125話 連なる不穏
「……もしもし」
「あ、アリヤくん? 繋がってよかった!」
スマホへの着信に出たアリヤの耳に聞こえてきたのは、若い女性の声だった。
少しくぐもっていて細めの声質には聞き覚えがある。ほんの2秒ほど記憶をたぐり、アリヤは電話越しの彼女へ疑問符混じりに声を返す。
「ええと……ユーリカで合ってる?」
「あ、ごめんなさい! そう、ユーリカです!」
団地の住民から襲われたという不穏な事実を知った直後、見知らぬ番号からの着信だ。内心ドキドキしながら電話に出たアリヤは、通話の相手が見知ったユーリカだと知って心底ほっと息を吐く。
エクセリアも緊張していたようで、アリヤがユーリカと口にした瞬間に「なんだ」と肩の力を抜いたのが見えた。
安心そのまま、エクセリアは受話口にぐいっと耳を寄せてくる。近い。邪魔だ。手を仰ぐジェスチャーで離れてくれと示すが、電話の内容が気になるようで離れてくれる気配がない。
「邪魔しないから」と口パクで言ってきたので、仕方なしに放っておくことにする。
それはそうと、ユーリカの用件はなんだろうか。アリヤは気を整え直して会話を続ける。
「何か急な用かな? 慌ててたみたいだけど」
「そ、そうなの! シエナちゃんが、シエナちゃんがいなくなっちゃって……!」
「いなくなった?」
ユーリカの声からは彼女が青ざめている様子が伝わってくる。
だが、シエナからは昼前に一度「事務所開業おめでとう」と電話を受けている。シエナの後ろからはユーリカの声も聞こえていた。
状況がピンと来ないままアリヤは彼女へと問いかける。
「シエナがいなくなったのは何時ごろの話?」
「3時頃からなの! アリヤくんたちは何か聞いてない!?」
「いや、昼前に電話したのが最後だよ」
「そうだよね……電話も置いたままいなくなってるから連絡が取れなくて、ミトマちゃんもエヴァンくんたちも行き先を知らないみたいで、それから2時間以上経つのに帰ってくる気配がないの……どうしようアリヤくん、シエナちゃんに何かあったら……!」
「ま、待った待った。落ち着いて」
一人でヒートアップしていくユーリカの言葉をアリヤは慌てて遮った。
彼女の慌てように気持ちが追いつかない。居なくなってから三時間も経っていない?
小さな子供の行方がわからなくなったなら慌てるのもわかるが、シエナは学園ダントツの最高戦力なのにそんなに慌てるものだろうか?
「うーん、とりあえず三時間ぐらいなら様子を見てもいいんじゃないかな? 真夜中になっても音沙汰なしなら心配だけどさ」
「そ、それは……でも今までこんなことはなかったの。一度も」
「一度も? うーん、スマホを持っていってないのは確かに気になるけど」
そこまで言ったところで、アリヤはふと疑問を抱く。
本当に? いくらユーリカがシエナに対して重たい感情を抱いているからって、本当にそれだけでここまで心配しているんだろうか?
そんな疑問を問いかけてみる。
「ええと、ユーリカ。こっちの勘違いだったら申し訳ないんだけど、シエナについて何か隠してることはない? いや、隠してるって言うと印象悪いか……まだ俺たちに教えてないこととか、敢えて伏せてる情報とか」
「……そ、それは」
「話せないなら話さなくて大丈夫だよ。ただ伏せてる情報があるかどうかだけは教えてほしい。深刻さが変わってくるから」
「…………」
通話越しにユーリカが口を噤んだ。隠し事が無いなら無いと即答できるはずで、沈黙は肯定と変わらない。
なるほど、何か事情があるんだなとアリヤが認識を改めていると、ユーリカがおずおずとした調子で口を開く。
「……あの、これはシエナちゃんには秘密にしておいてほしいんだけど……」
「ん? うん、大丈夫。言わないよ」
「……私、シエナちゃんの居場所がわかるの。いつでもわかるようにしてるの。私の魔法で」
受話口に耳を寄せていたエクセリアが、「ユーリカは監視の魔法が得意なのだ」と言う。
監視……監視? アリヤは恐る恐るユーリカへと問いかける。
「いつでもって……いつでも?」
「……うん、いつでも」
「……24時間?」
「……寝てる間も。そういう魔法、使えるから」
「えっ、それは怖い」
「こ、怖くないよ!?」
アリヤが思わず素直な感想を漏らしてしまうと、ユーリカが反射的に否定の声を上げた。
いや、シエナ当人に知らせずにそれは怖い。ちょっと愛情が重めの友達では済まない域だ。それはもうストーカーだ。そんな感想を抱いていると、弁解めいた慌て気味の声が聞こえてくる。
「し、シエナちゃんには教えてないけどミトマちゃんには言ってあるんだよ!? 私一人の独断じゃないの! あの子は独断先行なクセがちょっとだけあるから、保険のために監視しておいた方がいいよねって。ほら、学園のトップだし……!」
「そ、そうなんだ……」
「引いてるよね? 引かないで!」
シエナのためを思っての行動ではあるんだろうが、それにしたってなかなかだ。
まあ、ミトマと方針を共有しているなら……監視した方がいいと周りに思わせるシエナにも責任はある、のかもしれない。
少なくとも自分が口を出すことじゃないだろうと思い、アリヤは話を先に進めることにする。
「シエナを心配してのことだってのはよくわかったよ。とりあえず、俺からシエナに言ったりすることはないから安心して」
「うん……お、お願いします……」
「それで、ユーリカが今慌ててるのはその魔法を使ってもシエナの居場所が感知できなくなってるってことでいいのかな」
「そう、そうなの! 居場所がわからなくなっちゃって……こんなこと初めてで」
彼女が声が裏返りそうなほどに動揺しながら心配している理由がよくわかった。
なるほど、そういう事情なら過度な心配とも言えないかもしれないな、アリヤは考える。
ただ、さっきユーリカには伝えたがこっちにシエナからの連絡は入っていない。思い当たるような節もないし……と、そこでアリヤは(そういえば)と団地での出来事を思い浮かべる。
「これが関係があるかはわからないんだけど、俺たちは今パンドラ南東部のココルカって地区の団地を調べてるんだ」
「ココルカ……たしか、放棄区画のすぐ隣の?」
「そうそう。そこで行方不明の人を探してたんだけど、そこでさっき初めてアンヘルと会ったよ。七面會の」
「アンヘル!?」
名前を聞いた瞬間、ユーリカの声が上ずった。
シエナは自分の父親を殺したがっていて、その父親を狂わせたのはアンヘルだと言っていた。
アンヘルとシエナの父は現在進行形で手を組んでいるという話だったから、アンヘルも父と同じくシエナにとっての標的だろう。
ユーリカはそれを知っている。血相を変えた様子の声で、アリヤへと強い口調で質問を投げてくる。
「アリヤくん、それは何時ごろ!? 詳しい場所はどこ!? 何の話をしたの!?」
「時間は3時半頃だったかな。場所はココルカの第十二号団地ってところだよ。話は……大した話はしてない。向こうが様子見程度に雑談を振ってきただけだった。たまたま俺たちが出会したってだけで、シエナはそれを知らないはずだから偶然だとは思うけど」
「……ううん、アンヘルは滅多に人前に姿を現さないから、シエナちゃんがもしそこにアンヘルがいるのを知ってたなら……でも、3時半……? ココルカは遠すぎるから関係ない……? でも、シエナちゃんなら……ううん……」
言葉に詰まりながら考え込むユーリカへ、アリヤはとりあえずの対応策を示しておくことにする。
「こっちの調査ついでに、アンヘルの動向らは調べてみるよ。もしシエナがアンヘルに何かを仕掛けようとしてるならこっちで動きを掴めるかもしれない」
「……うん、お願い。些細なことでも教えてくれると嬉しいな……」
「わかった。みんなで気にかけておくよ」
今共有できる情報はそれぐらいだろう。シエナの動向に思いを巡らせながらアリヤが電話を切ろうとすると、そこでユーリカが
「あ、関係あるかはわからないけど……」
「うん?」
「具体的にどう、とは言えないんだけど、私たちが浮気調査を引き受けてるランドール家の様子がおかしいの。普段に比べて出入りする人も、屋敷の中にも人が少なくて。アリヤくん、この前ランドール家の人とモメたんだよね?」
「あー、うん。成り行きで」
「だから一応、伝えておくね。また何かあったら教えるから」
「ありがとう、助かるよ」
そこで電話を切ろうとしたアリヤの手から、エクセリアがぱっと電話を奪い取った。
通話口へ向けて、彼女は自信たっぷりの口調で語りかける。
「安心しろユーリカ。シエナなら間違いなく無事だ!」
「エクセリアちゃん? それはどうして……」
「フフン、私がそう思うからだ。他に理由はないが、シエナなら絶対大丈夫に決まっている!」
「……ふふふっ。エクセリアちゃんにそう言われると、なんだか本当に大丈夫そうな気がして落ち着くね。ありがとう」
心なしか落ち着きを取り戻して、ユーリカはエクセリアへと笑み含みに声を返して電話を切った。
襲撃者の死体も片付かないうちから長電話をしてしまったことを喫茶店のマスターに詫びつつ、アリヤは視線を落として考え込む。
(行方不明の青年、団地住民の襲撃、七面會のアンヘル、シエナの失踪、ランドール家の不審な動き……同時に色々なことが起きるとワケがわからなくなるな)
ついつい難しく考えてしまいそうになるが、変に関連付けずに一つ一つを確かめていくべきだ。
アリヤは顔を上げると、エクセリアと雷に声をかけた。
「とりあえず、もう一度団地を調べてみよう。何かわかることがあるかもしれない」




