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132話 想定外に次ぐ想定外

「あれ……」


 シエナが顕現させた青空の下、杖を振るおうとしたラナが首を傾げた。

 彼女の右腕が折れ曲がっている。魔法を使役するために杖を高々と掲げた拍子に、手首と肘を繋ぐ尺骨ととう骨がめしりと音を立ててへし折れたのだ。

 戸惑いを即座に飲み込んで、彼女は痛みを無視して堂曼寂骨(マクダオル)の石骨で折れた腕を支える。だがそんな彼女の手から触媒の杖がするりと抜けて、明後日の方向へと吹き飛んでいった。力を込めて握っていたにも関わらず!


「ラナッ!!」


 感情を込めた一喝と共に、シエナが大剣を握ってラナのかたわらを払い抜ける。

 胴体を真一文字に両断する軌道、容赦のない横薙ぎの一閃だ。

 ラナは石骨のうち三本を操ってその斬撃を防ごうとしたが、堅固だったはずの石骨がまるでビスケット程度の硬さでザクザクと寸断されていく。

 斬られる。

 とっさの判断で横に跳ぼうとしたラナだったが、彼女が足に力を込めた瞬間、奇妙な浮遊感を覚えると同時に両足がふわりと浮いた。まるで無重力空間だ。

 その状態を理解できずに驚くよりも早く、シエナの刃が脇腹にめり込む感覚。


 斬——破!!!


 振り抜かれたルスランの大剣を鮮血が赤く染めて、ラナの脇腹に肉を斬り、内臓を裂き、背骨へと肉薄する深い裂傷が刻まれた。

 シエナはためらわない。両手首を回してヒュンと血を一払いすると、次の斬撃に備えて長尺の刃を肩に担ぐ。ここでラナを仕留めるつもりでいる。

 そんなシエナの殺意に晒されながら、ラナは口から大量の血を吐いた。深く傷つけられた内臓から血液が逆流したのだ。

 常人なら即死していてもおかしくない傷を負わされながら、彼女は呻くことすらせずに束の間の思考へと没頭している。


(杖の重みだけで腕が折れた。突然杖が滑ってすっぽ抜けた。これは重力と摩擦係数の操作? 最後に私の体が浮いたのも謎だな。無重力だったとすればこれも重力操作なのかな。堂曼寂骨(マクダオル)の石骨が突然脆くなったのは、物質の組成が組み替えられたのかな? だけどどの変化も長時間持続はしない。シエナの召喚と関係しているんだろうけど、細かな効果がわからないなぁ)


 ラナの行動原理は好奇心が大半を占めていて、彼女の精神性に情と呼べるものは極めて少ない。

 その薄情さは自分自身にも向けられていて、自分が今にも殺されてしまいそうなことには関心がない。

 それよりも彼女の好奇心はシエナの使役した召喚に向けられていて、その効力の考察にしか意識が向いていない。

 好奇心を満たすためにはまだ死ねない。ラナは地面に突き立ててあった無数の杖のうち一本に触れて、地面から伝播させたコンクリートで自身の傷口を強引に固めた。

 そんなラナの頭上から、大上段に大剣を振りかぶったシエナがギロチンめいて刃を振り下ろす。


「トドメだ!!」

「それは困る。私はまだ死ねないよ。ねえ、さっきのはどういう召喚? 今度は息が苦しくなってきた。空気の組成を組み替えてるのかな? 何を召喚したのか教えてくれないかな」

「ラナ、悪いけど時間をかけてられないんだ!!」

「゛っ……! ふ、ふふ……! これはなんとかしないと、本当に死ぬねえ!」


 刃の切っ先がラナの左肩を掠めた。

 掠めたとは言っても切れ味鋭く勢いも十分、鎖骨と肩から左腕へと繋がる腱が寸断されている。同時に、ラナの全身に奇妙な痛みが走った。

 まるで安っぽい時代劇の演出のように、肩の傷から血が噴水めいて噴き上がっている。さらに目が充血し、鼻血が垂れ、歯茎から血が滲み出てくる。頭蓋骨が内部から圧されているようにズキズキと痛んで、上半身に異様なむくみと疼きを覚える。

 超低気圧下において、人間の血液は急速に上半身に集まっていく。その知識を持っていたラナは気圧が急低下したことを理解するが、いよいよ多彩な効果に理解が及ばなくなって笑いを漏らした。

 左腕はもう動かない。折れた右腕を強引に持ち上げて、残る七本の杖に魔力を伝播させるべく地面を強く叩きつけて済済慈芥(ヴァーリャ)を再発動させる。

 小石や砂礫がざわざわと跳ねて地を這い、黒々と硬質な羽虫やアリ、ムカデへと変化して、黒い渦を成してシエナへと迫っていく。

 だがそれが到達するよりも先に、シエナは後ろ腰に手を回した。


「ごめん、ラナ」

「ッ、ぐ、ぶ……う……ふ、はは……」


 左手、愛用のサブマシンガンが硝煙を燻らせている。

 シエナはラナの胸へと照準を合わせて、その引き金をしっかりと引き絞ったのだ。

 ラナの胸には数えきれないほどの穴が穿たれていて、二、三歩とたたらを踏んだ彼女は笑みを浮かべながら膝を地面に折った。

 シエナは倒れた彼女に事の経緯を悔やむような視線をわずかに向けるが、即座にその感傷を断ち切るようにもう一度引き金を引く。


 動かなくなったラナ。青空の下に魔女の声が響く。

 

「あーあ、ひっど〜い。昔のお友達を斬って斬って蜂の巣にするなんて人でなしのすることよ。最低女〜」

「売られた喧嘩を買っただけだよ。イリスとコンブから離れろ、魔女」

「ふぅん? 迷いのない目。そういうの嫌いなのよね。人間なんて散々迷って右往左往してなんぼでしょ。確固たる意思力で道を迷わない、なんてアタシに言わせりゃゴミよ。クソつまんないわ」

「楽しませる気はないからね」


 シエナは銃口を魔女へと向けて強く睨む。

 魔女の足元にはコンブが踏まれたままでいて、その傍らにはイリスが小さく呻いている。

 ただ、苦痛に絶叫を上げていたさっきまでよりは幾分痛みが和らいでいる様子だ。

 それを一瞥して、魔女は腹立たしげにチッと舌を鳴らす。


「フン。空の教理(ドグマシエル)。一面に広がる蒼天そのものが召喚獣で、この空の下ではありとあらゆる物理法則が無作為に、ただし術者であるアンタの都合の良い方向へと歪められる、ってとこかしら。イリスの痛みが和らいでいるのもそのせい? は〜クソ。お得意の自己犠牲精神で寿命を削って大召喚。はいはい強い強い。なーんか気に食わないのよねえアンタって」

「……」


 見切られている。

 始まりの魔女の言う通り、空の教理(ドグマシエル)は空間そのものが召喚獣であり、その効果も彼女の言ったままだ。

 さらに悪いことに、魔女はどうやら空の教理(ドグマシエル)の影響を受けていない。

 空間全域を掌握する空の教理(ドグマシエル)が通じないということは、魔女はそこにいるように見えてその実、存在の次元がズレているのかもしれない。

 試しにマシンガンの引き金を一発。だが銃弾は魔女を透過して、彼女に一切の影響を与えない。

 ここで魔女を倒すのは無理だ。状況を正しく判断したシエナは、オーウェン兄妹とコンブを回収して撤退するための算段を立て始める。


(……すんなりラナを倒せたのはラッキーだった。もっと粘ってくるかと思ってたけど、上手く意表を突けたのかな。空の教理(ドグマシエル)の召喚中に三つ目の召喚は厳しい。タイミングを見計らって大剣とマント(ルスラン)を引っ込めて、肉の獣(エヴラ)でみんなを回収して逃げる。……逃げられるかな? 正直対抗手段が全然思い付かないけど……魔女って何だよあれ、敵も味方もHP3桁が上限のゲームにHP100万単位のモンスター登場〜的な感じじゃん。ワケわかんないって。あー、頭使いたくない。ユーリカかミトマがいてくれたら……いやいや泣き言言ってる場合じゃないや。とにかく、なんとかこの状況をいい感じに誤魔化して一瞬でも気を逸らせたらどうにか……)

「いやあ、びっくりしたよ。シエナ」

「え!?」


 突然の声。驚いたシエナが背後に視線を向けると、そこには血まみれのままムクリと起き上がったラナの姿があった。

 なんで? 馬鹿な。そんなはず。しっかりトドメまで刺したのに!

 そんなシエナの動揺と困惑に応えるように、ラナの頭上に黄金色に輝く光輪が現れた。


「て、天使……!?」

「言ってなかったっけね。まあ人間も亜人種もそう変わらないよ。今後ともよろしく」

「……っ!」


 エヴァンたち人狼が鋭敏な嗅覚や超再生を持つように、鬼は恐るべき膂力、竜は硬皮とブレスと、亜人種は種族ごとに特化した能力を持っている。

 そんな中でも天使はとりわけ希少な種族で、シエナの知る限りでは深層六騎(ディープシックス)の一人だけ。どういう特性を持っているかのデータがまるでない。

 ただ少なくとも目の前のラナは、確実な致命傷を負っていたにも関わらず平然と立ち上がってきている。

 超再生? いや不死身? まさか! そんな思考を巡らせるシエナへ、眼前のラナが転がっていた杖を手に取った。


「今度は私の番だ。さっきまでのようには——」

「——死ね。短移(イーシャ)

「ぐっ!!」

「えっ!? な、何!?」


 シエナは今度こそ本気でうろたえる。ラナが光輪を引っ提げて天使として復活した。と思ったら、その背後に突然見知らぬ男、ベネチアンマスクを被った男が現れてラナの首を180°回転させてへし折ったのだ。

 いよいよ意味がわからず、シエナは珍しく年相応の少女のような声を出してうろたえる。

 そんなシエナの疑問に追い打つように、マスクの男の隣にもう一人男が立っている。フルフェイスのメットを被ったスーツ姿の男は、いやに落ち着きのある声でシエナへと語りかけてきた。


「私が君と直接顔を合わせるのは初めてか。初めまして、シエナ・クラウン。私は七面會(マスケラド)のサイレン。こちらの彼は同じく七面會(マスケラド)のシュラだ」

「ま、七面會(マスケラド)まで出た!? あ、そうだ! 私はお前たちを知ってる! 七面會(マスケラド)のサイレンとシュラ!」

「もう名乗ったが……ああ、身構える必要はない。シエナ・クラウン、我々は君に、この場限りの休戦を申し出たい。我々の目的は始まりの魔女の打倒だ」

「……!? い、いや、慌ててる場合じゃないや。申し出を受けるよ!」

「ありがたい」


 頷いたサイレンが手にしていたアタッシュケースを地面に置くと、自然と開閉した箱の中からおびただしい数の小型ドローンが現れた。

 スズメほどの大きさのその群れは自律浮遊し、始まりの魔女めがけて殺到していく。


(なんだあれ。あんなの魔女に効くの? いや、それよりもこのチャンスを逃しちゃダメだ!)


 折られた首に構わず立ち上がろうとするラナ、その後頭部に何発もの銃弾を撃ち込むシュラ。

 始まりの魔女は邪悪な笑みを浮かべて、乱入者たちを迎え撃つべく両手を広げる。

 デタラメな状況だ。その混沌を逃すまいと、シエナもまた動き出す。


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