっき似たような案件が辺境地区で……って言ったけどどういうことです? 失踪が多発してるってことですか」

「あっ待った待った。これ以上は教えられないわ。アタシだって命は惜しいもの」

「え、そりゃないですよ。チラつかせるだけチラつかせといて! あ、報酬の話だったら……まあ出せる範囲でですけど、それなりに」

「あーんダメダメダメ! お金の問題じゃないのこれは。ねえアリヤちゃん知ってる? あの世にお金は持ってけないのよ!」

「あの世にって……情報くれるだけで生きるか死ぬかに直結するレベルにやばいんですか」

「そうよヤバいの。ヒ〜くわばらくわばら」


 バーガンディの口調には、いつも自分のペースを崩さない彼にしては珍しく本気で慌てた色があった。

 これでは赤字ギリギリの上限額で報酬を出すと言ってみてもダメだろう。バーガンディの頑なに拒む姿勢を見るに、アリヤが積める範囲の金では全く崩れなさそうだ。

 命が惜しいと言われると、それ以上無理強いもできない。

 だからといって無為無策に調査を進めればエクセリアを危険に晒してしまう。レイもだ。

 どうにかしないといけないが……ここに来て猛烈に眠い。

 落ち着けるホテルの部屋に来てからずっと加速度的に眠気が増し続けている。それが情報を得られそうにない反応だったことで、緊張の最後の糸が切れてしまったような感覚がある。

 散々歩き回ったり戦ったりしておいてシャワーすら浴びていないが、今にも椅子に深く沈んで眠りこけてしまいそうだ。

 と、そんな眠気からの無言を苦悩から来たものだと思ったのか、バーガンディが少し軟化した声色で話しかけてきた。


「ちょっとアリヤちゃん。いきなり黙りこくっちゃって大丈夫? アナタ相槌は律儀に打ってくれる子なのに」

「…………え? あ……ああ。だ、大丈夫です。大丈夫」

「あらららぁ? まさか寝かけてたの? このアタシから大事な時間を奪っておいて?」

「……どうせ店は暇でしょう」

「ハイご明察〜! それにしてもアナタ本当に声が疲れてるわねぇ。アタシなんだか可哀想になってきちゃったわ。ねえ、誰から聞いたかを絶対に! 拷問されても! トラックに10キロ引きずり回されても! 絶ぇ〜っ対に! 誰にも言わないって約束できるなら……糸口になる言葉だけは教えてあげてもいいわよ」


 その言葉にアリヤは頭から眠気を飛ばす。

 糸口! それを聞けるだけでも違う。どんな情報かは分からないが、腕利きの情報屋が流してくる情報が無意味ってことはないだろう。

 何について調べればいいかわかるだけでも状況は間違いなくマシになる。

 

「……! お願いします。絶対に誰にも言わないんで」


 アリヤが提案に勢いよく食いつくと、バーガンディは電話越しに低く声を潜めた。


「ねえアリヤちゃん。誰にも、よ。シエナたちにも、アナタのとこのお姫様にも誰から聞いたかは言っちゃダメ」

「エクセリアにも?」

「当たり前でしょう?」

「わかりました。大丈夫です」


 聞いた情報を一切共有するな、ではなく誰から聞いたかを話すな、だ。

 それなら特に問題ないだろうとアリヤが首を縦に振ると、バーガンディは短く一言だけを呟いた。


「森羅の光」

「しんらのひかり? なんです、それ」

「そう。とある団体の名前よ。ハ〜、口にするだけで怖い怖い。それを調べてご覧なさいな」

「ありがとう、助かります!」

「お礼はデート一回ねェ〜」


 往年のヒロインのようなことを言う中年男との通話を切ると、アリヤは調査がほんの少しだけ前進した実感に安堵の息を漏らした。

 森羅の光。バーガンディは団体とだけ言っていたが、一体何を目的とした団体なのだろう。

 団地との関連は? アンヘルが絡んでいるのか? 透明な刺客たちもその団体と繋がっているのか?

 考えることは山ほどあるが、限界だ。

 アリヤは服を脱ぎかけて着替え終えないまま、前のめりにベッドへと倒れ込んで眠りに落ちる。

 すぐに部屋に静寂と寝息が訪れて、慌ただしい仕事一日目がようやく終わりを告げた。


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