131話 失意と激昂
シエナはオーウェン兄妹に負い目を感じている。
学園自治連合を運営しているメンバーはシエナの補佐役のユーリカや、戦闘要員を担うミトマたちだけではない。
学園の雑務や事務、財政管理を担当しているメンバーも数多くいて、その代表格の面々で話し合われた総意をシエナが束ねることで学園の方針が決められている。
そんな運営メンバーたちは総じてシエナにポジティブな感情を抱いているが、決して首を縦にしか振らないイエスマンたちではない。
裏方を担うメンバーの多くは、元はシエナへの対抗勢力の筆頭だったエヴァンに対して良い印象を抱いていない。
反旗を翻されていたシエナ当人はエヴァンと干戈を交えることで彼の愚直さやある種の誠実さ、リズムに騙されていただけで悪意はなかったことを理解しているのだが、戦闘要員でない面々からするとエヴァンの行動は信頼に値しないと捉えられるものだった。
そこへ七面會と組んでの血の門への独断攻撃。妹のイリスが拐われたという事情を鑑みても、相談もなく学園を危険に晒したのは看過できない事柄だった。
シエナやユーリカ、ミトマや戦闘に参加しているメンバーはエヴァンの残留を主張したのだが、それ以外の多くの運営の面々の大半がエヴァンの追放を主張した。
シエナは独裁者ではない。どんなに彼女がオーウェン兄妹を守りたいと考えても、大勢の反対を押し切ることはできない。
オーウェン兄妹と同じだけ、運営に携わる仲間たちのことも大切に思っているのだ。彼ら彼女らの意思を無視はできない。
幾度かの話し合いの末に方針が決まりかけたところで、それを察したエヴァンたちは自分から学園を去ると申し出てきたのだ。
(居場所を守ってあげられなかった。エヴァンは学園を去ると自分で言ったけど、あれは私を悩ませないためだ。だからせめて……信頼できる人にとアリヤに任せたけど、二人は私を追いかけて死地に飛び込んできてしまった。エヴァンとイリスは悪くない。学園のみんなも悪くない。アリヤのせいでもない。……軽率で気が回らない私のせいだ……でも)
地面に崩れ落ちて今にも意識を失いそうなエヴァンと、激痛に叫んで転げ回っているイリスの姿を順に見る。
瞳は激昂を灯し、ラナ・コルネットと始まりの魔女へと視線を滑らせ、二人を射抜くほどに睨み付ける。
「私よりもお前たちが悪い!!!!」
シエナはこれまでの人生でも指折りの憤怒を胸に燃やす。
彼女は責任感こそ強いが、過度に自分を責めるほど殊勝でも自罰的でもない。
失意も反省も後悔も全てひっくるめて、眼前の敵への怒りの薪にしてしまえ。
昔の護衛? 憧れの人? 成人したら酒を飲む約束? そんな戯言は既にシエナの中から消えて失せた。
「“榮榮飾りし燭台の字、水無月に降る黄麻の戴冠。与えよ。命ぜよ。彼の地を統べし梅雨花の王よ!!” 来いっ、『孤狼王ルスラン』!!!」
ガウ! と空間が裂ける音が響き、紫の渦がシエナの体へと絡んでマントと大剣へと姿を変えた。
シエナが所有する五つの召喚権のうち一つ、太古の王の魂と武装を顕現させるのがこのルスランだ。
鋭利な刃と堅固なマント、身体能力の超向上と自動で最適化される所作と挙動。
近接戦闘のエキスパートへと姿を変えたシエナを目にして、それでも始まりの魔女はまるで余裕を崩さず笑う。
「出た出た! ヒロイックぅ。でもま、あと7年先ならアタシにも迫る強さだけど、今じゃまだ余裕なのよねー。ラナ〜、その子倒しといて」
「いいよ、シエナは少し苛立ってるみたいだからね。もう一度コンクリートに閉じ込めておこうか。頭もいい具合に冷えるんじゃないかな?」
「ふざけるな!!!」
「ふざけてないよ、シエナ。私は本気。ほら、君が昔いたずらをして調度品の絵を一枚おしゃかにした時はお父様から物置に半日閉じ込められたよね。私は立場上いかめしい顔をして物置の前に立っていたけれど、いつも元気いっぱいな君が物置の暗がりを怖がってわんわんなくものだから、実は笑いを堪えるのに精一杯だったんだ。いい思い出だよね。……そういえば、ここの暗さは怖くないのかな。大丈夫かい?」
「この……!」
舐めている。侮っている。
煽りとして言っているならまだマシだ。ラナの言い方は本気でシエナが暗がりを怖がるんじゃないかと気を配っているようなそれで、ラナはシエナをかつて護衛していた頃の幼いシエナとほぼ同一視している。
怒り任せに振るう大剣で地面を擦り上げるようにして斬りかかったシエナの刃を、ラナの杖が強固に受けた。
足床のコンクリートや石の成分を吸い上げて杖を硬質化させて、刃を受けられるほどの硬さへと変化させたのだ。
ガ、ギ! と二合。剣戟に杖を合わせたラナは、シエナに視線を合わせて笑みを浮かべる。
「懐かしいね。私が護衛をしていた頃も、シエナはこうしてチャンバラをしたがってた。今より髪が長くてガーリッシュな見た目だったけど、内面は今よりもっとわんぱくで男の子っぽかったかな。今が女の子らしいわけじゃないけど、思慮深さは少し出たかな?」
「思い出話で盛り上がれるタイミングはもう過ぎた!!」
トンとバックステップ、上体を反らしながら捻り、大剣を担ぎ上げて大上段からの憂慮なき強撃!!
だがラナが杖先を揺すると、エヴァンを散々に打ち据えた石骨が三本でそれを受け止めてしまった。
そして残る七本が殺到して、シエナへと全方位から攻勢を仕掛ける。捌けれなければ痛烈に叩き伏せられたエヴァンの二の舞だ!
だがそこで、シエナはその瞳から憎悪と憤怒をすっと退かせた。
二度三度と大剣を打ちつけて、ひとまずの怒りは吐き出した。
ここからは一段深める。より確実に、効率的に。
「……仕留めにいく」
「……」
ラナがわずかに息を飲む。どんなに強く感情をぶつけても空虚に響かない性格の彼女だが、決して馬鹿でも愚鈍でもない。シエナの戦闘への没入が静かに深まったことを察したのだ。
無数の石骨を避けて受け弾きつつ、ラナが足元から突き上げるコンクリート塊の拘束を踊るようなステップで避けるシエナ。彼女は瞳を閉じている。マントと大剣に絶え間なく魔力を注いで動きの精度を高め、マントが自律行動するままに自分の動きを委ねている。
それは全て次弾への集中を高めるため。彼女の口が次ぐ召喚に向けて詠唱を紡ぎ始める。
“星羅、点綴、架空の御蔭。炉に焚べる十二の暦、購いの座に奉る寄手”。
“遊離、断裁、忌憚の外典。其を統べる窮理の勒、常盤の涯に潰える八紘”。
ラナはその詠唱を知らない。彼女が護衛を務めた数年間に目にしたことがあるのは銀騎士アルヴィナ、孤狼王ルスラン、肉の獣エブラの三種だ。だが目の前の詠唱はそのいずれとも当てはまらない。
シエナの魔力は青天井に増幅、上昇していて、始まりの魔女が「へえ」と少し驚いたように呟くのが聞こえた。
未来に広がる可能性を見渡す彼女が驚いたということは、現段階でシエナが至る可能性のあるレベルの中での上限に近い魔力を発露しているということかもしれない。
そう判断したラナは、初めてシエナへと警戒と驚嘆に細めた目を向ける。
「成長しているんだねえ、シエナ。あの頃とは少し違うみたいだ」
「————『空の教理』」
刹那、頭上に抜けるような蒼天が広がった。
地下空間の空に蓋をした地面もその上に配された街並みも無視して、どこまでも果てなく続く青空がここに顕現している。
ありえない現象と共に、シエナ・クラウンの時間が始まる。




