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128話 大ピンチ

 エヴァンたちが辿り着いたのは、いくつもの地下水路が重なる合流地点だ。

 川から汲み上げた水の余剰分を留めるために広い空洞のような空間になっていて、ちょっとした体育館ほどの高さと広さがある。

 その床一面、至る所に謎の棒が立っている。

 Yの字に似た二股の棒が乱立して、意図のわからない儀式めいた様相を呈している。

 そしてフロアの中心に向けて、床が巻き上げられている。

 硬くて平面なはずの床がぐにゃりと螺旋状に吸い上げられて、まるで竜巻を逆さにしたような形状で高さ6メートル超の巨大なコンクリート塊が屹立しているのだ。

 そして真っ暗なはずの地下空間にも関わらず、不可思議な光が一帯を満たしていてぼんやりと明るさに包まれている。


「なぁんですの、これ」


 それを目にしたイリスは、背後に立つ始まりの魔女から命を握られている恐怖も忘れ、ぽかんと口を開けて光景を眺めてしまう。


(なんだこりゃあ……)


 エヴァンもまたイリスと同様に眼前のそれに目を奪われる。

 下から上へと視線を滑らせていくと、その先端に人影が見える。

 コンクリート塊が造形された時に巻き込まれたのだろうか、塊の先端に腰から下と左腕を捕われている。

 その姿を目にした瞬間、エヴァンは思わず叫んでいた。


「シエナ……!? おい、お前シエナか!!」

「その声、エヴァン? どうしてここに!?」


 シエナはエヴァンたちに背を向けた体勢だ。

 そこから体をよじって辛うじて視線を向けたシエナは、表情に苦渋と狼狽の色を滲ませる。

 そんな不可解な彼女の姿にギリリと歯噛みをして、エヴァンは吠えるように声を上げる。


「何してんだお前! スマホも持たずに突然姿消しやがってバカが、ユーリカやらミトマが慌ててやがったぞ!」

「スマホ? あっ、忘れちゃってたか……身動き取れないから、どうせ使えないんだけど……さ! ぐぬぬ……ああもうっ! 動けやしない!」

「何がどうしたらそうなる? テメェまさか負けたのか!?」

「はいはーい、おしゃべりタイムはそこまで。シエナ・クラウンに何が起きたかはアタシが説明してあげるわ」


 パンパンと手を鳴らしながら、始まりの魔女がイリスとエヴァンの間を通って前に出る。

 恐怖にビクッと肩を震わせたイリスの足元でコンブが魔女を睨むが、彼女はそれを意にも留めず、掌をシエナへと向けた。


「かの学園自治連合(キャンパス・ライン)の大エース、シエナ・クラウンは、街中で昔馴染みの憧れのお姉さんの顔を見かけて、仲間に勧誘しようととっさに後を追いかけました。スマホを忘れて仲間への連絡も忘れて地下水道に誘い込まれた勇敢で馬鹿で可哀想なシエナちゃんは、そこで牙を剥いた憧れのお姉さんとの大バトルに突入した挙句に負けてしまいました。電波も届かない地下の大空間で囚われの身になってしまったので〜す。はい説明おしまい」


 ざっくりとした説明を終えた魔女は、 度の弱い眼鏡の奥にニタニタと嘲笑うような底意地の悪い笑みを湛えてシエナを見る。

 その視線に怒りともどかしさを交えた目で応じるシエナへ、イリスが眉を下げながら問いかける。


「昔馴染みの憧れのお姉さんってどこのどいつですの? なんだか知らないけど……女の尻を追っかけてて捕まりましたの!? お兄様、こいつやっぱりアホですわ!!」

「ち、違うよ! そういうのじゃないって! 私が追いかけてたのは……」

「私だよ」


 シエナの言葉に割り込むように、落ち着いた大人の女性の声が響く。

 コンクリート塊の裏から姿を表したのは、藍色の髪を垂らして怜悧な瞳をした女性だ。

 緩くパーマのかかった長髪を揺らして微笑む彼女の片手には地面に突き立てられているものと同じY字に似た杖が握られていて、その杖はくらく重い不気味な輝きを帯びている。


「私はラナ・コルネット。シエナとは古い知り合いなんだ。シエナを捕らえたのも私だけどね。よろしく、狼の兄妹と猫くん」


 微笑。だがエヴァンとイリスは全身にゾワッと身震いを走らせる。

 二人は本能で理解した。シエナを負かして捕らえたのはこのラナだ。始まりの魔女のような次元の違う力ではないけれど、この女も異常に強い。

「ひぃ……」とイリスがか細い声を漏らした。強気で元気な彼女だが、今のところ戦力としてはあくまで“わりと強い”止まりだ。一般人相手やそこらのモンスター程度なら苦にしないが、シエナに勝つような相手となると格が違う。

 そんな妹の怯えを察して、エヴァンは魔女とラナからイリスを隠すように立ち位置を右にずらす。と同時に、ふと思い出したようにラナへと睨む目を向けた。


「よくよく思い出してみりゃお前、見たことあるツラだ。……そうだ、群狼団(ウルフパック)にいやがったな」

「ああ、確かに前は群狼団(ウルフパック)いたよ。団はこの前潰されちゃったけどね。学園を攻めた時に、君とやりあったこともあったかな? はっきりしなくて申し訳ないね。人の顔を覚えるのはあまり得意じゃなくて」

群狼団(ウルフパック)は数が多くてクソうざかったが、シエナより強い奴は一人もいなかった。なのに今のお前はシエナより強そうに見える。どうなってやがる?」

「強さなんて気分と体調次第。時と場合によりけりだよ」


 ラナはそう言うと、泰然とした余裕に満ちた顔で杖先をゆらゆらと揺すった。

 手を抜いていたのか、強さにタネがあるのか。エヴァンは必死に頭を巡らせて状況打開の可能性を探る。


 始まりの魔女を倒すのは無理だ。もし不意を突いて飛びかかったところで、おそらく触れることさえできないレベルで強さの次元が違う。

 ならラナ・コルネットは? わからない。正確に強さを推し量れていないが、シエナに勝ったというだけで判断はできない。

 シエナが不意を突かれたのかもしれないし、憧れの人だとかいうふざけたこだわりが弱みになって実力を出しきれなかったのかもしれない。

 少なくともシエナは死んでいない。下半身と左手を封じられて身動きも召喚もできなくなっているが、どうにかあれを解放できないか? と、そんな思索を巡らせたところで彼は右腕を上げる。

 無言でショットガンの銃口をラナへと合わせて、何も考えずに引き金を引いた!


「考えるのは向かねえわ。死にやがれ!」

「おっと」


 ラナがY字の杖を掲げると、放たれた散弾が宙空で止まってポタポタと地面に落ちる。研ぎ澄まされた彼女の魔力は銃弾を苦にしない。

 エヴァンの行動に驚いて息を飲んだイリスに「隙を見て逃げろ」と耳打ちして、エヴァンは上着の内から刃渡りの長いナイフを逆手に握って跳ねた。


「ゴチャゴチャ考えるのはやめだ!! 要は敵だろうが? ブッ殺せばそれで終わりだ!!」

「うーん……穏便に済ませられないのかな。私は別に、君たちをどうこうしようってわけじゃないんだよ?」


 ラナが屈み、エヴァンのナイフが空を切る。

 前のめりに刃を振るった体勢のまま、エヴァンは右手のショットガンをラナへと放つ。人狼のバネと身体能力が為せる技だが、しかしこれもラナは杖の力場で容易に防いだ。

 彼女は余裕を保ったままエヴァンへと問う。


「いいのかな? 私と争って。シエナは私を勧誘したいみたいだったけど」

「俺はもう学園所属じゃねえからシエナの意向なんざ知ったこっちゃねえ。そもそも誘われたかなんだか知らねえが、もう断って負かしたんだろうが?」

「まあねえ。先に魔女と組んでたから。先約優先だよ、ごめんねシエナ」


 エヴァンのナイフをすいすいと避けながら、ラナは軽い調子でシエナに舌をぺろりと出してみせる。

 と、エヴァンは下から顎へめがけてトリガーを引く! バック転で難なくそれも躱したラナはエヴァンへと困り眉で諭すような声をかける。

 

「ねえ、降参しなさい。君もまだ10代だよね? 私、子供は殺したくないんだよ」

「くだらねえ。戦いに子供も大人もねえよ」

「そんなことないって。君いくつ?」

「19だ」

「あー、ギリギリか」


 そう呟いた彼女は、杖先に魔力を灯して短い言葉を紡ぐ。


「ならまあ、死んだら死んだで仕方ないね。『詞握(ハイデン)』」

「エヴァン! 気を付けて!」


 ラナが術式を始動させたのを見て、シエナが焦燥を滲ませながら警句を発した。

 

 そんな戦いを、始まりの魔女はイリスの肩に肘を置きながら眺めている。

 逃げ出す隙なんてまるでない。イリスにできるのは、エヴァンの戦いを見てケラケラと笑いながら「もし勝てたら逃してやってもいいよ〜」とうそぶいている魔女の癇に障らないよう大人しく息を潜めることだけだ。

 そんな魔女を睨み上げながら、コンブが魔女へと問いかける。


「ねえ始まりの魔女。ラナ・コルネットにシエナを狙わせたのはあんたなの?」

「ん? そうよネコちゃん。シエナをここに誘い込むように指示したのもタイマンの状況をお膳立てしたのも全部アタシ」

「なんでシエナを狙ったの? 学園自治連合(キャンパス・ライン)が目障りだから?」


 その質問を受けて、魔女は顎に手を当てて「うーん」と少し考える。

 5秒足らずの逡巡ののち、「ま、いっか。雑魚に何聞かれたって」と頷きながら魔女がコンブを見下ろした。


「アタシねえ、分岐した色々な未来が見えるの。アタシの理想とする未来にとって、一番の邪魔になりかねない存在なのよねぇ。シエナって」

「思い描く未来って何? 具体的に教えてよ。どうせその気になればオレたちのこと殺せる立場なんだから、それくらいいいでしょ」

「ん〜……」


 また少し迷って、片目を閉じたまま魔女は口を開く。


「まあいいわ、ちょっとだけ教えてあげる。アタシねえ、今魔王を育ててんのよ」

「ま、魔王?」

「そう。何もかもをむちゃくちゃにブチ壊しちゃう無敵で最強の魔王よ〜。まだ今んとこダサ坊だけど。で、未来はたくさんの道に分岐しているんだれど、その分岐した末のたくさんのルートでシエナはアタシの可愛い魔王ちゃんの大きな障壁として立ちはだかるのね。あー、そうそう。アタシのあの子を魔王とするなら、シエナ・クラウンは勇者ってとこかしら。テキトーな比喩だけどね?」

「……」


 コンブは黙り、ケラケラと笑う魔女から視線を逸らす。

 それとなくでしかないけれど、魔女がシエナを狙う動機は一応わかった。

 けどだからってどうすればいい? 偶然喋れるようにこそなったが、コンブはあくまでただの黒猫だ。こんなところでわけのわからない人間たちの争いに巻き込まれてやられてたまるか。

 どうにかこの調子に乗った魔女に一泡吹かせてやれないか……

 そんなコンブの思考を、イリスの悲鳴が霧散させた。


「お、お兄様!! 気を付けてっ!!」


 シエナを下したラナの魔法が、エヴァンへ猛然と牙を剥く。

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