123話 喫茶店にて
「壊れてるねぇ、あのお婆さんは」
長い時間を掛けて依頼者から話を聞いた雷は、老女マルシアの印象をそう結論付けた。
アリヤとエクセリア、合流した雷の三人は、団地から徒歩で5分ほど離れた寂れた喫茶店に腰を据えている。
アリヤとエクセリアは雷が事情を聞き取っている最中の会話を録音したものを聞いているが、雷が「壊れている」と言うのもわかる話の内容だ。
マルシア曰く……
「団地の地下には巨大な空洞があるの。空洞にはそこを根城にする秘密結社が存在していて、構成員以外のパンドラの住民を皆殺しにする計画を立てているのよ。あなたも対象なの。わかる? この団地の住民は大半がその秘密結社に属しているのよ。あの恥知らずのクズども!! もちろん私は参加していないわ。人様を殺めようだなんてとんでもない。だから奴らは私を常に監視しているの。ベランダに出るといつもヒソヒソと私を監視している声が聞こえるわ。夜眠る前も窓の外や隣の部屋から声が聞こえてくるの。壁に穴を開けて監視してるか、それかどこかにカメラが取り付けられていると思うのよね。奴らは私を見張ってるの。そうに決まってる。頭おかしくなりそうよ!!!! あなたの事務所では監視カメラが付いているかの調査はやってくださる? そういうのを頼む先はまた別なのかしら? まあいいわ、私はいいの。私には奴らと戦い続ける覚悟があるから。でも息子のセベロは別よ。私が秘密結社への参加を拒んだせいであのクズどもは息子のセベロにまで日々監視の目を向けてきているわ。そしてついに奴らはセベロに手を出したの!!! ……でも証拠がないわ。セベロを早く助けてあげたいけど居場所がわからないの。だから、ねえ。あなたたちの調査で早く息子を見つけて頂戴!!!!」
……凄まじい剣幕の声だ。レコーダーに残った音声を聞いているだけなのに、アリヤとエクセリアは思わず身を竦ませてしまう。
彼女の声には自分の言動への疑いが一切含まれておらず、ただひたすら疑心暗鬼で周囲への疑念と憎悪を募らせている。
アリヤは申し訳なくなって、雷に労いの言葉をかけた。
「……これ、大変だったろ? 悪かったな、一人で彼女の相手をさせちゃって」
「気にしなくていいよ、これはこれで面白い体験だったからねぇ。ちなみに依頼の着手金はしっかり受け取ってきたよ」
「抜かりないなあ」
この手のトラブルバスター的な仕事はすべてを解決できるとは限らない。今のところ、依頼に取り掛かった時点で着手金を受け取って、解決できたとなったら成功報酬をもらうという形式にしているのだ。
アリヤが雷からクレジットが入った紙袋を受け取っていると、横からエクセリアが不思議そうな声を漏らした。
「それにしてもあのマルシアという老女、あんな壊れたような精神状態で仕事ができるのか? よく払える金があったものだな」
「彼女は働いていないよ。息子のセベロが稼いだ金で暮らしていたみたいだね」
依頼人絡みの話は個人情報だ。店内はがらんとしていて他人に話を聞かれる可能性はなさそうだが、三人は一応店員にも聞かれないように声は落として会話をしている。
雷は小声のまま、嘲笑混じりにひらひらと手を揺らした。
「マルシアの年齢は62歳。セベロは24歳。経緯はわからないけど旦那には逃げられてる。遅くできた息子に対して一定の愛情はあるようだけど、それ以上に息子の収入が生命線みたいだよ。彼女は」
「ふーん。私には親の記憶はないが、ああいう母親は嫌だぞ、絶対に。もしかして、それで躍起になってセベロを探そうとしているとか?」
「どうだろうねぇ。ただ、関係はそれほど良くなかったのかもしれないよ。母と息子なのに、連絡先は知らないそうだよ」
「なんだそれは。他人ではないか」
雷の言葉を受けて、エクセリアが眉をしかめる。
アリヤもまた半狂乱の母親が自分の収入をアテにしてくる状況は確かに嫌だろうなと考えるが、しかし決めつけは良くない。
マルシアが今みたいな偏執的な様子になってしまったのは息子が消えたことがきっかけかもしれないのだ。
「エクセリア、雷。着手金はもらったわけだし、最初から否定的に見るのはやめておこう。雷は直接接してくれたからそう思うのも仕方ないけど」
「ボクのことは気にしなくていい。キミの方針に従うからね」
「ありがとう。まずは依頼主の言い分を確かめていこう」
まず、とアリヤは地面を指差す。
「地下に空洞があるって話。これはどうなんだろう。ハナから妄想だとは決めつけずに考えたいんだけど……」
「ありえないね」
長細いスプーンでクリームソーダをかき混ぜながら、雷が首を横に振る。
「この辺りは地盤が弱いんだ。隣接地区が放棄区画になった時に浄化処理の爆撃もあったから余計に脆くなってる。地下にそんな大層な空洞を作るのは無理だろうねえ」
「なるほど。じゃあ、団地の住民が秘密結社に属しているって話は? 別に秘密結社じゃなくてもいい。何か特定のコミュニティに属している可能性はないかな」
ガムシロップを混ぜたアイスコーヒーを一口飲みながら、アリヤは考えを口にする。団地の住民が一様に愛想が悪かったのが引っかかっているのだ。
統一感のある排他性には理由があるんじゃないか。そんな連想からの言葉だったのだが、アリヤは自分からその話題を切った。
「……これは憶測で決めつけない方がいいな。調べてみないとわからないか」
「うむ。あるはず、ないはずと決め付けるのは良くないな! なんなら適当な住民を捕まえて尋問してやればいいのだ」
「いやいやいや、ダメだろそれは」
「何故だ。もちろん無辜の住民を捕まえるわけではないぞ? 私たちを無礼な態度で門前払いした連中の中から特に悪そうなのをピックアップして捕まえてだな!」
「よ、良くないってエクセリア。初めての依頼から犯罪に手を染めるわけには」
「知らんわ! 今後も一軒一軒回って門前払いを食らう気か!? こんな調子では一年かかっても何もわからないではないか!!」
「いや、そこは根気強く足で稼ぐしか」
「効率が悪いのだ効率が!」
それぞれ具体性とモラルが欠けた手法を推して言い合う二人を眺めながら、雷はエクセリアが頼んだサンドイッチの皿からレタスサンドを一切れ勝手に取って齧った。
「あ!」と憤るエクセリアを意に留めず、彼は紙切れをテーブルの上に置いた。
「セベロの職場の住所は聞いてきたよ。団地を調べるのも大切だけれど、こっちの方向から調べてみるのも悪くないんじゃないかい?」
「おお、助かるよ!」
「なんだお前、なかなか有能ではないか」
「フフフ、もっと褒めてくれてもいいんだよ」
そんな会話を交わしながら、雷はおもむろに腰に下げた剣を握って頭上に掲げる。
瞬間、背後から振り下ろされた刃と雷の剣が激しく火花を散らす!
「な、なんだ!?」
「敵だと!? どこから湧いた!」
アリヤとエクセリアはその接敵に気付けなかった。気を抜いていたわけじゃない。気配も姿も一切なかった。
だが何故か今はもう視認できる。包帯で顔をグルグル巻きにした得体の知れない人物が、片刃の剣を手にして雷の頭を狙ったのだ。
ただ一人反応できた雷は薄い笑みを浮かべて、クリームソーダをしっかり飲み干しながらゆらりと席を立った。
「星の意思の刺客かい? 血の門絡みの恨み? それとも別件かな。ボクはどれでも構わないよ。戦ろうか」




