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130話 臨死

 始まりの魔女には未来が見えている。

 正確に言えば、時間軸における現在地点から先に拡がる膨大な可能性の全てを認識することができる。

 とはいえ、どの未来分岐へと進むかは彼女にもわからない。

 世界の命運には大きな分岐点がいくつも存在していて、そこでターニングポイントとなる人間が下した判断によって分岐路は決定される。

 人間が選びうる選択肢とその先に連なる可能性の枝を把握はできても、どの選択肢を選ぶかは魔女にさえその時にならなければわからないのだ。


 そんな魔女は先々“魔王”の障害となるシエナを潰すため、彼女と関わりのあるラナ・コルネットを仲間へと引き込んだ。

 現時点であれば、始まりの魔女の力があればシエナを殺すことは容易いが、魔女はそれを良しとしない。

 シエナは未来で魔女の目的の邪魔になるが、それは未来の話であって今は違う。

 今彼女を殺してしまうと、未来の展開が魔女の望まない方向へと転がってしまう。


「ね、わかるでしょワン子ちゃん。だからシエナ・クラウンはここで捕らえて、たぁっぷり時間をかけて洗脳しちゃおうってわけ」


 イリスの肩に後ろから手を置いたまま、魔女は少女の耳元で囁く。

 魔女の悪い癖が出た。

 このまま放置していれば望み通りの状況に持っていけるはずなのに、彼女は思いつきで気まぐれを起こす。イリスに興味を示している。


「未来って複雑なのよ。例えばあなたが拐われなければ、エヴァンが血の門(シュエメン)に乗り込まなければ、血の門(シュエメン)との争いは起きずに学園が群狼団(ウルフパック)と交渉して、一悶着の後にラナがあんたたちの味方になってた。そういう意味ではこの状況はあんたたち兄妹がまいた種とも言えちゃうわね〜。あんたたちの軽率さが今エヴァン自身を追い込んでるの。で、もう一度聞くけど……力が欲しいかしら? イリス・オーウェン」

「……わ、わたくしは……」


 イリスはぐっと喉を鳴らす。

 目の前でエヴァンが蹂躙されている。助けたい。今すぐ飛び出して助けに入りたい。だけど自分の力じゃ何の助けにもならないのはわかりきってる。

 なら魔女に力を求める? いや、イリスの全感覚が警鐘を鳴らしている。人間のよりも感覚が鋭敏な人狼は視覚、聴覚、嗅覚だけでなく第六感までが冴えている。その感覚の全てが魔女の甘言に抗うべきだと危険を叫んでいるのだ。

 

「だめだよ! やめといた方がいいって絶対! そいつ悪い顔してるよ!」

「ネコちゃんは黙ってなさい」

「ぐぎゅっ」


 イリスを止めようとするコンブを、魔女は片足で踏みつけにした。

 魔女でも猫は可愛いのか、怪我をさせるほどの強さでは踏んでいない。だが抜け出すこともできない程度には強く踏んでいて、声を出せずにもがいている。

 そんな危機的状況の中、マシンガンめいた石の群虫に射抜かれて満身創痍のエヴァンがひときわ痛烈に地面へと叩きつけられた。


「ッッ、が……ふっ……!!」

「お兄様が、死んじゃう……!!」


 頭から地面へと落下。どこかの骨が砕けた音がボグッと不気味に響いて、エヴァンの口から空気が漏れる。

 まだだ。まだ死なない。それでも兄の口からドロっと溢れた大量の血は、イリスに首を縦に振らせるには十分すぎる光景だった。


「力を! わたくしに力をください!」

「はい毎度あり」

「うぐっ!!? ぐ、む……うぇ……! げ、っ!?」


 ニタリと歪んだ笑みを浮かべて、魔女は掌に浮かべた光球をイリスの口へと押し込んだ。

 野球ボール大の飲み込むには大きすぎるそれをグイグイ強引に喉奥へとねじ込まれて、イリスは激しくえづきながら涙を零す。

 

「感謝しなさい? この私謹製の大魔法をプレゼントしてあげる。ま、副作用がめちゃくちゃで普通の人間には使えたもんじゃないんだけど。人狼ちゃんの体力なら耐えられるんじゃないかしらねー?」

「……!? う、ぐ、痛……い、痛い……痛い痛い!!! あああああっ!!?」

「出たわね副作用〜。これがなきゃ超強い魔法だったのに開発損よまったく。死ぬほど痛いのと体細胞の自壊に耐え切れたら使いこなせるかもしれないから……多分無理だと思うけど……ま、頑張んなさい? アッハハハハハ!!!」

「ぎっ……あ゛っ、あ、う、ぐぎ……っ!!? 痛゛い!!! 痛い……!!」

「イリス……!?」


 満身創痍のエヴァンがそれを見た。

 魔女から何かをねじ込まれた妹の全身が強く輝いて、全身の皮膚や目元、口元の粘膜から血を滲ませている。激痛に苛まれている。

 自分が考えなしに突っ込んだせいで、もっと早くイリスたちを帰らせなかったせいで、ミトマたちの援軍を待たなかったせいで、大切な妹が臨死めいた絶叫を上げている。


「てめぇらブッ殺してやる!!!!」

「出来るかな? その状態から」

「ぐうあっ!!!」


 ラナの魔法は終わらない。

 石の脊椎を発生させて操る『堂曼寂骨(マクダオル)』は一度発動させると長時間維持されるタイプの魔法のようで、エヴァンを捕らえたまま縦横無尽に殴打を加えてきて消えてくれる気配がない。

 人狼の治癒力でまだ紙一重で命を繋いでいるが、もうどこで意識が途切れてもおかしくない。

 だがまだだ。抵抗しろ!!

 ズタボロのエヴァンは上着から何本ものナイフを取り出して握る。

 銃剣のような形、柄が短く刃渡りが長いその刃を苦し紛れに投擲する。

 だが振り回されて叩きつけられ、引きずり回されている状態ではまともに狙いを付けられるはずもない。

 ラナには当たらず掠めることもなく、四方八方に飛んだナイフが床や壁に突き刺さる。


「それだけかな?」

「クソが!! 当たりやがれ!!」


 さらに投げる。投げる、投げる、投げる!!

 上着の内にズラリと結えてあったそれを手当たり次第に投げつけていくが、それでもラナには届かない。

 三十本は投じた内の二本だけがラナに直撃するコースを描いたが、杖で弾かれてそれまでだ。


「今ひとつ芸がないね」


 そう呟くラナへ、エヴァンは口から血痰を吐きながら親指を下げた。


「くたばれ」


 爆発!!!!

 突然の爆発は、ラナの元ではなく明後日の方向で起きた。

 なんだろう? 予期外のそれにラナが目を向ける。


 エヴァンは携帯している大量のナイフの内に、“本命”を忍ばせている。

 ただ投げやすい形状というだけの銃剣型の大量のナイフの中に三本だけ、柄に爆薬を括り付けたものが混ぜてあるのだ。

 当たりもしない大量の投擲は目を惹くためのダミー。相手がたかがナイフと舐め切ったところで爆薬を炸裂させるのがエヴァンの十八番だ。

 だがラナは強い。本命を不意打ちで直接投げたところでたかが爆薬、何かしらの魔法で凌がれるのがオチだ。

 だったらどう使う? 答えはこうだ。


「情けねえが、頼む……シエナ……!」


 爆発したのはシエナを拘束していたコンクリート塊に刺さったナイフだ。

 ガラガラと音を立てて崩れる塊。解放されたシエナは捕われていた右手をグ、パと開け閉めして、五指に嵌めた召喚用の指輪を確かめてから前を向く。

 生きているのが不思議な負傷のエヴァン、苦痛に叫び続けるイリス。学園を離れたって、二人はシエナの大切な仲間だ。


「ラナ・コルネット!! 始まりの魔女!! よくも私の仲間を……私はお前たちを許さない!!!」

「そう怒らないで、シエナ。まだ誰も死んでないじゃない。カッカしたっていいことはないよ?」

「話にならないよ、ラナ」


 シエナが一度負けて捕われたのは、ラナを仲間に引き込めないかという迷いがあったから。

 今のシエナはラナを敵だと断じ、激しく怒りを燃やしている。だとすれば話は別だ。

 指輪に魔力が供給されて、薄暗い地下にシエナの怒りが灯る。


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