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127話 地下水路の遭遇

 エヴァンとイリスはコンブを抱えて橋から飛び降りた……と言っても、川面に落ちたわけではない。

 街中を流れる川の淵には人間一人が歩くには十分、二人が並んで歩くには手狭という具合の細い小道があって、10メートルほどの落下から着地するやいなやイリスはベタンとそこに這いつくばって鼻を鳴らす。


「ビンゴですわ!! この道、シエナの匂いが残ってますわよお兄様!!」

「ようしでかした! ザマァみろシエナめ、何考えて姿を消したんだか知らねえが、俺らの追跡から簡単に逃げられると思ってんじゃねえぞ」


 パチンとハイタッチを一つ交わして、二人は匂いを辿りながら小道を走っていく。

 落下した地点から数分進んだところで、兄妹は鼻をひくつかせながら左手の方向に目を向けた。

 そこには人が通れるほどの大穴が空いている。川の水を浄水場へと送り、生活用水として利用するための取水口だ。ここから先は地下水路へと続いている。

 穴には鉄格子が架けられて浮浪者や動物の侵入を阻んでいるのだが、その鉄格子の一部が不自然にねじ曲げられている。誰かが入った痕跡だ。

 シエナの微かな匂いはその奥へと続いていて、エヴァンはスマホで入り口の写真を撮ると、位置情報を併せてミトマやユーリカへとメッセージで送る。

 そして迷うことなくその中へ踏み込もうとしたところで、追随していたコンブが慌てたように声を上げた。


「ねえ、あんまり深追いしない方がいいんじゃないの。敵がいるかもよ」

「フフン、弱気ですわねえ猫。わたくしとお兄様はあの血の門(シュエメン)での抗争を乗り越えた猛者ですわよ、これしきの事態で怖がるタマじゃありませんわ!」

「弱気とかじゃなくてさあ、地下って場所によっては電話が繋がらなかったりしそうじゃん。他の人も呼ぶとか慎重になった方がいいと思うなーオレ」


 コンブは右の前脚をクイクイと器用に上げて、教え諭すような仕草をしながら二人へと語る。

 だが、エヴァンは首を横に振った。


「いや、このまま行くぞ」

「なんでだよ」

「敵がいるなら尚更急がなきゃまずいだろうが。シエナの奴が死ぬかもしれねえ。ミトマたちに連絡は入れたから問題ないだろ」


 そう言うと肩掛けにしているカバンから懐中電灯を取り出し、明かりを灯して中へと踏み込んだ。良くも悪くも思い切りのいい性格だ。

「そうかもしれないけどさあ」とボヤき気味に呟いたコンブは尻尾を小刻みに揺らしながら暗闇に目を凝らす。

 そして最後に水路の中へと入ってきたイリスが「なーんですのここは!?」とすっとんきょうな声を上げた。


「お兄様! ここ臭くって鼻が利きませんわ!」

「ああ。チッ、鼻が曲がりそうだ」

「鼻が利かないと周りの様子がわかりにくいですわね……」


 入る前の威勢はどこかへと飛んで、イリスは兄の腕にしがみついて恐る恐る歩く。

 鼻が優れている彼女にとって、嗅覚は視覚よりも大事な感知手段だ。それを封じられてしまえば一気に不安は増す。

 そんなイリスの足取りに沿っててくてくと歩きながら、コンブが訳知り顔で口を開く。


「こういう取水口って、機械で水の中に混ざってるゴミとか藻をし取ってるんだ。そこにヘドロみたいなのが滞留するからちょっと臭うんだよ」

「猫、あなたどうしてそんなこと知ってますの?」

「地下暮らしが長かったからそういう設備は結構見たことあるよ。そこは動いてなかったけど」

「ふーん、何も考えてなさそうな顔して案外物知りさんですのね」

「何も考えてなさそうなのは君の方じゃない?」

「生意気ほざいてると逆さ吊りにしますわよ」


 イリスとコンブが会話を交わしている間に、一行はどんどん奥へと歩みを進めていく。

 ザアザアと音を立てて櫛状の機械がゴミを濾している位置よりも、さらに奥へと地下空間は続いている。

 エヴァンは懐中電灯を左手に持ち替え、上着の内側に何本も留めてあるナイフを利き手に握った。

 それとほぼ同じタイミングで、コンブがじわじわと毛を逆立て始める。警戒のサインだ。


「ねえエヴァン、イリス、ここは様子がおかしいよ」

「どうしましたの?」

「こういう地下って魔素(マナ)が滞留しやすくて、ネズミとか虫とかが大きくなって凶暴化しやすいんだ。モンスター化の一歩手前って感じで」

「へー。でも今のところ全然見かけてないし、わたくしたちは超ラッキーですわね!」

「逆だよ。全然いないってことは、誰かが駆除したってことじゃない? しかも死体も残らないくらい木っ端微塵に……」

「……マジですの? 考えすぎじゃありませんの?」


 と、先導して歩いていたエヴァンが立ち止まる。

 カバンから愛用しているショットガンを取り出すと、険しい顔をしながらイリスへそれを差し出した。


「イリス、コンブ。お前ら帰ってろ」

「えっ」

「良くない気配がする。コンブの意見が正しかった。ここは……俺が想像してたよりもよっぽどヤバそうだ」

「だったらなおさらお兄様を置いて帰れませんわ!」

「だったら帰らなくていい。水路の入り口まで戻ってミトマとユーリカに連絡して増援送ってもらえ。人が来たらそいつらと一緒にもう一回潜ってこい」

「その間お兄様だけが危ない目に遭うのは認められませんわ!」

「そうは言うがな……」


 イリスに強硬に主張されるとエヴァンは弱い。

 普段は硬派な不良のような態度を取りがちな彼だがその実、妹へはわりと重めの愛情を向けている。

 キャンキャンと小型犬めいて騒がしい妹のためなら迷わず死ねるのがエヴァンという青年だ。イリスのわがままを聞き入れながら成長してきた彼は、その主張を跳ね除けるのに慣れていない。妹が受け取ってくれないショットガンが行き先をなくしている。

 そんな兄妹の様子に、コンブは「戻るの? 戻んないの? はっきりしなよ」と呆れ気味で呟いた。



————カツン、コツン。



 そんな躊躇(ちゅうちょ)がまずかった。 一行の背後から寄ってくる足音が一つ。

 気付いたイリスがはっと振り向いた瞬間、目の前には既に一人の女が立っていた。


「ハァイ、ワンちゃん二匹にネコちゃん一匹。こんにちはぁ」

「なっ!? 何者ですの!?」


 イリスがぎょっとしてそう叫ぶのよりも早く、エヴァンが妹の頭を抱えて耳を塞ぐと同時にショットガンの引き金を引いた。

 暗闇に弾ける閃光、閉所を震わせる轟音! ドゴン! と銃声が反響して、散弾が女の顔面を通過した。

 ……だが、女の顔に傷はない。文字通り弾が“通過”したのだ。

 女はニマッといやらしい笑みを浮かべて、「効かないわよ〜?」とエヴァンを煽る。

 ウェーブのかかった髪、少し重ための目に度の弱い眼鏡を掛けた女は自分に向けられたままの銃口を意にも介さず、くるくると指先を回しながら不快感を示すように舌先を出す。

 

「初対面の女性にいきなり散弾ぶちかますってどうなの? クソアプローチすぎない? ブッ殺されたいのかしら、ワンちゃん」

「誰だ、テメェは」

「ん〜……普段なら雑魚には名乗ってあげないんだけど、あなたたちには特別に教えてあげよっかなぁ〜」

「……」

「アタシはねえ、“始まりの魔女”っての。この街を作った古くて強〜い大魔女様。アンタたちなんてその気になりゃあ一瞬でチリよチリ!! キャハハハハ!!」


 舐め腐った態度だ。普段のエヴァンなら意地でもこの場で彼女を倒そうとしていただろう。

 だがエヴァンは歯噛みしたまま身動きが取れず、イリスも兄の背に隠れ、視線を落として震えている。

 人狼の血を引く二人は野性的な感覚が鋭い。ほんの短時間の接触で“始まりの魔女”の強大さを感じ取り、完全にすくんでしまっているのだ。

 そんな二人の足元から、コンブが魔女を睨んで口を開く。


「あんたなんなんだよ。オレたちをどうする気?」

「ん、ネコちゃんはあんまりビビらないのねえ。流石はあの子の眷属ってとこかー。ま、いいや。アンタたちをどうするかは検討中〜。ちょっとそのまま奥の方に歩いていってくれる? もうそんなに遠くないから」

「……エヴァン、イリス、進もう。ここでこいつと戦うのは無理だよ」

「お、お兄様……」

「チッ……行くぞ」


 魔女に脅されコンブに促され、オーウェン兄妹は奥へ向けて歩き出す。

 その先で二人と一匹が目にしたのは、想像していたのとは異なる凄絶な光景だった。

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