134話 大突破
シエナがマントと大剣に代えて喚び出したのは、“肉の獣”の名を冠する巨獣エブラだ。
四つ足で地を掛け牙と角を持つエブラは、シエナが契約している召喚獣の中でも最も突破力が高い。戦場と化した地下の大空間を抜けて、水路へと逃れてしまえば逃げようはある。
そんなエブラの背に立ったシエナは魔女と七面會たち、サイレンとシュラに目を向ける。
「サイレンは星の意思だ」
これは独り言だ。コンブは星の意思が何かを知らず、なんだよそれと首を傾げている。説明してあげてもいいが、それは今じゃない。シエナは自分の考えを整理するために口を開いている。
サイレンの使ったドローンとその中に込められた魔力は、人間が操るそれとは異質なものだった。
かといって亜人種のものとも質が違う。じゃあ残る選択肢はといえば、マダム紅や雷春燕と同じ星の意思だろう、とシエナはシンプルな思考でそこへ至る。
確信を得るには薄すぎる根拠のようだが、感覚型のシエナにとっては自分の直感が一番の根拠。あとはそれを補強する少しの理由付けさえあれば十分なのだ。
「シエナ! あの仮面の奴ら、さっきからこっちにも殺気向けてきてる!」
「七面會のこと? だろーね! あいつらの言う一時休戦ってのは自分たちの邪魔をするなって言いたいだけで仲良くやろうって意味じゃないからね」
「え、そうなの?」
「そうそう。私よりもっと魔女が邪魔ってだけで、私もあいつらにとって邪魔者なことに変わりはないから。隙を見せたら休戦なんて無視して殺しに来るに決まってる!」
「じゃあ敵じゃん」
「そ、敵敵。逃げるならあいつらもなんとかしなくちゃいけないってこと!」
コンブと話しながら、シエナは素早く憶測を立てていく。
七面會にとって非人間の排除は活動方針の一つだ。礎世界を星の意思から奪還することを最終目的としているらしい。
なのにその中に星の意思がいる? 矛盾している。
普通ならここで、サイレンが星の意思だという自分の予想が外れていたのだと考えを引っ込めるだろう。
だが自信家なシエナは、半ば強引にその矛盾を綻びと見る。
狙いはシュラ。シエナは渾身の大声で叫ぶ!
「シュラ! サイレンは星の意思だよ!」
「デマカセ言ってんじゃねえ」
シュラは仮面越しに視線を向けて、不快げな声をシエナに返す。聞く気はなさそうに見えるが、そのリアクションは好都合だ。少なくともシュラはサイレンを人間だと思い込んでいる。
シエナは畳み掛けるように叫ぶ。
「サイレンの行動に小さな疑問を抱いたことは? 彼は秘密主義じゃない? 彼が人間ではありえないことをやってみせたことは? 星の意思を倒そうと考えてる君たち七面會中に星の意思の一員が紛れ込んで方針をコントロールしている可能性は!? 思考を止めずに考えてみなよ!」
「何言ってやが……」
すべて当てずっぽうだ。予想が外れていれば言いがかりに過ぎない。
だが要は七面會の二人の妨害ができればいいわけで、真偽は別にどっちでもいい。
シエナの発動させている空の教理は、シエナにとって都合の良い物理現象を引き起こす。
シュラの周囲の空気が擦れて、肌で感じられないほど微弱な静電気が生じた。それは彼の脳を適度に刺激し、過去に気にも留めずに看過していたいくつかの違和感をシュラに思い出させる。
街中で偶然見かけた時、やけに周囲を気にしながら歩いていた。
星の意思との戦いにいやに消極的だった。
誰もいないはずの暗い部屋で誰かと話していた。
年上で賢くて冷静な彼はカラスと並ぶ七面會の二大巨頭だ。グループの方針決めに強い発言権を持つ彼が、もしも敵の手先だったら?
一つ一つは流していた違和感が連鎖するように浮かび上がって疑念が灯りシュラは思わずサイレンへと問いかけてしまう。
「なあ、魔女より先にアイツを黙らせていいか? お前が星の意思だなんてふざけたことを言いやがる……そんなわけねえよな?」
「……」
「おい、サイレン?」
サイレンは否定しない。
芽生えてしまった疑念は容易く消えないことを知っている彼は、
「私は星の意思だ」
「な、何を」
「説明は後でする。理由もある。一つ確かなのは、私は七面會の一員で、星の意思を敵とする者だということだ。今は私に従ってくれ」
「なんだそりゃ……笑えねえぞ、面白くもない冗談言ってんじゃねえよ!」
正解だった。そして動揺させた!
七面會の二人に隙が生じた。彼らにシエナたちに気を配る余裕はもうない。
(よし!)とシエナが握り拳を作った瞬間、背後に目を向けていたコンブが声を上げた。
「うわ、今度は後ろから来てるよ!」
「ラナか!」
「逃さないよ」
ラナには既にかなりのダメージを負わせたはずなのに、まだ彼女の勢いが削げる気配はない。
再び彼女が単節詠唱を口ずさむと、操っていた数本の石の脊椎が絡み合って一本に収束し、周囲のアスファルトや砂礫を吸い上げて吸着していく。
大量の尖った石片をまぶしたような姿へと変貌したそれは、刺々しく殺意に満ちた石の大ムカデと化していた。
ラナの杖先がシエナたちに向けられるやいなや、弾かれたようにムカデが突進してくる!
だがシエナは動じる様子を見せず、「エブラ、防御」と一声自身の召喚獣へと指示を下す。
応じて、獣が全身を激しく揺すった。
シエナとコンブ、意識のない状態のオーウェン兄妹の全員を背に乗せて走るエブラは、動物に例えればサイに近い体型の召喚獣だ。
体躯は大型の戦車ほどに大柄で、巨大な一本角に爪と牙。だが、それはエブラにとって仮の姿でしかない。
背後から迫る石ムカデの攻撃を防ぐべく、エブラは腰から後方の体をブルルと蠕動させる。その直後、エブラの腰部がぐにゃりと歪んで膨れ上がる肉体。コンブがぎょっと身をのけぞらせた瞬間、エブラの肉体が剥がれてめくれて伸び上がった。
「なんだこれぇ!? これもラナの攻撃!?」
「違うよ。エブラはこういう召喚獣だから」
「こ、こういうってどういう?」
「エブラは“肉の獣”。骨や内臓はなくて、全身の100%が筋肉で構成されてる。で、その筋肉の形状を自在に変えられるんた」
「角とか牙は?」
「あれも筋肉を押し固めてあるだけだよ。筋肉スライムってところかな? さ、やれ! エブラ!」
体の後方を筋肉のカーテンへと変じさせたエブラは、それを猛烈な勢いで波打たせて石のムカデを叩きつける。
筋肉と言っても人間のそれとは比べものにならない高純度ハイパワーな暴力の塊だ。刺々しいムカデを物ともせず、一撃で勢いよく叩き伏せてしまう。
後方でそんな激しい動作をしながらも、可変性なエブラの体前方は揺れが少ない。シエナたちを振り落とすこともなく、エブラはゴウ! と高らかに一声吠えた。
が、その背にトンと女が乗る。
「いい召喚だね。揺れも少なくて快適だ」
「——! ラナ!」
石のムカデは目を惹くためのダミーだった。本命はラナ・コルネット自身による単身特攻。
ムカデが倒されたタイミングで舞い上がった砂塵と瓦礫に紛れて、エブラの左から回り込むようにして飛び乗ってきたのだ。
コンブがとっさに「があっ!」と火を吐いたが、それよりも早くラナがシエナへと距離を詰める。
ラナが放つ蹴りに膝、シエナの殴りに肘。お互いがお互いの体術にガードを合わせて、体を密着させた最接近距離で二人は膠着状態に陥る。
「これで攻撃はできないね、シエナ」
「そっちも同じだろ」
「おっと。それはどうかな?」
どうかな? と言い終えるよりも早く、ラナが羽織っているロングコートの裾がふわりと持ち上がった。
彼女の腰から現れたのは長く黒々としたサソリの毒針。
これも魔法? いや違う。彼女は魔力を使っていない。サソリの尾は彼女の体から直に生えている。
「天使じゃないの!?」
驚いたコンブが叫び、シエナは思わず息を飲む。
鋭い毒針は迷いのない軌道でシエナの首へと伸びる。止まらない!
「体の作りなんて人それぞれだよ、コンブくん。それじゃ、さよならシエナ」
ズドン!!
毒針が今にもシエナの首を貫こうかという寸前、突如の轟音がサソリの尾の先端を吹き飛ばした。
音の方向に目を向けると、満身創痍の傷で運ばれていたエヴァンがその手にショットガンを握っていた。
散弾でシエナに当たらないよう狙いをつけるのは難しかったが、放っておけばどうせシエナは殺される。目覚めざま、エヴァンは一か八かでトリガーを引いたのだ。
「くたばれクソ女……!!」
ス、とシエナが拳をラナの脇腹へとずらす。
瞬間、ラナの体に凄まじい衝撃が走った!
「っ、ぐ……!?」
「腕を曲げ伸ばせなくても打撃は打てる。ワンインチパンチってやつだよ。さよならだ、ラナ!」
鮮烈なダメージを受けてエブラの背から転げ落ちたラナを見送って、シエナは水路へ逃れるための道をまっすぐに見据える。
七面會は揺るがした。ラナは落とした。だが最大の障壁、始まりの魔女が進路を塞ぐように移動してきている。
「段取り悪いわねえシエナ・クラウン。逃げるなら最初に私をどうにかしておくべきだったんじゃあないの?」
「いいや、最後でいいんだ。頼む!! “空の教理”!!」
シエナが高々と手を掲げた瞬間、頭上一面を覆っていた青空のテクスチャーが一挙に剥がれた。
その青光は凄まじい勢いで球に近い超多面体へと収束し、シエナの手が振り下ろされるのと同時に再展開して始まりの魔女の周囲を覆い囲った。
サイレンのドローンの効果で魔女の次元ずらしが効果を為さなくなった今なら、シエナの魔法も通じる。
「私にとって有利な形へと歪曲しつづける物理法則、その適応範囲をあなたへと限定する!」
「——」
青い光に包まれた状態で、魔女が苛立たしげに口を開いた。だが何も聞こえてこない。声が出ない。魔女の周囲の物理法則が変化し、真空空間が彼女を取り囲んでいるのだ。
音の出ない真空では魔法の詠唱は行えない!
こんなもんで勝てると思ってんの? 魔女の口がそう動いた。
声は出ていない。だが呼吸ができないのは当然、血液が沸騰してしまうはずの真空の中でも魔女は苦しげな顔ひとつ見せない。やせ我慢ではなく、本当に彼女は真空を問題としていないのだ!
だが、もう十分だ。
シエナはすべての手を尽くした上で、もう一度高々と天井を指した。
「エブラ!! 上だ!!」
グルオオオオオッ!!!!
全身を構成する筋繊維の軋りで生み出された咆哮と共に、エブラはシエナたち三人と一匹を乗せた箇所以外の筋肉を折り畳んだ。
密に圧縮された筋肉は、バネのように反発して地面から跳ねた。
猛烈な勢いで天井へと迫るエブラは、すぐさま頭部へと筋繊維を収束させて巨大なツノを形成した。
地上めがけて天井を突き破る。勢いが足りなければ魔女の面前に逆戻りだ。
そんな一か八かの賭けを前に、シエナは難局を乗り切ったかのように息を吐いた。
「はー……生き延びたか」
エブラの角が天井に触れた瞬間、まるで薄皮を突いたかのように一瞬で天井が裂けた。
亀裂、崩落、現れる本物の夜空。
雲の少ない星空を背景に、涙目の少女が地面の縁からシエナへと手を伸ばす。
「シエナちゃんっ!!」
「ユーリカ!!」
自分がユーリカに常時監視されていることをシエナは知らない。ただし経験則として、自分が行方不明になってもユーリカは必ず探し当ててくれるはずだと知っている。
シエナが惜しみなく召喚を連発したことで、ユーリカは一度は見失ってしまっていたシエナの現在地を再び捕捉することができた。
イリスから受けていた連絡と合わせてシエナたちの位置を正しく探り当てたユーリカは、ミトマや学園のメンバーと一緒にシエナたちの救出に入るべく街の地面を掘り返していたのだ。
地上に飛び上がったエブラから降りたシエナは、シエナの無事に安堵して泣きじゃくるユーリカと抱擁を交わす。
「ごめんね、ユーリカ。何も言わずにいなくなったりして……」
「い、っ、いいの……シエナちゃんがっ、生きててくれて、よかった……っ! 私、もうシエナちゃんに会えなかったら、どうしようって……っ!!」
「本当にごめん。探してくれてありがとう。ミトマたちも」
「いや、私たちはいい。ユーリカを慰めてやれ」
そんな会話を交わしながら、シエナは地下に視線を送っている。
ラナ、七面會、始まりの魔女。追ってくるか?
……いや、来ない。これ以上追撃してくる様子はない。
サイレンとシュラは自分に構っている場合じゃないはずだし、ラナはエブラからの転落で流石にダメージを負ったはず。
そして始まりの魔女は基本的に人目にその姿を晒さない。一般人の目がある街のど真ん中に出てくることはないだろう。
……乗り切った、らしい。
「はあ〜〜〜〜〜〜………………」
長く長く、改めて安堵の息を吐いたシエナの横に、エブラからすとんと降りたコンブが寄ってきた。
尻尾が少し短くなってしまった猫は痛みがぶり返したのかひょこひょこと歩きづらそうにしつつ、シエナを見上げて口を開いた。
「なんとかなったね」
「おかげさまでね。コンブもお疲れ様。あ、尻尾の治療はちゃんとしてあげるから大人しくしてなよ」
「ありがと。いやそれより、ちょっと話いい? 長い話じゃないよ」
「話? うん、いいよ」
シエナが頷くと、コンブは少し目を伏せ、言い淀んでから口を開く。
「ラナってやつ。あいつからはすごく嫌な匂いがした。あれは天使とかじゃなくて、もっと別の何かだと思う。天使ならサソリの尾が生えてた意味わかんないし」
「……そうだね。あの人は私が思ってたより何倍も危険な存在なのかも。勧誘しようなんで考えは甘かったよ。教えてくれてありがとう」
シエナが神妙に頷くと、コンブはいやいやと前足を振った。
「話はまだ終わりじゃないよ。オレはラナとよく似た匂いを嗅いだことがあるんだ」
「えっ、それはどこ?」
驚いて尋ねたシエナへ、コンブは言っていいものかと少し悩むようなそぶりを見せてから、おずおずと口を開く。
「……アリヤだよ。アリヤの嫌な匂いは、ラナ・コルネットのとほとんど同じなんだ」
「……アリヤが?」
同じ匂い。もちろんそれはコンブの感じ方に過ぎないし、匂いだけで何かの証明になるわけじゃない。
だがシエナの直感は、コンブの進言になにか深刻な事態を感じ取っている。
負傷も消耗も忘れて、彼女は小さく唸った。
「……アリヤたちは、どうしてるのかな」




